Hurry,Party.
いつまでも、心ゆくまで休ませてやりたい。
この旅が始まって一週間で、何回攫われ、何度気を失ってしまったのか。薄幸の美少年ユーリの寝顔をのぞきこみつつ、美羽は考え、そして容赦なく起こす。
のんびりしていたら、魔物が寄ってくるかもしれない。ヴァルタルとレレメンド、二人の強力な仲間と合流できたが、片方は積極的に戦ってくれるのか正直疑問だ。可愛い奥様からのお願いだろうと、気が向かなければ聞き入れないに違いない。
「ごめんねユーリ、これ、食べられるかな?」
起き抜けに即、口に魔物の木の実を突っ込まれる美少年。
タイトリングはいまいちだが、すぐに状況を察して、ユーリは目をこすりこすり、ベルアローの実を一口齧った。
「うわあ、これ、美味しいですね!」
「うん、すごく元気が出るから。ちょっとは回復するといいんだけど」
そしてついでに、必要な物を用意してもらわなければならない。豊富な物資を取り揃えて待っているお城に手が届くのは、ユーリだけなのだから。
「魔法使えるようになったついでに、エステリア様にも報告できないかな?」
「わかりました、やってみます」
急に大人びた表情を作って、ユーリは力強く頷いている。
少年から、青年へ。成長期だなあ、と美羽は思わず荒く鼻息を噴き出してしまう。
「ミハネ様の水晶では、話せる時間が短いですもんね」
「ううん、それどころか落として割っちゃったの」
「ああ、そういえばそう仰っていましたっけ」
記憶が混乱してました、とユーリは照れたように笑っている。
そういえば奈落の底へ落ちたんだったなあと、美羽は思わず遠くを見つめた。
あれから一日ちょっとくらいか。あまりにもぎゅうっと詰まった濃すぎる厄日に、苦笑いが漏れてしまう。
「なんだか体がぽかぽかして、力が湧いてきた気がします」
食べ終わるなり笑顔で立ち上がると、ユーリはまず魔法のカバンを漁った。着替えや水などの必需品を取り出し、目を閉じてぶつぶつと呟き始める。
「バッキャム様、ユーリです……」
バッキャムって誰だろう、と考えつつ、美羽は黙って様子を見守る。
「バッキャムって誰だろうな、ミハネ?」
三つ編みエルフさんは正直で大変よろしい。
レレメンドは部屋の隅にいたはずが、いつの間にか椅子に座ってベルアローの実をもぐもぐ食べている。
「はい、ユーリです。リーリエンデ様は……、はい、そうです。捕まってしまわれたようで、今僕はミハネ様とヴァルタル様、レレメンド様とその他一名……というか、一名? その他大勢、うーん、とにかく協力者がちょっといますが、長くなるので省略させてください」
その他大勢ってなんだ、とヴァルタルは当然疑問に思って美羽に尋ねる。
首飾りの中に女の子がたくさん閉じ込められているんだと説明をすると、驚きつつ、納得もいったようだった。
「それで魔法が使えるようになったのか。俺もあれがあれば、使えるようになるのか?」
「どうだろう、魔法には素質が必要なんだって。あと、結構やかましいんだよあの首飾り」
やんやと騒ぐ外野をよそに、ユーリはバッキャム様との交信を続けている。律儀に美羽の預かった水晶玉が割れたことまで盛り込んで、つつがなく報告は終了される。
「すみません、着替えていいですか?」
「うん、うん。もちろん! 私もそうしたい。ヴァルタルも外は寒いから、厚着した方がいいよ」
ようやく女装をといてユーリは元通りになり、翼を出す必要がなくなったからなのか、ヴァルタルは革の防具を身に着け、更に長いマントを上に羽織った。
中世ヨーロッパ風異世界ファンタジーゲーム的な衣装は、翼を失くしたエルフにとても良く似合っている。これで光の弓だの剣だのを扱うんだから、困ってしまう。目のやり場が多すぎて、困ってしまう。
一方、邪神の祭司様の装備に変更は一切なし。すべての実がたいらげられてようやく、気のいい魔物も姿を現している。出発準備は完了だ。目的はまず、仲間の救出および合流。
「ベルアロー、道案内頼んでもいい?」
「もちろんッス。まかせるッスよ!」
本当に使い勝手のいい魔物だ、と美羽は深くベルアローに感謝していた。
だけど一つだけ、はっきりさせておきたいことがある。
