戦い終わって日が暮れて
その風の刃のあまりの勢いに、美羽もユーリも、ついでにそばに着地していたヴァルタルもまとめて吹っ飛ばされて、洞窟の壁に叩きつけられてしまった。
ごっほごほと咳込み、辺りに舞い上がった粉塵の中で揃って悶える。さすがに勇者として選ばれただけあって、ヴァルタルが一番に立ち上がって戦いに備えてくれてはいるが、ド素人の美羽とユーリはそうはいかない。いつまでたっても目から涙があふれてくるし、喉の奥のイガイガが取れなくて不快指数はマックス寸前。
「なんだよ今のは、ユーリ、ミハネ!」
ごめん、と謝りたいが声が出ない。それに、ユーリがここまでやるなんて想定外、予想外、奇想天外のファンタスティック・マジカルパワーだった。
「おのれ、許さんぞ貴様ら……!」
もうもうと立ち上る靄の向こうから声がする。それは多分、セバスッチアーンの薄紫色の方だ。セクシー女体に似合わぬバリトンダンディボイスは怒りの色を帯びていて、熱い。
「よくも私のチャームポイントを切り落としてくれたな!」
うっすらと見える細い影。それは一人分しかなく、美羽の妄想力を高速で動かした結果「あの薄紫色が本体で、黄色い方はライオンのしっぽの先のふさふさ的、チャームのようなものだった」という推測が弾き出された。
ざっ、ざっ、と近づいてくる足音。
鋭い表情を浮かべて構えるヴァルタル。
美羽はユーリの首に巻かれたスカーフを掴んで、引き寄せる。せめて足手まといにならないように、じっとしていなければ。下手に動けばまたむせるし、もしかしたらこの視界の悪さで自分たちは見つからないかもしれない。
「まずは貴様からだ、翼のチョープ!」
敵の影は一つしか見えない。他にもわらわらといたはずだが、ユーリの風にやられてしまったのだろうか? とにかくセバスッチアーンの本体以外に動く者は、美羽が確認できる範囲にはいない。
ご指名されたヴァルタルは黙ったまま木の棒を前へと突き出し、光の鞭を用意して構えている。
「十一鋭の恐ろしさをとくと味わうがいい!」
途端に始まる槍と鞭の戦い。光がしなって伸び、魔物は槍を高速で回転させてそれを弾く。突き出された槍を華麗なフットワークで避けて、ヴァルタルは光を剣の形に変え、切りかかる。
霞がかってよく見えないのが悔やまれてならない。
強い敵と、翼の生えた細マッチョエルフしかもイケメンのガチの戦いをはっきりと見たいのに。見えない。悔しい。ユーリ、この辺の靄を全部吹き飛ばしてよと言いたいが、言えない。
「ミハネ様」
隣で身を低くする少年は、額に汗をびっしょりとかいている。
「さきほどの魔法ですけれど、ミハネ様がすべての文言をご存じだなんて、僕、知りませんでした」
ウーナ王子はノーアクション、ノー詠唱で即魔法が使える。
でも、それが全世界共通の魔法使いの常識ではない。
つまりこの世界の魔法には、「呪文」が必要ということで。
「ねえちょっと、他にも魔法に必要なアレ、知ってるの?」
「え、いえ、僕は……」
問いかけた先はユーリではなく、首飾りの中のガーリーたちだ。魔法使いがいるなら最初から言っておけ、そして踊り子の前にちゃんと出てこいと、美羽は文句を言いたい気分だった。
(ごめんなさい、みんな久しぶりの生身の体だったから。ファミットで勝負をして、勝った順にって話になってしまって)
こちらには悠長だなんだ、ケチをつけてきたくせになんだその言いざまは。ついでにファミットってなにか後で教えろ!
