君の前に道はある
ベルアローの体から枝を一本、二本。オマケに三本。ぽきぽきと折って、頭や肩に装着していく。
服についていたベルトを外してだらんと着こなし、代わりに頭に巻いて――。
まるで丑の刻参りのような格好になった自分に、美羽は小さく唸った。
「本当にこれでごまかせるの?」
「大丈夫ッスよ。こういうもんなんス」
明るい魔物は眩い笑顔で、さあ行きましょう! と腕を振り上げている。
「レレメンドさんは? 偽装してないけど」
祭司様は葉っぱを一枚腰の帯に差し込んだだけで、見た目に変化はない。相変わらず涼しげな布一枚ぐるぐる系ファッションで、はだけた胸元からほどよく鍛えられた胸筋がチラチラと見えてセクシー極まりない。
「レレメンドの兄貴は大丈夫ッス。兄貴から出ている気は正直、人間よりも魔物に近いっていいまスか、十二と同じレベル……、や、それ以上のヤバイ気が出ちゃってるんで、だーれも兄貴を人間だなんて思わないはずッス」
マジですか、しか感想が出て来ない。
魔物と同じオーラを出していると言われてもレレメンドはかけらも動じず、堂々と胸を張った姿勢で仁王立ちしている。
「ねえベルアロー、その、魔物側は、私たちの動きを監視してたんだよね?」
「そうッスね!」
葉っぱの魔物は人の好さそうな顔をくしゃっと崩して、ひゅうはあとまた笑った。
「監視といいますか、わかるんスよ。この世界の人間じゃない特殊な力の持ち主が急に現れたんで、なにごとかと見にいったんスよね」
それじゃあ、今の自分たちもチェックされているのではないか、という疑問が湧く。
「こんな偽装なんか意味ないじゃない」
たかだか葉っぱをガサガサつけたくらいでどうごまかせるというのか。美羽が食ってかかると、ベルアローは手の先の細い枝を細かく揺らしてみせた。
「そこなんスよ! 今回のミハネさんたちがラッキーだったのは」
「なにが?」
「さっきも言いましたが、レレメンドの兄貴の力は魔物そのものなんで、おれっちたちは仲間と区別がつかねえッス」
なにそれすごい。まさかの邪神パワーに、美羽は開いた口が塞がらない。
「ミハネさんは特殊な力がないんで……、こっちも感知できねえんスよ! 全部で何人いるかっていうのは、実際に偵察に出た部隊が見て数えたもんで、二から上の連中だけが『どうやら人間どもが四人組でキテる』って知ってるんス」
頭に二本の枝の角、腰にも葉っぱを大量に巻きつけて美羽は歩く。カサカサ、さわさわ、音がうるさい。その前を悠々と歩くのはベルアローと「魔物界の大物」レレメンド様だ。
ずっと暗いままだった地の底に光が差してくる。向かう先に少しずつ、何かが見えてきた。蜃気楼のようにゆらゆらと揺れる町並み。いつの間に、そんなところに建物があったの? と美羽は首を傾げた。そのくらい唐突に、街の影が現れていた。更に近づくと、今度はくっきりと、そこに街があった。
「これが魔物達の居住区?」
「そうッス。ここら辺は下っ端中の下っ端、雑魚エリアなんで正直荒れ果ててるッスよ」
「階級で済む場所が区切られてるの?」
「その通りッス」
足を踏み入れてみればベルアローの言う通り、粗末で貧相なボロボロの長屋ばかりが並んでいた。人型、昆虫型、蛇型、獣型、ぼんやり幻影型など様々な姿の魔物が大、中、小とサイズもよりどりみどりで佇んでいる。
座り込んだり、走っていたり、遠くを見つめていたり。行動もそれぞれ違うがとにかく、美羽とレレメンドの姿を見咎める者はいないようだ。
「ホントに大丈夫なんだね」
祭司様はノーコメントで、その手下の低木がかわりにペラペラと喋る。
「当たり前ッスよ。おれっち、嘘はつきませんので」
魔物の風上にも置けないベルアローの笑顔はとても眩しい。
「あ、八枝葉の」
ご機嫌よろしゅう、と蜂のようなフォルムの魔物がぺこりと頭を下げる。ベルアローはちらりと視線を向けるくらいで、返事はかえさない。
崩れかけた砂で出来たような家、割れた木の樽、粘液が固まったかのようながびがびとした塊などなど、さまざまな材質のボロが並ぶ居住区を行き過ぎていく。
何十メートル、何百メートルか過ぎただろうか。美羽はようやく、ほんの少しだけ張りっぱなしだった気持ちを緩めた。じろじろと見てくる者もいなければ、あからさまに後をつけられている様子もない。たかだかちょっと葉っぱをまとっただけで圧倒的セーフティ状態だし、いつも通りの姿のレレメンドは本当に「魔物の気」を放っているようだ。
