駆け抜けて、異世界
魔物たちの「行政区」はとにかく、整然としていた。
区画はきっちり整備され、街を行くのは皆同じ姿の者たちだけ。まっ黒いシーツをかぶったような、いたずらお化け状の姿の者が整列して歩いている。サイズも全員同じで、美羽の肩あたりくらいの身長しかないようだ。彼らは二列に並んで左側通行を徹底しており、交差点で曲がる者は信号もないのに順番、交替に進んでいる。
だから、整えられた黒の中を走り抜けていく「青と金」はとにかく目立っていた。
ウーナ王子は動かないまま、黒い魔物たちに六人がかりで持ち上げられている。通行人はみんな立ち止まって道を譲り、麗しの王子様の姿はみるみる遠ざかっていってしまう。
駆け出した美羽とそれに引かれるレレメンド。その前を、ベルアローがひゃっはーと走って先に降りていく。
「ミハネさんたち、ちょっと待っててくださいよぉ!」
偵察してくるッスから、と低木はガサガサと駆け抜けていく。
「どうしよう、レレメンドさん、ウーナ様が連れていかれちゃって」
「案ずるな。意識を失っているだけだ」
「案ずるよー!」
心配に決まっている。
あの華奢で体力不足で食欲不振の王子様が、気を失ったまま魔物達にビューっと運ばれていってしまったんだから。金色の髪をサラサラと揺らしながら、攫われていってしまったのだから。
十一鋭のセバスッチアーンと戦って、負けてしまったのかもしれない。生きてはいるけれど、全員捕らえられてしまったのかもしれない。ウーナ王子だけではなく、ブランデリンも、ヴァルタルも、リーリエンデも。みんなみんな、ぐるぐる巻きにされて、ボコボコにされて虫の息なのかもしれないのに。
「オクヤマミハネ、我が四番目の妻であり、異世界の巫女」
「そういうの今は、どうでもいいよ」
「あちらの出口へ向かう。そこに、もう一人がいる。そちらは今から行けば救える」
「もう一人?」
誰がいるのか。どうして「一人」なのか? わからない美羽の手を、レレメンドが引く。
「どうしてレレメンドさんはそんなことがわかるの?」
唇を震わせながら、美羽は問う。
邪神の祭司は右手の指を曲げたり伸ばしたり、さっさか動かしていくつかの奇妙な形を作ると、目を閉じてこう答えた。
「言ったはずだ、ディズ・ア・イアーンは未来をも見通すと。私には『あらゆる未来の顛末』がわかる。『より正しい選択肢』だけを選び取って進めば、おのずと『我々にとって最もよい終末』が訪れる」
言ったはずだ、という言葉をまず美羽は噛みしめてみた。
言っていたっけ。言っていた、ような。そういえば、地面の下に落っこちて急にペラペラ話し出して、その時に言っていたような気もする。
あの時は正直、みんなが無事か、これから先自分が無事でいられるのかなどなど、考えなければならない項目が多かった。
しかし、それにしたって!
「未来がわかる」なんてセンセーショナルな能力についてエキサイトしなかったなんて、美羽にとって人生で一番の不覚だったかもしれない。
「レレメンドさん、もう一人って誰?」
「ブランデリン・ウィールだ。八枝葉は後から勝手に来る」
褐色の肌の祭司の足は速かった。伊達に厳しい環境で育ってないんで、みたいな逞しい足を丈の長い服の端からのぞかせて、裸足のままスタタと走っていく。ちゃきちゃきと高く上がる足。よく見たら、下に短いパンツらしきアイテムを着用していることが判明する。
運動神経にはまったく自信のない美羽は必死で回転数をあげて、新郎にくらいついていくしかない。手は固く握られていて離れず、引っ張られて、まるでジェットスキーのように進んでいく。
足が追いつかない美羽を時々跳ねさせながら、レレメンド特急はすべての駅をかっ飛ばしていった。スロープを降りた後は壁際に沿って、行政区に張り巡らされた通路に入り込まないように、ぐるっと「多分南側」を大回りして進んで、進んで。
ガクン、と九十度曲がったら今度は北上。大きなお役所らしきものが北にある想定で、東の端へと向かう。ベルアローがポューピョの方だと言った、ホーレルノ山に繋がる出入り口をめがけている様子だった。
美羽の視線の端にはちょろちょろと、黒いオバケファッションの魔物の姿が映っている。彼らはよそものたちを気にすることなく、ただただ整然と前に進むだけのようだ。
