「本当の仲間」の完成形が見えてきた気がして
「ごめんね、ユーリだと思ってたから。つい」
「ついって、ちょっとひどくないですか、ミハネ様」
全員で一通り混乱し終えて、四人の異世界人と一人の現地人は疲れ果てていた。なんとか取り出した水を飲んでようやく一息ついて、全員でテーブルに突っ伏してしまいそうな状態だ。
「どうしてユーリの中身がリーリエンデになっちゃったの?」
「わかりませんよ、そんなの。あの時変な感じがありましたけど、まさか自分の体が消えているなんて」
見た目はユーリのままなのに、しゃべりにはすっかり可愛げがなく、座った姿勢もやけにおっさんくさくなっている。余りにも残念過ぎるこの結果に、美羽の中にはふつふつと怒りが湧いていた。十認魔のベリベリア、死してなお恐ろしく、禍々しい敵。このやるせない気持ちをぶつける相手は既にいないので、行き場を失ったモヤモヤは大体、リーリエンデに向けられてしまったりする。
「ユーリはどうなっちゃったの? もう、元には戻れないの?」
返事はなく、リーリエンデは腕組みをして首を左右へ振りながらうんうんと唸っている。
「ウーナ様、これって魔法でなんとかならないのかな?」
「そういう類の術なら、リーリエンデの方が詳しそうなものだが」
「ええ? そんな、知りませんよ。私の専門は、占星術、召喚術、それに動物への化身や植物学、考古学などそれはもう多彩で、三百年に一人の天才と名高いのですよ。はっはっは!」
「ふーん」
怒りのこもった美羽の「ふーん」には威力があったらしく、リーリエンデ入りユーリはしゅんとしぼんでいく。
「ごめん。リーリエンデが無事だったのは多分、良かったんだと思うよ。だってリーリエンデが死んじゃったら、私たちはみんな元の世界に戻されるんでしょう?」
「それじゃあ、この世界はお終いだもんなあ」
美羽とヴァルタルがこう話すと、リーリエンデはあっさりと笑顔を作って、明らかにウキウキとし始めていた。そうそう、それです、と調子に乗って立ち上がり、めまいを起こしたらしくよろよろと後ろへ倒れていってしまう。
ブランデリンに支えられてベッドに戻され、リーリエンデはまったく遠慮なく横たわるとこう言い放った。
「まだ本調子じゃないので、休ませてもらいますね!」
確かに、本調子じゃないはずだろうと、美羽は自分に言い聞かせていた。
ユーリは一日半拘束されっぱなしだったろうから、肉体へのダメージが大きかったはずだ。もしかしたら隠しているだけで、精神的にも相当な動揺があるかもしれない。自分の体に誰かの精神が入り込んだりしたら? 想像してみたら、恐ろしかった。誰かの体に入っちゃって「きゃっ、どうしよう」は体験してみたい気がしないでもないが、自分の体が好き放題にされてしまうとしたら。
「あれ、じゃあ、可哀想なのはユーリだよね」
いや、逆だって嫌なはずだ。長く使って来た自分の体から離れて、全然違う誰かになってしまうなんて。
「ミハネ」
考え込む美羽に声をかけたのは、麗しの王子様だ。
これからどうすべきか、とにかくリーリエンデの回復は待ってやらなければならない。ユーリを助けてやりたいし、そのためにはリーリエンデの体がどうなったかも突き止めなければならなさそうだ。でも、わからないことは始められない。
だったら、前に進むしかない。
異世界から来た四人は、レレメンド不参加の会議を開いてこう結論を出していた。
「我々も休むべきだ。この二日間は本当に大変だった。恐ろしい敵に出会って、この旅が一体どうなるかと思ったが……」
王子様の視線は優しいが、顔色は良くない。体力不足はリーリエンデだけの専売特許ではなかったなあ、なんて考えて、美羽は反省して笑顔を作って答えた。
「そうだね。もう休もう」
「可愛いな、ミハネの笑顔は。見ているだけで体の底から活力が湧いてくる」
やーめーろーよー!
心の中のミハネ国の南の端には断崖絶壁があって、美羽はその先端に立って夕日に向かってこう叫んでいた。これ以上、ときめかされたらそろそろ脳死しちゃうかんな! と太陽に八つ当たりをして、でろんでろんに蕩けたハートはバケツかタライに入れておかなければどこまでも流れていってしまう。
美羽が液状化した心をゴム製の水切りで全部集めているうちに、仲間達は就寝の準備を終えていた。
「ミハネ、おやすみ!」
ヴァルタルは大きな欠伸をして、ベッドに大の字になっている。
「ミハネ殿、お疲れ様でした」
ブランデリンは鎧を脱いで、ガッチョンガッチョン音を立てている。
「ミハネ、良い夢を」
ウーナ王子は美羽の手を取って、チュッ、みたいな。
たちくらみを起こしてよろけ、そのままベッドに倒れ込んで、美羽はしばらくの間一人で枕相手に悶えていた。やだ。モテ期っていうか好き? いや、好意を寄せてくれているのは一人だけだから、モテ期ってほどじゃないんだけど。でも相手があんな素敵な薔薇満開系王子様なんて命がもたない。心臓が悲鳴をあげている。そう、動悸が。動悸が激しくって最近。ドキドキ動悸、縄文式土器!
