信じ、疑い、ときどき、ときめき
「エステリア様……、エステリア様……」
早く出てくれと祈りながら、美羽は小さな水晶玉へ呼びかけていく。
隣ではベルアローはにこにこと、レレメンドは大真面目な顔で立っている。
なんと愛嬌のある魔物なんでしょう。うまくプロデュースすればグッズがバカ売れするかもしれないと思えるほど、ベルアローのもさもさとしたフォルムと笑顔は「いい感じ」でキャラクターが立っている。
そしてお隣には、見れば見るほど端正な顔立ちの、シリアス度マックスの祭司様。エキゾチックな肌の色、波打った髪はワイルドかつムード満点で、これまた一定の層に確実に需要があるに違いなかった。
このパンチの効いた組み合わせを、美羽はついついチラ見してしまう。
安全なんだか危険なんだかわからない現状はもちろん不安だけれども、でもやっぱり異世界ってエキサイティングなものなんですよね、と。
「ミハネさん、光ってますよ」
ベルアローがばっさばさと葉を鳴らしながら、水晶玉を指差してくる。
「ん? うわ、ホントだ。エステリア様! あれ?」
「ミ……ま…… さ…す……」
水晶玉に映るエステリアの姿はかつてないぼんやり具合で、音声に至っては息切れしているかのような途切れっぷりだ。
「やだ、故障しちゃったの?」
慌ててペチペチと叩きながら、美羽は必死になって訴える。
「エステリア様、レレメンドさん以外とはぐれちゃったんです!」
「……エ…… ……は……ま……」
麗しの女王陛下の姿はゆらゆらとゆれて、水晶玉から放たれていた光はみるみる弱くなっていく。そしてどんどん小さく、遠のいていって、通信時間はこれまでの最短記録を大幅に更新してしまった。
「嘘でしょ」
「ここ、ヒビ入ってるッスよ」
葉っぱまみれの指先が故障個所を教えてくれているものの、暗すぎてわからない。だが、指で撫でてみると確かに、これまでになかったでこぼこが水晶玉の裏に出来ていた。
これはまずい 完璧詰んだ ヤバすぎる。
ずーんと落ち込んでしゃがみこむ美羽の背中に、突然熱い手が乗せられた。驚いて振り返ればそこには邪神の祭司が、世にもどシリアスな表情を浮かべている。
「レレメンドさん」
「まずは傷の手当てを」
壁を転がり落ちた時に裂けた右の袖に、レレメンドの褐色の手が当てられる。よほど血液の流れがいいんだろうなと思える熱さに、美羽は不覚にもちょっぴりカッカしてしまう。目の前の祭司が何を考え、これからどうしようとしているのか。それどころか、一緒に呼ばれて旅して来たのに会話はほぼゼロ、どんなキャラクターかも不明瞭、そもそも、レレメンドその人なのかどうか怪しい状況なわけでとてもカッカしていていい状態じゃあないのに、エキゾチックでミステリアスな美形の青年の破壊力はなかなかのものなのでございまして。
緊張で体を固くする美羽にかざされた手のひらが、うっすらと光を放ち始める。
「うわあ」
夢にまでみた「回復魔法」をかけられている。傷はみるみるふさがって、元通りの健康な肌の状態まで、まるで早回しのように再生していった。
「すごい。あったかい」
これまでに、ウーナ王子にも同じような治療をしていたな、と美羽は思う。そう考えるマネージャーの足にも手をあてて、レレメンドは口をまっすぐ一文字に結んだまま、治療を続けている。
「ありがとう」
この回復の力の源は邪神のものなのか。もしかしたらそのパワーの一端を取り入れてしまっていて、一定量を超えたらおかしな姿になったりしないだろうか。
こんなロマンあふれる妄想を繰り広げながら、美羽はそっとレレメンドの様子を窺った。
「礼には及ばない。異なる世界の巫女よ、我々は互いの世界に戻りその務めを果たす為、力を合わせなければならない」
「みこ?」
ミコじゃなくて、ミハネですけど。目をパチクリとさせる美羽に、レレメンドは邪悪な笑みを浮かべてみせるばかりで何も答えない。
「ミハネさん、どーするんスか? ここにいても何にもありやしませんし、もし上に戻りたいなら道案内するッスよ」
左からはレレメンド、右からはベルアロー。
これまでとは毛色の違う「両手に花」状態に、美羽は戸惑う。
「八枝葉の、案内しろ」
「わあ、レレメンドさんってそういうキャラなんスか。いいッスね、アニキって呼んでいいスか?」
ご機嫌な魔物と邪神の祭司は二人連れだって歩いていく。
うわ、置いていくの? と美羽はまたまた、激しく焦る。
これが魔物たちの策略だったら――!
