暗闇の坂の先でみたBAD DREAM
ユーリの小さい体を抱え、支えながら美羽は歩く。
早く戻って、仲間と合流しなければ。気持ちははやる。でも、足はふらついてしまう。ユーリは小さいけれど、幼児というワケではない。背だって美羽の肩よりも少し高いくらいで、手足は細いけれど決して軽くはない。それに、美羽自身も相当に疲れてしまっている。ふとした隙間に眠気がごうっと、一気に襲い掛かってきて意識は遠のき、それを振り払おうとすれば足がもつれる。一緒になってよろけて、二人は壁にもたれかかって息をつく。
「ごめん」
「ミハネ様、僕を置いて行って下さい。先に行って、誰か連れて戻ってきてくれれば」
「そんなの駄目だよ」
ベリベリアに襲われた時どれだけ心配だったか。
それに今、ただでさえみんなはぐれてしまっているのに、これ以上バラバラになるなんて。
「ユーリを置いていくなんて、死んでもごめんだからね」
「でも、もしも追手が来たら、二人とも命を落とすかもしれません」
ユーリはからからに乾いた唇で、こう呟く。
僕たちの世界のために、ミハネ様が命を落とすなんて許されないことです、と。
深刻な表情をつくる少年に向けて、美羽はにっこりと笑ってみせた。
「リーリエンデがユーリみたいにしっかりしてたら、こんなことにはならなかったのにね!」
全体的にポンコツ師匠のせいにして、小さな手を強く握りしめる。
「一緒に行くよ。誰が欠けても魔王は倒せないんだから。ユーリも私も、誰も欠けちゃいけないの」
辺りは薄暗く、どこかに何かが潜んでいてもちっともおかしくない状況だ。
このクタクタの体で、どこまで行けるだろう。レレメンドもブランデリンも、探しに来てくれたりしないんだろうか?
美羽がいないことくらい、気が付いているはずだ。二人、いや、ベルアローもいれて三人が、気付かずに「まだ晴れないねえ」と談笑したり、揃って寝こけたりはしないだろう、と思う。
もしかしたら、すぐそばまで来てくれているかもしれない。
小さな希望をエネルギーに変えて、美羽は立ち上がる。
ベルアローの実のおかげで、自分はまだ大丈夫。でも、ユーリがちゃんとご飯を食べていたとは思えない。補給が必要だ。でも、のんびりしている場合じゃあない。
せめてもう少しだけ、安全だと思える場所へ辿り着きたい。
散々考えて、やっぱり食事は後にしなきゃという結論が出る。でも、さすがに水分は摂っておいた方がいいだろう。
「ユーリ、せめて水だけでも飲んでおこう」
魔法のカバンはやっぱり便利だ。
ユーリはこくんと頷いて、魔法のカバンの中に手を入れている。しかし。
「うわっ!」
突然の悲鳴に、美羽は焦って、思わずファイティングポーズをして構えた。
「どうしたの!」
少年のくりくりの目はいつもよりも大きく見開かれている。でもそれはすぐに収まって、可愛い顔には優しい笑みが浮かんでいく。
「……いえ、大丈夫です。大丈夫」
袋を取り出したその手にもう一つ、掴んでいるものがある。
「なあに、それ?」
「誰かが僕の手に触れたんです。びっくりしましたけど、すぐにわかりました。あれは姉さんの手でした」
水を飲むユーリの隣で、美羽は思いを馳せている。
あの魔法のカバンで繋がった部屋の先に、誰かがいたら? どのような光景を目の当たりにするんだろう。やっぱり、何もない空間から手がにょっきりと出てきて、そこらじゅうを探っていく、とか。
そいつはとんだホラーだな、と美羽は思う。是非見たいが、今はどう考えても無理であり、やれるとしたら魔王を倒した後になるだろう。
待ってやがれクソ魔王、と闘志を燃やす美羽の横では、ユーリがくちびるを噛んで涙を堪えている。
「あれ、どうしたの」
少年の手には広げられた一枚の紙があって、どうやら手紙を読んでいたらしい。
のぞきこんでも、この世界の文字はくねくねしていてさっぱりわからない。会話は自動翻訳されるが、文字に関してはその効果は及ばないようだ。
「エステリア様からです。みんな、無事で戻って来いと書かれています」
「そっか。リーリエンデはあんなだし、私も頂いた水晶玉が割れちゃったんだよね」
「そうだったのですね。皆さんの安否がわからなくて心配だ、城から無事を祈っています、と書かれていますよ」
やっぱりなあ、と美羽はしみじみと噛みしめる。
やっぱり、エステリアはホンモノの純白プリンセスであった、と。見た目の麗しさだけではなく、心まで澄み切った美しい女性だったんや……。これまでに出会った中で、ダントツのナンバーワンやでえ、とニセ関西弁で唸ってしまう。