美羽はこんな憤りをぐっと抑えて、戦うヴァルタルへ視線を移す。
「そこにいるな、おまけの二人! この翼野郎をのしたら、揃って串刺しにしてくれるわ!」
ヴァルタルの背中の向こうでセバスッチアーンが笑っている。
その目はまっすぐに美羽に向けられており、気が付けばあらいやだ、靄は薄くなり、姿が丸見えになっているではないか。これは危ない、超危ない。
「ミハネには手を出させないぞ!」
ヴァルタルはすかさず、カッコよく決める。
好感度をバリバリとあげる翼エルフのためにできる限りのことをしなければと、美羽は立ち上がる。
「お願い、呪文を教えて。ヴァルタルを助けられる、敵を倒せるやつを」
「ミハネ様、しゃがんでください。危険です!」
ユーリに引っ張られて膝をつき、美羽は首飾りを強く握りしめた。
(ミハネ、首飾りを彼に渡して。私が彼に直接指導するから。大丈夫、私たちももうフワフワしていられないって思い知ったから)
散々好き勝手しておいて。
いや、散々好き勝手したからこそ満足できたのかもしれない。
少しでも勝利の可能性が上がるのなら、賭けるべきだ。美羽はそう判断して、首飾りを外してユーリの首にかけた。
「ユーリ、この首飾りの中には魔術師の魂が入っているの。心の中に直接話しかけてくるから教えてもらって。それで、ヴァルタルを助けて」
ユーリの大きな瞳は驚きで見開かれ、ぱたぱたと瞬きを繰り返した。
その目の中に浮かぶ知性の煌めき。顔中に浮かんでいる珠のような汗は、きっと慣れない魔法の力の行使のせいで浮かんだものなんだろう。
お互い疲れ果てている。美羽もユーリも、おそらくヴァルタルもへとへとだ。
でも休んでなんかいられない。少しでも残っている力があるなら、全部振り絞って、この危機を乗り越えるために使うべきだった。
「わかりました、ミハネ様」
この切羽詰まった状況で、女装するヒマなんてなかったろうに。
口から飛び出しそうになるイヤミを無理やり奥へ押し込んで、美羽はユーリに頷いてみせる。
戸惑いが見えたのはほんの一瞬だけ。女装がやたらと似合う美少年はきりりと男の表情を浮かべると、ぶつぶつと口の中で何かを唱え始めた。すぐに全身が蒼白い光に包まれ、美羽は思わず「うほっ」と声を漏らしてしまう。
「荒野に輝く星の光よ、戦士を守る盾となれ」
洞窟の中に星はないし、見えやしない。輝いたのはユーリの手で、柔らかく暖かい白が美羽の視界を塗りつぶしていく。
十一鋭が驚き、ヴァルタルは気合の雄叫びをあげる。
どうやらサポート系らしい魔法を放ったようだ。顔をしかめたまま、美羽はいいぞいいぞと新米魔法使いにエールを送る。
「貴様ら、どうやら先に死にたいようだな!」
そう、新しい力とか仲間とか、今の状況ではこれ以上ないハッピーサプライズなんだけれど、敵にしてみれば腹立たしい話でしかないワケで。
怒りのバリトンボイスが轟き、地面が揺れる。これは本当に危険なやつだと感じつつ、美羽は動けない。隣のユーリは息を切らしていて、よろめいている。
「ユーリ、危ない!」
さっきの風と今の光で力を使い果たしてしまったのか。
まだまだ体力に劣る少年、しかもかなり綺麗で可愛くて素直で頑張り屋のユーリが、いつの間にか体を何度も乗っ取られ、戻ったかと思いきや勝手に化粧させられた挙げ句女装までして、わけのわからないまま気が付けば大ピンチ、空前絶後の危機の中仕方なく「魔法使いになる運命」の道を歩み出したのだから、パワーの使い方なんてまだわかるわけがないのだ。
なんにもできない自分が不甲斐なくて、やっぱり無料のオプションなんだという思いを強くして、それでもどうしても役に立ちたくて。
美羽はユーリをかばうようにして、両手を広げてセバスッチアーンに立ち向かう。
槍がギューンと伸びてきて、体が強張っていく。
逃げたい。でも怖すぎて動けず、声すらあげられない。
心の中の国民一同は王様の人生一番のピンチに悲鳴をあげ、揃って両手で顔を覆っている。とても見ていられない。こんな異世界で一人、人生を終えるなんて。こんな運命が待ち受けていたなんて!
美羽もまた目を強く閉じ、おかあちゃーん! と心の中で悲鳴を上げた。
「お前の相手は俺だろ、この紫野郎!」
頼もしい声があがり、激しく打ち付ける音が続く。ヴァルタルさんはやっぱり一番頼りになるお方ですぜ! 山賊の子分風の台詞を思い浮かべつつ、美羽はようやく目を開ける。
戦場が近い。近すぎてますます足はすくむ。「あわわ」しか口から出てくる言葉はなく、槍は執拗に美羽たちに向けて突き出され、それをヴァルタルが必死になって弾いてくれている。
「ミハネ、下がってろ!」
下がりたいのはやまやまなんだけど!
