シャッフル オールナイト
ユーリの体が浮いて、地面に落ちる。その様子を、全員が驚きの表情で見つめていた。
「おい、おい、リーリエンデ! 嘘だろ?」
最初に叫んだのはヴァルタルで、美羽を紳士的に地面に座らせてから、慌ててユーリのそばへ駆け寄っていた。倒れた少年を起こし、顔についた埃を指で拭って頭をよしよしして背中をポンポンしながら、辺りをキョロキョロと見回している。
一方で、ウーナ王子を置いて、ブランデリンはベリベリアのもとへ走っていた。念のためになのか、首のあった辺りに剣を突き刺している。しかし、既に体はボロボロに崩れていて、動く気配は最早なかった。
「なんてこった」
ユーリの腕をさすったり、足を撫でたりしながら、ヴァルタルは苦しげにうめいている。
ウーナ王子は美羽のそばに寄ってきて、そっと肩に手を置いてきたりして。
マネージャーとしてはこの大変な事態についてアレコレ心配したり思案したり、みんなの意見を聞いたり確認事項を粛々と、と思っていたはずだったのだが、後頭部の後ろにすぐ、息がかかっているのがわかっちゃうくらいすぐそばに、世にも可憐なお美しいお顔があるとわかったら、君は動けるだろうか? いや、動けるはずがない。
「ミハネ」
真後ろにあったはずの顔が、ちょっとズレて右耳のすぐ斜め後ろくらいに移動している。美羽はガクガク、膝で笑って心はマックスハッピー。浮かれてフワフワしてしまって、ついでに恥ずかしくて動揺しまくりで、顔は真っ赤、額には大量の脂汗、鼻血の準備は相変わらずオーケー。いつでも出撃できます、ボス! とパイロットは親指を立てていて実に頼もしい。
「ミハネ、無事で良かった」
今はリーリエンデとユーリの心配っすよ、王子! と言いたいのに、美羽はあうあうするだけで何も言えない。するするっと布地がこすれる音が響いて、細長い腕が後ろから伸びてくる。それで、美羽の肩のすぐ下辺りをぎゅっと抱きしめてきて、わーい、天国だよおー! みたいな心持ちだ。
薔薇が咲いてる。トゲのついた蔓が伸びて、葉を茂らせ、つぼみがあっという間に広がって白い花を咲かせていく。美羽の「妄 想 眼」にかかれば、薄暗い森の中もあっという間に素敵なバラ園に大変身!
ああ、芳しい香りに満ちたこの場所は、理想郷と書いてなんと読もうか。ユートピア? シャングリ・ラ? それともやっぱりパラディーソ?
「おいおい、ウーナ! そんなことしてる場合じゃねえだろう。ミハネが好きなのはわかったから、今はとにかく、ユーリとリーリエンデをなんとかしてやらなきゃ」
「すまない」
お母さんの一言で、夢の時間は強制終了。胸をドキドキさせつつ、美羽はほっと安心していた。これ以上抱きしめられていたら、もしかしたら死んでいたかもしれない。そのくらいの衝撃体験だった。
はあっと息を吐きつつ、気持ちをなんとか平静に戻していく。
結局、どれだけ探してもリーリエンデの姿は見つからなかった。
透明にされたとか、ミニマムになってしまったのでは? なんて可能性を、美羽は必死になって勇者たちに説明した。もし姿を変えられてしまっていても、リーリエンデは魔術師なんだから、なんらかの方法でコンタクトをとって来るんじゃないかと。
死んでしまったのでは、ないのなら。
その可能性にかけて散々呼びかけ、探したのに、返答はなかった。ベリベリアの最後の恨みがましい一撃を背中に受けて消えて、それっきり。小うるさくて偉そうで使えない召喚術師は、あまりにもあっさりと、美羽たちの前からいなくなってしまった。
ユーリを休ませるために出した魔法の天幕の中の空気は重い。
