事件はいつだって、真夜中に起きるのだ
みんなで家族になろうよ発言にすっかり気をそがれたらしく、ブランデリンは静かに口を閉ざしたまま腰を下ろした。
「ねえ、これからどうするか、ちゃんと決めよう」
美羽も気を取り直して、ウーナ様奪還及び魔王撃退計画を詰めるべくうっしゃうっしゃと気合を入れる。
でも、外は完全に吹雪。グレーに染まった景色は寒々しく、激しい風の音が体の芯まで冷やしてくる。
「どうしよ、外に出られるかな?」
問題ないと返されそうで、美羽は急いで振り返ると祭司の口を手のひらで塞いだ。ついでにその奥にいる騎士様の様子も見て、うーんと唸る。
「ちょっと休もうか。暗いし、よく考えたらすごく疲れたよね」
ブランデリンの口が小さく開く。いえ、急ぎましょう殿下のために。そう言おうとしたけれどでも、非戦闘員の美羽のことも思えば、休息をとらなければどう考えてももたないとかなんとか、そんな事を考えているらしく何の台詞も出て来なかった。ためらいの浮かぶ表情。その中に色濃くにじむ、疲労。
「ベルアロー、食料の調達ってやっぱ、ムリ?」
「食料ッスか……。うーん」
低木の体が斜めに傾ぐ。
「何ならイケるんスかね?」
悩むあたり、メタリック・ムペはすぐに手に入らないのだろう。あの裏ワザドリンクの助けがあれば、ブランデリンは相当なパワーアップを果たせそうなのに。
「パンとかスープとか、お肉とか」
魔法のカバンがあればなあ、と美羽は思うが、ないものは仕方ない。
「あのカバン、リーリエンデが持ってるんだよね?」
「そうですね」
ヴァルタルがポンコツ師匠を取り逃がすとは思えないので、天幕もある二人はきっと安全に過ごしているだろう。そう願う美羽の目の前には、意外な光景が広がっていた。
「それ、それ!」
悩めるベルアローの顔の左側に、可愛らしい黄緑色の実がなっている。
「それって? え? どれッスか?」
「木の実だよ! ……あれ、でも、食べられるかな?」
そうだ、と思い立って美羽は振り返る。新婚の旦那様の答えは自信満々で、「問題ない」だった。
気が付いたら、なっていたんです――。
どうやったら実が付くのか本人にはわからないらしく、仕方なく一個を割って三人で味わう。
「おれっちの実が目の前で食べられちゃうなんて、……恥ずかしいッス!」
どうやら実を食べられるのは羞恥プレイに当たるようだ。ベルアローは洞窟の奥へと引っ込んでしまったが、そんなの美羽たちには関係ない。
なにせ腹減の喉乾なんだから。
おそるおそる口に入れてみると、見た目の爽やかさとは違った濃厚な甘みが広がって、全身を包んでいく。
「美味しいー!」
超高級なマンゴーってこんな風なのかも、と思えるねっとりとした口当たり。芳醇な香り。それでいてジューシーで、後味はサッパリ。喉も潤い、小さな実なのにお腹はほどよく満たされている。
「すごく美味しいよー、ベルアローありがとう!」
「マジッスか? ……人間には美味しいんスねえ」
遠くから真顔でこう返されて、美羽はそれ以上の話を聞くことができなかった。
洞窟の外は極寒、冬の世界。暖かい毛皮のマントはあるものの、それ以上の装備がない美羽たちでは突破は難しく、疲労もあるからとしばらく休憩の時間をとることになった。
殿下や偽エルフの安否は気になるけれど、無理をして動けなくなっても仕方ない。
地面の上でもっさりと広がったベルアローのふかふかの葉っぱの上にマントを引いて、美羽は横になっている。
旦那様は少し離れた場所でいつものポージングをしており、生真面目な騎士様は焚き火の前で一人、座っている。木の葉のベッドは一つしかなく、ましてや「年頃の女の子」なんだからという理由で、美羽だけが横になっている状態だ。気恥ずかしいような、申し訳ないような、でも体力回復しないとますます足手まといになってしまうかもという思いもありつつ、すべてがごっちゃになって結局すぐには眠れない。
冴えるばかりの意識を落ち着かせるべく、美羽はベルアローの上で目を閉じている。
マントの下からは小さく、かさかさと音が聞こえてくる。
重たくないか、葉っぱが散らないか。お世話になっている魔物くんのコンディションが気になってしまう。
そういえば、魔物は夜、眠るのか?
