ブレイクタイム ~今日が俺たちの本当のスタートだ!~
ヴァルタルがキャッチしてくれていた魔法の天幕を広げ、一行はとりあえずの応急処置を始めていた。美羽は頭にたんこぶが出来た程度、それに加えてだいぶお疲れではあったけれども、大きな問題は特になし。ユーリはまたもベッドに運ばれ、寝かされている。
処置が必要なのはとにかくヴァルタルだった。背中から流血するイケメンの姿には心ときめくものがあるが、やはり心配の方がはるかに大きい。
「レレメンドさん、治してあげられる?」
邪神の祭司の表情は無そのもので、そもそもヴァルタルを仲間だと思っているか怪しい程度の仲であり。
浅黒い肌に長い髪。彼は召喚された時と、姿が一切変わっていない。整った顔立ちを歪ませる事象はこの世界に存在するのだろうか?
冷静な瞳で折れた翼を見つめ、レレメンドはぼそりと呟く。
「この翼は必要なものなのか?」
「今の声、レレメンドのか? 普通にしゃべるようになったのか?」
ヴァルタルは当然の疑問を抱き、美羽は思わず、はあ? と大きな声を出してしまう。
「どういう意味なの、その質問は」
意味がわからぬと同時に湧きあがる嫌な予感。
祭司の右手が伸びて、翼に触れている。そのまま取ってしまうんじゃないの? と美羽は不安で震えている。
「必要かって言われると、参るな。便利ではあるけれど」
「では、私がもらおう」
まさか本当にもいじゃうなんてー!
祭司の手から放たれた黒い輝きが、ヴァルタルの折れた翼を包み込む。それは一瞬の出来事で、瞬きしている間に背中はきれいさっぱり、ごく普通の筋肉質なボディだけの状態に生まれ変わっていた。
「あん? どうなったんだ。急に痛くなくなったけど?」
怪我した部分は翼だけだったという話なのか。きょとんとした顔でヴァルタルは起き上がり、背中へちらちらと視線を送っている。ついでにぱんぱんと手を伸ばして叩いて、あれ? と首を傾げて唸る。
「翼、どこいった?」
レレメンドはしらんぷりを決め込んでいるので、美羽が答えを示すしかない。
「レレメンドさんが、えっと、その……。とっちゃったみたい」
「はあ? 翼ってそんなに簡単に取れるのか?」
そんなのこっちが知りたいわ、というのが美羽の偽らざる気持ちだ。
それにしても、上半身裸のヴァルタルさんはよく引き締まったお体をしておいでで、見ているうちにみるみる顔が熱くなっていってしまう。
「ミハネ、大丈夫か。お前も疲れてるんだろう?」
「大丈夫だよ、それよりも翼はいいの? 勝手に取られちゃったみたいだけど」
「まあいいさ。普段はそんなに使ってなかったし、寝てる間にたまに出てきて邪魔だったからよ。あれがなければ俺も、もうちょっとマシな扱いを受けられるかもしれないし」
あの背中の白い輝きにはなんのアイデンティティもなかったのか。
拍子抜けしつつ、美羽はくるりと振り返ってヴァルタルの美ボディから目をそらした。
「そうだ、ベルアロー、よく無事だったね!」
振り返ればそこにはご機嫌丸出しの魔物さんがいて、嬉しいけれどちょっぴり複雑な気分。
美羽のそんな思いを察したのか、八枝葉の生き残りも気恥ずかしそうに頭をバサバサと掻いた。
「おれっちももう駄目だーって思ったんスけどねえ。消える寸前、引っ張られたんスよ、レレメンドの兄貴に!」
「引っ張られた?」
「おれっちの葉っぱ、アニキが持っててくれたんス。どういう術かはわかんねえッスけどね、それにちょいちょいーって、魔法みたいな不思議な力を使ったようなことを言ってましたよ。詳しくは全然理解できねえッスけど、さすがはアニキ、半端ねえでス。はい」
さっぱりわからん。
やっぱり邪神の祭司は、怪しげで真っ黒で一筋縄ではいかない謎パワーを自在に操れるようだ。
「ブランデリンさんは一緒じゃないの?」
「ああ、そうなんスよ。ミハネさんの姿が見えなくなって、探しに行かなきゃって騎士のお兄さんが言い出したんスけど、そこにうわーっと敵が現れましてね。そうしたらアニキがいきなり、あのヘタレの魔法使いを魔物たちに向かって放り投げたんス!」
「リーリエンデを?」
「そうッス」
さっぱりわからん。
同じフレーズが何度も脳内で飛び交って、美羽の顔はくしゃくしゃに歪む。
「魔物達はイヤッホーって、攫って逃げちまいまして。それで、騎士のお兄さんは慌てて追いかけていっちゃったッス」
「レレメンドさんとベルアローは残ったの?」
「ミハネさんがピンチだから、ちょっと待てって言われまして。それで残ったというか、奥へ向かったんスよ」
