金髪王子は麗しの香り
「皆さん、こちらです」
一行の先頭を行くのはユーリだ。手には大きな地図を持っていて、それをチラ見しては頷き、ときおり北の山へ鋭い眼差しを向けている。
四人の勇者たちは抵抗する様子もなく、少年のあとをついて歩いている。
軽く拍子抜けしながら、美羽もそれについていく。そして、考える。
魔王のいる城があるという山、高くそびえたつ山脈のふもとには、青黒い広い森が広がっている。その森までは平地をまっすぐ道なりに進むようなので、まだ迷子の心配はしなくていいだろう。しかし。
魔獣――。
魔王が復活してまとめたとかなんとか、エステリアが言っていたではないか。
「待った、ちょっと待った」
美羽は慌てて動く鎧の手を掴んで、ユーリを呼び止めた。
「敵が出てきたらいけないから、先頭はブランデリンさんに任せようよ」
騎士のお兄さんが震えて、鎧がガッチョガチョーンと音を立てる。
「その次にユーリがついて道案内して、その次がやっぱヴァルタルさんかなあ。それから私、ウーナ様、レレメンドさんで、……どう?」
動く鎧はいかにも嫌そうで、無理無理無理、と両手をバタバタ振ってアピールしている。
「俺が三番手? それはちょっとなあ。ミハネはキャッパデーの話知らないのか?」
エルフ耳も険しい表情を浮かべて鼻の頭に皺を寄せている。
殿下はため息、祭司は無表情でまったく変化がなく、どう思っているかはわからない。
「キャッパデーっていうのは聞いたことないかな。順番が駄目ってだけなら、そうだなあ、ユーリと逆でもいいと思うけど」
「ホントか。ユーリ、お前はそれでいいのか、平気なのか?」
「キャッパデーとは一体なんなのですか」
少年は青ざめた顔で美羽を見上げている。
なるほど納得、チームワークは皆無。完全にゼロだ。こういうことか、と美羽は改めて考える。
ヴァルタルが連発している謎の単語といい、レレメンドが信じている破壊神といい、全員が違う世界からやって来ている訳で、つまり。
「常識もズレてるんだね」
習慣とか、価値観とか。何もかもが違うし、知りもしない。
ぼそっと口に出してみたら、不安が湧き上がってきた。
もしかしたら、思っていたよりこの問題って深刻なんじゃない?
暗雲はみるみる広がって心を覆い、つまり、美羽はこの世界に来て初めて焦った。
わあい異世界、わあいイケメン。そんなノリだけで片付けていい危機じゃない。
「ヤバイじゃん」
「何ですかミハネ様、何がヤバイんですか」
ユーリは眉を思いっきり下げて、愛らしい困り顔を作っている。
ちっくしょー可愛いなあと思いつつ、美羽は目を閉じた。考えろ、考えろ。どうしたらいいか。想像して、道を見つけるんだ。
六つの世界の六人の仲間。魔王を倒さなきゃ帰れない、引きこもってたら問題は解決しないからなんていう後ろ向きな理由だけで旅立った勇者御一行様を、どう導くべきか?
「ねえユーリ、ここから森まで歩いていくんだよね?」
「ええ、そうですよ」
「魔物って出る?」
小さく首を傾げ、口を小さく開いたところでユーリは気が付いた。
三人の勇者の視線が自分に向けられていると。
真面目な少年は背をぴんと伸ばし、異世界からやってきた救世主たちにむけて話した。
「えと……、僕はあんまり城の外を出歩かないので実際には見たことがないんですけど、出る、らしいです」
ユーリの誠実さあふれる表情に少しだけニヤッとして、美羽は答える。
「そうだよねえ」
強いんだから大丈夫でしょー! なんて軽く言っていいかどうか。
鎧でガッチガチの騎士様はカクカク震えていて、この人ホントに強いのかなんて疑問も湧き出してくる。
「敵が出るんなら、やっぱりちゃんと順番になった方がいいと思うんだよね」
よく考えたら、戦闘能力のない自分が一番危ない。
今更ながら、美羽は自身の人生最大の危機に気がついていた。
「ほら、私丸腰だし、戦った経験なんて人生で一度もないよ。武術系の心得なんかも一切ないし」
僕もありません、とユーリは手を挙げている。
「ブランデリンさんは騎士なんでしょう? 鎧着てるの一人だけだし、どう見たって防御力は一番高いもん。魔王倒す実力があるって認定されてるんだし、先頭、頼んじゃ駄目ですか?」
騎士様、ねえ騎士様と連呼すると、ブランデリンは小さく頷いた。兜と鎧が当たって金属音が響いていたが、震えはやっと止まったようだ。
「良かったー。大丈夫ですよ、お城近辺に出るのは雑魚って決まってるから。ブランデリンさんならチョロイはずだよ、多分」
ね、と背中を叩いたら、次に説得する相手はヴァルタルだ。
「祭司とか魔法使いとか、インドア系はやっぱり後ろだと思う。だから、次はヴァルタルさんに頼みたいんだけど」
「俺は三番目じゃなきゃいいさ。でも、ユーリは……」
耳をぴこぴこと揺らしつつ、エルフ男は目を閉じている。
「なんだっけ、キャッパレーだっけ? それって何なの?」
「キャッパデーだよ。大勢で列を作った時、女、男、女、男って交互に並ばないと、それを破った奴は一生結婚できないだろう?」
美羽としては知らんがな、くらいでしかない。でもユーリは目を真ん丸にして驚いている。