こんな楽しげな命題を思いついたら、眠気はますます遠のいていくばかり。
けれど小さく丸まってマントを深く被っている美羽を、ブランデリンはもう「寝てしまった」と思ったのだろう。
焚き火を長い棒でちょちょいとつつくと、騎士様は立ち上がって謎のポーズを決める祭司の前へと進んだ。
「レレメンド殿」
邪神の祭司はいつだって、自分の信じる神のためにしか動かない。毎晩かかさずあのポーズを決めて目を閉じているのは、必ずやらなければならない「儀式」だからなのだろう。なので、声をかけられても返事はしない。
「信じる神は違えど、あなたは祭司なのでしょう」
私の話を聞いて頂けないでしょうか。返事など期待できないとブランデリンも思っていたのか、少しだけ待って騎士は口を開いた。
「……皆には結婚式と言いましたが、本当は違うのです。まずは嘘をついていたことを詫びなければなりません」
ガチャン、と小さく鎧が音を立てている。それはおそらく、頭を下げたから鳴った音だ。
吹雪のせいで閉じ込められた洞窟。眠れない夜。離れ離れになってしまった仲間を、案じながら――。
フラグが立つには充分過ぎる条件が揃っていて、そりゃあ「騎士の独白」なんてイベントも起きるでしょうよ! と美羽はワクワクが止まらない。
しかしここで立ち上がった場合、ブランデリンは話を打ち切ってしまうかもしれない。
だったら、このまま、横になったまま耳だけ傾けるしかない。
そうなると、盗み聞きしているみたいで少しばかり罪悪感もある。
でも、聞きたい。
葛藤の間にも、話は進んでいく。
「結婚式ではなく、葬儀なのです」
鎧が震えて立てるカチャン、の隙間に、深くて哀しいため息の音が入り込む。
「私には双子の弟がいました。我々は騎士の家の生まれで、幼い頃から剣の稽古に励んできましたが、弟は体が弱く、早いうちに家を継ぐのは私に決まりました。けれど弟は決して腐ることなく、学者を目指して王都で学んでいたのです。体を壊して、時折休みながら、でも着実に前へ進んでいました」
互いに負けないよう、研鑽を重ねてきた。ブランデリンは剣を、弟は学問を。
早速エラーを起こした涙腺がゆるゆるとしてしまい、美羽はじっと耐えるしかない。
「私は聡明で努力家の弟を誇りに思っていました。弟も同様です。剣の道に生きる私を最も理解し、応援してくれていたのが弟のグランデルでした。だから、私は……、ひたすら剣の道を歩んできた」
「なるほど」
おおーっと、ここで意外にもレレメンドからの反応だーっ!
