腰抜け騎士の告白
光が途切れ、世界が崩れていく。
暗転、ほのかなあかり、そして土煙。バラバラと落ちる石の塊と、ぐるんぐるんとまわる視界。
最近、落下癖がついてきたんじゃないの、とめまいを覚えながら美羽は考えていた。
ドラゴンと共に落ちてきた。ケレバナントカは激しく山の中腹に落下して、そして、地面が割れて更に落ちて――、今は薄暗く、蒸し暑い。あと、誰かが自分の腰を抱いている。
「ブランデリンさん?」
美羽のすぐ下にある冷たい感覚は、金属がもたらしているものだ。
どうやら騎士は、落下から少女を守ろうとしてくれたらしく。
「ミハネ殿、怪我はありませんか?」
ゆっくりと腕を離しながら、ブランデリンは小さく微笑みを浮かべているようだ。辺りはもうもうと土煙が舞っていてよく見えないが、とにかく優しくて頼もしくてカッコいいこのシチュエーションはたまらないものがある。さすがとしかいいようのない騎士ぶりに、美羽の頬はだるだるに緩んでいく。
「うん、ありがとう。ブランデリンさんは?」
問題ありませんと騎士は言う。それは良かったと美羽は笑ったが、気が付いてみれば服の表面がベッタベタになっていた。これは祭司が絞ったベルアロー果汁なのだろう。ねっとりジューシー、香りは悪くないのが幸いか。
「他のみんなは?」
ここがどこなのかも激しく気になるが、仲間の安否の確認がやはり一番だった。
しかしそばに誰かの影はない。天井は高く、遥か上に穴が開いている。
「あそこから落ちたのかな?」
よく無事だったなと、美羽は震える。
「途中まではなんらかの力が効いていたように思います。ウーナ殿下か、ユーリかはわかりませんが」
全員分の軟着陸を、なんて配慮をしてくれるのはやはりユーリか。
考えながら、三百六十度ぐるりと辺りを見回して、背後にあるものに気が付いて美羽は唸った。
「うわ」
ででーんと、えらく立派な建築物がそびえたっている。
ど真ん中には巨大な門が。門の前には跳ね橋が。赤茶の石を積まれた城はどうやら、五階建てらしく、縦にも横にも多くの窓が備え付けられている。
「あれはやっぱ、魔王城かな」
「そうなのですか?」
ブランデリンはきりりと表情を引き締め、腰に手をやる。しかし、剣はない。
「そうか、あの時取られたのでした」
あの時。おそらくは、十一鋭に捕えられた時なのだろう。
「……剣はなくとも、必ず、ミハネ殿をお守りしますから」
いちいちカッコいいことを言ってくれるなあ、と美羽は微笑む。
しかし、気になっていることがある。ブランデリンと「戦い」という、切っても切れないであろうその組み合わせについて。
「ブランデリンさんの言っていた『病気』って、狂戦士になっちゃう呪いのことだったの?」
実直な騎士はきっと、嘘がつけない性格なのだろう。
顔を一気に蒼ざめさせ、目を見開いて、唇をわなわなと震わせてしまっている。
「なぜ、わかるのですか」
レレメンドが言ったから。
そして、美羽の中にある「狂戦士」のセオリーからして、きっとこんな風に違いあるまいという予想が立っているからだ。
「レレメンドさんがそう言ったから、なんだけど」
邪神の祭司の名前が出てきて、ブランデリンの表情は曇る。
「そうだ、言っておかなきゃいけないことがあるの。ブランデリンさんの呪いはもう多分、解けてるよ」
えっ、と小さな呟きが漏れ、騎士は何故か右腕につけている籠手を外すと、手袋を外し、右腕の袖をぐるぐるとめくり始めた。
たくましい腕っすなー、と美羽は鼻息を荒くしている。ヴァルタルよりもずっと太くて、筋肉量の多そうな腕はつるつるしている。常に鎧を身に着けているから、こすれて毛はなくなってしまうのだろうか。心底どうでもいいことを考える美羽に、ブランデリンはきりっとした表情を向けた。
「レレメンド殿が解いたのですか?」
「え? うーん、解いたというよりは……持っていったみたいな感じだったんだけど」
ブランデリンが再びフル装備に戻っている間に、美羽は「あの時」なにがあったのかを話していった。
明らかに我を失った様子で戦っていたこと、落石が当たって倒れ、レレメンドが背中に腕を突き刺していたこと。
「レレメンドさんは明らかに、私たちとは目的が違うと思うんだ」
ヴァルタルの翼も取ったんだよと美羽が話すと、ブランデリンの頭上には数えきれないほどのクエスチョンマークが浮かぶ。
「翼を取ったとは、一体どうやって」
「わかんない。大体、呪いだってどうやって『取る』のか、想像もつかないよ。でも、レレメンドさんは懐にしまっちゃったんだよね。翼も、呪いも……あと、私のストラップも」
でもそれで結局、みんなの命は助かっているわけだから。
美羽も自分の考えをまとめながら、ブランデリンに向かって語り掛けていく。