「そんな……。僕、一生独り身でいなきゃならないんですか?」
「大丈夫だよ、それはあくまでヴァルタルさんの世界での話。ここでは違うんだから、ユーリは気にしなくて大丈夫」
でも、ヴァルタルに「気にすんな」というのは違う、と美羽は思っていた。
もしも異世界人が「女はパンツ履かないのが普通なんだからさっさと脱げ」と言ってきても、素直に脱いだりせずに抵抗するだろう。
こんな最低な想像をしながら、美羽はマブダチエルフの主張を受け入れようと決めた。
「じゃあヴァルタルさんは二番目ね」
これで解決、と微笑む美羽の耳に、カチカチと金属が当たって響く音が届いた。
六人の仲間のうち五人は男であり、じゃあ一人目と五人目はどうよ、という話になる。当然、なる。
振り返ると、鎧は再び細かく震えはじめていた。
頭を通り過ぎる「二十一歳、独身、婚約者なし」の文字。
ヤッバイすごく気にしてるじゃん、と美羽は慌てて声をあげた。
「ブランデリンさんも平気だよ! ね、大丈夫、あくまでヴァルタルさんの世界の話だから。ブランデリンさんのとこにそんな決まりはないんでしょう?」
悲しげなオーラをガンガン振りまく鎧の胸をペチペチと叩いて落ち着かせたら、次は後衛的職業の二人を説得しなければならない。
「もしも後ろから敵が来たらって思ったら、ウーナ様はちょっと大変かなあーって思うんですよ。レレメンドさん強そうだから、どうでしょ。一番後ろ頼んでいいですか?」
よかれと思って言っているのだ。美羽としては。しかし「頼りない」扱いされたのが不満だったのか、王子様は美しい顔を険しくしかめている。
「やはり、私では戦力にはならないのか……」
レレメンドの反応は特にないが、ウーナ王子はプライドが傷ついたのかそっぽをむいたまま振り返ってくれない。
「いや、あの、だって魔王を倒せる力があるんだから、みんなそれぞれ強いっていうのはわかってますよ。非戦闘員の私が安心してついていけるのは、皆さんの実力が折り紙付きだっていうからだし。ね、ウーナ様、あくまで比べてみたら、レレメンドさんの方がほんのちょっとだけガタイがいいかなってだけでね」
王子様の金髪はサラサラしている。風が吹いてきてふわりと揺れるたび、この上なくいい香りが漂ってきた。何コレ薔薇かしら? いやちょっと、薔薇とは違う気がする。でもすんごいいい匂い。いい匂いのイケメンとか本当にズルイ。
こんな風に思考は脱線させながらも、美羽は一生懸命王子様を説得していった。言葉を選ばないと、次はレレメンドがふてくされるかもしれない。
いや、この無表情極まりない祭司なら何を言われても大丈夫か。
いやでも、異世界の人だし、それぞれ異世界の常識がある訳だし――。
ちょっとめんどくさい……!
心の中で呻きながら、美羽は金髪プリンスをそっと見上げた。
パーフェクトプリンスは横から見ても、下から見ても、多分上から見てもお美しいことこの上ない。金髪の王子様はまつげも金色。ゴールデンプリンス。ゴージャスでゴールデンでよろしゅうございますなー! と、美羽は心を昂らせていく。
「ウーナ様、魔法ってどんなの使えるんですか? 火が出たりとか、氷を飛ばしたりとかできるんです?」
「……当然だとも」
「うーわ、すごい。ウーナ様半端ない! 見たい! 魔法なんて見たことないから超見たい! 私には使えないからめっちゃ憧れちゃう! しかも綺麗! ウーナ様ってすごく綺麗! お顔も立ち姿も怖いくらい素敵!」
よいしょ、よいしょ。もひとつオマケにどっこいしょ。
心に浮かび来るすべてを口にして、美羽はアンニュイ殿下を懸命に持ち上げていく。
「綺麗だと?」
「綺麗じゃないですかーもー、私のいる世界にウーナ様が現れたら女の子たちが殺到した挙げ句、一〇パーセントは見ただけで失神しちゃうし、モデルとかタレントとかの芸能スカウトもわんさか来ちゃう。しかも魔力すごいんでしょう? 綺麗で素敵で魔力半端ないとか神様って不公平!」
ぎゅっと吊り上がっていた殿下の眉から力が抜けて、青い瞳がキラリと輝いた。
「異なる世界とは何もかもが違う。そうか、……なるほどな」
レイアード・ヨスイ・ウーナはふっと笑った。どこか自嘲のような、自虐を感じるニヒルな表情ではあったが、金髪ロンゲ碧眼パーフェクトプリンスの笑顔の破壊力は凄まじい。
「かっけー」
思わず立ちくらみを起こした美羽の手を、ウーナ王子が掴む。
「どうした、大丈夫かミハネ」
呼び捨て来ましたー! と脳内アナウンスが大音響でスピーカーを震わせる。
さっきのほめほめ攻撃の効果があったんだろう。案外単純な殿下だが、その単純さがまた可愛いと思える。
とにかく、イケメンは得だ。何をしたって許されるし、なんでもプラスにとらえてもらえるんだから。
「大丈夫です。大丈夫です」
そう考えつつ、美羽もちゃっかり王子の手を握り返した。
見つめ合い。そこから生まれる、愛。
という流れはさすがにない。まだない。もしかしたらこれから先、あるかもしれないという希望はあるけれど。
そこに響く、重低音ボイス。
「すべてはディズ・ア・イアーンの意思のもとに」
レレメンドに異議はなし。
これで隊列は決定して、一行は改めて森へ向かって歩き始めた。