脳内実況席で小さな美羽が叫ぶ。
美羽本体もそわそわするが、ここで立ち上がって会話が打ち切られてしまったらあまりにも惜しい。なのでやっぱり、じっと耐えるしかない。
「それで思い人を弟に譲ったのだな」
美羽の頭の中にクエスチョンマークが溢れていく。祭司様の指摘は、なんでそーなるの? と思えるレベルの飛躍っぷりを見せているが、ブランデリンから否定の返事はない。
一緒に騎士を目指していた弟がいて、体が弱くて家を継ぐのはブランデリンで、応援してもらっていて、そしておそらくは……亡くなっている。
「愚かなり、ブランデリン。生者の魂は死者には満たせるものではない」
美羽としてはまず「愚かなり」という台詞が気になる。これは是非、一生に一度でいいから実生活のどこかで言い放ってみたい言葉だが、それは心のどこかにメモをしておくとして、続きだ。
「わかるのですか」
ブランデリンの声には、戸惑いの色が混じっている。
では、「思い人を譲った」というレレメンドの言葉は当たっているのか。
恐るべき祭司、侮るなかれ邪神パワー。未来の顛末だけではなく、心の中のあれやこれやまで見通してしまうのだろうか。美羽が見られた場合、とんでもないカオスが満ちているに違いなくて、どう思われているのやら。
いや、むしろ、だからこそなのかもしれない。心の中に満ち満ちた混沌を見られたからこそ、「異世界の巫女」なんて言われてしまっているのかもしれなかった。
二人のイケメン勇者さんたちに背を向けたまま、美羽はぐぬぬと唸っている。
「私は、戻らなければならない。戻って為すべきことを為さなければならないと思っていました。けれど、私にはもう居場所がありません。家督を継いだところで何ができるでしょう。せめて弟を見送ってやらなければと思っていましたが、本当にそれを望まれているのかどうか、今ではもうわかりません。むしろ私は、この地で果てた方が良いのではないかと」
身悶える美羽とは対照的に、ブランデリンはシリアス極まりない。
苦しげに吐き出された言葉はここでパッタリと途切れて、後はかすかな息遣いだけが聞こえるのみ。
あのカッコいい、臆病者の騎士様がこんなにも深く悩んでいるなんて。
美羽は心の中でうーうーと唸り続けながら考える。
葬儀があるということは、弟を失ったのはごくごく最近なのだろう。
召喚されたばかりの時、ブランデリンは悲しそうだった。怯えていて、震えていて、しくしくと泣いていた。情けないばかりの姿を晒し、容赦ない殿下と偽エルフの暴言に耐え、なんとか立ち上がって剣を取り、ようやく仲間の為に走りだした。けれど?
「もしも私がこの地で命を落としたら、どうなるのでしょう? 元の世界へ屍のまま戻るのか、それとも消えていなくなってしまうのか」
それは美羽としても大変気になるところでありまして。
「召喚をした者に聞けばわかるだろう」
悩み深いブランデリンに、レレメンドはこともなげに答えている。
「確かにヴァルタル殿ならば、連れて戻ってきてくれるでしょうが」
「待つ必要はない」
もうすぐそこに近づいているのか。美羽は肩をぴくりと動かして、陽気なお母さん系耳長男の姿を思い浮かべた。
ところが、ブランデリンのカチャカチャ音が響き、こんな台詞が続いてしまう。
「それは? ……なんですか?」
「リーリエンデ・リュウルルー」
んもう、と美羽は勢いよく立ち上がった。
会話だけで満足できるかと。一体なにをしようとしているのか、勇者御一行の最終兵器こと、暗黒祭司レレメンドさんのやることなすことが気になり過ぎる!
焚き火の前には、レレメンドとブランデリンが並んで立っている。
邪神のしもべは服の中から、みすぼらしい枯草の束を取り出していた。
「それって、十認魔の部屋で見つけたやつ?」
「ミハネ殿」
起きてたの? と思ったのだろう。騎士の顔はみるみる赤くなり、明らかに狼狽した様子で手をバタバタ振っている。
起きてきた新妻と慌てる騎士にはお構いなし。当然、一切合財を無視して、レレメンドは地面の上にバッサと枯れ枯れの草を放り投げている。
結んでもいないのにバラバラにはならず、草の束はひらひらと舞って、焚き火のそばに落ちていった。その端が赤く染まり、細い煙をあげている。
