生きるか死ぬかの人生だから
改めて、一行は北へ向かって歩き出していた。
辛気臭い薄暗い森はまだまだ続く。
せっかくそろそろ終わりの位置まで辿り着いていたのになあ。ヴァルタルは不満気にぶつくさと呟いているが、勇者様たちの姿は二日前とはまるで違っていた。
先頭を力強く歩いているのは、戦いを思い出した騎士のブランデリン。
その横を行くのは、背中に純白の大きな翼を持つエルフ的な何かのヴァルタル。
美羽のすぐ隣には、仲間意識とか恋だとかに目覚めた最強魔術師系王子様がおり、その後ろには中身を師匠にグレードアップさせた見習い魔法使いの少年がいる。
頼もしい。実に、頼もしい。
「中身が師匠だと、見習いとは言えないか」
自分の中のへんてこなまとめに首を傾げ、美羽はちらりと後ろを振り返った。
唯一、変化のない男は殿を務めている。レレメンド、破壊神に仕える祭司はいつも通りの無表情だが、一行にきちんとついてくる。その歩みに、よどみはない。
全体的に見て、パワーアップを果たしている。
出てきた結論に、美羽は笑う。
きっと来た時よりも、森を進む速度も上がるだろう。山についたら一目散に登って魔王を倒し、召喚された異世界の皆さまはそれぞれの世界に戻り「ハッピーエンド」を迎えるでしょう。朝のニュースはこんな締めの言葉で終わって、美羽は妄想テレビのスイッチを切る。
おいらーの、母ちゃんはー、北の山のてっぺんでよお~
そしててくてく進むうちに、森の向こうから聞こえてくる声があった。
大きな大きな、枝を伸ばしぃちゃあ~、あっ、ああっああ、子だくさん~
声ではなく、歌、と言うべきかもしれない。美羽の感覚からすると、民謡のようなメロディだと思う。歌声はこぶしがきいていて、静かな森の中にふわんふわんと響いていく。
それは美羽の耳にしか届いておらず――、なんてことはなく、四人の男たちも怪訝な表情を浮かべて鋭い視線を音のする方角、つまり、まっすぐ前へと向けている。
父ちゃんは、酒飲んでえ、指先から媚薬ぅ~
しかし、前方に見えるのはひたすら暗い色の木々と葉、もしくは落ち葉くらいで、不審な影は見えない。最初に出てきた三賢者のように、木の枝の上にいるかもしれない。五人の視線は宙をさまよい、地を這って、敵の影を探している。
シリアスなシーンになるはずなのに。美羽は眉間に皺を寄せながら考える。強敵と決着をつけ、仲間の結束を深めた魔王退治の旅。昏い森の中で現れた新たな敵。
そいつはなぜか自ら、陽気で熱の入った歌声で水を差してくる。
生まれた兄弟、城ぉ、せー、めー、るっ
間に、ジャジャンジャン、と三味線でも入れてやりたくなるような感覚があって、美羽は脱力感のあまり緊張できずにいる。
おいらーの、父ちゃんは、大魔~王~っときたもんだぁ
「あれか」
歌詞が突然核心をついて来たところで、ウーナ王子が右手を大きく振った。
魔術の力で巻き起こった鋭い風が刃になって、前方の、何の変哲もない木へと飛んでいく。
「いてえーっ!」
当たるのか、とまず言いたい。ウーナ王子の魔術を浴びた木はぐにゃんと曲がって、葉っぱを撒き散らしながらのたうち回り始めた。
ヴァルタルとブランデリンが駆け出し、リーリエンデ入りのユーリも手をすっと前に出して構えだす。
一斉攻撃が加えられそうだと気が付いて、木の姿をした敵は慌ててぶんぶんと枝を振って叫んだ。
「待って! 待って、敵じゃないッスから。おれっちの話、ちょっと聞いて!」
もちろん、こんな言い訳が通じる勇者御一行たちではない。ブランデリンの剣が輝き、ヴァルタルの鞭がしなる。細長い木の魔物はあっさり三分割されて、地面へパタンと倒れていった。
「変な敵だったね」
「そうだな、変なしゃべり方をするやつだった」
「歌ってたもんね」
「歌ってなんだ?」
美羽とヴァルタルがこんな会話を交わし、新たなカルチャーショックが発生した瞬間、また新たな敵が姿を現していた。
「もう、敵じゃないって言ってるッスのに」
先程切った木が倒れた場所から、するすると伸びていく。芽が出て膨らんで、のびのびもさもさ、あっという間にもう一本。
「面妖な!」
今度はウーナ王子の魔術で、木は一瞬で灰と化していく。しかし、再びその場から芽が出て、膨らんで、のびのびもさもさ、再びのもう一本。
「気が短い人たちスねえ。まあ、知ってたッスけど!」
木の姿の敵は枝をぶわわっと広げ、十字架のようなポーズを決める。そして、まっすぐに伸びた「首」的な部分をちょこんと傾げて、「ねっ」と可愛くキメた。
