フラグ、大地に立つ!
ピロピロピロ、と電子音が鳴り響いて、天幕の中は一斉に慌ただしくなっていった。聞き慣れない妙な音の正体は何か探し回っていたようで、美羽が目を開けたすぐ前に三人のグッドルッキングガイのご尊顔が並んでいる。
「はーお!」
自分でも聞いた覚えのない間の抜けた声をあげると、ヴァルタル、ウーナ、ブランデリンの三人は同時に美羽へと目を向けた。
「ミハネ、何の音なんだ」
「ごめん、アラームだよ! 決まった時間になると鳴るの」
手を伸ばし、バシバシ叩いて音を止める。素敵なお顔が去って行って寂しいけれど、心臓君のためにはその方がいい。
レレメンドはいつから起きているのか、朝の冥想タイムをひっそりエンジョイ中。
一方、お疲れのリーリエンデ師匠はまだまだ夢の世界で溺れているようだ。
「おい、あんた、起きろよ。ユーリを助けに行くんだろ?」
ヴァルタルに散々揺さぶられて、師匠はイヤイヤしながらようやく起き上がっている。
「年上には敬意を払えって言っているだろう、ヴァルタルレルガルエルガルガル」
「名前間違ってるぞ」
「うるさいよお、もう……」
ガルガルじゃねえよ、と舌打ちをするヴァルタルを、リーリエンデは態度が悪いとますます怒る。
「用事がなきゃ、ずっと寝ててくれたってかまわねえんだぜ」
師匠が出してくれなければ、朝食は食べられない。魔法のカバンに無理やり手を突っ込ませて、文句を言いながらヴァルタルは朝ご飯の準備を粛々と進めている。
「おい、ブランデリン、かわってくれ」
「何故ですか」
「お前の並べ方はなってない」
偽エルフはまるでお母さんのようだ。情に厚く、率先して動く。困っている子を放っておけない。事情があればそれを聞いて、理由がわかれば全力で味方になってくれる。なるほど、肝っ玉母ちゃんの特徴と完全に一致している。
ヴァルタルがリーリエンデに朝食を引っ張り出させて、それをブランデリンがテーブルに並べていく。そんな役割分担をお利口な二人組は実行していたのだが、騎士の家で育ったお坊ちゃまは気の利いた仕事が出来ないらしい。確かに、出されたものはすべて一ヶ所に山積みにされていて、最初に出されたパンは既に潰れて形が崩れてしまっている。美味しそうな焼き立てパンが台無しであり、食欲減退のもとを製造するのはそろそろやめてもらいたい。
しゅんと小さく落ち込んで、ブランデリンは気が進まなそうな顔でヴァルタルと役割を交代していった。
「おい、おい、痛いぞ。強く掴まないでくれ」
「すみません、すみません」
着替えを済ませた美羽も、テーブルのセッティングを手伝っていく。王子様は悠々と食事が並ぶのを待っており、レレメンドは何をしているのか不明だが、奇妙なポージングで隅の方に立っている。
野宿続きでも、従者はいたのだろうか。堂々と食事をただ待っているだけの王子様は、さすが王族は違いますねと言いたくなるような自然さだった。優雅な人がいる風景はそれだけで「いい」もので、あまり文句をつける気になれない。
準備が済んだら、すぐに胃の中へかきこまなければならない。ユーリが待っている森の東の端まで、急いでいかなければならなかった。
だというのに、師匠は不満顔で気だるさ全開、腕が痛い、腰が痛い、寝不足で頭が痛いとブーブーブーブー。愚痴をノンストップで繰り出している。
「弟子を助けに来たんじゃないのかよ」
「助けに来たさ! だからこんな辛気臭い森の中までわざわざ来たんだ」
「じゃあ黙って用意しろよ」
「君たちのことを随分助けているのに。なんて言いざまなんだ」
年長者に対して云々、態度が悪いんじゃ云々、怨嗟の呟きは黒い霧になって天幕に充満してく。
当然、ヴァルタルはムカついた表情だし、王子様は軽蔑の視線を向けている。気の小さい騎士はすっかり恐縮しており、やっぱりレレメンドのメンタルの強さは半端なかった。彼だけはただ一人、ひたすら我が道を進んでいる。
「リーリエンデさん、お疲れなのはわかりますけど、とにかく急がないとユーリが助けられないから」
せっかく勇者御一行様の仲が落ち着いてきて、協力体制が出来あがりそうなところだったのに。こんなにわかりやすくてデッカい火種を投げ込まれては台無しになってしまう。
少し強い口調で美羽が切り出すと、わがまま師匠は急に背筋をぴんと伸ばしてこう答えた。
「あ、はい。すみません」
途端にしおらしい態度になったリーリエンデに、美羽も思わず目を丸くしてしまった。
