涙のプールで泳いだら
山の中にこんな立派なお城が建っていたなんてなあ、と感心しながら美羽は走っていた。
ドラゴンが落下して開いた穴の底。巨大な空洞の中に、隠れされていた魔王城。
「ロマンだねえ」
ブランデリンとウーナ王子に引っ張られながら、美羽はうふうふと笑っている。
外に堂々と建っている城が遥か先に見えているのもいいけれど、こんな風に秘められていたラスダンが「偶然にも発見されてしまう」のもいいもんだ。妄想家としてはどちらも甲乙つけがたい、ラスボスの住まいにふさわしい建築条件だなあと夢想に浸ってしまう。
「あちらにいるぞ」
殿下が声をあげ、騎士も方向を合わせる。魔王城に向かって左側、山の中の空洞の壁沿いにドラゴンが落ちているらしい。なるほど本当だ、そこには頼もしい仲間の姿も見えてくる。
「ウーナ、ブランデリン!」
水色の三つ編みをぶんぶんと揺らしながら、ヴァルタルは手を振っている。
「ミハネも! 良かった、無事だったんだな」
お母さん系エルフの奥には、巨大な岩がごろごろと落ちており、明らかに「なにかがありそう」な様子が漂っていた。
「ヴァルタル、そこにケレバメルレルヴはいるか?」
「おう、いるぜ!」
走りながら大声で会話をかわし、金髪王子の足が早まる。
どうやらドラゴンはよほど大事な存在だったらしく、「ミハネを頼む」とブランデリンに言い残すと殿下は一人で先に走って行ってしまった。
巨大な岩の影にドラゴンはいた。金色のドラゴンはぐったりと横たわり、哀しげに目を伏せている。
大きな顔のすぐそばに立ち、ウーナ王子は竜の頭を撫でながらあれこれと問いかけているようだ。
その様子を見ながら、美羽たちは仲間の無事を喜んでいた。
「ミハネ、ブランデリン、大丈夫だったか」
「うん、大丈夫。ヴァルタルは怪我してない?」
「俺は平気さ。レレメンドも一緒にこの辺りに落ちたんだが、あいつ、どっか行っちまってよ。でもこのドラゴンってやつは動けないみたいだから、レレメンドも気になったんだがここに残ったんだ」
「レレメンドさんどこに行ったの?」
「あっちの城の方だな」
異世界召喚組は全員の無事が確認できた。
正直言って、美羽としてはレレメンドの動向が気になって仕方がない。あの邪神の祭司の目的はなんなのか、おそらく、多分、いや絶対「破壊神の復活」だろうから、放っておいていいとは思えない。でもドラゴンちゃんの容体も気になるし、それに、仲間はあと三人いるわけで。
「ユーリと、ベルアローは? 見かけた?」
「落っこちてる間はそばにいたんだけどな。ユーリは魔法を使ってるようだった。みんなが地面に激突しないようにしてくれていたと思う。ユーリがなにか叫んで、体が浮いたから。でも、リーリエンデがぎゃあぎゃあ騒いでユーリにしがみついててよ。それで調子が狂ったんじゃないかと思うんだ」
「まったくもう……、本当にぽんこつなんだから」
あの師匠だけは送り返せば良かったんじゃないかと美羽は唸る。そして、ベルアローについてはあえて楽観視しようと決めた。彼は不死身だし、大丈夫だろうと。
「ケレバメルレルヴ、ここでじっとしているんだ。見つからないように魔法をかけておくからな。お前をすぐに送り返せない私を許してくれ」
ウーナ王子はドラゴンの頭を優しく撫でると、少し離れて右手を優しく、柔らかく動かした。するとドラゴンの姿は消えて、ただの岩の塊だけがそこに残る。
「ミハネ、行こう。レレメンドはケレバメルレルヴの鱗を取っていったらしい」
「鱗を?」
ドラゴンの鱗とか、超欲しい。
美羽は真剣にそう考えたが、殿下からあふれる怒りのオーラから「無理だな」と判断をした。
「なんのために鱗なんて取って行ったんだろう?」
それはきっと、レレメンドにとって「必要」なものだからだ。
折れた翼、狂戦士の呪い、そして竜の鱗。
「ヤバい感じのラインナップじゃない?」
美羽は考える。
なんというロマン。なんという邪神召喚用アイテム――。
「あっ、そうか」
邪神を呼ぶのに必要な「呪い」用アイテムなんじゃないか。
そんな気がして顔をくしゃくしゃにする美羽に、三人の勇者さんたちは黙っていない。
「ミハネ、レレメンドはなにを企んでいる?」
ウーナ殿下は愛するドラゴンを傷つけられて怒っている。
「あいつ、なんか企んでいるのか?」
ヴァルタルも大真面目な表情で、不安げに魔王城を見つめ。
「戦いになるのでしょうか」
ブランデリンは太い眉毛をきりりきりりと動かしている。