彼らの様子はベルアローやベリベリアたちとはまったく違っていて、魔物の世界の仕組みはよくわからず、美羽の妄想心をくすぐってやまない。
超特急のまま駆け続け、息が上がってくる。メタリック回復薬のお蔭で調子があがっていた体も、小さく悲鳴をあげている。
こんなに早く走った経験はないし、こんなに誰かと手をつなぎ続けていたこともない。じっとりと汗をかき始めた手のひらに美羽は焦る。うわ、手ベッタベタじゃん、なんてレレメンドは言わないだろうけど、でも年頃の女の子としては完全にNGなアレなわけでありまして。
ぜえぜえふらふら、足がよろめく。その度にレレメンドが腕に力を入れて、美羽の体を右へ左へ絶妙に引っ張ってくれる。
あらゆる未来の顛末がわかる――。
どの方向に引っ張れば美羽が転ばずに済むのか。今走っている瞬間も彼はすべての未来を見通し、より良い選択をしているということなのか。なにそれすごい。ときめきの急上昇と共に、心拍数も過去最大を更新してしまう。
ちょっと待って、もう、無理です。
口から出掛けた弱音を、目が制した。少し先に見えてきた、壁の切れ目。扉は外に向かって開くのか、ぽっかりと穴が開いて外の光が入り込んでいる。
そこに、黒いおばけたちが大勢で集まっていた。
彼らは声は上げないようだが、列は乱れている。次から次へ魔物達は数を増やしており、そこで「何かが起きている」のは確かなようだ。
「ウーナ殿下!」
吠えるような声とともに、何人か分のおばけたちの体が舞う。ふわーんと飛んで、新たに詰めかけてきた集団の上に落ちていく。
間違いなくブランデリンの声だ。でも、呼びかけたいのに声が出せない。息が切れすぎていて、足も止められなくて、美羽は後ろにのけ反りかけながら必死で走るだけで精一杯。
再び、魔物たちがふんわりと宙を舞って飛んでいく。
ブランデリンが戦っているに違いない。仲間の王子様が連れ去られて、追いかけてきたのだ。沢山の敵の前でひるまず、助けようと剣を振っている。そう思うと、胸が熱くて堪らない。
これこれ、見たかったやつ!
仲間の危機。奮い立つ騎士。囚われるのは出来たらお姫様がベストだけれど、そんなこと言っていられない。
「ブランデリンさーん」
掠れた声で呼びかける。でも、こんな小さな声じゃあ届かない。息を吸って、吐いて。そんな当たり前の動作すら覚束ない。今この瞬間も走り続けて、とうとう出入り口がすぐそこに迫ってくる。
このスピードで突っ込むつもりなのか、レレメンドの速度は落ちない。長い波打った髪をなびかせて、褐色の祭司様はまだ逞しい足をフル回転させている。
「レレメンド、さん、どうするの?」
返事はまた、これだけだった。
「問題ない」
そりゃああなたにはないでしょうけど!
心で叫ぶ美羽を引っ張ったまま、レレメンドは直角に勢いよく曲がった。
ぶーんと大きく振り回されて、美羽の体は宙に浮く。
「ぎゃーっ!」
黒いオバケたちに蹴りを入れながら、叫んだ。
「ミハネ殿!」
剣を振り上げたブランデリンの姿が一瞬だけ視界を横切っていく。
「走れ、騎士よ」
レレメンドの静かな声は届いたのだろうか。
再び着地してから、即、容赦のない爆走が再開される。
美羽が仲間の無事を確認できたのは、その後たっぷり十分は経ってからだった。
行政区の出口から飛び出した先はゴツゴツした岩山で、標高が上がったのかところどころに雪が固まって残っていた。時間は朝なのか夕方なのか、とにかく真昼間ではないであろう薄暗さで、ついでに寒くてたまらない。息が切れて切れて、しばらく地面にへたりこんで動けず、なんとか頭をあげるとブランデリンの悲しげな顔が見えたけれど、今度は声が出て来ない。
「ミハネ殿、無事で何よりでした」
ブランデリンの息も上がっているが、美羽ほどではなかった。せいぜい汗をたらりと額から垂らしているくらいで、どシリアスな表情はやっぱりイケており、美羽の理想とする「騎士様像」にだいぶ近づいてそろそろストライクを決めようとしている。
いいですなあ、いいですなあとテンションを少しずつあげていくと、ようやく息も整った。
「ブランデリンさん、会えて良かった」
やっと落ち着いた体は急速に冷えて、美羽はブルブルっと震えた。
その様子を見かねたのか、ブランデリンは自分の羽織っていたマントを外して、少女の肩にそっとかけてくれたりする。
