秘技 「あえて空気を読まないでこの場で言っちゃう」の術
工具セットから取り出したプラスドライバーを持つ美羽を手で制して、ヴァルタルが向かったのは瞑想中のレレメンドのところだった。
「なあレレメンド」
スーパーマイペース祭司様は現在も目を閉じたままで動かない。それには構わず、ヴァルタルは続けた。
「今からこの首輪を取ってみるんだが、もし怪我をするようなことがあったら、俺はともかくミハネだけは治してやってくれ」
祈りのために閉じられた瞳は開かない。
ヴァルタルはふうっと息を吐き出すと、レレメンドの肩を押すようにして強く叩いた。
「頼んだぞ」
邪神の祭司様の体はグラリと揺れ、しかし倒れずに元の姿勢に戻る。
「さ、やってくれミハネ」
ヴァルタルは椅子に座ってドーンと構えている。
美羽はその背後に立って、ハラハラした気分だった。
「大丈夫かな」
「大丈夫だよ。おい、ブランデリン! 俺たちになんかあったら外にいるウーナたちに報せてくれよ!」
騎士の体はビクリと動いて、少し震えているようだった。細かいカチカチ音が天幕のすみから聞こえてきて、美羽はほんの少しだけ微笑んでいる。
「ヴァルタルって本当に、いい人だね」
馴れ馴れしい人って、あんまり好きじゃあない。美羽はこれまで、そう思っていた。
やたらとノリのいい友人が、事あるごとに声をかけてきてこうまくしたててきたりする。
美羽もおいでよ、一緒にやろうよ、えーなんでこないの? どうしてやらないの? 楽しいのに、なんでなんでなんで?
もちろん、友達との時間は大切なものだけど。でも、一人で窓の向こうを見つめる時間だって欲しいんだ。カフェの外を早足で過ぎていく人たちの向こうにあるドラマを感じたいし、小学生同士の意味のわからない大人ぶっているだけの会話にも耳を傾けたい。圧倒的なリアルばっかりじゃなくて、リアルの向こうにあるたくさんの要素を噛みしめて、膨らませる時間だって欲しいんだ。
距離を一気に詰めてきて親友認定しては、振り回してくる「ともだち」。
彼女たちのスタイルは、自分には合わない。そう思って来たけれど、ちょっとくらいの強引さがなければ開かない扉もあるんだろう。
ブランデリンがゆっくりと立ち上がって、ヴァルタルに向けて頷く。
その瞳は強く輝いて、まっすぐ、美羽にも向けられた。
「そうか? そんな風に言われたのは初めてだな」
「ドラマの主人公みたいだよ」
ドラマってなんだ? と偽エルフは呟いている。
美羽は柄の長いドライバーを首輪に当てて、力を込める。
「じっとしてて。痛かったら言ってね」
おう、という返事を聞いて、美羽は手首をひねった。衝撃が加わったせいだろう、ヴァルタルの体がビクリと揺れる。けれど、痛いだのなんだの文句の類は出て来ない。
ネジらしきものはあっさり、ぐらりと動いた。
「ネジだ、これ」
異世界のネジを、ゆっくり回していく。起爆装置がついていたらどうしよう。麻酔じゃなくて、毒針でも出てきたらどうしよう。不安で額には汗が浮かんで、体が一気に熱くなったり、冷え込んでいったりして忙しい。ほんの小さな音ですら、何かの前触れに思えていちいち緊張してしまう。
頑張れ、美羽!
妄想国家の住人たちがすべて集まって、国王様を応援し始めている。
これさえ取れれば、ヴァルタルさんは助かります!
しかも、戦えるようになるって言ってます!
美羽の好きなラベンダー色の旗を振り回し、民衆が口々に叫んでいる。
「戦えるようになる……って言ってたっけ?」
「ああ。なるぜ」
今だって、戦えてはいるのに。
この首輪には他にも、効果があるんだろうか? 何らかの力を封印でもされているのか。これを取ったら突然暑苦しいマッチョになってしまったり、巨大化でもしたらどうしよう?
