朝食は奇襲の後で
召喚された勇者とそのオマケに用意されていたのはこじんまりとした部屋だったが、それでも美羽のマイルームよりはずっと広くて、置かれている家具も豪華だった。
ベッドはフッカフカであり、布団にはロマンティックな花のような香りがつけられている。鼻をくすぐる芳香とゴージャスな刺繍にうっとりしながら、貧血気味の美羽は目を閉じた。
でも寝るんじゃない。
作戦タイムだ。
四人を団結させ、魔王のところまで行って、倒す。
適当に作ったゲームのキャラクターなら何の文句もなく、ただ行って戦うだけだ。でも、これはゲームなんかじゃない。みんな生きた人間であり、しかもこの世界の住人じゃなくて、魔王を倒す理由を持っていない。
動く理由になるのは「倒さないと帰れない」という条件だけだ。
不満たらたらな様子の彼らを動かすには――?
ヴァルタルについては、城の屋上で話した通りの考えのままでいてくれるのなら大丈夫だろう。
美羽に対する好感度も何ポイントかは上がっていそうな様子だったし、この調子で旅を続けたら最後は告白イベントくらい起きるかもしれない。すっかりゲーム脳になって、美羽はデレデレと笑う。
でも、あとの三人については何もかもが未確認だ。
思いを正直に、不満たらたらでも表現してくれるタイプなら、少しはやりやすいんだろうなあと美羽は思う。
ヴァルタルは最初から「何だお前」だの「怖い」だの、正直に何でも口に出してくれていた。
「書」に書かれていた情報を反芻しながら、美羽は考える。
鎧の中から恥ずかしがり屋のブランデリンの顔をどうやって出させるか。
信仰を捧げた破壊神様との二人の世界から、レレメンドをどうやって引きずり出すか。
ため息の海で溺れているレイアード殿下にどうやって前を向かせるか――?
「おはよーございます!」
勢いよく突撃し、カーテンを開いて朝の光を入れる。
「え、ん? おっ? うわああおおおああおおあああ!」
ベッドの上で慌てふためき、布団を引き寄せてかぶっているのは騎士のブランデリンだ。
流石に寝る時は鎧を脱いでいるだろうという考えは大正解。重たそうな兜は部屋の隅のテーブルの上に置かれている。
「朝ですよーっ!」
美羽は布団を思いっきり引っ張り、ブランデリンも必死になって引っ張り返す。
「いやあああああああ!」
「騒ぎ過ぎでしょ。起こしにきただけなのに」
美青年の寝起きを襲い、無理矢理布団を剥いでいる。
痴漢ではなく、この場合は痴女になるのか。
どっちもごめんだと思いつつ、美羽も吠える。
「一緒に朝ご飯、食べましょ!」
「ふひいいいい」
耳まで真っ赤になっている騎士、二十一歳、独身、婚約者なし、恥ずかしがり屋さん。
「何がそんなに恥ずかしいんですか」
「まだ、顔も洗ってないですし……」
両手で大きな体を隠そうと悶えつつ、蚊の鳴くような声でブランデリンは答える。
「ちょっと失礼」
お構いなしで騎士の両腕を掴み、どける。もちろん、ブランデリンは抵抗する。手を払い、また隠そうとする腕を掴み、払い、掴んでは払い。
こんな攻防を重ね、最後にスパーンと両頬を挟む。見たか、真剣白刃取りじゃあ! と美羽は笑い、手で挟んだ顔を真正面から見つめた。
「はがががががががが」
「やだ、イケメン」
きりっとした太い眉毛、切れ長の涼しげな瞳、まっすぐに通った高い鼻。唇だけはむにゅっとしていて形は定かではないけれど、この状態で「カッコいいじゃん」と思えるのだからグッドルッキングガイは確定だ。
髪の毛はこげ茶色、瞳も近い色合いをしている。黙って口をぎゅっと閉じて立っていれば、うーわ超カッコイイそして強そうと思える外見をしているだろう。
「大丈夫だよ、お肌もツヤツヤだし、目ヤニもついてない。素敵じゃん、ブランデリンさんたら」
顔は既に真っ赤に染まっていたが、美羽の台詞に照れたのか、赤みは更に増し、おまけに熱まで帯びてきた。
「はあー、はあああー、はああああー」
「あれ」
とうとう目から涙が出てきて、美羽は慌てて手を離した。
「ごめん、そんなに恥ずかしいなんて思わなかった」
解放された途端ベッドから飛び降り、ブランデリンはシーツを引っ張って頭からかぶっている。
「ねえ、いつもそんななの? 騎士なら王様に会ったりとか、訓練したりとかしてたでしょう?」
ガッシリと体格のいいイケメンがシーツにくるまって、子羊のように震えている。
なんだかあんまりな光景だった。
「……鎧を着てれば……、なん……とか……」
「鎧を着てれば平気なの?」
「はい」
「鎧を着たら、一緒に朝ご飯食べられるかな?」
「はい……」
これ以上の説得は諦めて、美羽は部屋を出た。
見られてたら恥ずかしくて鎧を着られないなんて泣かれたらもう出ていくしかない。大体、ノックもしないで勝手に入った痴女的な経緯もあるし。
悲鳴を聞きつけたんだろう、廊下には兵士がわんさか集まっていた。
「オクヤマミハネ様、何があったのですか?」