「よし、では次は私が!」
勇者様たちの攻撃が一通り済んだのだから、次にやるのは自分だ。そんな感じでリーリエンデが出てきたが、美羽はそれを止めた。
「待って、また同じ繰り返しになるかも。それより、話があるっていうなら聞いてみようよ」
「何故だ、ミハネ」
不気味な敵だと、美羽も思う。再生する木の魔物。呑気な歌声に、喋り方も軽くて妙だ。でも、気になる。「知ってたッスけど」。
「あなた、魔王の手先なんじゃないの? 敵なんでしょ」
「ええ、敵ッスね。でもいや、もう敵とは言えないッスかね。おれっちたちの間に戦いはねえッス、決まりがあるんで」
「決まりって?」
「はは、やっぱりミハネさんは話が早いッスねえ。いや、ここまでずっと見てたッスけど、よくもまあこんなに短気な皆々様方をまとめてらっしゃるッスよ」
「なに、あなた」
美羽との会話に木は満足そうにうなずいて、形を変えていく。
葉がもさもさと増えて、枝も幹も覆っていく。そのフォルムも変化していき、まるで植え込みのような低木へ。美羽と同じくらいの高さの、柱のような形になっていく。
そして最後にくるりと回ると、葉っぱの中から真っ白い顔が現れてニカッと笑った。人の形に近い、でも、人ではない。ベリベリアと似た表皮のような肌に、目のような窪みと、瞳のような緑色の石。葉っぱの中から勢いよく飛び出した、なんとなく手のような、太い枝。
「おれっち、八枝葉のベルアロー! よろしくお願いするッス!」
ベルアローと名乗った魔物を、激しい炎が襲う。
「なにがよろしくだ」
ウーナ王子の放った炎に焼かれて、ベルアローは再び灰になる。けれど、もちろんと言っていいのか悪いのか、また芽が出て膨らみ、伸びて生えて元通り。
「酷いッス。挨拶はちゃんとするッスよ、ウーナ王子」
「挨拶はともかくとして。ちょっと、話聞いてみましょうか」
美羽がどうどうとなだめると、ようやく短気な勇者様たちは剥き出しにしていた歯をしまった。
「いやね、おれっちたちには決まりがあるッスよ。そりゃあ厳しい上下関係がありましてね。名前の前に階級がありますでしょ。おれっちは八枝葉です。八なんス。これ、数が多い程強くて偉いんス。で、自分より上の人には基本かなわないんで、戦っちゃいけないんスよね」
ずっと疑問に思っていた、「数が多いほど強いのか」についての解決が今、ここに。
ベルアローの言葉はとにかく軽い。どこまで信じていいのかわからないが、ベリベリアと違って、その顔めいた部分は非常ににこやかな表情をしており、口調もやたらとフレンドリーだ。
自動翻訳で言葉が変換されているのなら、その中にこめられた感情も伝わるようになっているのかもしれない? 新たに生まれたこんな疑問を心の隅に置きつつ、美羽は問う。
「じゃああなたは、ベリベリアを倒した私たちとは戦えない?」
「そうッスそうッス、ミハネさん飲み込み良すぎておれっち魔物なのにちょっと恐れ戦いちゃってるッスよ!」
もさもさの手をバンバン叩いて、葉っぱを散らしながらベルアローはひゅうはあひゅうはあと音を立てている。どうやら、笑っているような。そんな気がして美羽も思わず笑う。
「ベリベリア様を倒すなんて、本当にヤバイッスよね。十認魔の上にはもうあと二つしかいないんスよ。いや、二つっていうか、十一と十二なんで、魔物の数は合わせて二十三スねえ。あと、魔王様ッスか。最後の砦ッス! ひゅうはあはあはあ!」
またバシバシと手を叩いてすっかりご機嫌な様子のベルアローが笑い終わるのを、美羽は待つ。
「で、何なの? あなたがこうして現れた理由、教えてほしいんだけど」
後ろからひしひしと感じる緊張感。ベルアローは陽気な様子で話しているけれど、当然、それだけで勇者様たちが信じるはずがない。もちろん、美羽だって信じ切っているわけではない。
いつベリベリアのような卑怯な手を使ってくるか。攻撃を加えるたびに蘇ってくるその異常さを、むしろ美羽たちの方が怖れ慄いている。倒す方法がわからない、未知の相手ほどやりにくいものはない。ベリベリアとの戦いで、既に思い知らされているのだから。
「要するに、おれっちたちは用済みなんスよ。あの、人間たちの城を攻めるのは専用のやつらがいて、個別の対応が必要なケースにはおれっちたちが動くんスけど」