そう思った途端、お腹がぐうと鳴った。
「なんの音ッスか?」
振り返って尋ねてくる木人に、美羽は頬を赤らめて答えている。
「そういえば、なんにも食べてなかったから」
「はあ、食べてないとそんな音が鳴るんスか」
面白いッスねえ、とベルアローはバサバサと葉を揺らした。
確かに、木に近い雰囲気の八枝葉さんに胃や腸があるかは甚だ怪しく、人体の仕組みの事細かなところまで知っているかと言われれば、知らなさそうだった。
「ベルアローは何を食べるの?」
「おれっちは普通にあれッスね。ドガンデとかミッチョンとかッス」
そりゃあ腐葉土とかまじグルメッス、といわれても困ったろうとは思う。人間の魂に決まってるじゃないッスか、も同様だ。もしかしたら、ミッチョンがそれなのかもしれないけれど。
ちょうどいい返事を思いつかないまま歩く美羽のお腹がまた、ぐうと鳴る。
「面白い音がするんスねえ」
「おなかが空いてると鳴っちゃうの」
葉っぱの魔物は「へえ」とだけ答えて、ずんずんと進んでいく。
いくつもの大中小の長屋を行き過ぎて、ごちゃごちゃとした人混み、いや、魔物混みを通り過ぎたところで、ベルアローははたと止まった。
「すいません、ミハネさんお腹がすいてたんスね」
申し訳なさそうに首を斜めに傾けて、魔物は頭をぺしぺしと叩いている。
今さら気が付いたのか、と美羽は少し笑って、でも、やっぱりそんな悠長なことをしている場合でもなくて。
「いいの、別に、食べなきゃ死んじゃうとかじゃないし」
それよりも、「少しでも安全な場所」へ向かいたい。いや、それよりも「勇者御一行たちと合流したい」。
不安と疑惑と、もしかしたら信じていいかもしれないという希望。それに加えて、「魔物の居住区」というこの現場への意識のせいで思考が飛んでいた。そうだ、彼らが、どうなったのか確かめなければならない。地上へ出れば一緒になれるかというと、どう考えても確実ではない。
「ねえベルアロー、他のみんながどこにいるのかはわかる?」
目の前の低木はこう言ったはずだ。
異世界の人間の力は特別に感知できる、と。
「ああ、わかるッスよ」
「どうなってるの? みんな無事なの?」
まだこの世界に留まっているのだから、リーリエンデはきっと無事だ。
でも、残りの三人はどうだろう。
あの穴に落ちてからどのくらいの時間が経ってしまったのか、美羽は震える手を胸の前に組んで、ぎゅっと力を入れる。
「全然無事ッスよ! そのくらいお伝えしまスって。安心して下さいミハネさん」
だてに仲間入り希望してたワケじゃないッスよぉ、とベルアローはにこにこ笑う。
「無事なんだね」
「でも、セバスッチアーン様の訃報も特に聞こえてきませんし、戦いはどうなったんスかねえ? 情報通の七のヤツに聞きに行きましょうか」
聞けるのか、と美羽の心ははやる。
けれどベルアローは、頭を振って葉っぱをカサカサ鳴らしてこう告げた。
「とにかくこの辺りを抜けて、おれっちの家に行きましょう。あんまり大声で話してたら誰かが聞きつけちまうかもしれませんから」
ふらつく足を動かして、前へ前へ。ベルアローとレレメンド、先を行く二人の後を、美羽は必死でついていく。
巨大なカブトムシのような何かの隣を過ぎ、小石を三メートルくらい重ねた蛇状の誰かの脇を抜けながら、再び思う。
信じてついていって、大丈夫なのかと。
ミハネ国の民の意見はまっぷたつに割れたまま、信じていいとか、闇討ちに遭うとか、口々に好き勝手、言いたい放題の状態だ。
国王である美羽も、結論は出せない。ついついついていってはいるけれど、その問題、全然クリアされてないんだよねと思い悩んでいる。
そんな女子高校生の背中を押すのは、結局ベルアローの「人の好さそうな笑顔」だった。
灯りを貸してくれて、偽装のために自分から生えている枝を折り、ミハネさんたちは何食べるんスか? と振り返って聞いてくれるその優しさを信じたいからだ。
「案ずるな」
腹ペコ、喉カラカラ、疲労で足は棒になってよろめく美羽に向かって、レレメンドが突如囁く。
祭司は振り返らない。でも、はっきりと耳元で彼の低い落ち着いた声が響いた。