このくらいのクソ下らない考えで頭の中を埋め尽くさなければならないほど、美羽は追い詰められていた。リーリエンデは無事だったので、ウーナ王子が真剣に「異世界を渡る方法」を会得した場合、マジで地球に来てしまいそうな勢いだった。元の世界では寂しいボッチの薄っぺら扱いを受けているのはあまりにも気の毒な話だったので、新天地を求めて旅立つのは理解が出来る。出来るけれど、毎日隣に居られたら、早死にしてしまいそうな気がしてとにかく、美羽は落ち着かない。硬くて小さな枕に額を押し付けゴリゴリしていると、ウーナ王子日本でサラリーマンやるとか無理だろう、なんてリアルな妄想が押し寄せてきて、焦る。薔薇の咲いた小さな可愛い庭。白いアーチのついた門。アンティークの家具を揃えたスイートホームのドアを開けて、おかえりなさーい! ただいま、ミハネ。そして頬へ、ただいまのキッス。
「ひゃああああああああ」
ミハネ国のお城もまた、大きな混乱に陥っていた。ミハネ様がご乱心! 騎士団長たちが王の部屋を囲み、大臣は「侍医を呼べ!」とメイドたちを急かしている。
「大丈夫、大丈夫、大臣。だってまだ決まったワケじゃないもん!」
そうだ。ウーナ王子が来るなんて、まだ決まっていない。リーリエンデはすっとぼけた男であり、ひねくれ者のように感じられる。王子との相性だって、あまり良さそうとは思えない。これからの旅は急ぎのものになり、魔王をさっさと倒して世界を救おうであり、余計なおしゃべりに興じている場合じゃあないのだ。
「いやー! 若い体って最高ですね! 私はちょっとばかり体力がないのが欠点だったのですが……。これが神の用意した運命なのでしょうか。この体、すごくしっくり馴染んでいるんですよ。いや、師弟の愛の為せる業かな? ビックリしたんですけれどね、ユーリの潜在魔力は、そりゃあもう凄まじいものがあるんです!」
次の日の朝、美羽は起きて即ブルーな気分の中に沈められていた。
リーリエンデはルンルンと踊るようなステップで朝食の準備を始めていて、美羽と目があうなり、何も聞いていないのにこんな風に話した。
「いやいや、さすがユーリちゃん。私の弟子なだけあって、うんうん、素晴らしい! 師匠と弟子の華麗なコラボレーションですよ。ユーリにはほんの少し休んでもらって、私がビシっと、皆さんの旅のお手伝いを務めさせて頂きますよ、ええ! はい! もう! 任せて下さい!」
ランランルリルリルリルン、可愛い笑顔は弾けるオレンジの香り。素敵なレースのランチョンマットまで敷いた優雅な食卓が出来上がっている。
「ご機嫌だね、リーリエンデ」
「ええ。もう、はい!」
勇者さんたちも起き出して、何事かとご機嫌なユーリの姿をしたリーリエンデを見つめている。
「ねえ、ユーリには休んでもらってって、何? ユーリはどういう状態なの?」
「ユーリはちゃんとこの体の中にいるんです。本人の意識はあるんですけれども、ベリベリアの攻撃のせいで酷く弱っておりまして、まだ目覚められる状態じゃないのです。ですから、私がこの体に入り込んだのはとてもラッキーだったんですよ! 体は動かさないと弱ってしまいますでしょう? むしろ私が使うことによって、魔術師としての素質もぐんと伸びて、これまさにウィンウィン! って話じゃあないですかね!」
ユーリの意識は、体の中にある。
さらっと告げられた朗報に、美羽はほっと安心していた。確かに寝たきりのままでは体の世話も大変だし、大体、リーリエンデがただ「消えただけ」だった場合、この旅は立ち行かなくなっていたわけで。
「ねえリーリエンデ」
「はいはーい! なんでしょうミハネ様!」
「ユーリのことはわかった。ちゃんと無事だっていうなら、安心だし良かったよ」
「そうでしょう、そうでしょう。不幸中の幸いとはこのことで」
「ちょっと待って」
でも、確認すべき点はいくつかある。この後、二人がどうなるのか。一応話をしておいた方がいいだろうと、美羽はゆっくりと立ち上がった。
「リーリエンデの体は、どうなったかはわからないの?」
「わかりません。この世界のどこかに、あるような気はするのですが、ハッキリとはわかりません」
魔術師として感じる「何か」があるのか。
曖昧な話だけれど、これについては許そう。では、次だ。
「ユーリが回復したら、どうするつもり? リーリエンデの体が見つからなかったら、っていうか、ひょいひょい自由に体を行き来できたりするの?」