いちいち挟まる「ス」の音に、ウーナ王子は苛々しているようだ。ヴァルタルはふんふんと興味深げに頷き、ブランデリンはじっと目を据わらせたまま聞いている。リーリエンデは非常にシリアスな表情をしていて、珍しく「師匠」らしいオーラを醸し出している。
そしてレレメンドは多分、いつものヨガ的なポージングでもしているに違いない。
「個別対応はぶっちゃけ、皆さんだけなんスよ、必要なのは。それで最初にジャルジャードたちが行ったのに瞬殺でしょう? 三のうちの二があっさりやられちゃって、四が行ってまたやられてね? 五も駄目、六も駄目ってなったらさすがにこれはヤバイぞと。それで、飛んで十までいったんスよ。皆さん割と魔法がお得意みたいだしって。そうしたら十でも駄目と来た。次はもう、十一ですよ、十一。すごいッスねえ、ミハネさんたちは」
真正面から褒められて、ヴァルタルだけはちょっぴり嬉しそうだ。
だが、他の面々も美羽も違う。それぞれがどう考えているかはわからないけれど、美羽が感じた不安の中で最も大きいのは「見られている」ということだった。
敵は最初から、異世界召喚された勇者たちを見ていた。どれくらいの強さで、どんな性格なのか。そしてこれから、更に強い敵が来る。強いのが、ワラワラ来るという宣言をされている。
「十認魔のうちの残りは、もう来ないの?」
「あー、どうッスかねえ。わかんないスけど、でも、十認魔の連中は割と戦い好きじゃないのが多いんスよ。ベリベリア様が来たのは、ガーリーをコレクションしたかったからッスからねえ」
そして何より、このベルアローの話がすべて、真実なのかどうか。魔物たちの位とその仕組み、決まり、そしてその他、雑談。雑談部分まで嘘八百なのかどうか?
嘘だとして、意味はあるのか。
ミハネ国の脳内会議は今日も紛糾している。大臣たちは喧々諤々、大騒ぎだ。
「フレンドリーな雰囲気ですが、魔物です!」
「しかし、倒しても倒しても蘇るぞ」
「もしかしたら、ここを叩けば死ぬコア的なモノが隠されている可能性がありますね」
「でも、この話が全部本当なら、かなりの収穫です」
老いも若きも机をバンバン叩き、唾を飛ばしながらエキサイトしている。
ヒートアップしていく会議場を沈めたのは、以前も鶴の一声を放った北の賢者、ジェニシアだった。
「なにより大事なのは、ベルアローが今、何をしようと思ってここへ来たか、ではないか」
全員がはっと驚きの表情を浮かべ、言葉を引っ込めていく。シンと静まり返った会議室で、賢者は美羽をまっすぐに見据え、頷く。
またひゅうはあ笑っている葉っぱの塊に、美羽は問いかける。
「それで、ベルアロー。用済みだから、なんなの?」
「ええあの、そうでした。話にきたんスよ。用済みになっちゃった魔物はつまり、暇なんス。十で駄目なヤツらに、七とか八みたいな半端モンがかなうワケないスからね?」
「暇だから?」
「そッス! 面白そうなんで、来ちゃいました!」
つまり、スパイだ。
美羽はそう思い、美羽を心の恋人だと思っているウーナ王子も、そう思ったらしい。
「間者とする話などないわ!」
風、炎がダメなら今度は氷だ。ということなんだろう、王子の指先からは冷たい飛沫が飛び出して、葉っぱの表面を切り裂き、隙間に入り込んでベルアローを撃つ。
「いたたたたた!」
最後にはギャアと悲鳴をあげて、ベルアローは固まり、根本からポッキリと折れていく。
でも、それはそれ、これはこれ。
また芽が出て膨らんで、花は咲かないけれど、笑顔でばあ、とポーズを決めてくる。
「魔術が効かないなら、物理しかあるまい!」
「もう斬りました」
ブランデリンの冷静な返しに、王子は思いっきり顔をしかめている。
「まあまあウーナ王子、聞いて下さい、受け入れて下さい! 要するに、一緒に行きましょうよってことなのでッス! おれっち、このまま半端で終わるのはイヤなんスよ。八枝葉って下っ端ってほどじゃないけど、上って程でもないじゃん感はもう飽き飽きなんスよ。これって、絶対変動がないんス。八になったら永遠に八のままで、上がりも下がりもしないんス。おれっちたちはほら、デッドオアアライブなんで」
おれっちの人生は大きく変わるのだー! と、ベルアローが叫ぶ。
迷惑かけないので、仲間に入れて下さい! と、葉っぱを揺らしながら、深々と頭を下げる。
「ミハネ、どうする?」
困った顔のヴァルタルに問われ振り返ると、四人の勇者とリーリエンデ入りユーリが揃って視線を向けていた。
美羽は悩み深い表情を浮かべつつ、それにしてもみんなそれぞれイケメンだなあと軽く現実逃避をして気を紛らわせた。