美羽先生の熱血魔法スクール
大きな音を立てて飛んできたのは魔法の天幕で、セバスッチアーンにぶつかったかと思いきや、スイッチでも入ったのかみるみる縮んでいった。ポッケに入るサイズになった天幕を、魔物は苛立たしげに手で弾く。
突然の轟音に驚いて顔を上げると、そこには。
「ヴァルタル!」
いつの間にやってきたのか、真っ白い翼を大きく広げた超絶イケメン偽エルフが立っていた。
はじき返された天幕をキャッチし、美羽とユーリを抱えて一気に飛翔。狭い洞窟の中を、ぎゅんぎゅんと飛んで、逃げる。
真っ暗な狭い洞窟の中を猛スピードで進む、恐怖度マックスのアトラクション。
絶叫マシンはどちらかというと苦手な美羽は目を回しながら、でも、ヴァルタルが最高のタイミングで現れて救ってくれた事に安堵して涙を流していた。こんなにもいっぺんに、だあっと涙が出てくるなんていう経験は初めてで、目の辺りが酷く熱い。大粒の涙は風に乗って飛んでいく。そんな感覚の中、美羽は灰になってしまったベルアローを想った。
長い長い飛翔の時間を終えて、ようやく着陸。どっとのしかかってきた自分の重さに驚きつつ、美羽はよろけながらも立ち上がり、久しぶりに会えた仲間の手を取った。
「ヴァルタル、良かった、来てくれて!」
「おう、ミハネ、リーリエンデも無事で良かった……って言いたいところなんだがよ」
ようやく真正面から見られたエルフ男の下まつげはやっぱり長い。そして、表情は渋い。
「いっぱい追っかけてくるからな。ミハネ、隠れるところはなさそうだし、俺の後ろにいるんだ。絶対に前に出るんじゃないぞ」
いっぱいってなんだ、と美羽は愕然としてしまう。
颯爽と現れた勇者様にときめいていた心がぽっきりと折れて、唇はわなわなと震えだす。
「なんて顔してるんだよ、大丈夫だ、俺が来たんだから。まかせておけ」
ヴァルタルの逞しい腕が伸びてきて、美羽の頬に触れる。長い指が目を優しく撫で、涙を拭っていくなんていうイケメンにしか許されないアクションをさらりとやってのけてしまう。
「なあ、アレあるか? 前にユーリが捕まっちまった時、ミハネが家から持ち出してくれたあの茶色い、ちっちゃい食べ物」
「……チョコレートのこと?」
まずは服の袖で涙を拭いて、美羽は腰につけたポーチを探った。
セバスッチアーンに落とされた後に食べてしまったけれど、一つくらいは残っているかもしれない。ごそごそと探すと、指先に銀紙が触れる感触があった。
「一個しかないや」
「俺にくれないか。あの味、すごく力が出るから」
ひたすらにカッコよく微笑みを浮かべた翼エルフさんに逆らう術などあろうはずもない。美羽がチョコレートを一粒渡すと、ヴァルタルは嬉しそうに紙をはがして、それを口に放り込んだ。
「ああ、これだこれだ。あっという間に溶けちまって、勿体ないな」
まるで、最期を迎える前のような台詞だと美羽は思う。やめてほしい。カッコいいし、異文化交流は素敵なんだけれど、このやりとりはとても不吉だ。
口をとがらせて色々とこらえている美羽の顔がおかしいのか、ヴァルタルは「ははっ」と声をあげて笑った。
「決めたぜ。俺もウーナに頼んで、ミハネの住む世界に行ってやる。前にもらった透明の袋に入っていたパンも美味かった。ミハネの世界の食べ物はみんな、優しくてほっとする味で、すごく幸せな気分になれるからな」
まだ全然、食べ足りないぜ。
耳をぴょんぴょん揺らしながら、ヴァルタルは白い歯を見せつけるようにして笑った。そしてすぐに表情を引き締めると、美羽にこう問いかけた。
「リーリエンデはどうしたんだ? やられちまったのか」
「ううん、違うの。話すと長くなるんだけど」
リーリエンデはもう自分の体に戻り、ユーリの体には今、誰だかわからないガールズ軍団が入っている。
こんなややこしい話をしている暇はもちろん、ない。
「怪我してないんならいいさ。もうすぐやつらが来る。ミハネ、そいつを頼んだぞ」
まったく、他のヤツらはなにやってんだ?