なにがなんだかわかんなかったッスけど、とベルアローは笑う。そのひゅうはあ、という笑い声が懐かしく感じられて、美羽も思わず微笑みを浮かべた。
「笑ってる場合じゃないって」
十一鋭のうちの二人はやっつけ、その他大勢もヴァルタルに始末されている。
八枝葉はベルアロー以外全滅している状態だろうが、それを差し引いても敵はまだ大勢残っている。
「十二の魔物はまるまる残ってるよね?」
「そうッスねえ。十二選の皆さんは割と余裕で、マイホームで寛いでる風な話を聞いたような、聞いてないような」
「十二選っていうんだ」
俳句読むの? と想起させるような、緊迫感のない名前だ。けれど、十一鋭があれだけ容赦なく追い込んできたんだから、その上はもっと強いはずで。
美羽が小さくため息を漏らすと、ベルアローは頭の葉っぱをかさかさと小さく揺らした。
「ユーリちゃんは随分お疲れみたいッスねえ。みんな動けるようにならないと、出発するのは難しそうでスけど」
「そうなんだよね。ウーナ王子が処刑されるまで、あとどのくらいかなあ?」
「どうスかねえ。少なくともあと、一日ちょっとくらいはありそうッスけど」
ベルアローは今、魔物ネットワークから正しい情報を得られる状態なのだろうか。
はっきりと裏切り者扱いされ、他の七人の仲間を巻き込んだ上で消されそうになっていたのに。最新の情報について、ベルアローからは得られないと考えておくべきではないか。
急がば回れ。
ユーリの回復は待たなければならない。ヴァルタルは一見元気そうではあるが、ダメージがないとは思えないし、美羽だって本当はへとへとだ。
ここはやはり、休むべきか。急ぎたいけれど、だがしかし。
美羽は腕を組んで斜めに傾き、そんな様子を見て、ベルアローはぼそりと呟く。
「ミハネさん、すごいッスね。十一鋭を、しかも一番強いネーゲ様と、一番容赦のないセバスッチアーン様を倒したんスねえ」
これが国産のロールプレイングゲームなら、経験値がどばどば入って一気にレベル三十近くまで上がっているであろうところだ。でも、現実はそうではない。せいぜい、案外やれた、みんなを守れて良かったという安堵があるくらいで、これからまた迫りくるであろう危機に対して有用な特技の類はひとつだって得られていない。
「力とか素早さとかが上がればいいのに」
もしくは、必殺技だの魔法だのが使えるようになるとか。
「魔法は無理でしょうねえ。あれは、生まれもった素質が必要らしいでスよ」
「そうなんだ、ね。確かにそう言われたんだった」
魔法ではないけれど、魔法にほんのちょっとだけ近いようなパワー的なものが少しだけある。でもそれは、使えるものじゃなくて。
ガーリー軍団いわく、美羽に「魔法の素質はない」。
「ユーリがフルパワーで長時間戦えたら、すごくいいんだけどな」
あのメタリックなムペとかいうドリンクを補充できないものか。
美羽の無茶ぶりに、ベルアローは困って斜めに傾いていく。
すると頭に、ぽんぽんと四つ、実がついた。
「四つも! ありがと、ベルアロー。すごく力になってもらって、本当に、感謝してる」
一つはユーリに、一つはレレメンドに。ユーリは眠っていて、レレメンドは瞑想中なので、魔法の天幕中央のテーブルに置いてとっておく。
残りの二つを持って、美羽はヴァルタルの前に座っていた。
お疲れのソルジャーには食事が必要。黄緑色の実に、ヴァルタルは「サンキュー」と微笑みを浮かべている。実をつけた主は、食べられるのが恥ずかしいということで地面に埋まっている真っ最中だ。
「なんだ、これは」
「あの、ベルアローって魔物になった実なんだ。いっぺん食べたから、安全だよ、大丈夫。すごく美味しくて、力が出るの」
「あいつ、変なヤツだなあ。まさか仲間になってるなんて思いもしなかった」
ベッドの上で上半身だけ起こし、半裸で微笑む細マッチョしかもイケメン。
そんな素敵男子が、果実をがぶりとかじる姿ときたら、どうでしょう。素晴らしいでしょう。
「これは、すごく美味いな」
破顔一笑。水色の長い三つ編みがふわっと揺れて、下まつげがばっちんばっちん、とにもかくにもヴァルタル様のビジュアルには力があった。
「えへん」
でれでれとした表情で笑いつつ、美羽もベルアローの実を平らげていく。頭の中も、口の中も甘い。スウィートで、とろけちゃいそうでたまらない。
「なあミハネ、ごめんな、危ない目にあわせちまって。俺がもっとちゃんとやってれば」
怖かっただろう?