「リーリエンデって悲観的だから、もう無理とか報告してそう」
こうしちゃいられない。もう少し頑張ろうとユーリを励まして、美羽は再び歩き出していた。
道は緩やかな上り坂。
まっすぐまっすぐに進んでいく。
だって、「一本道をひたすらに降りてきたはず」だから。
ところが、行けども行けどもあの「洞窟の入り口」には辿り着かなかった。
どれだけ進んでも似たような岩肌が続くばかりで、会いたい仲間達の姿はカケラもない。時折ブランデリンやレレメンド、おまけにリーリエンデの名を呼んでも返事はなかった。
「おかしいな」
とうとう、不安が口をついて出て来てしまう。
ユーリの泥で汚れた顔が、みるみる曇っていく。
「ねえ、一本道だったよね……?」
これは心の中で騒いでいたガーリー軍団に向けたものだったが、返事はなかった。
そういえばあんなにやかましかったのに、ユーリと出会って以降、彼女たちのトークはまるで聞こえてこない。
「まさかもう成仏したとか?」
「何の話ですか、ミハネ様」
なんでもないよと答えつつ、美羽はそっと顎をさすった。
食料はいつでも出せるので問題ない。食料問題で苦しむのは、ブランデリンとリーリエンデ。そして今は一人でいるであろうヴァルタルだ。
戦闘力で考えるとまったく逆で、勇者さんたちはそれぞれ得意な戦い方があるのだから多分、大丈夫だろうと思える。美羽とユーリは敵が現れた場合、相当に危ない。
「ベリベリア扱いしてもらえるなら大丈夫だよね」
胸から下がった首飾りをちょいとつまんで、ふらふらと揺らす。けれど、かしましい娘たちの魂はうんともすんとも言わなかった。
「どうしようか、ちょっと休んだ方がいい? 魔法の天幕はあるんだよね」
「ありますけど、休むのはブランデリン様たちと合流してからの方がいいのではないですか?」
道に迷ったんだ、と美羽は言い出せない。
これ以上不安をあおりたくはないし、道に迷ったとは限らない。「まだ行き着いていないだけ」かもしれないのだ。上りだから、一度下っただけのなれない道だから、そのせいでとても長く感じているだけで、実際にはそこまで時間は経っていないかもしれない。
重たい瞼を擦りつつ、美羽は小さく唸る。
足が止まって、地面から「不安」が次々と湧き出して登ってくる。痛みをますばかりの足の裏から、ふくらはぎを通って、ひざの裏をくすぐるようにして這い登ってくる。
「あの魔法の天幕、力の弱い敵なら入れないんだよね?」
「はい、ある程度は」
ユーリの目はしょぼしょぼとしていて、元気や活力の類は感じられない。
美羽もへとへとだ。あるのは水だけ。睡眠不足、腹ペコ、魔物だらけという不安で、体も心もボロ雑巾になる寸前だった。
「休もう。じゃないと、その辺で倒れちゃったら最悪だもん。私はベリベリア扱いだし、ユーリは追手がかかってないはずだし、天幕の中の方がむしろ安全かもしれないよ」
ブランデリンかべルアローがリーリエンデを急かして、ユーリを探すよう指示を出しているかもしれない。いや、是非そうであってほしい。
お城にいたルルーリが、手の主がユーリだと気が付いたのなら、少なくとも「ユーリは無事だ」という情報があのポンコツ師匠に伝わるかもしれない。
美羽は身を小さく縮めて、ぶるぶるっと体を震わせた。
悪い予感や嫌な予想は全部まとめてえいっと投げ出し、なるべく明るい希望ばかりを集めて積み上げていく。
「天幕があれば目印になるかも。ヴァルタルは暗いところでもよく見えるから、追いかけてきてくれた時にすぐにわかるでしょう」
勇者さんたちはそれぞれみんな、魔物の追手がかかっている。自分たちのアイデンティティのために必死になっているけれど、それでも彼らは、各々の道では「最強」の人達なんだから。
「いざって時に走れなかったら、確実に足手まといになっちゃうから、だから今は休もう。私も限界なんだ」
「ミハネ様……、わかりました」
十万歳なんて言われているけれども、実際にはただの高校一年生の女子でしかない。
異世界生活七日目にして訪れた最大の危機に、美羽の心は珍しく、乙女らしく揺れている。
洞窟の中は薄暗くて、狭い。なので天幕を出してみたら、天井までみっちり、通路も完全にふさいでしまった。これはまずいかな、という思いもある。でも、体力が尽きてその辺で転がってしまうよりはずっとマシだろう。三賢者あたりの力では入れそうにないという特典もあるし。