やたらと大きな声でそう言うと、ヴァルタルはどこにしまっていたのか、長い棒を出して構えた。
その向こうから現れる影。
黄色と紫の憎いアンチクショウ。セバスッチアーンを先頭に、ぽつぽつと魔物達の姿が浮かんでくる。
いっぱい来るなんて聞いていない。
でも考えてみれば、当然だ。美羽たちは全員追われる身。そして追う魔物達は、期限内に成果をあげなければと必死なのだから。
ヴァルタルの光の武器は十一鋭にも効くのだろうか?
バラバラになっている間、どうしていたのだろう? 情報の共有が出来ていない。
美羽ははっとして、ヴァルタルの色男風下まつげを見つめた。だったら今、大事な情報だけは伝えておかなければならない。
「ヴァルタル、あのセバスッチアーンっていう魔物! 十一鋭は『アカシノフリコ』っていう部分が弱点なの。それを切ってしまえば、ぽっくり逝くんだって」
「セバスッチアーンってのは?」
「黄色と紫の変態っぽいヤツだよ。あの魔物は、二人に見えるけど本当は一人なの」
「どういうこった」
説明が難しい。美羽だって、ベルアローの説明が最初はまったくわからなかった。
どう伝えたものか、悩む。しかし、ヴァルタルは不敵な笑みを浮かべてこう言い放った。
「わかんねえが、とにかく切ればいいんだな」
たたんでいた翼を広げ、ヴァルタルは一歩足を踏み出す。
戦いだ。
美羽は手を合わせて、祈るしかない。
ヴァルタルの勝利を。そして、他の勇者さんがやって来てくれるように。
水色の長い三つ編みが風にあおられて跳ね上がる。
一斉に雄叫びをあげている魔物の群れめがけて、ヴァルタルは鞭を振り下ろしている。
狭くて薄暗い洞窟の中での戦い。
ヴァルタルが暴れている間は、美羽たちのところまで魔物はなかなか到達できなさそうではある。とはいえ、たった一人だ。フェルデェーロと呼んでいたあの光が効かなければ、ヴァルタルはあっという間に魔物の群れに呑み込まれてしまいそうである。そして彼が去ってからようやく気が付いたけれど、コンディションはかなり悪かったのではないかと美羽は思う。
チョコレート一粒でお腹が満たされるわけがない。みんなと、ユーリとはぐれて、ヴァルタルがのんきに「いつか見つかるさ」なんてのろのろしていたはずがないのだ。きっと必死になって仲間の姿を探していただろうし、どうしているかと案じていてくれただろう。
なにか自分にできることはないのか、美羽は戦いを見つめながら考えていた。
もしもヴァルタルがやられてしまった場合、逃げるべきなのか、共にいるべきなのか。
ユーリが目を覚ましてくれたら。もしくはあのガールズ軍団の中に役に立つ特技を持っている者がいれば、少しはマシなのかもしれない。踊り子と、村娘、神官がいるのはわかっている。それ以外にあと十人もいるのなら、なにかしら出来ることがあるのではないか。
「ユーリ、ユーリ」
ひっくり返ったままの少年の肩を揺さぶり、振り返っては戦況を見つめる。ヴァルタルが一人で全魔物をぶっ飛ばしてくれればそれが一番いいけれど、そんな都合のいい展開に期待しているだけでは危険すぎる。
「ユーリ」
少年の閉じた目、長くて柔らかいまつげを見つめながら、美羽はまた考える。
今、失神しているのは誰なのか? あのガールズ軍団の中の誰かがユーリの体を操っていて、その誰かが恐ろしさのあまり気を失ったのだとしたら? 他の人物に交替すれば、意識は目覚めるのか?
「どけ、どけえっ!」
「ふははは、やるな、翼のチョープよ!」
ヴァルタルの声が聞こえ、薄紫色の全身タイツの笑い声が続く。
二人風のセバスッチアーンだけではなく、ぼんやりとした光の塊のようななにかと、固い殻をもった昆虫風の魔物の姿も見えた。足を掴もうとする虫の足を、ヴァルタルは光の剣で薙ぎ払って切り落としたが、あぶなーい! そこに、セバスッチアーンの槍がー!
美羽の心配をよそに、ヴァルタルは軽やかにくるりと一回転して、敵の攻撃を華麗に避けた。
そういえばあの人は、「盗賊」扱いだったはずだ。召喚された当初見せてもらった「書」にはそう書かれていたと美羽は思い出し、やっぱり敏捷度とか回避力とか高いんだなあなんて感心して、はっと現実へと戻る。
「ねえ、起きて。起きないともっとヤバイことになっちゃうよ!」
なんとか人格を交替させる方法がないのだろうか? 美羽は思考を巡らせていく。こういう時こそ、焦っては駄目だ。落ち着いて考えて。あのガーリーたちを操る方法だとか、もしくはリセットしてユーリに戻す方法がないものか?