「我が万能の主ディズ・ア・イアーンは未来をも見通す。我々は必ず勝利し、もとの世界で為すべきを為す日々へと戻るのだ」
うーわ何これテレパシーですか、と美羽は唸る。心の中で、テレパス初体験に猛って吠える。
レレメンドも偽物かもしれないという疑念もあるのだが、もしも偽物なら、ここまで破壊神推しはしてこないのでは、とも思う。
魔物の居住区に太陽はない。代わりにあちこちに光る塗料のようなものが塗られているらしく、そこらじゅうの建物が輝いていて明るい。本人が発光している魔物もいて、辺りは繁華街のような怪しい雰囲気に満ちている。
お蔭で時の流れの目安になるものがない。歩いて歩いて、喉を枯らしながらようやく、美羽たちは巨大な壁の前に辿り着いていた。暗くて広い大きな入口が目の前に広がっていて、その向こうはブラックホールのよう、つまり、何も見えない。
「ここから先が、数字持ちのエリアになるッス。下から、数字の少ない順になってるッスよ」
「最初は一ってこと?」
「そうッス」
一が一番弱い癖に、一番広い家に住んでいるのか。
納得がいかない美羽に、ベルアローは笑う。
「一階は狭いッスよー! 段々広がっていくッスからね。ま、引っ越しみたいなコトはできないッスけど」
たとえ空きが出てもダメなんス、とベルアローはひゅうはあひゅうはあ、隙間風のような笑い声をあげている。
「逆ピラミッドみたいな感じかな?」
「ピラミッドってなんスかね」
説明したら長くなるのは明らかなので、とりあえず後で、と美羽はこたえた。
なにせ、ベルアローは「八枝葉」だ。
つまり、八階まで上らなきゃならない。
入口に見張りなどはいないらしく、中は明るく、ツルツルした大きな石を敷き詰めた床が広がっている。壁も同じように白と黒が混じりあった冷たい石を積んだもので、入るなりすぐドアがあり、サイドには階段が設けられている。
「ここが一の家ッスね。ま、やられて今はいないんスけど」
一も自分たちが倒したのだろうか。
わざわざ名乗ってくれた中で覚えているのは、三賢者のジャルジャードと十認魔のベリベリアくらいだ。そのベリベリアが何人分かの名を挙げていたけれど、覚えてはいない。
二階、三階、四階と上がっていく。美羽の息も上がっていく。レレメンドはなんの乱れもないまま、ひょいひょいと階段を上へ、べルアローはガサガサとやかましい。
やがて六階に辿り着いたあたりから、声が聞こえるようになっていた。
中で宴会でもしているのか、大勢がざわざわと話す音が階段まで響いてくる。
「楽しそうだね」
「やるコトないッスからねえ」
あれは七の連中ッスよ、とベルアローが付け加える。
そういえば言っていた気がする。ベリベリアが、七、八、九を飛び越えて自分が来たのだと。
「ねえベルアロー、行って平気なの? 八枝葉のメンバーはみんな残っているんでしょう?」
安全って言ってたじゃん、とミハネ国の民は全員でブーイングをして騒いでいる。
「大丈夫ッスよ。今ミハネさんはおれっちの部下扱いですし、大体正体がバレたところで、ベリベリア様倒してるッスからね。手出しはできねえんス」
もやもやとした霧が道を覆っている。
どうしたらいいのか、自分の無力さが辛くて悲しくて、切ない。
たったの一週間しか経っていない異世界の日々だけれど、ずっと道を共にしてきた仲間が心配でたまらない。今、どうやって、どうして、何を信じて、どこに向かったらいいのか――。
こんな思いが積もり積もってうず高く山を築いたミハネ国中央公園のど真ん中で、美羽は叫んだ。
「いつまでグダグダ悩んでるんだーっ!」
ダン、と殊更大きな音を立てて階段に足をかけた美羽を、ベルアローが振り返る。
「もう、悩むのは飽きた!」
「なんスかミハネさん」
「なんでもないの」
停滞が生むものなんて何もない。
もしもピンチが訪れたなら、その時は神に祈ろう。レレメンドに言われた、異世界の自分の信じるものに。八百万の中にこっそり混じっているであろう、「妄想神」に。
「信じれば道は開けるよね」
レレメンドがちらりと、ほんの少しだけ目を向けた。美羽には、そう見えた。
邪神の祭司様のお墨付きだと思ったらまた力が湧いてきた気がして。
美羽はベルアローに続いて、八枝葉の集う部屋へ足を踏み入れた。