詰め寄って来た三人の顔を順番に見つめていたら、美羽の視線はブランデリンのところでしばし止まった。三人ともそれぞれにジャンルの違う美形であり、どこを見ても素敵というこの視界の素晴らしさはどうしようもないMAXハッピネスなのだが、なんだかんだ正統派の戦う男が覚醒したらやっぱりめっちゃカッコいいなと思ってしまう。
ドリーム系美形の殿下より、色男系エルフのヴァルタルより、きりりと引き締まった騎士系美男子であるブランデリンが美羽の好みだったりするのである。
「ユーリとリーリエンデを探そうか。やっぱり安否を確認したいし、ブランデリンさんも武器があった方がいいでしょう?」
ぽけっと見とれていたのはほんの一瞬だけだ。うーん、妹に似てるって言われちゃって悔しいような、でもよくあるパターン的な展開はなかなか美味しいような、とにかくブランデリンさんとの個別イベントが起きてよかったなと思いつつ、美羽は次にすべきことを考え、こう切り出した。
ヴァルタルもブランデリンも同意し、ウーナ王子も無言のままに頷いている。
「レレメンドさんも気になるから、基本的にはあのお城の方に向かおう。どう考えてもあそこ、敵のお城だから。敵が出てくるかもしれないから、バラバラになるのはやめておこうね」
先頭はブランデリンで、ヴァルタルと美羽が間に挟まり、ウーナ王子が一番後ろを歩く。
殿下はドラゴンが気になるらしく、何度も何度も振り返りながらついてくる。
「ヴァルタル、ケレバちゃんについててくれてありがとう」
魔王城の前に広がっているのは、荒涼とした岩山のような景色だった。
隣の山の中の洞窟と似たような雰囲気であり、足の裏がもう痛い。
このままじゃ足が太くなるかも、と考える美羽に、お母さん系エルフは優しげに微笑んだ。
「やっぱりあの鱗の感じがギリンに似てて、ちょっと嫌だったんだけどよ……。でも、ウーナが呼び出した大事なドラゴンだから。だから、大丈夫だった。乗るのも、そばにいるのも」
「そうなんだ」
ドラゴンを巡る大喧嘩について思い出すと、ヴァルタルの成長ぶりは目を瞠るものがある。
名監督気分で美羽が笑うと、偽エルフは急に大真面目な顔をしてこう切り出した。
「なあ、ミハネはウーナが好きなのか? それとも、一番はブランデリンなのか?」
美羽がようやく絞り出した返事は「はい?」だけだった。
話の流れからしても、このシリアスなクライマックス寸前の状況から考えても、「なんでそんなこと聞くの」以外の思いが浮かばない。
「いや、ウーナはミハネが大好きだろ? ミハネだって嫌そうじゃなかったし、だけどさっきはブランデリンをじっと見つめてたから。あいつもいい男だし、すごく強いじゃないか。ミハネはどっちがいいんだ。それとも、結婚したし、レレメンドが良かったりするのか?」
あんまりにも剛速球のデッドボールすぎやしないか。しかも頭に当たってる。
焦るあまり、美羽は慌ててヴァルタルの口を手でふさいだ。
「もんがどいはえ!」
「いや、ちょっと待って。待って」
幸いなことにブランデリンは前しか見ておらず、ウーナ王子は後方ばかりを気にしているようだ。
「いや、別にそういう感じはないし」
「そうか? ミハネはいつもうっとりしながら見てるじゃないか。レレメンドに対してはわかんねえけど、ウーナもブランデリンも、ぽーっとしながら見てるだろう? 俺としてはすごく気になるんだよ」
「なんでそんな女子中学生みたいな話するの」
「なんだ? ジョシチューガクセって」
まさかこんなゴシップ大好き系男子だったとは。
ヴァルタルからの思わぬツッコミに、美羽は焦る。
「どうなんだ?」
「どうもこうも……ないよ。みんな素敵だなーとは思ってるよ? でもほら、魔王倒したらみんな元の世界に戻るし、大体出会ってからまだ七日? 八日だっけ? とにかく、なにかが芽生えるには……」
「そんなの関係ないだろ。ウーナは間違いなくミハネのところに行くぜ? 召喚だってうまくいったわけだし、俺だって行けるんなら一緒に行くぞ」
ヴァルタルの笑顔が眩しい。
楽しそうで、嬉しそうで、興味津々で、なんだかしらないがとにかくピュアッピュアな笑顔だった。つられて笑顔になってしまいそうな、混じりっけなしの可愛らしい少年のようなスマイルだった。
「それ、出来るのかな?」
「出来るだろ。なあミハネ、俺は、ミハネが俺のことも好きでいてくれたらすごく嬉しいと思ってる」
ウーナとブランデリンみたいに、俺のことも見てくれよ。
ですって! やだ! もう! 鼻血出ちゃう!