「あるじゃん!」
なんでこれに気が付かなかったのか、と心の中で自分自身をポカポカと殴りつつ、美羽はユーリの服の中に手を入れた。首に巻いた柔らかいスカーフの奥、指先で見つけた小さなゴツゴツ。ピンク色の首飾りを取って、どうしようか悩んだ挙句自分の首にかけてみる。
魔力がないと彼女たちは力を発揮できない。ならば、美羽の首にかけられている間は好き勝手できないはずだ。
とりあえず、誰かの声は聞こえてこない。
美羽は改めて、倒れたメイクアップ済み美少年の頬を叩いて呼びかける。
「ううん……」
「ユーリ、起きて、大変だから。ヴァルタルさんが一人で戦ってるの」
閉じた目がふるふると揺れる。そして、瞬き。
「ユーリ」
「ミ、ハネ様……」
唸り声はとにかく弱々しい。けれど、起きてくれた。これで一歩前進だ。
「ごめんね、先に確認させて。今、ユーリなの?」
「ええと……今といいますか、僕はずっと、ユーリなんですけれども」
リーリエンデの頃もあったし、今はガーリーたちの暴走により女装させられている。考えてみればここのところ体を乗っ取られまくっており、気の毒な美少年に心が痛む。
「良かった、ユーリなんだね。今、あっちでヴァルタルさんが戦ってるの。でも一人だし、敵はいっぱいいるみたいだしで、危ないかもしれない」
「えっ、どういう状況なんですか? ミハネ様と僕で逃げていて、それで、……そういえば休んでたはずですよね。あれ? あっ、えっ? なんで僕はこんな格好をしているんですか?」
めくれあがっているスカートの裾から、細い足が丸見えになっている。それをイヤンと抑えて、ユーリは顔を真っ赤に染めた。
「ごめんね、話すと長くなっちゃうからその辺は全部後でお願い。それよりも、今どうするか考えなきゃならないの。ユーリ、リーリエンデと連絡は取れる?」
もしもまだリーリエンデがブランデリン、レレメンドと一緒にいれば話は早いはずだ。
師匠はともかくとして、あの二人が来てくれたら完全に戦力は上がる。
リーリエンデはユーリのためなら一生懸命になれる男だから。ユーリの姉、優しくて可愛いルルーリにいいところを見せるためなら、頑張れるはずだから。
「ええと、ちょっとやってみます。僕はまだ修行中の身なので、うまくやれるかはわかりませんけれど」
無線通信は少年に任せて、美羽は偽エルフ対魔物達の戦闘の様子を窺う。
ドカドカとやりあっているのは確かなようだが、詳細はよくわからなかった。ヴァルタルの光の鞭は消えずにブンブンと振られているので、ほんの少しくらいは安心できる。けれど、魔物の数が減っているようには見えない。むしろ、見覚えのないグレーの岩の塊のようなヤツが増えている。
「リーリエンデ様……」
ブランデリンならば、リーリエンデを野放しにはしないと思う。
とはいえ、ポンコツ師匠も邪神の祭司も、チームワークなどあったものではない。二人がいっぺんに好き勝手しようとしたら、ブランデリンがそれを抑えられるだろうか? 不安がよぎり、美羽は唸る。
本当に、ヴァルタルが合流できて良かった。強風に飛ばされてしまった後、必死で戻ってきてくれたに違いない。優しい盗賊さん。翼の生えた水色ヘアーの偽エルフさん。
設定盛り過ぎの元囚人へ、美羽はエールを送る。頑張れヴァルタル、負けるなヴァルタル!
「駄目ですミハネ様、リーリエンデ様応答がありません」
まったく使えない師匠だなあ、この野郎!
と、毒づいてみたいが、ユーリの前ではさすがに出来ない。美羽はわかったと答えると、次の一手を探るためにもう一つの質問を口にした。
「ユーリはなにか、魔法、使えないかな?」
「魔法は無理です。僕はまだ、実践まではしたことがなくて」
「あのね、リーリエンデがユーリの体に入った時に言ってたの。魔力がすごく強いんだって。あと、別の女性神官も同じことを言ってたの。だからユーリ、出来るんじゃないかな。試してみようよ」
女性神官って誰やねん。ユーリは怪訝な表情を浮かべて美羽を見つめている。すべて教えてスッキリさせてあげたいが、時間がないから仕方ない。
「魔法の使い方は知ってるの? もう習った?」
「ええ、初歩の初歩は……一応、知っています。教本を読みましたから」
教本があるなら是非見せて!
