2 on 2 風 1 on 1
オバケボディが崩れて消えて、美羽を包んでいたねばねばが消える。体はさらさらの砂になってしまい、つまり、美羽の口の中も砂でいっぱいだ。
ごほごほぺっぺとそれを吐き出し、散々むせて、涙を浮かべながら美羽はようやく立ち上がる。
正直、まだ砂まみれだけれど。口の中がじゃりじゃりするけれど、それよりもベルアローが無事でよかった。顔をあげればそこに、驚きに満ちた葉っぱの魔物が待っている。
「ミハネさん」
すごいッス、まさかッス。ミハネさんが十一鋭の一人を、倒してしまうなんて――。
ベルアローはきっとこう言うに違いない。葉っぱを揺らして楽しげに。でも心のうちでは、仲間をすべて失ったことに痛みを感じつつ。
無我夢中でやっただけ。
どうしたって、ベルアローを助けたかったから。
決死の戦いの後の、二人の会話が猛スピードでシミュレートされていく。頭の中で最高にカッコイイ台詞の選定が済んで、美羽はよろよろと立ち上がる。
感動の再会だ。囚われていた「魔王を裏切った魔物」と、抱き合って喜びあう。そのつもりだったのに。
「ミハネさん、……逃げて下さい……」
ベルアローの表情は悲しげに歪んで、頭のてっぺんからバサバサと葉っぱが落ちていく。
緑色の葉が、まるで桜の花のように一斉に散って落ちていく。
「驚いたな、ネーゲが倒されるとは」
「ふふふ、奴は十一鋭の中でも最強! なのに、まさか、倒されてしまうだなんて」
はらはらと葉っぱが散って、ベルアローの本体が縮んでいって、見えてきた新しい「敵」。
ベルアローの背後に、キメキメのポーズで立っている人影は二人。でも、実は一人。
「セバスッチアーン……っ!」
ぺっぺと砂を吐きながら、美羽は唸った。
セバスッチアーンの手には堂々と長い槍が握られている。マッチョでセクシーボイスの黄色い方が、槍をベルアローの背中に突き刺したようだ。
陽気な魔物はもう跡形もなく散り切って、ゆっくりと灰に変わっていく真っ最中だった。言葉もなく、姿もない。
助けられたと思ったのに。
でも、哀しみに浸っている場合じゃない。
「さすが、要警戒人物だな。ただの小娘かと思いきや、ネーゲを倒すとは」
「あの時落として正解だったわね」
セバスッチアーンはお互いに見つめ合って、いや、二人に見えるだけで実際には一人であり、互いにという表現はおかしいのだがとにかく、目と目を合わせてうふふと笑った。
社交ダンスでも始めそうな全身タイツの男女を、美羽はじっと見つめる。
彼らにも、尻尾がある。あれが証の振子なのではないか。ネーゲ同様、カッターで切ればまた、勝てるのではないか。
しかし尻尾らしきものを辿ってみると、黄色と紫、それぞれのお尻に繋がっていた。尻尾というよりは、ペアの手袋を繋ぐひものようなものというべき代物だ。
口の端からよだれが垂れていく。
魔物の残した灰を口からゆるゆると出し、額には汗をじっとりと浮かべて、美羽は必死になって心を動かしていく。
辺りは暗い。そして寒い。八枝葉とネーゲの灰がさらさらと崩れていくその光景がたまらなく、怖い。
「どんな技を使うのか? もう少し早く辿り着いていれば、はっきりと見られたのにな」
「そうね、うふふ。ネーゲがやられるわけがないなんて、油断してしまっていたわね」
マッスルなタフガイが妖艶な声で笑い、ダンディボイスの美女の頭を撫でる。
音声だけなら。もしくは、字幕で放送してくれれば、問題は全身タイツだけで済むのに。
美羽は自分のこんな思考に慌てて顔をブンブンと振った。見た目や声がいいなんて、今はかなりどうでもいい。命の危機、人生のクライシス! なんとか切り抜けなければここでジ・エンドなんだから。
そうだ、そういえば味方が一人いたんだった。
我に返って美羽が後ろを振り返ると、ガーリーぎゅう詰めユーリは白目をむいてひっくり返っている。
「ちょっと! 頼りないにもほどがあるでしょう!」
駆け寄って即座に頬をぺちぺちするも、あわわわ以外の返事はない。
「偉そうに色々言ってたくせにぃ!」
せっかく可愛い衣装にメイクまでしたのに、それも台無しだ。
「ユーリ、ユーリィ!」
じゃあせめて本体が起きてくれ! こんな美羽の願いは、残念ながら叶わない。
「お主の相手はこちらだ、ロギン。十一鋭の中で最も美しく、最も容赦なく、最も抜け目のない我が名はセバスッチアーン!」
「あらいやだ、そういえば知っていたわね」
セバスッチアーンはゆらりと動く。
二人で手をつなぎ、まるで組体操のような動きでポーズを決めていく。はいっ、はいっと声をあげて、次々と美羽にむけて披露してきて、ビシっと決まってはいるがやっぱり美形な男女の全身タイツ姿という滑稽さは拭えない。
カッコ悪い。こんな敵にやられて死ぬなんて、絶対嫌だ!
