ゲシュペンスト(2)
指揮官とおぼしき甲冑兵へ、脇目も振らず突っ込んでゆく。
強化された脚力が、追いすがろうと手を伸ばしてくるオルビタの一般兵を、容赦なくはじき飛ばす。
手にした大剣を振るう必要すら、今のヨミにはない。圧倒的な力の差が、あった。
「珍しい、甲冑を着た小娘か! たった一騎で飛び出してくるとは、勇猛か愚者か? この私、カメオンが直々に確かめてやろう!」
ご丁寧に名乗った敵甲冑兵、カメオン。
携えた武器は、槍。対するヨミの武器は大剣。
それぞれの獲物がもっとも得意とする間合いの取り合いが、勝敗を左右するだろう。怯んだほうが、負けだ。
「女だと、侮るな!」
枯れた声を張り上げ、ヨミは大剣を持つ手に力を込めた。
体を包み込む甲冑には、鉄の鎧のように不格好な関節具は存在しない。
装甲と装甲をつなぎ止めているのもエーテルであり、甲冑は人体がもつ曲線をはっきりと感じさせる作りになっている。
女性らしい、丸みを帯びたヨミの甲冑は、無骨なばかりの戦場にあって、貴婦人のドレスのように嫋やかだ。侮られるのも、無理はない。美しすぎるのだ。
「達者な口ぶり! 覚悟は、行動で示せよ!」
まだ見ぬカメオンの顔が、にんまりと嫌らしく笑っているような錯覚。侮っている。ヨミは悔しさに、奥歯を噛みしめた。
アチューンメント回路を宿しているからこそわかる、不思議な共感覚だ。
人は誰でも、エーテルの影響を受ける。特に、エーテルに干渉するアチューンメント回路を持つものは、エーテルを振るわせる感情を拾い上げる。
(女と思って侮るならば、侮ればいい。私への侮辱はすべて、自分に跳ね返ってくるのだからな!)
甲冑兵の強さは、資質と技量で決まる。
腕力などまったく関係なく、男女の差も、体格の優劣もない。
カメオンが、動く。
通常の腕力では不可能な、素早い槍の突き。うなる風が足下の砂礫を巻き上げた。
ぱちぱちと、砂礫が甲冑にぶつかってはぜる音。
生身で喰らえば、肉を持って行かれるほどの衝撃がヨミを襲う。が、甲冑を破壊するまでには、至らない。
ヨミは強化された視力と筋力を最大限駆使して、体をひねった。鋭い槍先が甲冑をかすめ、白い光が散る。
抉られた甲冑が、視界に入る。
暴かれた白い柔肌にかまわず、ヨミは槍の柄に体をこすりつけるように回転し、構えた大剣を容赦なく振り抜いた。
瞬きよりも短い、刹那の攻防。
(捕まえた!)
ヨミは、ほくそわらった。
死を悟ったカメオンの恐怖が、アチューンメント回路から取り入れたエーテルと共に、肌へ流れ込んでくる。
が。
「……なっ、に?」
強烈な反発。
ヨミは振り切ったと思った大剣に引っ張られるようにして、のけぞった。困惑にぶれる視界の中で、漆黒の光が蠢く。
「何者か!」
必死になって、叫ぶ。
背中を、強かに地面に打ち付けた。戦場を揺さぶるほどの衝撃に、大剣を取り落とさなかったのは……奇跡だった。
(甲冑を着ていなければ、背骨をやられていた。ただ、吹き飛ばされただけではない!)