残り少ない水を使って、ヴァルタルは少年の体を拭いてやったりして忙しそうに動いている。それ以外は、真ん中のテーブルに並んで座って、じっと口を開かないまま、重苦しい沈黙に身を委ねている。
昨日の夜突然現れ、言いたい放題言ってヘタレまくった魔術師。
目を閉じて思い返してみても、ろくな思い出がなかった。思い出が出来るほどの時間もなければ、エピソードもない。そこまで考えて、美羽はあれっと首を傾げた。もしかしたら、あんまり悲しむこともないんじゃないか――。
薄情すぎるこんな結論に思わず苦笑して、いやいやと首を振る。ユーリが目覚めたら悲しむだろうし、死んでいい人間などこの世にはいないのだとかなんとか、いい人ぶった考えを掘り起こして自分の前に並べていく。
「やれやれ、まったく、参ったなあ」
ユーリのお世話を終えたヴァルタルも席に着いて、異世界召喚組が揃う。
「ユーリは?」
「わかんねえ。そのうち目を覚ますと思うぜ」
「そう」
ユーリが目覚めなければ、また補給係がいなくなってしまう。天幕はあっても水や食料がない。地球の奥山家の冷蔵庫も、そろそろ本格的な調理が必要な原材料しか残っていない。
ため息を吐き出そうとして、美羽はそれを慌てて飲み込んだ。でも、顔が歪んでしまう。唇をとんがらせ、鼻に皺をぎゅうぎゅうに寄せた顔を作って、腕組みまでして考える。前向きにならなきゃ。先に進むことだけ考えなくちゃ。
でも、脳裏に浮かぶのは間抜けな師匠の声や、変な髪型や、おっかなびっくりへいこらしてくる姿ばかりで、結局美羽の口からは小さくため息が出てしまった。
「ミハネ、エステリア女王に報告しておくべきではないか」
見上げればそこには、少しばかり顔色がよくない薔薇満開系の美麗な王子様がいて、美羽をまっすぐに見つめている。瞬きはするけれど、視線はまっすぐ、まったくブレない。青い瞳から放たれたビームが胸に刺さって抜けないこの時間は、天国か、はたまた地獄か。
「ミハネ、大丈夫か。……恐ろしかっただろう?」
返事がなかった理由を、王子様はとても紳士的な思考で推測したらしい。
戦闘の経験も技術もないただの女の子が、勇気を振り絞って、人質の代わりに自分が行こうと決意して、恐ろしい敵に向かって一人で進んでいたのだから、おっかなくて当然だ。美羽も勿論、ベリベリアのもとへ進んで行こうとした時にはちょっとくらい恐怖を感じていたし、一歩目はなかなか踏み出せなかった。
でも、ほんのりワクワク、あーこれ散々妄想してきたやつだという思いもあったし、私いま超主人公的! みたいな悦楽も感じていた。なので、真っ白い手袋をわざわざはずして、手をぎゅっと握って来られたりすると、恥ずかしい上に申し訳ない気分にまでなってしまったりする。
「ううん。だって、みんながほら、なんとかしてくれるってわかったから。怖くなかった」
しどろもどろ、顔真っ赤、足はモジモジ。膝をこすり合わせながら、なんとかこれだけ答えるだけで精一杯。そんな美羽に、翼エルフが明るく笑いかけてくる。
「ミハネならわかってくれると信じてたぜ!」
「そうだ、ヴァルタル。翼が生えてるなんて知らなかった。どうなってるの?」
「封印されてたんだよ。あの首輪は管理用の仕掛けもついているんだが、翼を出せなくなる変な信号を出してたのさ」
「へえ、いや、あの、そうじゃなくて。ヴァルタルの世界の人はみんな翼があるの?」
「そんなワケないだろ。俺は……」
明朗快活な耳長翼付きの異世界人は、急に笑顔も言葉も引っ込めて遠くを見つめ、黄昏はじめてしまった。これは多分、いや確実に「ワケあり」だ。