美羽の手には武器がある。地球、しかもメイドインジャパンのカッターだ。新品で切れ味は申し分なし。これで「証の振子」を狙うしかない。十一鋭が一発でコロリと逝く弱点を、切ってしまう以外に勝利の道はない。
二人きりで「扇」のポーズをして笑うセバスッチアーンを見つめる。
何やってんのというツッコミは心の隅に追いやって、振子を探さなければならない。あの尻尾の他にそれらしき物はないのか。ネーゲは、体の中に隠していた。そう、一撃即死の弱点なんだから、外から丸見えにするだろうか?
見た目は間抜け極まりないセバスッチアーンだが、絶対に弱くないはずだ。
ブランデリンの剣を避け、ヴァルタルの鞭をかわした。ウーナ王子の魔法だって華麗によけていた。身体能力に一切の自信がない美羽はどう動くべきか?
心の中の妄想には、華麗な動きで攻撃をかわした挙げ句セバスッチアーンの背後をとってニヤリと微笑む美羽が映し出されているが、実際にやるとなると無理だ。
じゃあ、発想を逆転させて、鈍くささを生かした作戦を立てるとしたらどうだろう?
ごめんなさい、無理です。投降するフリからの馬鹿めー! どうだ、いけるか?
ミハネ国の国民投票は即座に開票され、「百パー無理」の太鼓判が押されてしまう。だって、鈍くさいのだから。相手は一人だが、体は二つある。片方が動いている間もう一方は動けない、とかそんなダサい設定ではなく、どちらも機敏、シャキシャキとしている。一対二と考えていい状況なわけで、よっぽど大きな隙でも作れば話は別だが――。ならば、隙を作ればいい。うん、でもどうやって?
思考が行き詰る。
組体操をしているこの間だけが、美羽に残された作戦タイムなのに。
ユーリに目をやるが、いまだに白目をむいたまま動かない。
「どうした、かかってこないならこちらから行くぞ」
グラマラスな美女が妖艶な笑みをたたえながら、バリトンボイスで囁く。
「いや、ちょっと待ってほしいかなー、なんて」
敵を見ないまま、美羽は呟く。どうしよう。ピンチに次ぐピンチ。絶体絶命。走馬灯がまた回り始める。楽しい異世界召喚の記憶が脳裏をギュンギュンと行き交い、浮かぶのは素敵な勇者さんたちの雄姿の数々。
「ウーナ王子」
あんなに好き好き言ってたのに、捕まっているなんて。
「レレメンドさん」
勝手に妻にしておいて、探しにも来てくれないなんて。
「ブランデリンさん」
騎士なのに、いざという時に守ってくれないなんて。
呼び声は洞窟に張り巡らされた闇に呑み込まれ、消えるだけ。
「さあ、見せてちょうだいあなたの実力を!」
マッチョボディのナイスガイが白い歯をキラリと輝かせながら叫ぶ。
待って待って! 準備が出来てない。いや、準備なんてしていない。体も心も汗ばんでいるけど、それはウォーミングアップの結果ではなくて、ただ冷や汗をかいているだけだ。
もちろん、美羽の思いは通じない。
二人分の雄叫びが聞こえてきて、美羽はあわあわとした挙句、コケる。そのおかげで伸びてきた槍が仕留めたのは、マントの裾だけで済んだ。
「ユーリ、ユーリ!」
これはヤバイ。絶対死ぬ。
逃げ出したいけれど、転んだすぐ隣には気絶している美少年がいて。
置いていけば彼の命はきっとない。捕える気なら槍でいきなり突いてこないだろう。自称「最も容赦なく、最も油断しない十一鋭」なのだから、この場で殺されなかったとしても、余裕で再起不能になるくらいボッコボコにされてしまうに違いない。
「起きて、お願い、ユーリ!」
「どうしたの、あなたの実力を見せてって言っているのに」
「無理、無理! 戦いとか無理だもん!」
背後に迫ってきた敵の気配に慌てて振り返り、美羽は両手を前に突き出して叫んだ。
「無理? ではどうやってネーゲを倒したのかしら?」
「それは……」
全身が震えている。眼前に全身タイツの二人が迫っている。
生唾を飲み込むってこういう事か、と美羽は思った。飲み込んだ唾がやたらと大きな音を立てて喉を通っていく。
なんと答えるべきなのか。真実を伝えて、いいのかどうか? 信じてもらえるのか?