あうあうと震えつつ、美羽は自分の動かない足を拳で殴った。いうことを聞かない自分の体に、悔しさが湧き出してきて情けない。かっこいい勇者さんたちの戦いを目の前で見たいとずっと思っていたのに。いざ、自分が危ないとなるとこれだ。
「ブランデリンさん! レレメンドさん、来てよ!」
叫び声には涙が混じって、揺れている。情けない美羽のシャウトに、セバスッチアーンはニヤリと笑う。
「私を倒さぬ限り、この空間からは出られぬぞ」
「はあ?」
もしかして結界とか、そういう類の閉鎖空間を作られ、そこに閉じ込められていたというのか――!
「おかしいと思った!」
道理でブランデリンたちと出会えなかったはずだ。ヴァルタルはあんなに飛んで逃げてくれたのに、道に迷ったのかと思いきや、これは敵の罠だったわけだ。
「最初っからヴァルタルも入ってたの?」
返事はない。そりゃそうだ、と美羽は思う。こんなシリアスな戦いの中で、都合のいい答えを返してくれる敵なんかいないはずだ。
「冥土の土産に教えてやろうとか、そういうのはないの?」
「ぶつくさとうるさい小娘だ」
やっぱり冗談は通じない。うん、知ってた。わかってる。オーケー、戦いに戻りましょう。
美羽はひきつった笑顔を浮かべ、セバスッチアーンは槍を振り上げる。
「ミハネ、下がれって!」
すかさず間にヴァルタルが入ってくるが、どうしても、体が動かせない。足が地面から生えてしまったかのように、びくともしない。
バシン、ガキン、戦いの激しい音が鳴る。
近い。もうすぐ槍の先が額に刺さってしまいそうな程、近い。
自分がどれだけ邪魔か、嫌になるほどわかっている。だから、美羽は次の瞬間深く深く後悔することになった。
突き出された槍から守るために、ヴァルタルは美羽を突き飛ばす。
無防備になった背中を、セバスッチアーンは容赦なく切り裂いてしまう。
そこらじゅうに舞って落ちていく白い羽根を、美羽はただひたすらに呆然と見つめていた。ひっくり返って、地面にずざぁっと倒れ込みながらも振り返り、真っ赤な血しぶきと共に大量に飛ばされた、エルフさんの翼のかけらを見つめていた。
涙が溢れる。
霞む視界の中に、無数の青い矢が飛んで行く。
ユーリが放った魔法はセバスッチアーンを打ちのめし、薄紫色の体は吹き飛ばされていった。だが、ヴァルタルも苦しげに地面に突っ伏し、女装の美少年もばったりと倒れてしまう。
傷を負った敵と勇者、力を使い果たした魔法使い。
四人全員が倒れている。が、無傷なのはただ一人、自分だけ。
今しかない。やるしかない。
再び、エンジンが始動する。大量の矢にしてやられ、全身タイツをぼろぼろにして呻いているセバスッチアーンのもとへ、美羽は走った。右手で腰の荷物入れを探りながら、左手で自分の頬を思い切り叩いて気合を入れて。不安は、もちろん、ある。あれが弱点だなんて確信はない。でも、賭けるしかない。
震える足で走ると、よろけてしまう。
それでも必死でバランスをとって、美羽は走って、立ち上がろうとする敵の背後へ立ち。
チャームポイントを失った尻尾の先を掴む。
さきっちょには破けた黄色いタイツの切れ端が、しぶとくちょっとだけ残っていた。
取り出したのは、はさみ。カッターはいつの間にか、どこかで落としてしまっていたから。
よく切れる、新品のハサミを開いて、しっぽにあてる。
綺麗で形の良い薄紫色のナイスヒップから生えたそれの付け根の部分に刃を当て、美羽はぎゅっと歯を食いしばると、手に出来る限りの力を入れて、切り落とした。
響き渡る、断末魔の悲鳴。
おのれ、とか、小娘とか。呪いの言葉と共に、セバスッチアーンは灰に変わっていった。
体が崩れ、灰がさらさらと消えていくと共に、周囲の光景にも変化が起きていた。同じ洞窟だけれど、なんとなく石の色が違う。微妙な変化が洞窟の天井近くから始まって、ゆっくりと幕が下りるように、周囲のすべてが変わっていく。
