深夜のガーリー強行軍
体がぶるぶると震えている。
怖いし、我慢もそろそろ限界だし。まるでコントのような自分の状況に、美羽はへらへらと笑ってしまう。
振り返った先に居たのは、輪郭だけを青緑色に輝かせている「オバケ」丸出しの誰かだ。体のラインは人間に近い。顔も、ぼんやりうっすらと浮いている。でも、目は三つだし、口はないし、鼻はなんだかよくわからない。とにかく怖い。
「誰だ……?」
ゆらーりと近づいてくるオバケに、美羽はビビる。動けない。高校生にもなってやらかしたくない大失敗を我慢するだけで精一杯。
「返事をしないか」
ふらーり、ふんわーり。ほんのり左右に揺れながら近づいてくる。
どうしたらいいのか。
気が付いて、レレメンドさん!
心で愛しの旦那様を呼ぶが、洞窟の入り口方面からする音はない。ベルアローはぐっすり眠っているのだろうか。あのポンコツ師匠の下敷きになって、スヤスヤぐっすり惰眠を貪っているというのか!
「うっふふん、アタクシでござあですわよ」
うーわぉ! と美羽は心の中で叫ぶ。
体が勝手に動いて、こんなおかしな台詞を口走ったからだ。
「ああー、もしや……」
「ベリベリアでやんすの」
美羽の中から飛び出してきたこんな大嘘に、オバケは何故かうんうんと頷いている。
「そうかそうか。お前さんはもっと、樹木っぽい感じかと思っていたのだがなあ。イメチェンしたのか?」
「うっふふん、憧れのガーリーになったんですの。おほっほ、おほっほ!」
キテレツなしゃべりをする美羽に、オバケはまた、そうかそうかと答えた。
どうやら、信じたらしい。
焦るあまり正常に動いていなかった脳が働き出して、美羽ははたと気が付いた。
この怪現象が起きた理由だ。そう、先程のリーリエンデ登場時に出てきたくっさい汚い枯草の束。レレメンドがあれを取り出した時に一緒にゲットしていた首飾り――。
(そうよ、よくわかったわねミハネ)
おりこうおりこう! 美羽の内側から、謎の声が響いてくる。若い女性の声だが、聞き覚えはない。
(私はニーレよ。昔々、魔王が最初に現れた時にベリベリアに捕えられたの)
(ちょっと、何一番にアンタが挨拶してんのよ。普通に考えたら私が先でしょう?)
(ずるいずるい! チュミもミハネに挨拶したいの!)
「うるさっ!」
「どうした、ベリベリア。もう時間が少ないぞ、早く行かにゃあ、儂もお前さんも更新されてしまう」
頭の中で突然大騒ぎしだした団体さんと、目の前のお爺ちゃんめいたオバケ、どちらから先に応対したらよいのか。美羽は悩みかけたものの、やっぱりこれから済まさなきゃとこう叫んだ。
「ちょっとまって欲しいのですわぁ! ちょっと、ちょっとだけ! すぐに済ませますのでわあああああ!」
オバケは何を気にし、何をスルーしてくれるのか。わからなかったが、不審に思われてもやむなし! 美羽はまずは岩の影に飛び込んで、「乙女最大の危機」を無事に乗り越えた。
(良かったわねー、ミハネ。間に合って!)
確かにそうだが、まったくもって状況は改善されていない。
岩陰の向こうからオバケが急かしてきて、結局美羽は謎の魔物と一緒に洞窟の奥へ奥へと進んでしまっている。ブランデリンやレレメンドが気が付いてくれているのか、ベルアローが位置をわかってくれるか、そして「偽ベリベリア」の振りはどこまで通用するのか。全部がわからないまま、魔物に手を引かれて進んでいるなんて。
(せっかくのアタシたちのカッコいい登場シーンが台無しじゃないの)
(そんなコトないわ。おもらししちゃった方が最悪だったと思う~)
ところで脳内の女子たちは一体何人いるのか。彼女らは自分が自分が! と一斉に喋り出すので、どういう事情があって何がどうなったのか、これまた何もかもがわからない。
(アタシたちはベリベリアに捕まったガーリーなのよぅ)
それはなんとなく、わかる。そして多分、あの綺麗なピンク色のネックレスに閉じ込められたとか、そんな風なのではないかと美羽は考えていた。
(正解、正解!)
右手はオバケに握られている。ひんやりしているかと思いきや、案外ウォーミィで、見た目がオバケっぽいだけでどうやら生身の体がある系の魔物らしい。
空いている左手で光る枝を持ったまま、指先でネックレスについた石を数えていくと、全部でどうやら二十個近くあるようだった。じゃあ、もしかしたらネックレス閉じ込められ隊のメンバーは二十人近くいるのだろうか?