着火しちゃっていいの? と美羽が思った瞬間。
「あっちぃいいいい!」
突然、叫び声が上がった。聞き覚えのあるそれは、おそらくリーリエンデのものだ。
「リーリエンデ?」
「あっち、あっち、あつ、熱い!」
叫び声とともに、どろんと煙が上がって飛び出してきたのは、間違いなくポンコツ系召喚術師だった。
「ひゃああああーっ?」
感動の再会、とはいかない。だって師匠ったら、全裸なんですもの。
ブランデリンから借りたマントを羽織って、突然飛び出してきた召喚術師はブツブツと文句を言っている。愛用の眼鏡がないだとか、ちゃんとした衣服が欲しいとか。衣服に関しては美羽もまったく同意見で、本当に危うく、ギリギリのところで前にブランデリンが立ちはだかってくれたおかげで局所を目撃しなくて済んで、それが何よりも幸いだった。
「どこから出てきたの、リーリエンデは」
本人は首を傾げるばかりであり、真実を知っているのはレレメンドだけだろう。
けれど、あの祭司様が「実はさ」なんて語り出すはずもない。
「あの枯草が、リーリエンデだったとか?」
レレメンドが突っ走った先にあったのは「十認魔」の暮らす階であり、なんとなくだけれど、雰囲気からいってあれはベリベリアの部屋だったのではないかと美羽は思っている。
あそこで取り出した、ボロボロの草の束。
ベリベリアの最後の一撃を喰らって消えたリーリエンデ。
「そうなんでしょ、レレメンドさん」
邪神の祭司は動かなかったものの、ニヤリと口の端をあげて笑った。
それを肯定とみなし、美羽は続ける。
「ユーリはどうなったのかな? ちゃんとユーリに戻れたのか、わかる?」
これに関しては師匠に確認すべきだろうと美羽は視線を動かしたが、もとの体に戻ってポンコツ度が増したのか、リーリエンデはひたすら腰をとんとん叩いたりため息をついたり、お疲れアピールばかりしている。
「ちょっと! 世界の危機なんだよ、しゃんとしてよ!」
「はい!」
美羽の年の功アタックに師匠はペコペコと頭を下げるが、どうやら復活したてで本当にパワーがないらしい。
「すみません、どうも、ぼんやりとしていてよくわかりません」
誰かそばにいるみたいですけれども、とリーリエンデは地面に伏せりながら呟いている。
ユーリの体の中にいたはずなのに、わからないのだろうか。美羽がたずねても、師匠はフラフラと揺れながら虚ろな目を彷徨わせるばかりだ。
「誰かって、やっぱりヴァルタルだよね」
「ならば心配は要らないでしょう」
あんなにいじめられたのに、ブランデリンは微笑みを浮かべている。なんだかんだ、友情とか信頼めいたものは少しくらいは芽生えているらしい。美羽が笑うと、哀しい事情持ちの騎士はなぜか頬を赤らめてしまった。
「吹雪が止んだら出発しようね。ユーリが元通りになったんだったら、ヴァルタルだって移動が楽になるでしょ」
ユーリならば絶対に逃げないだろうし、もしも意識が戻らなかったとしても、ヴァルタルならあの小さい体を抱えてすぐに飛んできてくれるはずだ。
「ねえブランデリンさん、もしリーリエンデが嫌がったら、引っ張っていってくれる?」
「わかりました」
ベルアローベッドで眠るリーリエンデ、謎のポージングを再開したレレメンド、そして苦笑いを浮かべるブランデリン。
彼らと共に魔物達の行政区に攻め込んで、ウーナ王子を助ける。もしもピンチが訪れた時には、きっとタイミングよくヴァルタルが現れてくれるだろう。勝手にこんな都合のいい妄想をして、美羽は一人、洞窟の奥へと向かっていた。
寒いし眠い。明日のためにもう休もう。
でもその前に、済ませなければならない用がある。
暗い洞窟の中、頼りになるのはベルアローのくれた光る枝だけだ。
あんまり離れてはこわい。でも、近くでするのは気が引ける。
ふんどしタイプの下着の着脱は面倒くさく、ユーリと再会した時は絶対にパンツを何枚か出してやるつもりだ。
下着に思いを馳せながら歩き、ちょうどよさそうな場所で美羽は立ち止まる。
その途端。
「そこにいるのは、誰か」
聞き覚えのない、低い低い、掠れた邪悪な声。
何年かぶりにチビりそうになるのをこらえながら、美羽はゆっくりと声のした方へ振り返った。