もしかしたらこうなのかも、という仮説を立てて、美羽は魔物にこう声をかけた。
「ベルアロー、魔王倒してきてよ」
「えっ、はっ? いきなりなんなんスか、ミハネさん」
「いいから倒してきて。不死身なんだから、やれるでしょ」
あんまりにも無茶なお願いに、ベルアローは唸っている。
散々あうあう呻いた挙句、困惑した瞳をレレメンドに向け、ああやっぱこの人じゃ駄目だと思い直したのか、最終的にヴァルタルに向けて「助けて」のアイコンタクトを送り始めた。しかし通じず、エルフさんの返事はこう。
「やれるんならやってくれよ」
葉っぱが二枚ほどはらはらと落ち、ベルアローは斜めにゆっくりと傾いていく。
すると頭に、ぽんぽんと三つ、実が付いた。
「ごめん、嘘だよベルアロー」
やっぱり、困ったり悩んだりすると実がつくらしい。
新しくついた実の収穫をさらっと済ませると、美羽は「よし行こう!」と右手を振り上げた。
「ねえ、バッキャム様って誰なの?」
先頭を歩いているのはヴァルタルとベルアロー。美羽とユーリがその後に続き、一番後ろにはレレメンドを据えている。
「リーリエンデ様の兄弟子様です」
「ああ、魔法の天幕を作ったっていう?」
「そうですそうです、よく覚えていらっしゃいましたね」
その兄弟子が来てくれた方が心強いんじゃないかとか、肝心のお師匠はどうしているのかとか、疑問が次々に湧き出してくる。
「お師匠様じゃないんだね」
「お師匠様は魔物達が攻めてきた時に傷を負ってしまって、あまりお元気ではないのです。お年を召してらっしゃいますし、でも、旅の役に立てなさいと魔法のカバンを作って下さいました。無理がたたったのかそれ以来、床に伏せってしまわれましたけど」
悪いこと聞いちゃってごめんね、と美羽は小声で謝る。
「すいませんね、魔王様が」
ベルアローも振り返って、ユーリにぺこりと頭を下げた。
「今はバッキャム様が宮廷の術師をまとめておられるのです。なので、今回はリーリエンデ様が同行するはずだったんですけど」
「リーリエンデにもうちょっと度胸があればいいのにね」
「確かにそうかもしれませんが、リーリエンデ様はすごいんですよ。特に召喚に関しては、一番強い力を持っておいでです。知識の広さも素晴らしいですし、身の安全さえ保障されていれば、あんなに頼りになる方もいないんです」
ユーリのこの言い様に、美羽とヴァルタルは揃って笑った。
「しょうがねえヤツだなあ、本当に。怖いからってユーリを代わりに行かせるなんてよ」
あともうちょっとだけリーリエンデに力があって、チームワークも最高にいい四人組を呼べたなら、ユーリもここまで苦労しなくて済んだだろうに、と美羽は思う。
本来は度胸だって少しくらいはあるはずだ。ユーリの姉にいいところを見せるためなら、たった一人で暗い森の中を駆けて来られるのだから。
こんな風に美羽は「一定の評価」をしていたが、さすがに弟子の信頼はもっともっと厚かったようで、ユーリは微笑みを浮かべてこう答えた。
「皆さんがとても強いのだとリーリエンデ様が仰ったので、それで、僕は行こうと思えたんです」
少年の瞳にはまったく、濁りというものがない。信頼で満たされたその輝きが眩しかったのか、選ばれし勇者の一人はしゅんと耳を垂れさせてしまう。
「それはなんだか、悪かったな、ユーリ」
ヴァルタルはすっかりバツが悪そうな顔で、額をぽりぽりとかき、少年にむけて思い切りのけ反ってみせた。
「なんで威張るの?」
「威張る? 心から謝ってるんだよ、俺は」
そういえば変なリアクションをするタイプの異世界人だった。
久々の奇妙な反応に納得しつつ、もしも地球に来たらトラブルになりそうだなんて美羽は夢の翼を広げていく。
ヴァルタルが来たら、どうなるだろう。顔やボディについてはまったく非の打ちどころがないけれど、ヘアカラーは水色という傾奇者だ。耳も長く、ちょっととんがってるタイプ、ではごまかせそうにない。
じゃあ、エルフに憧れる余り整形を施したとかなんとか。
いや、これはあんまりいい案とは言えない。アルバイトの面接で落とされてしまう。進む道は、プロのコスプレイヤーくらいしか見いだせないのではないか?