で、頬をふわっと、下の方から触れてきたりするんですよ。
まったくもう、このけしからんイケメンは急激にフラグたててきてどうする気なの? ええ、いいわ、もうどうにでもして!
ミハネ様、バグってます!
脳内国民たちが必死になって爆竹を鳴らして、ボッケボケの王様を覚醒させていく。
「ううん、ヴァルタルはあんなに頑張ってくれたのに、むしろ私が足手まとい過ぎて、ごめん」
「戦えないミハネを守るのは、当たり前だ。リーリエンデももうちょっとしっかりやってくれたらいいんだけどよ」
「あ、あれはもうユーリなんだよ、ヴァルタル。リーリエンデはもう自分の体に戻ってて」
ややこしい事情を、改めて美羽は説明していく。
ヴァルタルは「なあんだ」と呟いて、優しげに笑う。
「なんか変だなって思ってたんだよ。良かったな、ユーリ、もとに戻れて。……ん? いつからあんなに魔法を使えるようになったんだ?」
それについても、また説明が必要だった。
でも詳しく話すとややこしいので、すごいパワーがある首飾りをゲットしまして、程度に収めておく。
ついでに、現状確認も済ませておこうと、仲間がどこへ行ってしまったのかについても、美羽は話した。
「ウーナとリーリエンデが捕まってて、ブランデリンが追いかけてるんだな、今」
「うん。魔物達が全力になってるっていうのは間違いないから、なんにしても早く動かないと危ないの」
右手でくしゃくしゃとかきまわしたせいで、ヴァルタルの髪が乱れてしまう。
いつも綺麗な三つ編みがボサボサになって曲がっている様を、美羽はじいっと見つめた。
絶妙な沈黙が、天幕の中に満ちていく。
すぐそばに、すうすうと寝息を立てるユーリと、じっと動かないまま瞑想を続けるレレメンドがいるのだが。ついでに地面に埋もれっぱなしのベルアローまでいるのだが。まるで世界には、二人しかいないような、そんなムーディーな空気が流れている。
「すげえなあ、ミハネは。あんな強そうな魔物も、自分で倒しちまうんだから」
「すごくないよ。たまたまだし、大体ヴァルタルとユーリのおかげで弱ってたから」
それに、弱点を事前に教えてもらっていたから。すべての要素があって、美羽にチャンスを与えた。それだけの話だ。
こんなマネージャーの言い分を真顔で受け止め、ヴァルタルはまた呟く。
「俺たちは本当に、ミハネがいないと駄目なんだな」
ミハネが穴に落ちた途端、バラバラになっちまったよ、とヴァルタルは言う。
本気なのか、ちょっとしたお世辞なのか、わからなかったがとにかく、オレンジ色をしたハッピーな気持ちが心の奥底から湧き上がってきて、美羽の全身はぽっかぽかになって震えた。
「でも、みんなもちょっとくらいは仲良くなったでしょ」
「最初に比べればな。でもまだまだ、全然だよ。ミハネが間にいてくれて、俺たちはようやく繋がっていられるんだ。ウーナもブランデリンもそう思ってるはずだぜ」
レレメンドはわからないけどな! とヴァルタルは笑う。
いや、実はレレメンドさんもそうなんですよ、と美羽は言い出せない。
「そういえばあいつ、普通に話してたけど。それも、きっとミハネのお蔭なんだろう」
「ううん、なんか、沈黙の修行みたいなものをしてたんだって」
「ああ、そうだったのか? 少しくらいは話してた気がするけど」
体を縛り付けていた緊張感が、ヴァルタルの声に溶かされていく。
さっきまでいた戦場が、嘘だったらいいのに。カッコよくて優しくて、自分を頼ってくれる素敵な勇者さんたちと楽しく愉快な旅をするだけだったらどれだけ良かっただろう。
ほんわかした空気が溢れて、美羽の心をちくちくと刺していく。
ウーナ王子とリーリエンデを助けて、ブランデリンとも合流しなければ。
敵はまだまだたくさん、しかも強くて容赦ないのがてんこ盛りなんだから、ここで本格的に一致団結を果たして、揃って無事に元の世界へ戻らなければいけない。
戻れば牢獄。目の前の「囚人エルフ」の未来はどうすれば拓けるだろう?