心がザワついて、足が鉛のように重くなっていく。
でも、行かなければ一人だ。
一人でここに残っても、何も出来ない、出来る可能性は、限りなくゼロに近い。
今は、賭けるしかない。あの二人が「実は、本当に味方だったんです」の可能性に。
ミハネ国の臣下たちが必死になって計算した結果、その可能性は大体五〇パーセント。くっそ役に立たない日和った結論に腹を立てつつ、美羽はレレメンドたちの背を追って駆け出した。
「暗いと歩きにくいッスか、もしかして」
落ちた奈落の底にはふわふわとした柔らかい土が広がっていたが、時折固い岩も混じっていて、歩いている間に美羽は何度も足を取られている。それを見かねたのか、ベルアローはガサガサと身を震わせ、どこにしまっていたというのか、明るく輝く木の棒を取り出して渡してきた。
「ミハネさん、どうぞ」
「いいの?」
「ええ。おれっちの第十四枝節スけど……。それで良ければ」
照れたように頭をバサバサと掻く仕草に、美羽は複雑な気分ながらも、一応笑ってこたえてみる。
スティックライトのお蔭で視界はぐっと改善されて、美羽は改めて辺りを見渡していた。見える風景自体は「なにもない」と言って過言ではないくらい、「モノ」のないひたすらに続く平地だけだ。
少し前を歩くレレメンドとベルアローは、何の迷いもなく前へ前へと進んでいく。ベルアローはいいとして、レレメンドは何故そんなにも自信満々で歩みを進められるのかちっともわからない。足を取られることもなく、軽やかに進める理由はなんなのだろうと、美羽は悩んだ。しかし。
「ミハネさん、あれッスか? やっぱり『十一鋭』が出たんスか?」
暗い暗い地の底で、ベルアローの底抜けに明るい声が響き渡っていく。
風景とあまりにもミスマッチな軽い口調に、美羽も思わず笑ってしまう。
「うん、『十一鋭』って言ってた。名前は名乗らなかったけど」
黄色と薄紫色の妙な二人組だったと話すと、ベルアローは「あー、あー」と激しく葉を鳴らして頷いている。
「その色の組み合わせはセバスッチアーン様ッスねえ」
「セバスッチアーン?」
「ええ。やり方が汚いんで有名なんスよ。なんてったって自分が大好きで、気に入らないヤツは完膚なきまでに叩きのめす的な方ッス。あの人の下につけられた下っ端は大変なんスよ」
異世界の魔物も、普通の人間社会と変わりませんなあ。という思いは横にスライドさせて、美羽はまず最初に覚えた疑問をベルアローにぶつけた。
「二人いたんだけど、どっちがセバスッチアーンなの?」
外見が男の真っ黄色か、声とトークが男の薄紫か。しかしよく考えてみたら「セバスッチアーン」が男性名とは限らないではないか、と気が付いて美羽はまた首を傾げた。ややこしい異世界、異常識にすっかりしてやられているなと、思わず遠い目で暗がりを見つめてしまう。
「え、いや、一人ッスよ。どっちとかじゃないッス」
「もう一人いたんだよ。黄色と薄紫で、私たちに近い人型の、大きいのと小さいのがいたの」
「あー? いや、大きいとか小さいとかじゃないッスよ。ミハネさんが言ってるのは、間違いなく『十一鋭』で一番自分が大好きなセバスッチアーン様です」
二人居たのだ、という主張を何回か続けて、美羽はようやく気が付いた。
「あの二人いるような感じなのが全部で、セバスッチアーンっていう魔物ってことなの?」
「だから、二人じゃないッスってば」
「わかった、わかった、ごめん」
二人の形をした敵、だったらしい。だとしたら、随分ペラペラとひとりごとを喋っていたんだなと思い返して、美羽はこらえきれずにニヤついてしまう。
「ベルアロー、セバスッチアーンっていうのはやっぱり、強いの?」
「強いッスけど、『十一鋭』はみんな『証の振子』が弱点なんスよね。あれ掴んで、切っちゃえば、ポックリいっちまいます。ホント、すぐ死んじゃうとか不便スよねえ!」
ヴァッサヴァッサヴァッサとベルアローは楽しげに笑う。
「そういえばベルアロー、死ななかったもんね」
「そうなんス! おれっちたち八枝葉は結構頑張らないと死なないんスよ。すっごいあれこれ、手順を一つも間違えずに始末しないとダメなんス! 力は弱いッスけどね。へへ。簡単に死なないのが唯一の取り柄っていうか。魔王様が与えて下スったおれっちたちの魂ッス!」