「ミハネ、よだれ出てるぞ」
さすがに永遠に続けられるはずもない、しかも収入に繋がるか怪しい職をすすめるわけには……。
ここまで考えて、美羽はようやく正常な思考を取り戻していた。
確かにウーナ王子は来ると言った。でも、確実に来られるかは謎であり、ヴァルタルの発言に至っては「ジョークの可能性」が高い。
もしも地球に異世界のイケメンがいっぱい来ちゃって私のまわりでてんやわんやしたら、なんてシミュレーションは、必要ないのだ。楽しいけれど。
「えへへ」
「なんだよ、急に。おかしくなっちまったのか?」
ツッコミを受け、やめなくてはと思いつつ、妄想が止まらない。
右手にウーナ、左手にヴァルタルの両手に花の高校生活を夢想したら、今にも軟体生物になってしまいそうだ。
でろんでろんにとろけつつも、行軍は続く。
やっと洞窟の出口に辿り着くと、外の吹雪は既に止んでいた。ただし、当然のごとく雪は積もっている。足跡の類は見当たらない。そして寒い。
「この白いの、随分冷たいんだなあ」
「雪だよ、ヴァルタル。雨はわかる?」
「雨ってあれか、空から水が降るやつだよな」
十機都市という名の響きからすると、なんとなく雨は降らない、もしくは人工的に降らせる的なものなんじゃないかと妄想が独り歩きをし始めてしまう。
「うん、気温が低いとその水が凍って、雪になるんだよ」
「凍る? 氷が落ちてくるのか?」
「そうなんだけど、大きな塊じゃないんだよ。ふわっとした感じで、小さな小さな粒みたいなのがいっぱい降るの」
想像がつかないのか、翼を失くしたエルフは首を傾げている。
「ベルアローは雪が積もってても平気?」
「大丈夫ッスよ」
植物っぽいくせに、魔物は余裕の表情。
「レレメンドさんは寒くないの?」
「我が身はディズ・ア・イアーンに守られている。世界に終わりが来るその時まで」
邪神に仕える人はやはり、格が違った。
「ユーリ、行ける?」
「頑張ります!」
美少年は素直で愛らしい。きっと、お姉さんも可愛らしいに違いないと確信できる。
そしてリーダーぶって皆を心配してまわった美羽が、最も雪に足をとられて悶えることになった。
「冷たいっ!」
靴の中に入り込む氷の粒が足を濡らす。みるみる冷えて、今度は熱を帯び始める。
「くわーっ」
熱くて、痛くて、痒い。でも、一休み出来る場所はない。
「大丈夫か、ミハネ」
もうやだ、と言いたい。でも言えない。ヴァルタルに翼がまだあったなら、ちょっとだけ持ち上げてなんてお願いも出来たかもしれないけれど。
「うん……うう、うん」
「駄目そうだな」
逆に、どうしてヴァルタルは初めての雪の中をそんなにすいすいと歩けるんですか、と美羽は問いたい。ざっくざっく、足を取って冷やしてくるこの白い悪魔は、まさに大自然の脅威そのものでしょうに。滑らず転ばず、どうしてそんなにも軽やかなのか。
「ユーリ、これをなんとかする魔法とかないのか? この雪とかいうやつは、熱で溶けちまうんだろう?」
「えっ、ええと、出来るかもしれませんけど、こんなにも大量のものをなんとかするっていうのはちょっと」
「全部なんとかしなくたっていいんだよ。ウーナは、自分とミハネの周りだけあったかくするとか、そういうのを使ってたぜ」
なるほど、あったかバリアーを張って進もうというのか。
なんという冴えたアイディア。なんと賢いロンリーエルフ!