「ブランデリンさんのあの呪いも、必要だからあそこで発動するように仕向けたんじゃないかって思うんだよね。そのために、私を蹴り落とす必要があったのかなあって。ただ落とすだけじゃ、足りなかったんじゃないかって」
「だからといって、ミハネ殿を蹴るなんて許せません」
騎士は凛々しい眉毛を吊り上げて怒り、次の瞬間急に弱々しい八の字にさせて、目を伏せ唸った。
「あの時私は、ミハネ殿が死んでしまうのではないかと思いました」
敵に捕らわれ、傷を負い、踏みつけられ、刃を背に突き立てられて。
「そうか、あの時あなたが大丈夫だと言ったのは、……レレメンド殿を信じておられたからだったのですね」
記憶を辿りながらブランデリンは話す。美羽も一緒に、あの時の大ピンチについて思い出していく。
「けれど私は、あの時、一切の希望を見失ってしまったのです。ミハネ殿がまた命を失うようなことになるなんて、私は、自分が許せず、怒りを止められなくなってしまった」
「また」ってなんだ、と思いつつ、美羽はじっとブランデリンの言葉を待った。
この際全部話してくれたらいい。ラスボス前の個別イベントなんて、絶対に全部回収しておかなきゃならねえ、と不純な黒い美羽が心の中でキャッキャと騒いでいる。
「……私の住む世界には、魔物が溢れています。何十年か前に世界のあちこちが裂け、異なる世界と繋がり、そこから恐るべき魔が流れ込んできたのです」
世界から平和が失われ、騎士たちの仕事には「魔物退治」が加わった。
ブランデリンも、その父も、祖父も。あらゆる敵を倒すために剣の腕を磨いてきたのだという。
「私は多くの魔物を倒してきました。幼いころから剣を振り、体を鍛え、強くあろうとしてきた。十五で正式に騎士団の一員になってから、何度も何度も戦ってきたのです。しかし、あの時現れた赤い悪魔に我々は手も足も出なかった」
赤い悪魔について、ブランデリンは詳しく話さなかった。
どんな形だとか、なにを言ったとか、そういった詳細はまったく話さず、ただ「退魔の部隊」が倒してくれたとだけ、美羽に語って聞かせた。
「たった一体の魔物のせいで、我々の部隊は全滅したのです。訓練のために行った西の森に、やつは突然現れました。その時かけられたのが……、『狂戦士』の呪いです。仲間達は突然狂ったように暴れ出し、互いを傷つけ、私を残して全員が死んでしまった」
「ブランデリンさん」
心の中の黒い美羽は、白い美羽が完全にぐるぐる巻きにして縛っている。ここで「うわーよくあるパターン!」とはしゃぐことはもう出来ない。想像上のお話でなら、多少は「心躍る」設定なんて言えるだろうけれど。でも、ブランデリンにとっては「現実」なわけで。
「その時、私の弟も死にました。私が皆を止められずに一人でその場を離れた間に、訓練を見学しに来たグランデルは……」
こんなにも悲しそうに泣く誰かを見たのは初めてで、美羽はブランデリンの手に自分の手を重ねて、一緒になって涙をこぼしていた。
騎士は哀しげに、自分の無力さ、不甲斐なさを嘆き続けている。
仲間達の姿が目に焼き付いて離れず、戦いに身を投じることができなくなり。
呪いについて誰にも話すことができず。
兄弟そろって思いを寄せていた女性には、失望されてしまい。
「どうしたらいいのかわからなくなりました。皆が死んでいく光景を思い出すと恐ろしかったし、もしも呪いの力が発揮されて誰かを傷つけたらと思ったら、とても騎士を続けてはいけない。けれど、父がそれを許すとも思えない。私はもう誰も守れないし、なにも倒せない。家を継ぐ資格もない。愛する人ももういない。すべてを失って途方に暮れていたところを、突然呼ばれたのです」
気が付いた時にはこの世界にいた、らしい。
そりゃあ、戦う気になれるわけがなかっただろうと思い、美羽は口をへの字に曲げて涙を堪えた。
「ごめんね、ブランデリンさん。私、すごく浮かれてて」
酷い温度差があったものだと、美羽の心は沈んでいく。
いつもは賑やかな脳内ミハネ王国も、ずーんと、重苦しい空気で満ちている。
「いえ、いいのです。私が話したかったのは、悲劇についてではなく」
ブランデリンは美羽の手を取り、ぎゅっと握る。
そしてしばらくためらった後、小さな声で「すみません」と謝ると、手を伸ばして美羽を抱き寄せ、ぎゅっと力を込めた。
「ここに来て、勇気をもらえたということなのです」
ベルアロー果汁の効果で、鎧の表面はベタベタしている。背中にまわされた腕も、分厚い鎧の胸の部分も甘い香りが漂っており、ムードは台無しになっている。けれど空気はとてもシリアスだった。騎士がどうして抱きしめてくるのかはわからなかったものの、ここで抵抗するほど美羽は無神経ではなく、むしろ軽くロマンを感じ始めていて、ああやっぱり妄想家の心は捨てられないな、なんて考えていたりする。