「や、ブランデリンさんが冷えちゃうでしょ」
「このくらい、平気です」
こんな体験をこんなイケメンと、しかもこんな異世界で出来ちゃうとか本当にマジファンタジー。召喚バンザイ、と美羽はいつもの調子を少しずつ取り戻していく。
「心配しておりました。地割れに呑み込まれて姿が見えなくなり、ウーナ殿下は半狂乱になってしまわれて」
「ウ、あ、ヴァルタルとリーリエンデは? セバスッチアーンとはどうなったの?」
慌ててバタバタと手を振りながら、美羽は話した。
もちろん殿下も気になるけれど、どこにいるかわからない残りの二人も同じくらい気になるし。それよりもとにかく目の前でめっちゃカッコいい感じで影を落とすブランデリンの横顔がタイプ過ぎて動悸が収まらない。
「ヴァルタル殿はおそらく、リーリエンデ殿と一緒にいます。ミハネ殿、セバスッチアーンとは?」
「あの時出てきた、ヘンテコな敵の名前」
ヤツは特に名乗らないタイプだったらしい。そして師匠と偽エルフは、一緒に来なかったのだろうか? 疑問を口に出すと、ブランデリンは眉間に力を入れて、少し悩んでからこう答えた。
「ミハネ殿が消えてしまって、ウーナ殿下は大変お怒りになりました。一人であの敵に挑んでいって、我々も共に戦ったのですが、途中で突然倒れてしまわれたのです」
王子を助けなければ、とブランデリンはヴァルタルと示し合わせたのだが。
「ところが、リーリエンデ殿が……、その、逃げ出そうとしまして」
「ええーっ?」
あのぼんくら師匠め、と美羽は憤る。
「ヴァルタル殿が飛んで追いかけました。ですが殿下が連れ去られてしまったので、私が一人で追いかけてきたのです」
あの穴に落ちて、地下をうろついて、登って、走って。
とてもとても長い時間が経ったように感じていたのに。もしかしたら、案外短かったのかもしれない。
けれど目の前に立つブランデリンの誠実な表情がとても懐かしくて、再び会えたことがひどく嬉しかった。
カッコイイとか言ってる場合でもなく、のんびりしていられる状況ではないけれど、急に心がふるふると震えだして、美羽は唇をきゅっと噛む。
「ミハネ殿」
この場面で泣くなんて、「なし」だ。美羽はそう思っているのに、でも、ここまで必死に見ないでおいた心細さが急に主張を始めてきて、体が震えてしまう。目頭が熱くなって、視界が霞む。我慢しなくちゃと慌てて下を向くと、おずおずと騎士の大きな手が伸びてきたりしてしまう。
着地点をどこにしたらいいのか。探しているのか、手は中途半端な位置で揺れて、止まる。
それが左頬に近づいてきて、美羽の心はキュキュンと小さく鳴った。
マジですか。ほっぺにそっと手を添えちゃうアレが来ちゃいますか! と昂っていく。
ところが、あこがれのシチュエーションは実現しなかった。
「うおぉっ!」
ブランデリンが大声をあげて一歩、遠ざかってしまう。
何事だと美羽が焦ると、すぐ後ろには無口で存在感極薄の祭司様が立っていた。
「レレメンド、殿……」
騎士の言葉は続かない。
美羽としては「いたんですか」か、「うわ、忘れてた」のどちらかだっただろうと思う。
「ちょっとー、ミハネさんもアニキも酷いッスよー! 何も言わずに勝手に出て行っちゃうなんて!」
更には唐突に、地面からベルアローが生えてきてしまう。
多分体が反射的に動いてしまったのだろう。ブランデリンの剣に斬られて、低木系モンスターはあっさりと真っ二つに割れてしまった。
しかし、伊達に不死鳥を名乗ってはいない。新しい枝葉をあっという間にニョキニョキと伸ばして、ベルアローはばあ、と笑顔で元通りに復活してみせた。
「ブランデリンさん、彼は味方なの。ここまで助けてもらったんだ」
「うわ! とうとう味方発言してくだスって! おれっち嬉しいッスよおー!」
バッサバッサと枝を揺らすベルアローを、ブランデリンは困惑した表情で見つめている。
「おれっち、八枝葉のベルアローッス! ブランデリンさん、よろしく頼むッス」
無理矢理手を取られ、騎士と魔物は握手をかわす。
そして誰よりも強い邪悪なオーラを撒き散らしながら、邪神の祭司は手下に指示をだした。
「八枝葉の、王子がどうなったか話せ」
「おう、アニキ! わかりまして了解したッス」
美羽は聞き逃さなかった。
ブランデリンが小さな声で、「しゃべった」と呟いたのを。