「大きくなったりしないよね?」
「何が大きくなるって言うんだよ」
呆れたような笑い声が響く中、ネジは大きく傾く。
「取れそう」
「ホントか?」
「ネジがね。まずはこれを、抜いてみるから」
「頼むぜ」
この大きなネジが取れただけで、首輪自体は外れないとか。そんな悲劇があったらどうしようか悩みつつ、美羽はそっとネジの頭を指でつまんだ。
なんの抵抗もなく外れて、それは美羽の手の中に収まっている。爆発なし。自分にもヴァルタルにも、異常はない。
続けて美羽は、首輪本体の様子を窺った。ネジを外した部分が緩み、そこにはあからさまな隙間ができている。
「もしかして、これで取れたりしてね」
でも、囚人管理用のキーアイテムだし。
そんな不安も次の瞬間、爆発四散。なくなって、スッキリクッキリ消し飛んでいた。
「取れちゃった」
金属の首輪はぱかっと開いて、簡単すぎるだろとつっこみたくなる程あっさりと外れた。ぽろりと落ちてきたそれを受け止めて、ヴァルタルは立ち上がり、勢いよく美羽の方へ振り返る。
「やっぱりお前はすごいな! ミハネ!」
上半身裸の細マッチョ色男風エルフさんに思いっきり抱きしめられて、命の恩人の美羽の方が今は昇天寸前まで追い込まれている。
顔のすぐ横に顔がある。ほっぺとほっぺがくっついているよお! 脱力した気を付けの姿勢のまま動けず、美羽はただただ、優しいお母さん系イケメンに抱かれてブラブラと揺れている。
こういうシーンのお約束とばかりに、まんまとウーナ王子とリーリエンデが天幕へ入って来て固まる。美羽には見えていなかったが、背後ではブランデリンも口を大きく開けてわなわなしており、乙女ゲーム風、いわゆるひとつの逆ハーレム的な修羅場を迎えようとしている! ように思えた。
「おい、ウーナ! 見てくれ、ミハネが首輪を外してくれたんだ!」
「……なるほど、それでその状況なのか」
人の良い偽エルフのピカリンスマイルで、緊張感が解けていく。
「ああ、すごくいい気分だ。とうとう俺は解放された! この世界に来て、本当に良かった!」
再び美羽を力いっぱい抱きしめて、ヴァルタルが叫ぶ。物理的に苦しいだけではなく、これなんだろう、もしかして男の汗の香りですか。そうですか。だって上半身裸ですもんねであり、美羽の鼻の血管はブチ切れ寸前。セリフは「はわわ」しか出てこないし、ボケーっとして頭は回らない。ちょっぴり幸せとってもスパイシー、水色の髪の毛って一本一本だと色が薄いなあなんていう、現実逃避に思考能力のほとんどを使ってしまっている。つまり、美羽は大変な混乱状態に陥っていた。
「ミハネ、俺からの感謝のしるし、受け取ってくれよ!」
体が離れて、ヴァルタルは突然踊り出した。カッコよくターンとか、ステップを踏み鳴らすのではなくて、クネクネゆらゆらした非常に妖しいオクトパス風ダンシングで、美羽の意識はそれでようやく通常運転に戻った。
「ミハネ、リーリエンデから使えそうな術を教わった。これで今日の勝利は約束されたも同然だ」
「ミハネ、俺も戦うぜ! ウーナ、俺に使えそうなものがないか、あとで相談させてくれ!」
ウーナ王子とヴァルタルが、二人揃ってビシっと決める。
そこにおずおずとブランデリンも進んできて、隣に並んだ。
「私も、戦います。皆さんと一緒に。皆さんがここまでしているのに、私だけ、何もしないわけにはいきません」
ここにきて、大体のメンバーの心が一つに!
カッコ悪いキャッチコピーだが、美羽は感動の余り目を潤ませていた。先程までのヴァルタル・セクシー・ショックの影響もあってのことだが、嬉しさで涙が出て当然の状況だ。
「ユーリはあの時、敵に捕まってさぞ恐ろしかっただろうに、自分のことはいいと、そう言いました。私よりもずっと幼い彼が勇気に溢れていて、私は、とても……、とても、情けない」
苦しげに、吐き出すように話す騎士の背中を、まだ上半身裸のヴァルタルが優しく叩く。ウーナ王子も重々しく頷き、美しい瞳を騎士へと向けて告げた。
「大丈夫だブランデリン。私がお前を支える」
「ウーナさん、ありがとうございます」
ブランデリンがほんのり笑顔を浮かべて、脱囚人を果たしたヴァルタルが大きく声を張りあげる。
「よし、じゃあ腹ごしらえだぞ! 急いで食って、準備しよう!」
少し早い昼食は、とても和やかなムードの中で。
意を決した騎士の瞳は鋭く、自分を縛る首輪を取った偽エルフは清々しく、新しい技を会得した魔術師は自信に満ちあふれている。
単純で体力不足のお師匠様も、散々持ち上げられでもしたのかご機嫌だった。
邪神の祭司については、以下省略でいいレベルでいつも通り。
「ミハネは後ろにいてくれ。いざという時はリーリエンデが守ってくれる」
ウーナ王子の台詞に、美羽は思わず首を傾げた。
「本当に?」
師匠はショックを受けたようだが、王子様の微笑みはまた薔薇の花びらをまき散らす華麗さだ。
「安心しろ、ミハネ。リーリエンデは臆病者だから、そばにいれば一緒になって守ってもらえるだろう」
なるほどそういう理論だったか、と美羽は笑う。
このいい雰囲気。
チームワーク皆無の勇者たちをまとめる役目を、自分は果たしているのだろうか?