「ユーリ、出来そう? 大丈夫だよ、あの元気が出る木の実、まだあるから」
周りにぎゃあぎゃあ騒がれながら、ユーリはどうやら首飾りのガーリー軍団と相談を始めたらしかった。時折困った表情を浮かべつつ、やたらとフェミニンな言葉遣いのひとりごとを漏らしつつ、最期はチーンと「閃いた」の顔を作って微笑む。
「炎の精霊、かまどより出でて、白き牢獄から我らを守れ!」
炎の精霊とか、それっぽーい! 美羽はがくがく震えつつ、ユーリの周囲にぼやっと現れた赤いスケスケのなにかにエキサイトしている。
そしてその隣では、魔物が雪の中にダイブイン。こちらもガクガクと、別な理由で震えている。
「炎はおれっち、苦手ッスよお!」
「ユーリ、ベルアローに気を付けてあげて」
賢い美少年系魔法使いは誠実そうな顔で頷いて、目を閉じて更に呪文を唱えていく。
やがて赤いスケスケのパワーはふんわりと広がって、美羽たち一行を優しく包み込んだ。炎そのものではなく、その熱の力だけが行使されているらしい、と妄想家は分析して心のメモリに記録する。
「うわ、すごい。あったかい」
「ユーリ、もしかしてもうウーナを超えたんじゃないか?」
ユーリはまんざらでもなさそうな顔で、しかし控え目に謙遜してみせた。
「とんでもないです。だって僕はこのネックレスの中の皆さんの力がないと、なんにもできませんから」
美羽たちの周囲の雪は、赤いバリアに触れるとじゅうっと溶けて消えていく。
進んだ分だけ道が出来る素晴らしいシステムが導入されて、旅は一気に快適さを増している。
「ユーリのパワーが尽きたらこれ、終わっちゃうよね」
いくらベルアローの実があるからといって、油断は禁物、なるべく節約はするべき旅だ。
今、美羽が気になっているのはブランデリンの安否だった。
無事でいて欲しい。
もしも無事でいたとしても、体力はきっと限界を超えているだろう。たった一人、もしかしたらこの雪の中をはらぺこ、徹夜で進んでいるのかもしれないんだから。
「うわあ」
つい、想像してしまう。寒い寒い雪の中に鎧ごと埋もれて、「ミハネ殿、私はもう、疲れちゃいました」とかなんとか言いつつ、誘われるがままにお迎えと一緒に去ってしまう姿を。
「どうした、ミハネ」
「ブランデリンさんが心配なの。早く行こう、早く!」
深夜に交わしていたレレメンドとの会話。
弟の死と、失恋、消失願望。
あの騎士に溢れているのは、哀しみと切なさと絶望だった。
まるで消えてしまいたいかのような言動が思い起こされて、美羽の胸はしめつけられていく。
「そういや、病気なんだったか。確かに心配だな」
それ! と美羽はヴァルタルを指さす。すっかり忘れそうになっていたけれど、病気設定もあったのだった。
結局その詳細はまったく不明だが、撒き散らしていた負のオーラの濃さだけはよく覚えていた。
どうか、無事でいて欲しい。
美羽はちらりとレレメンドの様子を窺うが、もちろん、リアクションはなし。
それでも一応、確認しておくべきか――。
「レレメンドさん、ブランデリンさんは無事かな?」
美羽がこう問いかけると、邪神の祭司はこれまでで一番悪そうな顔で、ニヤリと笑った。