両手、両足を地に着けて、ゆっくりと立ち上がる。ぱらぱらと、衝撃に砕けた甲冑が雪のように舞い散った。
ヨミは大きく息を吸い込んで、アチューンメント回路を開いた。
多くの甲冑兵がいる戦場は、必然的にエーテルが薄くなる。大きく砕けた背中部分だけを修復し、ヨミはヒビの入った兜を脱ぎ捨てた。
前髪を留めるカチューシャから零れる髪と、額に滲む汗を拭って立ち上がる。
「オルビタの、甲冑兵? 援軍、なのか?」
新緑が萌える戦場に、影が揺らいでいた。いや、人の形をした染みにも見えた。
多くの視線が、一点に集まる。時間が停止したように、各々が唐突に現れた甲冑兵に固唾を飲んでいる。
黒い甲冑兵など、いままで一度も見た覚えはない。
ヨミだけでなく、カメオンも困惑しているように見えた。槍を構えるのも忘れ、じりっと後じさっている。
黒甲冑は、当然のように立っている。右手に持つ細身の剣で、ヨミの大剣をはじいたのだろうか。
「見たことのない甲冑だが、もしや、セレネ様が使わした新しき甲冑兵か?」
カメオンの声には、若干の震えが混じっている。ヨミをはじき飛ばしたのだから、味方である。そうであってほしいと、祈るように。
甲冑を、アチューンメント回路を持っているからこそわかる。この黒甲冑は、拙い相手だ。本能が、危険だと呼びかけている。己の純白の甲冑が、脅えるように震えていた。
「貴様、オルビタの甲冑兵なのか?」
黒甲冑は、なにも発しない。
戦うには華奢な剣を持ったまま、息遣いすらも感じさせない静けさは、不気味でしかなかった。
「答えよ! 貴様は何者か? セレネ様の甲冑兵であるのか!」
しびれを切らすカメオンの声に、黒甲冑がゆっくりと振り返った。
背を向けた。
仕掛けるのならば、今より他に好機はないだろうに、ヨミは動けないでいた。大剣を取り落とさないよう、体に力を入れるだけで手一杯だった。
流れる汗が視界を汚し、染みるような痛みが、理性をかろうじてつなぎ止めている。
「ヨミ、どうした?」
蹄の音。聞こえてくるヤーフの声に、ヨミは「来てはいけない」と叫ぶ。情けない、声が出ないほどに脅えていた。
黒甲冑が動くたび、火の粉がはぜるように紫がかった霧が揺らめく。取り込んでいるエーテル量の多さは、いままでみたどの甲冑よりも格段に多い。
(辺境の戦線に投入するような、甲冑兵ではない。オルビタの兵力は……理の姫は、私たちと同じ人間であるのか?)
こみ上げてきたのは、絶望。
甲冑を手に入れ、拡大してゆく戦争の波に飲まれるばかりであった祖国を救い出せる。ようやっと巡ってきた好機に喜ぶ矢先、どうしようもない圧倒的な力を突きつけられるなんて。
祖国、ティエンメイは滅びる。
きっと、この黒甲冑に滅ぼされる。
母や父、弟に妹。先に死んだ婚約者の顔が、ヨミの脳裏をかすめた。
「そなたのような甲冑兵は聞いたことがないが……まあ、誰でもよい。たすか……」
黒甲冑へ伸ばされたカメオンの手が、宙を舞った。
いや、腕だけではない。
鋭すぎる一閃は、甲冑ごと男の太い胴をまっぷたつにした。
オルビタ、ティエンメイ両軍に、動揺がはしる。
戦場に飛び込んできた影は、味方ではない。オルビタでも、ティエンメイでもない。
止まっていた戦線が再び動き始めるが、兵士たちの口から上がる声は咆吼ではなく、悲鳴であった。
「何者かは、知らないが。私たちの邪魔はさせない!」
ヨミの見立てたとおり、カメオンは指揮官相当の甲冑兵だったようだ。
オルビタ軍は、見てわかるほどに動揺している。今攻めれば、確実な勝利を呼び込めるだろう。唯一無二の機会だ。逃しては、いけない。
殺気を全開にして睨めば、カメオンの血にまみれた若草を踏みつけ、黒甲冑がヨミと対峙する。
「因縁とは、おもしろきことぞ」
笑いを含んだ、蠱惑的で細い女の声。戦場ではなく、社交場に生きるような、ヨミとは真逆の存在を感じさせる美しい声だ。
「女?」
「なにが可笑しいのかね? 自身も、女であるだろうに。それとも、其方は女のような男かえ?」
兜に包まれた頭が、傾ぐ。いまさっき、カメオンを真っ二つに屠った人物とは思えないほど、愛嬌を感じる仕草だ。
ヨミは大剣を構え、黒甲冑を睨んだ。
蜃気楼のように、ゆらゆらと揺らめく黒い光を纏う甲冑はどこか中性的で、見る限りは男のようにも女のようにも思える。鋭利でありながら、美しい。
不確かな存在感は、悪夢でも見ているようだった。
が、目の前の黒甲冑はたしかに存在している。
(ティエンメイの甲冑兵で、この黒甲冑とまみえることができる技量を持つのは、私かヤーフさんのどちらか。……後を考えるのならば、私がここで止めなければならない!)
ヨミは小さく頭を振って、息を吸い込んだ。
「因果の輪は、死しても人を捕らえるか。滑稽だが、哀れなことよ。今度は、どちらが死ぬのかな」
さく……と、黒甲冑が草を潰して歩み寄る。
訳が分からないまま、体を二つに断たれたカメオンの屍から、月光華がさいた。体内にとりいれるエーテル量が多い甲冑兵からは、何本もの月光華が生える。
ふと、視界を広げてみれば、あちこちに白い固まりが見えた。
死臭に混じって、甘い匂いが漂い始める。
戦況は、決しようとしていた。