ふいにそんな疑問が湧き出して、美羽はそっと全員の様子を窺った。
全員がモリモリ食事を胃にかきこんでいる中、小食なウーナ王子だけが既にその手を止めている。
なので、目があってしまった。世界で一番美しい湖をそこに浮かべているかのような、青い宝石のような瞳と。
「ミハネ」
「へえ」
優しげに微笑んだ状態のお美しい方に突然声をかけられたら、返事はここまで間の抜けたものになってしまうらしい。最初の村で出会った農夫のような答え方をして、美羽はヘラヘラっと笑う。
「……今朝はリーリエンデを、女性に慣れていないような言い方をして思い切り貶めたが、実際には私こそがそうなのだ」
「はい?」
何を言い出したのかサッパリ理解できず、美羽はただただまばたきを高速で繰り返している。
「私は王家から追い出された人間だ。実際には、追い出されてはいない。だが、いないものとして扱われている。私はそれに耐えられずに城を出ただけで、一応従者のような者は二人いるのだが」
「はい」
ウーナ王子の瞳はまっすぐ、美羽だけしか見ていない。
他の四人はまだ食事を続けているものの、興味津々な様子で王子へ目を向けている。
「城を出てどうすべきか悩んで、私は竜の保護区へ向かった。彼らは心が優しく、差別をしない。大きな体に見合った大きな心の持ち主だ。私を歓迎してくれたし、竜と共に暮らす精霊たちは魔法を教えてくれた。前に話した私の大叔父についても、彼らから聞いたのだ。私の容姿は大叔父にそっくりで、まるで生き返ったようだと。その懐かしさもあって、私を迎え入れてくれたのだと話してくれた」
確か絶滅寸前の竜を、大叔父様が救った。ノートにもそうメモをしていたが、容姿までそっくりだったとは新しい情報だ。後できっちりアップデートしておかなければならない。
「それで、私は愕然としたのだ……」
イイ話ダナー、で済む案件ではなかったらしい。ウーナ王子の髪はブワワっと逆立ち、怒りのオーラを放ち始めている。いや、怒りだけではない。哀しみだ。悲哀がこめられた、やるせない怒りが王子の全身から放たれている。
「どうして?」
「大叔父の話は幼い頃に聞かされていた。残り六頭まで減ってしまった竜を、しかも雌しか残っていなかった状態だったのに、なんらかの方法を使って増やし、国内に保護区まで作った方なのだと。他の国から抗議を受けて、危うく戦争になりかけたがそれでも竜を守り抜いたのだと」
「すごいじゃない」
「そうだ。すごいのだ。大叔父は生涯のすべてを竜に捧げた。彼は竜を愛し、竜のために生きた。一生独り身で、竜とだけ過ごし、そして死んでいった」
王子は震えている。
どうしてなのか、美羽にはよくわからない。
「私は、そうはなりたくない!」
ズバーンと叩かれて、テーブルが揺れる。食事に夢中な面々も、レレメンド以外は驚いたらしくビクリと体をすくめていた。
「容姿がそっくりの私が……、竜の保護区で暮らしていたら、大叔父と同じようになってしまう! 確かに私の体は薄いが、ただそれだけで迫害されるなんて冗談じゃない。贅沢は言わない。兄上の相手のような絶世の美女でなくて構わないから、私だって妻を迎えて温かい家庭を作り、生まれてきた子供がどんな風であってもこれ以上なくたっぷりの愛情を注ぎ込んで育てて幸せを感じながら暮らしていきたいのだ!」
美羽にできる返事は「ほえー」程度だ。
この激怒の着地点は一体どこなのか。まったく見えてこない。
「済まない、取り乱して、大きな声を出してしまった……」
「大丈夫です。ちょっと、ビックリしたけど」
反射的にいい人そうな返事をした美羽に、王子はふっと笑った。
心がでろんでろんに溶けてしまう。こんなにビューティフルなスマイルの持ち主が、美しいから国外追放、じゃなくて、薄っぺらいから国外追放されるなんて意味がわからない。おそるべきは、異世界の異常識。
「私はリーリエンデから異世界召喚について少し学んだ。応用すれば、異なる世界へ渡れるようになるかもしれない」
「へええ?」
「この戦いが終わったら。ミハネ、私はお前のいる世界に行ってもいいだろうか?」
クエスチョンマークが頭の中にあふれて、耳の穴からぽろぽろと零れ落ちていく。
「えと、あの……、うん。そう? ああ、えーっと、なるほど? そうだね? だって、地球にくれば……、そか。うん、確かに! ウーナ様モテまくっちゃうと思います!」
「違う。ミハネ、私は君と生きたい。このような普通ではない状況で私たちは出会った。これが運命でなければ一体何だというのだろうか」
その後の台詞、展開、行動の一切を、美羽は覚えていない。
気が付くとそこは森の中で。
視線の先にはそれは禍々しい、今日戦うべき敵の姿が既にあった。