わなわなと震える美羽の様子に、ヴァルタルはまた笑う。
「お、それだよ。俺もこともそんな風に見てくれるんだな! 嬉しいぜ!」
知っていた。ヴァルタルがとても人懐っこく、一気に距離を詰めてくる男なのだと。
ヴァルタルの接近は前にもあった。十一鋭との戦いの後には抱き寄せられた。でもあの時は非常時だったし。
つまり、今回はレベルが段違いだ。
肩に腕が回ってきて抱き寄せられ、頭をなでなで、髪をくしゃくしゃ。これはウーナ王子によくやっているやつだ。それに加えて、ほっぺをつんつん、更には自分の頬を寄せてきてすりすり、長い下まつげがぷすぷすと刺さってきて、美羽は全身の血が沸騰してキュン死寸前まで追い込まれている。
「ヴァルタル、なにをしている?」
さすがに気が付いたウーナ王子が特攻してきたものの、美羽にしてきたフルコースを殿下にもかまして、ヴァルタルはにこにこと笑っている。
「おい、ブランデリン!」
二人から腕を離すと、ヴァルタルはなぜかブランデリンにも激しいラブラブアタックをお見舞いしている。
「なんなのですか、ヴァルタル殿!」
「いいから、いいから」
結局三人全員にほっぺをすりすり、手を取って握って、まとめてぎゅうぎゅう抱きしめて。
男女かまわずいちゃつきまくる四人に、呆れた様子の声がかかった。
「みなさん、なにをされているのですか……?」
振り返ると、そこには疲れた表情のユーリとリーリエンデが立っていた。
「おう、ユーリ! 無事だったんだな!」
良かった良かったと、ヴァルタルの攻撃はユーリにも及んだ。
「ほんとうに良かったです、合流できて」
逃げようとする師匠をようやく捕まえて、ユーリは天井に開いた穴を目指して歩いて来たらしい。リーリエンデの頬には赤いてのひらの跡がはっきりとついており、へっぽこすぎる師匠に関してはヴァルタルも頬ずりはせず、逃げないようにとしっかり首を抑えている状態だ。
「よし、全員揃ったし行くとするか!」
ここにきてどうしてそこまで張り切り出したのか。
不思議な気分になって、美羽はヴァルタルを見つめた。
「なんだ、ミハネ?」
「どうしたの、急にやる気まんまんになっちゃって」
「俺は、寂しいんだ」
思わぬ返事に、美羽は固まる。
するとヴァルタルは耳をしょんぼりと垂らして、リーリエンデを解放すると鼻をぐすんと鳴らした。
「俺はずっと一人だった。だから、利害が一致する以外に仲間なんて出来るわけないと思っていた。利用するか、利用されるかしか世界にはないって思って生きてきた」
そうしなきゃ、生きてこられなかったから。
耳が長いのも、翼が生えているのも、それは自分ただ一人だけの「特別」で、それらはすべてが「見咎められる」ものでしかなかったから。
そう呟く偽エルフを、ウーナ王子もブランデリンも、ユーリも切なげに見つめている。
「でも今は、そうじゃないと感じてるんだ。俺はミハネたちのためになら戦おうと思うし、ミハネたちも俺のために一生懸命動いてくれる。見返りなんかなくても助けあえるだろ。こういうのは、初めてなんだ。俺は今すごく、嬉しい。でももうすぐ終わっちまうから、だから、とても寂しいんだ」
笑顔を湛えながら、ヴァルタルは涙をぽろぽろと落としている。
苦しそうに微笑みながら目を閉じ、地面にぽたぽたと雨を降らせている。
「ヴァルタル」
一歩前に出たのはウーナ王子で、自分よりも少し背の高い盗賊系ぼっちエルフの肩に手を乗せている。
「私もだ。私もずっと一人だった。いや、ずっと一人だと思っていた。だが、私は守られていた。お前ほど、孤独ではなかった……のだな」
ヴァルタルをまっすぐに見つめながら、その声はまるで、自分に言い聞かせているようであり。
「しかし、お前の気持ちはわかるつもりだ。この思いも寄らぬ異世界召喚で、私は初めて自分を『王家を追い出されたうすっぺら』ではない扱いを受けた。私にとっても、今ここにいる全員がとても特別な存在に思える。お前もそうなのだろう?」
「ああ、そうだ。俺は、もとの世界に戻りたくない。待っている誰かもいなくはないだろうが、それはここにいる皆よりも、ちっとも大切じゃあないから」
ブランデリンは項垂れ、ユーリは瞳の中で涙を揺らし、リーリエンデはいじけたように指先をつんつんしている。
