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ゲシュペンスト(1)

 山岳に囲まれた牧草地が、どこまでも広がるミィンタニヤ地方。

 一見すると穏やかな雰囲気を覚えるが、内情は他と代わらずに泥沼と化していた。

 人が人を殺し、犯し、土地に付随する富を奪い合う、そんな光景がのどかな牧草地帯にどこまでも広がっている。

 遙か遠くまで見渡せる平原から、苦い煙が登った。

 一つ、二つ……雨が降るように、無数の黒煙が青空を灰色に汚す。

 戦争の合図だった。

 広い土地に乱立する、少数民族らの衝突が、ミィンタニヤ地方の主な戦争の形だ。

 とはいえ、民族抗争など今に始まった戦いではない。

 小競り合いから皆殺しに至るまで、領地争いから来る戦争は幾度も繰り返されてきた。 徐々に形をかえながら、ちゃくちゃくと火種を大きく燻らせながら。何人もの人間が、生きて……死んでいった。

「押し返せ! 殲滅せよ! 我らティエンメイの意志をオルビタどもに、示すのだ! 容赦するな!」

 声を張り上げ、ヨミは部下を叱咤しながら戦場を駆けた。

 汚れ一つない、白銀の甲冑に包まれていてもわかる柔らかな肢体は、血なまぐさい場所にあって、荒ぶる男たちに神聖な狂気を与えてゆく。

「進め! 闘え!」

 敗走兵、死に所を覚悟した敵は手負いであれど、油断はできない。

 勝てる戦いだと意気込んで飛び込み、痛い目にあった経験は少なくない。

 思い返せば、こみ上げてくる羞恥に自死を選択しそうになるほど、ヨミは苦い経験を幾度も重ねてきた。

 何よりもまず、焦ってはならない。

 勝利に酔うのは、焚き火を囲んで杯を交わすときで充分だ。

 まだ、二十歳にもなっていない小娘だが、ヨミが経験した戦場の数は誰よりも多い。

 ほとんどが負け戦ながら、いままで生き残ってこれたのは、運以外の、技と実力がなければ不可能だ。

 だからこそ、ヨミは指揮官に抜擢された。

 が、裏を返せば、子供といってもおかしくない娘が戦線を動かさなければならないほど、祖国ティエンメイの武力層は薄い。致命的とも言える。

(絶望的に人材が不足しているとはいえ、己の娘と同世代の若造の言葉に、皆よくついてきてくれている)

 信頼に信頼を返すには、与えられた職務を全うするのみだ。

 共に闘う猛者たちを、命を預けてくれている貴い仲間を、つまらない戦いで無駄死にさせるわけにはいかない。

(我らが優位であるのも、相手がオルビタの主力でないだけ。甲冑兵の数が拮抗しているからこそ、勝機の見える戦いになっている。勘違いしては、いけない。圧倒しているわけではないのだ)

 悔しいが、事実は直視せねばならない。

 土地の境界線を踏み荒らす斥候から身を守るだけでも、ティエンメイは手一杯な状況だ。

 戦いの主力となる甲冑兵の総数が、圧倒的に不足してた。

 もし、オルビタが、ミィンタニヤ地方で最多の甲冑兵を保有する最強の兵団が本腰を上げて攻めてきたら。考えるだけで、震えが走る。

 ろくな抵抗もできず、滅ぼされる様が見て取れるようだ。

(だめだ、いけない!)

 大丈夫、焦るな。敵は、恐るべき主力ではない。

「怯むな! 進め!」

 不安を払拭すべく、叫び続けるヨミの声は、枯れ枝のようにかさついていた。

 年頃の娘としては気にならないわけではないが、声を気にして負けたとあっては、元も子もないのだ。

 死ねば、なにもかもが終わる。

 叱咤の声一つで戦況を支えられるのなら、むしろ安い代償だ。

「ヨミ!」と名を呼ぶ声に、振り返った。

 馬に乗った甲冑兵が、ヨミの側にやってくる。

「長引けば、我らに不利になる。甲冑兵の数は此方が上だが、熟練度は向こうが圧倒的に上だ。奴らは、強い。一対一に持って行かれて此方の甲冑兵の数を減らされたら、今後の戦も危うかろう」

「ええ、ヤーフさん。私も、同じ考えです。なんとか持ちこたえていますが、早々に決着をつけなければ、勝機に逃げられる」

 疲れの隠せない声で、ヤーフは「拙いぞ」と弱音を吐く。らしくないと叱りたいが、老兵の判断は間違っていない。悔しいが、正しい。

 白銀の甲冑を着込む兵を、甲冑兵と特別に呼称する。

 死体を食い破り、芽吹く月光華を思わせる純白の鎧は、見た目の質感は鉄に似通っているが、素材は世界や自分たちの肉体を構成する物質、エーテルから作り出されていた。

 体の内に取り込み、後天的に作りあげられるアチューンメント回路、エーテルの流れを制御する特殊な能力で、甲冑兵は空気中を漂うエーテルを固定し、己を守る外皮……甲冑を構成する。

