ゲシュペンスト 3
「貴様、いったい何者だ?」
黒甲冑は剣を構えてはいるが、剣術の心得を一切感じさせない、素人同然の立ち振る舞いだ。手練れ出あるカメオンを、一撃で屠ったとはとても思えない。
(……いや、思いたくないだけだ。冷静になれ)
大剣を構えるヨミの姿を真似ているだけにしか見えない黒甲冑が、本当に素人であっても油断は禁物だ。
甲冑兵の能力は、技量や経験以上に根本的な資質に左右される。
世界を構成する物質、エーテルの仲介者である《理の姫》と、その肉体の一部を戴いた騎士に発現する《アチューンメント回路》の質が全てで、騎士としての技量で補える幅はごくごく僅かだ。
「どうした、娘。臆しているのか?」
黒甲冑を包む霧が、迷うヨミを笑うよう揺らめく。
(馬鹿にして!)
カッと、思考が赤く染まり……《アチューンメント回路》が刻まれた背中が熱を帯びる。足元に転がる死体から生まれた花びらが砂細工のように崩れ、真白の粒子がヨミの体を取り囲む。
差し違えてでも、今、ここで黒甲冑を止めておかねばならない。
ヨミは戦場に漂う月光華の甘い匂いを吸い込み、吠えた。
ティエンメイの《理の姫》は脆弱で一度に一人の甲冑兵しか生み出せないが、たとえヨミが黒甲冑と戦い命を落としても、一人ならば新たな甲冑兵を生み出せる。
(私が死んでも、代わりはいるのだから!)
怖れるものなど、何もない。
祖国に帰っても、家族は誰も残ってはいない。短い時間を共に暮らした夫と再び会えるのなら、いっそ本望か。
不穏な黒甲冑を、必死の形相で睨み付ける。
恐怖してはならない。
臆してはならない。
差し違えてでも、勝つ。
負けてはならない。
呪文のように、ヨミは己に言い聞かせる。
気持ちはまるで、初陣を飾った頃のようだ。
脅えた心はエーテルをつなぎ止めきれず、白い甲冑は紙を纏っているように頼りなかったのを覚えている。
「勝つ、私は――勝つんだ!」
命を賭けて守る祖国で、誰も帰りを待っていなかったとしても、感情がそのまま甲冑として物質化し、ヨミの意思を貫き通す武器となる。
希望を捨ててはならない。
家族はいなくとも、戦場を共にした仲間たちがいる。
仲間たちには、家族がいる。
ヨミは再度甲冑を具現化させ、白い女騎士となって黒甲冑へ突進した。
一歩、二歩。
地に足が着く度、周囲のエーテルを取り込んで力を増幅させてゆく。圧倒的な力を持つ黒甲冑を相手に、なりふりなどかまってはいられなかった。
花を喰らう行為は、死体を貪るのと等しい。
美しすぎる故に誰もが気付かないが、他者のエーテルを《アチューンメント回路》から取り込む度、聞こえてくるはずのない声をヨミは聞いている。
大抵は、恨み辛み……悲しみといった負の感情だ。
(わたしだって……わたし、だって!)
声を振り払うよう、ヨミはしっかりと握った大剣を振りかぶった。
ヨミの体の半分はありそうな質量が、羽ばたくように翻り、黒甲冑を包むエーテルの塊を吹き飛ばす。
大剣を持つ手が痺れるほどの衝撃。
しかし、懇親の一撃は黒甲冑の胴に触れはしたものの、真っ二つに裂くのはおろか、かすり傷すら負わせられなかった。
ただ、濃厚なエーテルを吹き飛ばし中に有る騎士の姿を露出させた。
「……っ、男?」
黒い髪に、黒い目。
異国を感じさせる面影の死臭を感じさせる辛気くさい顔は、女ではなく、たしかに男のものだ。
生意気な女はどこに?
「わたしは、ここにいる」
困惑するヨミの耳元に、温い風が吹く。気づけば、再臨させた甲冑の兜が跡形もなく消え去っていた。
「生意気な小娘ではあるが、甘くて美味い蜜の味がする。なかなかに、気に入った」
背後から伸びてくる、黒い女の手。
ぼんやりと、見つめるだけの男。
頬に焼け付くほどの冷気を頬に感じた瞬間、ヨミの意識は闇に堕ちた。