(残念ねー、からっぽの石もあるのよ)
残念じゃなくて、正確な人数を教えろよコラ! と美羽は叫ぶ。心の中で。
そういった思考はすべて伝わるようで、ガーリーたちは暴言に対して即座に抗議をし始めた。
(感じ悪いわあ)
(お嫁に行けないよね、そういう乱暴なコト言う子は)
(カッコいい男の人が二人もいるのにぃ)
いいから全部で何人いるのかくらい教えてくださいよ、と美羽は唸る。
「どうした、ベリベリア」
「いや、なんでも……ぉ、ござあませんですのよぉ」
あの珍妙な喋り方を模写するのは大変だ。
最初のベリベリア風トークはどうやらネックレス軍団が担当してくれていたようだが、ピンチを切り抜けたら後は自分でやってね、と今は美羽に一任されている。
目の前には一体どの階級のなんという名なのか不明の魔物、脳内ではかしましい女子がやんややんやと大騒ぎ。意識の集中などできたものではない。
何処へ行くのか、美羽はそっと脳内ガールズ軍団へ問いかける。
(知らないよそんなのー)
(私たち魔物じゃないし!)
誰か代表が一人だけで話してくれよ、と顔をしかめれば、即座に目の前の魔物が察知してくる。
「どうした、ベリベリア」
「いいえぇ、ちょっと、この体に慣れない感じが致しまして候ですわの」
(アタシが代表でいいでしょうが)
(えー? あんたじゃまとまるものもまとまらないわよ)
確かはっきりとした名乗りを聞いたのは二人だけだ。ニーレとチュミだったか。
喋り方は少しずつ違うものの、脳内に響く声はよく似ていて判別がつかない。ちょっと気の強いの、ぶりっこ調、なんてあだなをつければ即座にクレームに発展してしまう。
(ぶりっこなのはシーファよ)
(はあ? あんたの方がよっぽどでしょうよ!)
勘弁してよ! と美羽は叫ぶ。ところが心のよりどころであるはずの脳内一代記ミハネ王国にも、既にガーリー軍団の侵略は始まっていた。大臣たちはあわあわと逃げまどい、ガンガンと叩かれる王の間の扉を騎士たちが抑えながら叫んでいる。ミハネ様、お逃げくださいと。ところがどっこい、逃げる場所などないのだ。屋上に逃げても、そこから更に追われれば飛び降りるしかない。
助けてヴァルタル、翼の勇者様!
(なになに、翼の勇者って)
(翼とかありえないでしょ)
(アクセサリでつけてるとか? やだ、痛いわ)
一考えれば十、いや、百、いやとんでとんで一億くらいになって返ってくる。恐るべしガーリーたち。恐るべしベリベリアの負の遺産!
レレメンドは確か、「援軍だ」と言っていたはずなのに――。
あまりにもやかましすぎる内側からの声に、美羽は歯をキュルキュルと鳴らして頭を抱える。
「どうした、ベリベリア」
うるっさいよ爺さん! と叫びたい。だが、叫んだらどうなるかわからない。
「なんでもなあですのでー」
「ふむぅ。お前さん、なんだか様子がおかしいの」
魔物はぱっと手を離して、美羽にむかってまっすぐに三つの目を向けた。
ヤバイ。
洞窟の中は寒い。これまで気が付かないままだった冷気が一気に美羽の全身を撫でていく。つま先から頭まで一直線に駆け抜けていって、全身が粟立っていく。
「いえ、あの、ワタクシはそのう」
「そういえば何日か前に、タックリャッムが言っておったんじゃが」
数字持ちの住処や行政区で何のケチもつけられなかった理由は、レレメンドの力があったからだ。手を繋いでいたから、そのおこぼれに与かっていただけ。
美羽単体で魔物を騙せる訳がない!
「確か、やられちまったとか、なんとか」
ベルアローの言っていた「短波」は、それぞれの数字ごとにあって、それで情報を共有しているのではないか。
目の前にいる爺さん的な魔物、実は「十認魔」の一人なのではないか。
口はぱくぱくと動くばかりで、声が出ない。
オバケの顔についている三つの目が、それぞれぎょろりと動いてすべて別の方へと向けられる。気持ちの悪い光景に、鳥肌は細かくなってますます増えていき、そして肝心のこの場面で、ガーリー軍団は揃いも揃って口を噤んでいるではないか。
卑怯者! と美羽は叫ぶ。でも、返事はない。みんなツーンとそっぽを向いて、美羽を仲間はずれにしているかのようで哀しくて堪らない。
「そうじゃ、そうじゃ、やられちまったんだよな?」
ゆっくり、ゆーっくりと瞳が戻ってくる。
三つそろってまっすぐに、偽ベリベリアへと、今にも向けられようとしたその時。
「そうですわぁのよ! ウッフフン、六蛇棍のドリドラーがうっかりぽっくり、人間なんぞにやられて消えてしまってございますの。情けなや、ああ情けなーや!」
誰かがこの危機を救ってくれた。
美羽の口から飛び出したこの台詞に、オバケはふんふんと頷いて、どうやら納得がいったらしい。再び手を取り、暗い洞窟を歩み始めている。
全身を支配する寒気を必死に抑えながら十歩進んで、美羽は心の中でそっと「ありがとう」と呟いた。
(どういたしまして)
ガーリー軍団の返答は急激にシンプルになっている。