勇者さんたちはみんな、もれなく深い事情を抱えているらしい。話してほしいけれど、もしかしたらデリケートな問題かもしれないので、ズカズカ踏み込むのは躊躇われる。
こんなやり取りの間も、ウーナ王子と美羽の手は繋がりっぱなしだ。手袋の中に隠されていた手は真っ白で、すべすべしており、指は細長く美しく、無駄な指毛なんてめっそうもない! つまり、生えていない。爪の形すらエレガントで、文句をつけられる箇所は皆無。
そんなすべすべハンドになでなでされたら、恋愛経験値も偏差値も最低スレスレの美羽の頭には血がのぼって、そろそろゆだってしまいそうなわけで。
「え、えっ、エエエエステリア様に報告しますーっ!」
わざとらしく右手をまっすぐピーンとあげて、美羽はあたふたとカバンの中を探った。小さな水晶玉は汗だくの手の上で滑って、宙を舞ってしまったりする少女漫画的ドジっ子展開を経て、ブランデリンの大きな手の中に収まった。こちらも素敵な騎士様スマイルを浮かべており、どうぞと手渡されただけで心臓が飛び出しそうなほどだ。
狼狽ってこういうことか。狼狽、狼がなんだって? 狽ってなあに? けものへんに貝って? わっかんねー。わかんねーけどとにかく、しょうがないからホタテで手を打とう。
「ありがと、ホタテさん」
「ホタテ?」
大真面目なブランデリンのホタテ発言にますます焦りつつ、美羽はようやく水晶玉をテーブルの上に置いた。
ただの連絡ではない。ユーリは人質に取られて、勿論安否は心配だった。けれど、今回のリーリエンデは「消えてしまった」。
勇者さんたちも深刻な表情で、美羽の周囲で口をかたく結んだまま控えている。
つまり、視線が自分に集中していて、美羽の焦りはちっとも収まらない。
でも、エステリアには伝えなければならない。
大切な、彼女に仕える召喚術師について、報告はしなければならない。
「エステリア様」
かっかと火照る頬をペンペンと叩きながら、美羽は小さな水晶に向かって呼びかけていった。
「エステリア様、美羽です」
「……ミハネ様! ご無事で何よりです」
水晶玉の中にぼんやりと浮かんだ白い影が、美しい女王様の姿に変わっていく。若い女王は優しげな微笑みを浮かべて挨拶を述べると、すぐに表情をキリリと引き締めて美羽にこう問いかけた。
「リーリエンデから連絡が途絶えております」
「リーリエンデは、敵の攻撃を受けて……、その、消えてしまったんです」
「消えた?」
ユーリは無事に助け、敵は倒した。今日あった出来事をすべて正直に美羽が話すと、エステリアはほんの少しの間だけ目を伏せたものの、すぐにまたまっすぐに美羽を見つめて、力強く頷いた。
「リーリエンデは生きています。どのような状態かはわかりませんが、彼の命が尽きたのなら、ミハネ様たちは元の世界に戻っているはずですから」
「そういうシステムなんですか」
「そうです」
説明の時間が長かったせいなのだろう。ここで、水晶玉の通信はぷつりと途切れてしまった。ただのビー玉に戻ってしまった水晶玉に向かって顔をしかめて、美羽は首を傾げている。
「あの黒い矢に当たって、リーリエンデは煙になって消えちゃったんだよね」
どこかに閉じ込められているのか。姿を変えられたのか、それとも捕えられているのか。知りたいけれど、知る術がない。もどかしくてお尻のあたりがムズムズして、美羽は唸った。
「大丈夫だ、ミハネ。俺たちのやることに、何のかわりもないぜ」
翼は今、どこにしまっているのか。背中のどこに翼を収納しているかわからない細マッチョは眩い笑顔を浮かべて、殊更明るく笑ってみせた。