「ミハネ殿は、……幼い頃に死んだ妹によく似ているのです」
生きていれば十五歳になる妹がいたと、ブランデリンは囁く。
「妹もまた魔物の犠牲になったのです。私はあの時まだ十歳でしたが、世界中の魔物を倒して、平和な世界を取り戻してやると誓いました。なのに、あなたの姿を見た時、私は罰が下されたと思った。不甲斐なく卑怯な自分は戦の神に見放され、死者の国へ送られてしまったのではないかと」
でも、とブランデリンはまだ続ける。
大きな体が鎧の奥で震えている。そして、こんないいシーンなのに、美羽の視界の先に誰かが立っている。
「あなたはずっと私を励まし、皆の絆になってくれました。こんなにも不甲斐ない私に騎士の誇りと、戦う理由を取り戻してくれました。そのお礼に私は、ミハネ殿を守りたい。必ず生きて、もとの世界に戻すと決めました。レレメンド殿がすべてを見通すというのなら、私もそれに従いましょう。ヴァルタル殿のように前を向き、ウーナ殿下のように強い心を持って、共にこの戦いを必ず乗り越えます。そう誓います」
視界の先に立っているのはウーナ王子で、二人の姿に腹を立てたのだろう。手のひらの上に炎の弾を出して、思い切り振りかぶって、そして、動きを止めた。
炎はふっと消え、逆立っていた金髪はさらさらとまっすぐに整っていく。
「ミハネ殿、今、剣はありませんが、あなたに捧げます。この世界で私が仕えるべきはあなたで、命を懸けてお守りすると誓います。私はもう恐れない。もっと早く、こう決意出来れば良かったのに。……どうか、この心の弱い騎士をお許し下さい」
抱きしめからの騎士の誓い。ロマン度が一万パーセントを越え、美羽の視界は虹色のエフェクトがかかってキラキラと輝いている。
「そんなの仕方ないよ。命の危機だったんだもん。そんなに悲しいことがたくさんあったなら、元気いっぱいの方が変だし、むしろやかましく言ってばっかりで、ごめんねブランデリンさん」
「終わったなら、私のミハネを返してもらおうか」
我慢して抑えたんだよ、みたいなオーラを全開にした声にブランデリンは慌てて振り返った。
「ウーナ殿下!」
「ヴァルタルが言ったからな、だから、許してやろう。私はミハネを大切に思っているから、ミハネが嫌がることはしない」
王子はツカツカと早足で寄ってきて、早速美羽の手をとってキッスをかます。
どうやら果汁トラップにひっかかったようで、殿下の眉間には深い皺が寄った。
しかし、さすが王族。べったべたのベルアロー汁に動じる様子は見せず、さらりと髪を揺らすときりりと決めた。
「ブランデリン、戦えるようになったんだな?」
「はい、もう、大丈夫です」
「武器も持たずによく言う」
金髪碧眼の美貌の王子様はツーンと、意地悪そうな顔をしている。
これまでなら、更なる罵倒がある場面だ。
でも、そうはならなかった。
「ユーリと合流できればすぐに調達できるだろう。まあ、私がいる限りお前が戦う必要などないだろうがな。ミハネ、私が必ず守る。安心してくれ」
なにその「素直になれない俺様」みたいなキャラは!
ウーナ王子と他の面々の間に芽生えた友情的なものに、美羽はニヤニヤと笑う。
「ケレバメルレルヴを探そう。レレメンドが何をしたのか確認しなければ」
「そっか。ケレバちゃん辛そうな声出してたよね」
「わかるのか、ミハネ」
殿下の微笑みは百万ドル。時価で言うと、えーと……今日の為替相場とかわからないしめんどくさいから大体一億円でいいか。わお、リッチ!
こんな風に考える美羽の隣で、当の王子様はきりりと表情を引き締めている。
「やつはドラゴンの急所を突いた。それだけではない、ケレバメルレルヴは『取らないでくれ』と最後に訴えていた」
「取らないでくれ?」
王子様はドラゴン語がわかるらしい。
それはウーナ王子の世界の常識なのか、それともドラゴン愛の為せる業なのか。
そんな話は今はどうでも良くて、考えるべきポイントは別にある。
「じゃあ、みんなそれぞれ一個ずつ……とられてるってこと?」
翼、呪い、ストラップ、そしてドラゴンの大切ななにか。
美羽の脳裏を過ぎるのは、ドラゴンについて皆で話し合った時の記憶だ。
ドラゴンを知っているかという問いに、祭司はディズ・ア・イアーンに仕える神獣だと答えている。
それは「世界に終わりが訪れる時、巨大な翼で空を覆い、天を駆けてありとあらゆる絶望を振りまき、人類に滅びの時を伝える」ものなのだと語っていたはずだ。
「うわ、すごく嫌な予感がする」
ウーナ王子とブランデリンの手を取り、美羽は駆け出す。
鈍くさ女子高校生はすぐに追い抜かされて、騎士に引っ張られながら目指すは魔王城。
急げ美羽、なにかが起きようとしている!
こんな煽り文句を考えて自分を励ましながら、ここ数日で随分たくましくなった足を動かして美羽は必死になって走った。