「それについては、わかりかねます。ユーリが許すかどうかで変わってきますから」
「一つの体に同居もあり、ってこと?」
「過去にそんな魔術師がいたという伝承がありますので、おそらくは可能です」
腕組みをして大真面目な顔で質問をぶつけてくる美羽にビビったのか、リーリエンデの態度もすっかり神妙なものになっている。
「じゃあそれはいいよ。師匠と弟子なんだから、ユーリは許してくれそうだし」
「ですよね。優しい、いい子なんです」
「それ。それだよ、すごく、引っ掛かってるの」
あんまり突っ込みたくはなかった。ユーリを救ったら、リーリエンデは城に帰ると思っていたから。その辺はもうスルーしたらいいよねと思っていたが、こうなった以上言わざるを得ない。
すうっと息を吸って、ゆっくり吐き出して。
十万とんで十六歳の魔女の迫力ある視線に、リーリエンデはびくりと体をすくませて身構えている。
「ユーリの体になったからって、変なイタズラしたりしたらダメだからね!」
「えっ?」
「リーリエンデはアレなんでしょ。ユーリみたいな可愛い男の子が好きな、そのう……、アレなんでしょ?」
個人の好みは尊重されるべき。それがどんなに、歪んでいたとしても――。
美羽はそう考えているが、でも、体の入れ替わりなんてトンデモな事態が起きてしまったのだから。
「ただ好きなだけなら、別に軽蔑したりはしないよ。だけど、なんていうかその」
「や、ちょっと、ミハネ様、やめてくだ」
「具体的にこう……、触ったりとか、変なポーズしてみたりとか、そういうのは良くないと思う。ユーリがかわいそうだから!」
「やめてー! 違います、誤解ですよ! 私のことをなんだと思ってるんですか!」
そんなの、これまでの態度から考えたら明白だ。
腰痛をおしてまでやってきて救いたかった、可愛い弟子の男の子。名前にちゃんをつけて呼んだり、ビビリのくせにいっちょ前に体を張って助けたり。その他にも怪しい言動はいくつかあって。
「違いますって! わかりました。わかりました全部話しますから!」
さっきまでのルンルンルリルリはどこへやら、げっそりとした顔でリーリエンデは白状した。
「ユーリの姉のルルーリという女性がいまして、彼女も城で働いているのですが、それはもう愛らしくて気立てのいい娘でございましてですね」
「本当に?」
「本当ですよ! エステリア様付きの侍女なのです。聞いて頂ければすぐに確認できますから」
ユーリ大好き、ではなく、ルルーリLOVE。これが正解なのですよと、リーリエンデは苦しげに話した。
「本来、私は弟子は取らない主義だったんです。でも、その、ユーリが魔術師になりたいんだと相談を持ち掛けられまして。ルルーリと一緒に来たんです。私はもう、こんなに可愛らしい姉弟が世界に存在するのかと。えへ。もう、すぐに、いいですよーっ! って二つ返事です!」
彼女への心証をよくしたい一心なんで! と話す姿は、ひどく男らしいものだった。話していくうちにテンションが上がったのか、先程までの恥ずかしげな様子はすっかり消えて、今は愛ばかりが溢れている。
それがカッコイイかどうかはおいておくとして、酷いいいがかりをつけてしまったのは確かだった。
「ごめん。変な誤解しちゃって」
「いえ、……ご存じなかったのですから、仕方ありません」
美羽が素直に謝ると、今度は拍子抜けした様子でリーリエンデも頭を下げた。そしてしばらく考え込んで、小声でこう漏らしている。
「そんな風に見えるんですか、私って。もしかして」
全員が頷いたのが、見えただろうか。朝食の間、ぼんくら師匠はすっかり大人しくなって、小さな口でちまちまとパンをちぎっては食べ続けた。
「寄り道した分、早く取り戻さないとね」
「そうだな。さっさと行こう! もう飽きたぜ、こんな暗い森は」
魔王を倒す旅に出て、五日目の朝。
「碧の海」は相変わらず日が差さず、旅のメンバーも元通りになっている。見た目だけなら。
一人は中身が入れ替わって、弟子から師匠にグレードアップが為されている。
偽エルフは翼の生えたイケメンソルジャーに。
アンニュイな王子様は、愛に生きる熱い薔薇生産機に。
臆病者の騎士は、強大な敵を倒した勇者に。
芽生えた友情。お互いを理解し、共に進む。
夢見ていた世界。振り返ればそこにいる頼もしい仲間たち。
美羽はニカッと笑顔を浮かべると、右手を振り上げて叫んだ。
「いせかーい、ファイトーッ!」
「オー」と叫んだのは、やっぱりまだ、美羽だけだった。