(ごめんなさいねミハネ。私たちはずっと暗い世界に閉じ込められていたから。随分と浮ついて騒いでしまったわ。あなたに何かあったら、本末転倒だっていうのにね)
やっと話の通じる誰かが現れたと確信して、YES! と美羽は叫んだ。
「どうした、ベリベリア」
「いーえっす、いーえ、なのですわ。人間も侮れないのなあ、と思いましてそれでつい、声が」
「そうなのだ。人間はなかなかどうして、たまに恐ろしく強いのが出てくるのう」
(あなた、随分適応力が高いのね。この世界の人間ではないのでしょう? ベリベリアがそう言っている)
これに対して、今度はNO! と叫んだ。ただし、心の中で。
あんまり衝撃的な発言は控えて下さい。できれば、順を追って説明を。そばに魔物がいるし、ゆっくりでお願いします。
洞窟の中は足場も相当悪い。魔物がいちいちスッ転んでいたらきっとおかしいので、歩くのにも気を遣うし、オバケはたまに話しかけてくるからそっちも聞かなきゃならないし。美羽が愚痴ると、ガーリー代表はくすくすと笑ったようだった。
(そうね、ごめんなさいミハネ。力を合わせてこの局面を乗り切りましょう)
代表の名は、ロザーリエ。
約二百年前に魔王と戦う為に組織された「討伐隊」の一人なんだそうな。
(私たちは復活した魔王を倒すためにホーレルノ山へ向かったの。騎士団長のビジュエル様と、部下の騎士たち三人、魔術師が二人、世話係りの者が四人。そして神官が二人、皆に神の加護があるようについていった。私は神官の一人だったの)
ユーリは古文書がどうのと言っていたはずだと、美羽は小さく首を傾げた。
たった二百年で「古文書」レベルになるのかどうか?
(二百年はとてもとても長い年月でしょう? 短いと思うなんて、あなたは一体どんな世界の住人なの?)
反省。確かに二百年は長い。美羽のこれまでの人生の十三回分くらいだ。
でも、十万歳説をとるなら五十分の一になったりして。
(どういうことなの? ミハネ、あなたは時を超えられるというの?)
再び反省をして、美羽は今は妄想を封印しようと強く決意した。
せっかく協力者が現れてくれたのだ。しかも、やかましい外野を完全に封じてくれている。出来れば最初から頑張って欲しかったところだが。
(ごめんなさいね。とにかく、私たちは長い間)
即座に、すいませんと美羽は頭を下げた。考えたあれこれがすべて伝わるという恐ろしさを身をもって思い知り、そう考えるとつい、何を考えたら一番迷惑か、なんていう発想をしてしまったりもする。
(ちょっ……嘘、いや! どうして! やめてっ、ミハネさん!)
本当にごめんなさい、もうしません。
「どうした、ベリベリア」
「あーんなんでもないんでござーますのよー。ただ、ちょっとばかし暗すぎるんじゃありませんのことではなくってかしら」
「そうかあ?」
こっちはだだ漏れ、あっちは変な日本語で。いっぺんに対応するなんて本当に難易度が高い。
気が付けばベルアローにもらった枝が放つ光が、明らかに弱まっていた。
どこへ向かっているのかわからない不安が募っていく。この先に、大量に魔物が待っていたら? ありえる、その可能性は相当ありえる。足がよろける。喉が渇いている。そしていきなり、いまさら、猛烈に眠い。
(しっかり、ミハネ。安心して下さい、もしも魔物に遭遇したとしても、あなたはベリベリアだと思われます)
それは何故なのか。問いかけに、凛とした声が答えてくれる。
(この首飾りは何千年もかけて作った、ベリベリアの最も大切なものなのです。いわば、ベリベリアの魂。彼女の体が滅びた今、この首飾りこそがベリベリアそのものなのです。魔物達はそう受け止めます)
説得力があるような、ないような。納得いきそうでやっぱり不安で、こんな美羽の揺れる思いはもちろん、ガーリー軍団には筒抜けだ。
(アタシが保証するわよ、ミハネ。一番初めにベリベリアのコレクションにされたニーレさんがね)
この何千年かの間、魔王は封印されては復活してきた。その度にベリベリアのコレクション、スイートピンクのガーリー石は少しずつ増えていったのだという。
(魔物たちの力の源は魔王。だから、魔王が完全に倒されない限り、あらゆる魔物の力は消えない。魔王が死なない限りアタシたちは解放されないのよ)
うーわ、と美羽はのけ反る。
思いっきり背中をそらしてしまったのだが、何故かオバケはこれについて何の突っ込みも入れて来なかった。
なんという長い苦しみだろうか。
これまで何度となく刻まれてきた、魔王との戦いの歴史。
封印を施す勇者の物語の影に埋もれた、首飾りに封じられた少女たちの魂!
「わかった。終わらせないとね」
(ミハネさん、声出ちゃってます)
「どうした、ベリベリア」
「なんでもなーですのよー! ちょっと、たぎってきただけなのでありまっす!」
「そうかあ、そうかあ」
そいつは良かった、と魔物はどこか満足げな様子だ。
ベリベリア風のしゃべりは適当でもいいらしい。
それに少し安堵して、美羽はぴしゃりと自分の頬を叩いた。