セバスッチアーンの用意した閉鎖空間がなくなったんだな、とぼんやり考えながら、美羽は途方に暮れていた。
宿敵を倒せたはいいけれど、ヴァルタルは酷い傷を負ってしまった。翼はおかしな箇所で曲がって、周囲には赤いドットの羽根マットが敷かれている。ユーリは完全に体力、気力ともにゼロになったようで、この旅始まって以来何度目かの失神状態に陥っている。
これで、敵が出たらどうするのか。
いや、出るに決まっている。
十一鋭の弱点はわかっていても、美羽一人でなんとか出来るような弱い敵ではない。大体、非戦闘員的に瞬殺された三賢者だって、相手が悪かったからああなっただけ。本来はかなりの強敵に違いないはずで。
「ヴァルタル、大丈夫?」
ぜえぜえと息を吐く偽エルフのそばに寄って、美羽はそっと水色の髪を撫でた。
翼が人体とどうつながっているのかはわからないが、出血しているし、折れればきっと痛いだろうと思う。
「大丈夫、とは言い難いな……」
意識はオッケー。それは良かった。でも、とても動けそうにない。
せめてみんなで固まっておこうと、美羽はユーリのそばへ寄って体を抱き起した。
「ユーリ、ねえユーリ、大丈夫?」
ユーリが起きてくれれば、医療用アイテムも手に入るかもしれない。もしかしたら魔法の薬みたいなものがあって、それさえ飲めば全部治ってヴァルタルは脱・翼の折れたエンジェルを果たせるかもしれない。
ユーリが目を覚ますまで、無事でいられたら、の話だ。
「ミハネ、怪我はないか? ユーリはどうしたんだ」
「私は大丈夫だよ。ユーリは多分、力を全部使っちゃったとか、そういうのだと思う。最初は捕まってたし、休む間もなく戦いになっちゃったから」
ヴァルタルは小さく「そうか」と呟いて、ぱたんと目を閉じてしまった。
「ヴァルタル!」
「すまねえ、でもすごく、痛いんだ」
なにがあれば助けられるのか。魔法のカバンで取り出せるものはないのか、美羽は焦る。
そこに聞こえてきたのは、かすかな足音。
びっくーんと体をのけ反らせて、かつてない程の痛みを心臓に覚えながら、美羽はガクガクと震えた。
ここでボッコボコにされてしまうのか。
ホラー映画で中盤まで生き残ったはいいが、安心して「たいしたことなかったな」とか言った瞬間モンスターに屠られてしまう友達Bくらいの役のように、ここでやられてしまうのだろうか。
いやだいやだ。いやだけれど、ハサミくらいしか持っていない。
せめて盾にできるものはないか。
あるとしたら台所にある中華鍋か、四年前に使い終わった真っ赤なランドセルか。
ハサミを握りしめながら、美羽は誓う。
せめて、ユーリだけは守ろう。せめて、逃げないようにしよう。
恐怖と勇気がせめぎあい、心を揺らす。逃げたい、でも、逃げられないし逃げたくない。逃げたって同じ。せめてカッコ悪い真似だけはしないでおこう。でも誰か生き延びれば……、いやいや、駄目駄目! 落ち着け!
内またの姿勢でガクブルしながら混乱に陥る寸前の少女。
絶対にしたくなかったカッコ悪い姿を晒した美羽に、ここで神様からのご褒美です。
「ミハネさーん!」
洞窟に響き渡る明るい声には聞き覚えがある。
「え?」
ばっさばさと、手を振る音がする。
それは間違いなく、明るく愉快な僕らの味方、魔物代表のベルアローだった。
「嘘でしょ?」
「へへっ! おれっちったら本当に不死身で、ぎりぎりのところで踏みとどまったんスよー!」
底抜けに楽しげな笑い声を漏らしながら、裏切り者の八枝葉が駆けてくる。
しかも後ろにラブリーダーリンこと、邪神の祭司様を連れて。
こんな都合のいい展開に一気に力が抜けて、美羽はへなへなと崩れ落ちた挙句、大きな岩に後頭部をガツンと打ち付けてしまった。