とにかく、少しでも回復しなければ。美羽が決意して言うと、ユーリも少し微笑んで頷いた。
「休み過ぎないように、音が出るようにセットしてるから」
魔法の天幕の中にセットでしまっておいてもらった目覚まし時計を動かして、美羽はベッドの上に横たわる。自分がそうしなければ、ユーリも休めないはずだ。そう思って、ふてぶてしくベッドの上に身をどーんと投げ出して、やれやれなんて呟いてみる。
「しっかり休んで、起きたら軽く食べよ。着替えもして、それでまた出かけるからね」
「わかりました」
「ねえユーリ」
すぐ隣のベッドの上にこてんと倒れて、可愛い少年は「なんですか?」と呟いた。
「もしも敵がやってきたら、抵抗しちゃ駄目だよ。なるべく生け捕りにするって言ってたから。生きていれば必ずチャンスがあるはずだから、もしもの時はとにかく、生き延びることだけ考えて」
敵のテリトリの中で眠るなんて、とんでもない賭けだ。
本当はネガティブな発言はしたくない。けれど、何も考えないで能天気に休むことも出来なかった。
でも、言葉に出して初めてわかることもある。希望の光を見つけて、美羽はパンと手を叩いた。
「そっか。逆に、魔物に捕まったらウーナ様とは合流できるね。殿下の魔法があったらなんとかできるかもしれない。やっぱり、自分を置いて逃げてとか、そういう湿っぽいアレはなしでいこう。ね、ユーリ」
いつも通りのミハネスマイルが輝く。まだ固かったユーリの表情も、一気に緩んでいく。
「わかりました。僕は皆さんと、ミハネ様と一緒に行きます。最後まで、必ず」
「うん、一緒だよ」
手を伸ばして、指先を触れ合わせる。
不安な中でそっと誓い合って、二人は手を戻した。
こんなにも不安定な状況で、心配だらけなのに。そんなのはおかまいなしと言わんばかりに、あっという間に睡魔が現れて二人を攫って行く。
美羽の頭の中では、ぐるぐると、夢がすごい勢いで流れていった。
ウーナ王子とロイヤルウエディング。
していたはずが、扉を開ければそこは我が家。隣の家の幼馴染、エステリアと一緒にセーラー服を着て、揃って食パンをかじりながら十字路でブランデリン先輩とぶつかって。
一時間目は体育で、レレメンド先生の指導のもと剣道部で汗を流す。次の時間は試験があるのについつい剣道に夢中になってしまって、教室に急いで戻ると学級委員のリーリエンデ君がぷりぷりと怒っていた。君のせいで試験の開始が三時間も遅れたんだよ! と。
「ごめんなさい、ごめんなさあい」
ベッドの上で寝ぼけてイヤイヤする美羽を、優しい声が呼ぶ。
美羽、美羽。
「おかあさん」
ちょっと気の弱い父と、見た目も性格もイケイケの強い母。傍から見れば「カカア天下」丸出しの奥山夫妻だが、娘の美羽は知っている。母は父にメロメロなのだ。何を言われても優しくにこにこ笑っている父が好きで好きでたまらないということを知っている。
ママじいじも同じだ。優しくて、いつもにこにこしている。娘は父親に似た人を選ぶなんて話があるけれど、本当なんだなと美羽はいつも思わされている。
「美羽、起きなさい」
それなら、美羽も父のような人を選ぶのだろうか。口数は少ないけれど、優しくて、働き者で、どんな時もにこにこと微笑んでいるような静かな人を。
「ミハネ」
目の前に差し出された細長い、白い指。
金色の細い髪をさらさらと揺らすウーナ王子は、ちっとも父には似ていない。怒りっぽくて、すぐに炎を人にぶつけてしまう。この世のものとも思えない、美しい姿をしているけれど。
「ミハネ!」
薄い水色のロング三つ編みに下まつげ猛烈アピール系偽エルフ、翼付き。盛り過ぎだよ、ヴァルタル。それにあなたはどっちかというと、お母さんみたいだし。
「ミハネ殿」
力強い腕は、訳あり泣き虫騎士様のものだ。顔はカッコいいし、誠実そう。だけど、ちょっと頼りない。この試練を乗り越えられれば、なにかが変わったりするのだろうか。
「我が巫女よ」
レレメンドさんは御免こうむりたい。見た目も能力も素敵だけれど、あなたの望みは「世界の終焉」だから。
夢とロマンに満ちあふれた異世界召喚をされて、こんなに素晴らしい出会いがあって、でも破壊神が復活して終わってしまったら。
そんなの、あんまりにも勿体ない。
ウーナ王子の輝く瞳も、ヴァルタルの出す光の弓矢も、ブランデリンが腰にさげた鋭い剣も。
まだまだ足りない。もっと見たい。いっしょに進みたい。この世界を、救いたい。
(ミハネ、起きて!)