 全ての物質を形作るエーテルで作られる甲冑は、同素材以外のもので傷をつけるのは難しく、アチューンメント回路の性能次第では、無限に修復も可能な代物だ。

 誰にも使いこなせるわけではないのが大きな欠点だが、使いこなせれば、老若男女のくくりをなくし、誰もが一騎当千の力を持つ最強の兵士となれる。

 甲冑兵の数が勝敗を左右するようになるまで十年足らず、夢のような力はミィンタニヤ地方にあっという間に広がっていった。

「斥候とはいえど、あのオルビタを相手に戦えるようになったばかりなのですよ? 全滅なんて、許されるわけがない。我らの敗北は、すなわち祖国ティエンメイの終わりと考えても過言ではありますまい。通常の兵装で、甲冑兵は倒せないのだから」

 ヨミは通常の鉄の鎧をつけた雑魚を、埃を払うよう退ける。

 力の差は、歴然としている。

 鍛え上げられた屈強な男たちも、甲冑を纏うヨミにはまるで適わない。簡単にねじ伏せられる、どこにでもいるだろう小娘なのに。

「全滅を怖れるならば、ヨミ。ここは、逃げるか?」

「皆、勝利が欲しくて必死になっている。私ごときでは、止められません。止めたくない気持ちも……あります。私たちには、希望が必要だ。小さくとも、勝ち取れる可能性のある勝利を逃してはいけない」

 ヨミは仮面越しにヤーフを見上げ、両手を前面に差し出した。

 甲冑の表面に光の筋が、ヤーフの纏う甲冑と同じ鮮やかな文様が浮かび上がる。

 アチューンメント回路の光が空気中のエーテルを引き寄せ、巨大な剣がヨミの細腕に納まった。

「深入りしすぎてはいけない! 下がれ! あせるな、勝てる戦いであるぞ! 皆、落ち着け。落ち着いてくれ」

 正気にもどすべく、ヨミは精一杯声をはりあげたが、勇み足にあがってゆく戦線を、とてもじゃないがつかんでいられなかった。

 ヨミ自身、加熱してゆく戦場に沸騰してゆく血液をかろうじて押しとどめていた。止められるわけがない。

「ヤーフさん、闘うしかありません。闘って――絶対に、勝つんです!」

 視界の端で、黒煙が立ち上る。 

 雷鳴のような光、エーテルの瞬きだ。

 オルビタの甲冑兵と、自国の兵が衝突した。いますぐ飛んでいきたいが、甲冑兵は此方も向こうも一人ではない。

「オルビタは、いったいどれだけの甲冑兵を持っているのか。恐ろしいものよ!」

 ヤーフが馬の腹を蹴って、先陣を切る。オルビタの兵を蹴散らしてゆく馬の尻を追い掛け、ヨミも駆けた。

 昨晩の戦いで勝利できた所以は、甲冑兵の数にある。自分たちの強さと信念に導かれた勝利と信じて疑わない者もいるが、冷静に見れば単純だ。

 運がよかった。

 ただ、その一言に限る。

「早く、決着をつけなければ」 

 ヨミはアチューンメント回路を駆使して作り上げた大剣を横凪に振り、向かってくる兵士をまっぷたつに屠る。

 剣と鉄の鎧がふれあった瞬間、飛び散ったのは火花ではなく白い粉末だ。圧縮固形化されたエーテルが、月光華の花びらのように爆ぜて舞った。

 ヨミは仲間の、あるいは敵の悲鳴を聞き流しながら、頭部を覆う甲冑の中で必死に目を凝らした。体内のアチューンメント回路が反応し、視力が増幅される。

 不意をつかれた敵の、体勢が整わないうちに勝利を決しなければならない。

 戦線は前に出過ぎている。下手を打てば、全滅も視野に入れなければならない状況を理解しているものは何人いるだろうか。

「一気に、決めます」

「待て、ヨミ! 一人で行ってはいけない!」

 ヤーフの制止を無視して、ヨミは戦闘の渦の中心へ飛び込む。かさついた唇をかみしめ、敵を凪ぎ倒しながら進む。

 一番強そうな甲冑兵、指揮官はおそらくそいつだ。

「ティエンメイに勝利を!」

 叫べば、男たちの咆吼が追従する。

 年上の部下たち。

 皆、そろいの紋章が甲冑に刻まれている。運命をともにする同胞たちに背を押される感覚をしっかりと掴み、ヨミは一直線に駆けた。


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