ヴァルタルの溢れだした思いが切なすぎて、胸をぎゅうぎゅう締め付けられて、美羽は誰よりも早くもらい泣きをし始めている。
「なあミハネ、出会ったあの日から、ずっと不思議だったんだ。どうして俺にあんなに笑顔を向けてくれるのかって。警戒も監視もなく、首輪からも解放してくれた。それどころかなにをしたって受け入れてもらえて、俺は……」
ヴァルタルは右手で顔を覆って、またしばらく涙をぽろぽろとこぼすと、ごめんなと小さく呟いた。
「魔王とかいうやつを倒さなきゃなんねえのに、こんなところで止まってる場合じゃないよな」
「ううん、いいんだよ。ヴァルタル、そんなにも私たちのことを大事に思ってくれてたんだね。すごく嬉しいよ、ありがとう」
魔王退治のあとは、元の世界に戻されてしまう。
こんなにも友情を感じてくれているのに。それがあっさりと、まるで夢か幻のように消えてしまうなんて。
なんとかならないのか。美羽がリーリエンデに視線を向けると、ぽんこつ師匠は慌てて首を横に振ってみせた。
役立たず、と吐き出しそうになる美羽の肩を、誰かが叩く。
それは完全に覚醒を遂げた放浪の王子様だ。
今までに見せたどの表情よりも凛々しく、高貴なオーラをぶんぶんと振りまいて、ヴァルタルの手を取って強く握る。
「大丈夫だ、ヴァルタル。私は必ず異世界へ渡る術を完璧に身に着ける。私の世界にはそういった術を使える者がいるのだ。やつらはとても横柄で欲張りだが、どうやってでも教えてもらう。私はもう自分の境遇を嘆いたりしない。胸を張って生きるし、もしも世間の隅に追いやられて困っている者がいるのなら、彼らを助けるようにしよう。私の、大叔父のように。私は彼のようになりたくないと言ったが、その考えを改める。私は大叔父のようになる。行き場がない孤独な者の、悲しみに暮れる者の力になると誓おう」
一人目はお前だ、と王子は告げた。
ヴァルタルはまだ涙を目にいっぱいに溜めたまま、少し震えながら、笑みを浮かべている。
「ありがとう、ウーナ」
おかしなリアクションはなく、二人は強く抱き合っている。
素敵な美形お兄さんの麗しい友情。ボーイズなんちゃらの誘いを軽く感じつつも、美羽の涙は止まらない。その横ではブランデリンが切なげな表情を浮かべており、こちらもまたなにか強い決意をしているようだった。
「じゃあ、行くか」
友情の抱擁を終えて、ヴァルタルは笑顔で声をあげる。
「ミハネ、あれをやろうぜ」
「あれって?」
ヴァルタルは耳をぴょこぴょこと揺らしつつ、美羽に耳打ちをしてきた。
そんな様子を、一番の親友であるウーナ王子はムカついた顔で見ているようだ。
「ちゃんと参加するから。腕をあげて飛べばいいんだよな?」
しかし、「初めての友達」が出来た偽エルフは気にしない。王子と騎士と、魔法使いの師弟に指示を出して美羽に向けてウインクを飛ばす。
「わかった。じゃあ、行くよ」
美羽に胸にも寂しさの波が押し寄せてくる。
魔王を倒せばこの旅は終わり。元の世界に戻ってしまう。
けれど、家族が待っている。せっかく頑張って合格した高校にも、まだ三ヶ月ちょっとしか通っていない。友達も待っているし、祖父にも会いたい。二匹の愛犬を抱きしめたいし、ひさしぶりにノーマルなパンツだって履きたい。
それに、まだ「無事に帰れる」と決まったわけじゃあない。
もしかしたら魔王とやらが恐ろしく強くて、全員で吹き飛ばされてしまうかもしれないし。
まだ倒していない十二選が立ちはだかるかもしれないし。
油断していい場面じゃない。
気合を入れて、乗り切らなければ!
握った拳に力を入れて、美羽は大声で叫んだ。
「いせかーい、ファイト!」
全員が声を合わせて、「オー!」と続く。
目指す先は魔王城。
すぐそこに、巨大な入口の扉が待っている。
勇者たちが進むと、扉はあっさりと開いてしまった。
中に入れば、そこはだだっぴろい巨大なホール。
視線の先にはあっさりと、どう見ても「ラスボス」な、どデカい誰かが座っている。
でも、その前に。
ホールのど真ん中には見慣れた後姿があった。
「来たな」
魔王より先に声を出したのは、一応、仲間のはずの彼。
邪神の祭司、レレメンド・スース・クアラン。
この状況でド真ん中にスタンばっている大胆さと、その身から放たれるあまりにも邪悪なオーラに、美羽は思わずごくりと唾を飲み込んだ。