耳元で怒鳴られ、美羽はベッドの上で飛び起きていた。
「誰?」
(ロザーリエよ。外に、誰かいる)
「夢か……」
美羽の頭はまだ夢うつつの状態だ。ぼんやりと瞬きを繰り返しつつ、何故勇者さんたちがみんなこの場にいないのか、理由がわからない。
(寝ぼけているのね。ミハネ、よく聞いて。首飾りをあの男の子にかけるのよ)
何を言われているのか、まだわからない。
ぽけっとしたまま、美羽は魔法の天幕の中、天井につるされたランプを見つめている。
(私たちは首飾りをしている人の持つ魔力を使って話しかけているの。ミハネ、あなたにはほとんど力がない。魔力とは別の不思議な力を借りて、話しかけているのよ。またすぐに力は尽きてしまう。体力を随分消耗しているようだから……)
魔力がない。その言葉にはっきりとガッカリして、美羽はようやく目覚めた。
「魔力とは別の力?」
(今はいいわ、その正体は私たちにはわからない。とにかく、このままでは充分に力を貸してあげられないの)
それはきっと、「妄想力」に違いない。こくこくと急いで頷き、美羽は首飾りに手をかける。
(あの男の子の首にかけて)
「ユーリに?」
(そう。あの子には力がたくさんあるから。少しくらいなら戦えるようになる。私たちは全部で十三人。それぞれに得意な技があるの。魔力がある体なら、あなたたちを手伝えるようになるから)
「それ、リーリエンデも言ってた」
ユーリの潜在魔力はすごいと、体が入れ替わった後に確かに言っていた。
(とにかくミハネ、早く。外に、すぐそこに何かがいます)
「うぇっ」
途端に漂う緊張感。
首飾りをそっと外して、そろりそろりとユーリのそばへと向かう。
「あれ」
でも、これを外した美羽はどうなる?
「どうしても、ユーリにかけないと駄目?」
ぼそりと呟く無力な女子高校生に、外から呼びかける声が届く。
「ミハネさん……」
それは、ベルアローの声だった。
やっぱり来てくれた。
地面からいきなりニョキっと生えてきたり、穴に落ちてきた時にもついて来ていた。肉体にとらわれない移動が出来るんじゃないかと、美羽は内心思っていたのだ。
首飾りを素早く取って、まだ眠っているユーリの頭の上にそっと置いて。
天幕の出口を勢いよくめくると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
「ミハネさん、逃げて下さい!」
薄暗い洞窟の中、天幕の前には大小さまざまな魔物がずらりと並んでいる。
形状も大きさも様々なのでこう表現するのはおかしいかもしれないが、その全員が「跪いた状態」で一列に並べられているのだ。
「黙れ、裏切り者」
叫んだベルアローをびしりと鞭で叩いたのは、美羽の手を引いて歩いたおじいちゃんオバケで間違いない。
「生意気なロギン、よくも騙くらかしてくれおったな!」
ちょっとちょっと、と美羽は慌てる。
さっきまでよぼよぼのおじいちゃんのようなしゃべりだったのに、話が違うじゃないのと。
そして、一列に並べられた魔物の数が「八」だと気が付いて、美羽は全身の毛穴から大量に汗をかきはじめていた。
この嫌な予感は一体なんなのか。
美羽の足は動かない。体が石化してしまったかのように、指の先すら動かせない。
オバケは輪郭を赤く輝かせながら、二回りほどサイズを大きく膨らませていく。
その様子は、いかにも「本気モードになりました」的であり、この嫌な予感は的中した。すっかりおじいちゃんぽさを失ったオバケはゆらゆらと揺れながら、美羽にこんな宣言をかましてくる。
「ロギン、光栄に思うがいい。『十一鋭』のネーゲが、貴様を直々に成敗してくれようぞ」