せっかく首輪を外して自由を得たのに。そう、あれは、切り札になり得るものだったのではないだろうか?
「ヴァルタル、翼は、本当に良かったの?」
「ん? うーん、返せって言ったら返ってくるのかな? あいつ、どこに隠したんだろうな、翼を」
のんびりとした返事に、緊迫感はない。
背中に生えていたものを取られたにしては、随分と軽くないだろうか。
「なんだよ、その顔は。大丈夫だ、あれは俺には必要ないものだったんだから」
「そうなの?」
「そうさ。俺は、有翼人と人の間に生まれた半端者なんだ。有翼の連中はそういうのが一番嫌いで、決して受け入れない。でも、翼はあるわ、耳は長いわの俺を歓迎してくれる人間もそう多くはない」
新事実だ。でも、ノートにメモしている場合ではない。
「お父さんとかお母さんは?」
「さあな。母親はいたけど、俺がまだ三つくらいの頃にふらっといなくなっちまったよ。俺は街の片隅に捨てられて、親切な老夫婦が助けてくれたんだが、この二人もすぐに死んじまった。で、行くあてのない俺を拾ってくれたのは、対ギリン組織のリーダーだった。特別な力があるんだから、人の世界で生きていきたいなら協力しろって。だから俺はギリンと戦ってきた。ずっと、長い間」
迫害されるハーフ。逃れられない、戦いの運命。
王道な設定だと、今までの美羽なら思っただろう。でも今は、目の前にいる大事な仲間の抱えてきた「辛い過去」だ。胸がキュンキュンと痛んで、軋む。前科がいくつもあったのは、生きるため。受け入れてくれる場所がそこしかないから、仕方ないから――。
「泣くなよ、なんだよミハネ、泣かなくったっていいだろう?」
「うん」
勝手に偽エルフだのなんだの、ノートに書き散らしていた自分が許せなくなって、美羽は鼻をすすった。
そんなマネージャーの頭を、ヴァルタルはよしよしと優しく撫でる。
「ミハネだけだぜ? 最初っから、なんの警戒もせずに接してくれたのは」
「でも、なんていうか、すごく不純なアレで、だから」
「なに言ってんだ?」
よしよしはグレードアップして、美羽はぐいっとヴァルタルの胸に引き寄せられてしまった。
ドンドンパフパフ、頭も体も大盛り上がりで視界は真っ赤、世界はラブリーなハート柄で覆われていく。
「さっきは冗談で言ったけどよ。本当に可能なら、ミハネの住む世界に行きたいって、今は真剣に思ってるんだぜ」
すごくいいシーンなのに、心臓がバクバクやかましすぎて音声が遠い。
集中しろ、鎮まれ!
自分で自分に喝を入れるもなかなか効果は出なくて、美羽はカクカク、ぎこちなくヴァルタルに頷いてみせる。
「だからとにかく、ウーナと仲良くしなくちゃな。あいつの力はすごいから、きっと本当にミハネの世界に行っちまうと思うんだ。一緒に連れていってもらうために、ご機嫌とるようにするぜ」
照れくさすぎて、美羽は目の前のイケメンの笑顔を直視できない。
久しぶりに鼻血レーザーの発射用意が始まっている。
でも、ヴァルタルに真っ赤な噴水をかけるわけにはいかないので、ここは我慢。レーザーは封印して格納庫へと戻しておく。
「ブランデリンと、リーリエンデもさっさと合流しなきゃな」
ヴァルタルが立ち上がり、ときめきの抱擁タイムはこれで終了。惜しいけれど、これ以上は気絶する恐れがある。
素敵体験のおかげで漏れそうになったよだれをふきふき、美羽も立ち上がった。そして、ガッツポーズ。
とうとう、本当の仲間意識が芽生えた!
まだ、一人だけだけど。
それでも嬉しくてたまらない。
自分の仕事の成果が見えた気がして、美羽はようやく、にっこりと笑った。