このエキサイトはまるめて心の三角コーナーへ投げ入れておく。
「初歩の初歩ってなにができるの?」
「風を吹かせるんです」
「いいね、やってみて!」
大乱闘の様子をチラ見しつつ、美羽は熱血コーチへとクラスチェンジを果たす。
ユーリは自信なさげな様子で小さく呪文を呟きながら、手を左右へ振っている。
「風よ、切り裂け!」
ふわん。
美羽の頬を、優しい風がくすぐって、消える。
「できた!」
「うわ、すごい! 初めてです、僕!」
(なにやってるの、悠長すぎるわ!)
耳の奥に響いたその声に、美羽は「出やがったな、無責任軍団!」と怒りをぶつける。
(ごめんなさい、まだみんな上手くバランスをとれないの。体を借りるのは初めてだから切り替えも下手だし、それにあの男の子もまだ、体の貸与経験が少ないから)
そりゃそうでしょうよ、と美羽は大いに呆れてみせる。体の貸与だなんて、普通の人間はやらない。ユーリだって、魔術は習っていたとしてもそんなの専門外だろう。
(ごめんなさい。でもとにかく、初歩の魔術が使えるなら、いけるわ。風が使えるのなら、十一鋭には通じるはず)
そういえば、ベリベリアには魔法は通用しなかった。もしかしたら、十認魔には魔法は効かないのか。八枝葉は命を繋いだ一蓮托生であり、十一鋭には共通の弱点がある。
彼らは数字ごとに、なんらかの特性を持っているのかもしれない。美羽は一人でうんうんと頷き、ユーリは訝しげな顔でその様子を見つめている。
「ミハネ様?」
「あん? ユーリ、魔法使って! さっきの風をフルパワー、フルスピードで魔物にぶつけるんだよ!」
心の中との会話は、外には聞こえない。
説明なしのままではただの変質者寸前だが、この非常事態では少々のことには目を瞑らなければならないだろう。
「そんなの無理ですよ。さっきので精一杯です」
「集中して。大丈夫、ユーリは潜在魔力がすごいんだから。ほら、ウーナ王子を思い出して。ウーナ様は手を振っただけで魔法をバンバン出していたでしょ? 考えてみて、ウーナ王子ってまだ十七歳なんだよ。何歳から魔術師やってたかわからないけど、若くてもあそこまでやれるんだよ。だから、ユーリも出来るよ!」
勢いに任せて出てきた言葉は、とにもかくにも無責任だ。
要するに、「とにかくやれよ」ということだけ。
無茶苦茶だけれど、可能性は今、これしかないわけで。
「でも……」
「いいからとにかくやってみよ。あっちだよ、あっちを見て。ほら、魔物が増えてるでしょう。ヴァルタルさんが負けたら大変。風ってすごい勢いで飛ばせば、魔物の弱点部分を切れちゃうと思うんだ。すごい勢いで飛ばすんだよ。風の塊を作って、ビュンって飛ばす感じ。イメージして! ユーリ、あなたはすごい魔法使いで、鋭い風の刃を自由自在に飛ばせるの。それで、敵を倒すんだよ。絶対大丈夫。だって風を生み出すことはできたんだから。出来る! 出来る、出来る、出来るよ……!」
ユーリならやれる。頑張れ、頑張れ!
やんややんやと騒ぐ美羽に対し、ユーリは最高に不安そうな顔だ。
しかし、やれない! と放り出せる状況ではない。少年もそれを理解していて、そっと目を閉じると精神の集中をし始めた。
「風、はい……。風を、出します」
(ミハネ、私の言う通りに続けて)
心の中の声はすっかり穏やかだ。今話しているのは一体誰なのか、わからないが、知的な響きに美羽は思わず頷いて、口を開いた。
「万物の主、世界の創造者たる神の力の一端をここに集め、敵を切り裂く力とせん」
うーわ、カッコいい。美羽は思わずニヤニヤと笑ってしまう。
突然の台詞に戸惑いつつ、ユーリもその言葉をなぞって続ける。
「渦巻け、早く、轟け、風、幾重もの刃となり、神に仇なす魔を退けよ」
心の声を言われた通りに口に出しながら、美羽は目をくわっと見開いていた。
たった一人で戦ってきたヴァルタルが、セバスッチアーンの槍を避けたはいいが、そこに巨大な岩の塊が回転アタック! 吹っ飛ばされて、こちらへと飛んでくる。同時に、魔物達も動き出す。三人まとめて殺ったるわい! とばかりに殺伐オーラを満載にして、全員が一斉に突撃してくる。
その勢いの余りのすさまじさに、美羽は思わず叫んでしまった。
「撃てーっ!」
ヴァルタルの体が美羽たちの前に落ちたと同時。
ユーリが巨大な風のカッターを発射して、迫りくる魔物達をまっぷたつに切り裂いていた。