レレメンドの冷たい瞳を思い出して、美羽は小さく唸った。あらゆる未来の顛末が、その先に繋がっている細い細い運命の糸が見えたならどんなにいいだろう?
どうすれば自分が、仲間達全員が助かるのか。
わかるのならば教えてほしい。
「どうやって倒した」
美女のセクシーボディがずん、と美羽の前に立ちふさがる。
なんと豊かな二つのハーモニー。美羽のささやかな盛り上がりとは、正直いって比べ物にならない。
酷い敗北感にうちのめされて、美羽はゆっくりと口を開いていく。
「それは……」
「それは?」
「ベルアローが、教えてくれたから。十一鋭の弱点は、アカシノフリコなんだって……」
だからそれを、ネーゲの体の中で見えた「それと思われるヒモ」を切っただけ。美羽が震えながら答えると、セバスッチアーンは揃って顔をぐにゃりと歪めた。
「どこに武器を隠し持っている?」
再び迫る槍。逆らえばすぐに串刺しだ。相手は二人もいるし、動けない仲間もいる。圧倒的不利な状況であり、ここで「お前らに話すことなどないわ!」と唾を吐くだとかそんなかっこよさげなアクションは間違いなく取れないわけで。
「これ、です」
腰のポーチからカッターを取り出してぽいと投げ、美羽は両手をあげてみせた。
「刃のしまわれたカッター」には武器らしい様子がなく、十一鋭は苛立たしげに眉をひそめている。
「なんだこれは」
「刃が出てきて、切れるようになるもので」
「やってみせろ」
顎でくいっと指示をされて、美羽はおそるおそるカッターを拾った。
様子を窺いつつ、セバスッチアーンの前で刃を出していく。
「こいつ、シューママではないな?」
「チョープでもなさそうだけれど」
「いや、チョープなのだ。こんな奇妙なナイフを持っているなんて……」
紫と黄色の美男美女はお互いを見つめて、目の前でガクブルする少女の正体について話し合っている。
こんな緊迫した状況の中美羽は、これってひとりごとなんだよなあ、なんていう現実逃避の中に浸っている。
「答えろ、お前はどこから来た?」
「地球からですぅ」
質問のたびにいちいち槍を突きつけないでほしい。あと一センチもないところでギラギラさせられては、落ち着かず、美羽はついつい即答してしまう。
そして答えた瞬間、「チョープ」の意味がわかった。異世界から来た者が「チョープ」で、もう一つの謎単語「シューママ」はこの世界の人間を指すに違いない。
リーリエンデらしき「弱い誰か」はシューママと呼ばれていたし、異世界の特別な力はわかるが、美羽については力が無さ過ぎて感知できないとベルアローが教えてくれた。魔物達の発言と照らし合わせると、こう考えるのが妥当ではないか。
セバスッチアーンの顔から表情が消える。
そんな間抜けな姿で、シリアスな顔なんてしないでほしい。
だってどう見ても、「それなら今すぐ始末してやらねばな」的なオーラが出始めて、美羽を完全に包み込もうとしている。
歯がかちかちとやかましく鳴り始め、大きく震えだした美羽にセバスッチアーンはにやりと笑みを浮かべた。
黄色いマッチョボディが腕を振り上げる。
その手には、ベルアローを貫いた槍が握られている。
終わりだ。
もう何の声も聞こえない。
この無茶苦茶な旅が始まってから何度目かの絶望。
さっきもう見たでしょ、と走馬灯も職務を放棄したらしい。
真っ暗だ。洞窟の中は薄暗くて、そもそもよく見えなかったけれど。
セバスッチアーンが一歩前に出てきて、美羽の上に更に濃い影を落としていく。
これでおしまい。打つ手なし。あわあわと地面の上に這わせた手が、ユーリに触れる。
反応はない。あのガーリーたちは本当に役立たずで、頼るんじゃなかったという後悔がちらりと浮かぶ。
でもそれも、意味はない。終わるんだから。せめてもの救いは「一人じゃなかった」ことだけだ。触れたユーリの指先を握る。
ああ、いやだ。妄想の中で大勢の「終わり」を考え、見送ってきたけれど。自分がそうなった時に応用できるものなんて何ひとつない。ようやくわかったこの世の真実。でも、それにも意味はない。だって、「終わるんだから」。
セバスッチアーンは何も言わない。
それが恐ろしくて、美羽は思わず頭を抱えて地面にうずくまる。
そして空気が動いた。
目の前の二人が、息を吸う音が小さく響く。
「死ねぇ」、か。それとも「終わりだ!」か。
震えながら「その時」を待つ美羽の背後から、突然巨大な白いものが飛んできて敵を包み込んだ。