「え、いや……、ブランデリンさんを起こしただけなんだけど」
「一体どのような起こし方を……」
異世界から来た勇者さんたちはみんな変わり者。中でも唯一の女性であるオクヤマミハネは只者ではなく、ちょっとヤバイ方向にキレているらしい。
昨日の召喚から今朝までの間で、お城に仕える者たちにこの噂は広まり切っていた。
「普通だよ、普通」
集った兵士たちはごくりと唾を飲んでいる。
「もしかして、アッピリアン式みたいな起こし方なのか?」
聞き覚えのない単語に振り返ると、お耳の長いヴァルタルが廊下の壁にもたれかかってキメキメのポーズで立っていた。右手の中指と小指だけを立てて、ぐるんぐるんと回して最後にびゅんと上に挙げる。
「アッピリアン式ってどんな風か、後で教えて!」
「いいぜ」
ついでに今見せてきた変なジェスチャーの意味も聞こう。美羽はそう考えて、はっとした。
そろそろマジでメモ帳が必要だ。頭の中に逐一データは打ち込んでいるが、あんまり多いと覚えきれなくなってしまう。
さて、どうするべきか。
鎧を着るのにかかる時間はどのくらいだろう。想像の中では散々装備してきた鎧だけど、実際に身に着けた経験はない。でも、一人で着るならそれなりに時間がかかりそうだと美羽は思う。
じゃあ今のうちに祭司と王子様にも声をかけるべきだろう。こちらは鎧の中に引きこもっている訳じゃないので、寝起きドッキリを仕掛ける必要はない。ただ普通に声をかけて、一緒に朝食を食べましょうと言えばいいだけだ。
「レイアード殿下ー!」
ちょうど隣が王子様の部屋で、美羽は即座にノックをして声をかけた。
更に隣へ走り、邪神に仕えるレレメンドの部屋のドアも叩く。
「なあ、何やってんだ?」
気のいいエルフにはもう警戒心はないようで、ずっと友達だったかのような笑顔を美羽に向けてくる。当然、妄想系女子高校生は嬉しくてたまらない。
「みんなで朝ご飯を食べたいんだ。昨日はほら、うっかり絶対安静になっちゃったから」
「なるほどな」
それでチームワークを高めていくんだな、とヴァルタルは頷いている。
「わかるぜ。レジスタンスっていうのは団結力が命だもんな」
「わ、嬉しい。頼もしいね、ヴァルタルさん!」
「まかせとけ」
いい奴な上、お調子者らしい。脳内人物メモを追加して、美羽はまたドアを叩いてまわる。
やがて、扉の片方が開いてアンニュイ系王子様が姿を現した。
「おはようございます、レイアードさん!」
「おはよう」
不機嫌そうだし顔色は冴えない。でも、返事はしてくれた。
よしよし合格、と美羽はもう一方の開かずの扉へ鋭い視線を向ける。
「レレメンドさん、朝ですよー!」
返事はないし、中から物音が聞こえてこない。
しびれを切らして扉に耳を当てると、中からかすかに何かが聞こえてきた。
「いるのか、あの辛気臭い奴は」
「あ、ヤバい。お祈りしてるっぽい」
職業選択とか宗教の自由は守らないと。ごくノーマルな日本国民の美羽は、慌ててドアから離れていく。
すると、お待ちかねの騎士様の部屋の扉が開いた。
「お待たせしました」
ブランデリンらしき男は昨日同様、ガッチガチのフル装備で身を固めている。足の先から頭の先まで、隙はない。ないというか、なさすぎる。
「朝ご飯ですよ。兜はいらないでしょ!」
二人の身長差は三十センチはあるだろう。美羽が手を伸ばしてみても、兜にはまるで届かない。
「大丈夫です。ちょっとだけ隙間が出来るんです。そこから、食べれますから」
鎧の口の辺りのパーツを動かして、ブランデリンは勝ち誇ったような様子だ。
「駄目ですよ、女王様の前で兜ちょっとズラしてご飯食べる騎士が何処にいるんですか」
ブランデリンの動きがピタリと止まり、鎧がカチャンと鳴った。
その姿を、金髪の王子が憂いを帯びた瞳で見つめている。
「ほらほら、王子様の御前ですよ。あなたの仕えてる国の人じゃないですけど、でも、王族の前で恥ずかしいだの隙間から食べるだのしていいんですか? それでも騎士なんですか」
動く鎧だったはずのブランデリンは微動だにせず、すっかりただの置物と化している。
「ブランデリンさん、大丈夫?」
問いかけに、小さな小さな声が答えた。
「貴女の言う通りです……」
フェイスオフ。照れ屋の騎士は兜を外すと、脇に抱えて深々と頭を下げた。
「失礼致しました、レイアード殿下」
金髪王子は自分とは無関係の騎士の礼に困惑した顔だ。
「ささ、王子、ブランデリンさんも反省してますし、許して頂けますよね?」
「許すも何も」
「良かった! ブランデリンさんオッケーだって!」
「ありがたき幸せ!」
ここはもう、「そういう事で」にしてもらおう。
このままみんなで流れ流れて、いい感じに乗せていくしかない。
「よーし、じゃあ行きましょう!」
ピュウッと口笛を吹いたのはエルフ耳のヴァルタル。
美羽は満面の笑みで、ブランデリンは小さく縮こまり、レイアードは憮然とした顔で揃って食堂へと向かった。