もしも。もしも本当に、ベルアローの話がすべて真実なら。
「敵にならなくて良かった」
一番扱いが厄介であったであろう敵が八体減っただなんて、とんだ朗報だった。
「えっと、ベリベリアが倒されたから、もう十認魔も出て来ないんだよね?」
「そうッスよ。もう『十一鋭』が仕掛けちゃいましたからね。『十認魔』さんたちはみんなヒマになっちゃって。へへ。へへへ。……お菓子持ち寄って愚痴こぼしパーティしてるらしいッスよお!」
お口を葉っぱの手で押さえて、ベルアローは「笑いを堪えきれません」のアクションをしているようだ。
気が付けば楽しいお友達状態でおしゃべりに花を咲かせてしまっている自分に、美羽は焦った。完全にベルアローのペースじゃないかと。
魔物なのに、彼ったらすごく愉快で明るくて、素直な感じだから。気が付いたらいつの間にか、心がオープンにされていたんです。
瞬時に脳内で反省会を開催して、美羽はきりりと顔を引き締めた。そのつもりだったが、ベルアローには変化がない。
「とにかく、七、八、九、十の残りは用無しで今、やさぐれてるッス。『八枝葉短波』でみんなわいわい話してるッスよ」
「なに、タンパって?」
「同じ数字の連中とはどこでもやり取りできるんスよ。おれっちはほら、こっそり寝返っちゃおうって思ってるんで自分からは発信してないんスけど、みんなそんなこと知りませんからね。だから、今誰がどこで何してるとかそういうのをダラダラ流しちゃってて、へへ。おれっちには筒抜けなんスよ!」
ひゅうはあひゅうはあ、楽しげに笑うベルアローにつられてまた笑ってしまう。
それに加えて、美羽が笑っているのを確認すると、ベルアローは明らかに嬉しそうににこにこと微笑むのだ。良かったー、おれっち、理解されてるみたーい! そんなオーラを丸出しにして、全身の葉っぱをガッサガッサと揺らして喜びを表現してくるせいで、ついついつられてしまう。
「ミハネさん、そろそろあれッスね、準備が必要かもしれません」
「ん? なんの準備?」
「もうちょっと行くと、魔物の居住区に入るッス。このまんま行くと、人間が入って来たって即、祭りになっちゃうッスよ」
変装しないとダメッスねえ、とベルアローは一人、頷いている。
「どうしたらいいんだろ。何もないんだけど」
「大丈夫ッス。おれっちの葉っぱつけていけば、『八の二』扱いになるッスから」
「なんなの、それ」
「ミハネさんには申し訳ないんスけどね、『八枝葉専属の部下』ってことなんス。おれっちたちはそれぞれ、四人まで部下を設定できるんス。なので、ミハネさんが『八の二』で、レレメンドさんが『八の三』ってことになるッス」
居住区を抜けなければ地上には出られないんで、とベルアローは少し申し訳なさそうに話した。
魔物の居住区。
変装して、潜入し、脱出を図る。
なんてマーベラスでエキサイティングな作戦なのだろう。当然、美羽は穏やかではいられない。もしもこれがすべて嘘だったらという不安はまだある。けれど、「もし本当ならば」の誘惑ときたら、これ以上ない魅力で美羽を惹きつけて離さなかった。
浮かれてそわそわとする美羽の肩に、再び熱い手のひらが乗る。
「あ、っと、レレメンドさん……」
ベルアローと比べると圧倒的に存在感のない、物静かな祭司の表情はいつも通り。冷静そのもの。ザ・平常心。無我の境地に延々と立ち続ける不動ぶりだった。
その姿に、急速に心が落ち着いていく。
「もしかして、罠だったりする、かな?」
ベルアローに聞こえないように、ひそめた声で美羽は問いかけた。
レレメンドはまっすぐ、ただひたすら前を見つめたままで口を小さく開く。
「すべてはディズ・ア・イアーンの導きのままに」
そして、黒い瞳を唐突に深い緑色に光らせて続けた。
「異世界の巫女よ、既に我々の前に道は開かれている。汝怖れることなかれ。残りの三者を救い、この世界を蹂躙する不届きものたちをすべて屠り、共に神の御前に捧げよう」
この時ほど、美羽が「孤独」を感じた瞬間はなかった。
今すぐ、ヴァルタルと、ウーナと、ブランデリンと顔を見合わせて「怖いね~」と言い合いたくてたまらず、仕方なく脳内のバラ園で三人と声を合わせることに決めた。