「早いところ魔王とかいうのを倒せばいいんだろ。その途中に、リーリエンデだって見つけてやるさ」
「ヴァルタル」
あんた、ほんまにええ男や。適当なニセ関西弁で感心しつつ、美羽もにっこり笑う。それを見て、ブランデリンとウーナ王子も微笑み、ここまで特に触れてこなかったレレメンドに関してはいつも通り、天幕の隅で一人きりの冥想タイムをエンジョイしている。
「ううん」
その小さな声と、美羽のお腹が鳴ったのはまったく同時だった。
全員でベッドへ駆け寄り、目をうっすらと開きかけている少年の顔を覗き込む。
「気が付いたの? 大丈夫? 気分は?」
「ミハネさま……」
唇がカラカラに渇いている。声も掠れて、ユーリは「弱ってます」感を一二〇パーセントにして、瞬きを繰り返している。
「みんなが見える?」
「はい」
「良かった。良かった! ベリベリアは倒したよ」
「はい」
声は弱々しいものの、少しずつ瞳には力が戻ってきている。改めて、ユーリは綺麗な顔の少年であり、ついでにとても知的だった。礼儀正しいし、可愛いし、とにかく世界素敵な少年ランキングがあればかなり上位に食い込めるであろう逸材であることだなあ。そう考えたら緊張が一気にほぐれて、美羽はようやく心の底から笑顔を浮かべた。
「どこか、痛いところとかない?」
「ああ、ちょっと、あちこち痛いです」
「本当に? そうか、薬を出したらいいんじゃないかな。起きたばっかりで頼むのはちょっと申し訳ないんだけど」
「ミハネ様、どうしたんですか? ちゃんと役割通り、やります。大丈夫です」
健気に立ち上がってよろける少年の体をヴァルタルが受け止め、手伝っていく。ニコニコと可愛い笑顔を浮かべた姿にたまらない気持ちになって、美羽は思わずユーリの頭を撫でた上、ぎゅうっと抱きしめた。
「はわぉう!」
「無事で、本当に良かった! 良かったよ!」
「えへ、あの、ありがとうございます」
最後にもうひと撫でして離れると、ユーリはやけにもじもじと恥ずかしそうであり、これはもう思春期に突入する頃なんですな、なんていう理解ある大人の気分だ。
「えっと、そろそろ、お腹もすきましたね」
「そうだよね。よく頑張った。本当に……」
でも、あなたの師匠は。
いつ打ち明けるべきなのだろう。ユーリにとって、あまりにも残酷な話。今、彼の姿がないことにいつ気が付くだろう?
目が覚めて、しっかりと意識を取り戻した姿はとても嬉しくて。
今だけはこの喜びに浸っていたい。
しかしそんな美羽たちの思いを打ち破ったのは、ほかならぬユーリ自身だった。
「あれ……?」
カバンに手を突っ込んだ姿勢で、ユーリは首を傾げている。
「どうしたの?」
手がゆっくりと戻されていく。カバンの中から取り出した物はまだないらしく、小さな手の中はからっぽだ。
まだ柔らかそうなふっくらとした手を、ユーリは目を見開いて凝視している。かと思いきや、自分の腹を叩き、足をバタバタと動かし、ついでに足の裏の確認までして、最後にブランデリンの前まで走り、よろけながら鎧にしがみついて、そして叫んだ。
「何じゃこりゃあああああ!」
それはこっちの台詞だ、と全員が思っただろう。
美羽も驚いて、明らかに様子がおかしい少年の顔を覗き込んだ。
「どうしたの、ユーリ?」
「ユーリじゃない。私は……、私は、リーリエンデです!」
道理でさっき「はわぉう!」なんて叫んだはずだ。
ぎゅっぎゅなでなでしてしまったことを思い出したら我慢できなくなって、美羽はつい、リーリエンデ入りユーリを思いっきり、突き飛ばしてしまった。