「なんですか急に、その態度は」
「いえ、オクヤマミハネ様、なんでもございませんよ」
突然の腰の低さに、もちろん美羽とレレメンド以外の面々も驚いたようだ。
「なんだお前、ミハネにはなんでそんな風なんだよ」
「うるさいこの耳長!」
「ヴァルタル、言ってやるな」
もしかしたら、「耳長」はNGワードだったのかもしれない。ヴァルタルの長い三つ編みがぶわっと逆立ったが、それを王子様の優雅な右手がさっと制した。
「女性と話した経験がないのだよ、彼は」
この世の「憐れみ」をぜーんぶ集めて閉じ込めましたみたいな、気の毒そうな表情の王子様に見つめられて、師匠はぷるぷると震えだしている。
「ちがっ、……バカ! バカバカ! そんなわけない! 話くらい、したこと、ある!」
「この通りだ。ヴァルタル、言わないでおいてやろうじゃないか」
我々は紳士だからという台詞で華麗に締めて、ウーナ王子は鼻でふふんと笑う。
「ちが……、違うってばあ……」
攻撃的な二人に恐れをなしたのか、師匠がしがみついた相手はブランデリンだ。
「大丈夫です、そんな風には、思っていません」
こちらは気が優しくて力持ち。いや、気が小さくて、女性にはちょっと縁がなくて、多分ウーナ王子の言葉に一緒になって軽く傷ついてセンチメンタルジャーニーなんだろう、リーリエンデの手を取って何度も頷いてやっている。
「おいおい、モテない同士! さっさと準備を済ませて出かけようぜ。俺たちの本当の目的、忘れちまってねえだろうな?」
「もう、やめなよヴァルタル!」
つまんない言い争いは駄目、と美羽は頬を膨らませてみせた。
ヴァルタルとウーナ王子は「はいはい」と頷き、ブランデリンは委縮。リーリエンデは涙をだーっと流したまま、すいませんでしたと謝っている。
「何か理由があるんですか? 私にだけなんというか、妙に下手に出てくるのは」
「いや、何度も言ってるじゃないですか。年長者は敬うものです」
なるほど、十万とんで十六歳。最上級に敬わなくてはならない相手に違いない。
誤解です。そう言いかけた口を、美羽は止めた。
このほんの短い時間だけでわかった事実。リーリエンデはとにかく、面倒くさい。年長者がどうのこうのという割に、言動は子供じみている。
「わかった。じゃあ、リーリエンデ! 急いで準備して。ユーリを助けに来たんでしょう? 私たちも一緒、あの子を助けなきゃ、魔王退治なんかできないから」
「わかりました!」
いいお返事でたいへんよろしい。
勇者さんたちの視線は若干痛いが、仕方ない。魔王を退治したらお別れになる仲であり、あいつ本当は十万年生きてるらしいよ? と噂をしてくるクラスメイトたちではないのだ。戻った先の異世界で「いや十万年も生きてる魔女がついてきてさあ」と言われたところで、いたくも痒くもない。
この勘違いは有効活用すべき。
急に働き者になった師匠をこきつかって、片づけを済ませたら出発の準備は完了だ。方角の確認をして、再び暗い森の中を進み始める。
今日は決戦の日だ。
捕まってしまったユーリを助けるため、ベリベリアを倒さなくてはならない。
「ブランデリンさん、ちょっといい?」
ヴァルタルはもう諦めがついたのか、それとも慣れたのか。黙ったまま先頭を引き受けてくれた。
鎧をガチガチと鳴らす騎士と一緒に後列へ下がって、美羽はウーナ王子にも声をかける。
「ウーナ様、補助魔法、何かいいのできそうかな?」
「うむ。ミハネが言ったような、風のサポートなどは使えそうだ」
王子は微笑み、美羽は立ちくらみ。ブランデリンは何の話かわからないようで、首を小さく傾げている。
「補助魔法とはなんでしょう」
「ベリベリアは魔法が効かないと言ってたでしょう? だから、剣で攻撃して欲しいと思ってるんだけど、その時にブランデリンさんがなるべくダメージを受けないような手助けを魔法で出来ないかって。ウーナ様に相談していたの」
「そうだったのですか」
騎士の瞳が揺れて、遠く彼方へと向けられる。
何を思っているのかわからなかったが、彼は「剣の達人」で、紛れもない「騎士」だ。そうでなければ勇者召喚パックに選ばれないだろうと美羽は考えている。
レレメンドについてはいつ覚醒するのか、最近ではちょっと楽しみなくらい。いや、そんな話はどうでもよくて、ウーナ王子といい、ヴァルタルといい、実力はハッキリしている。彼らは強い。一緒に呼ばれ、「並ぶ者のない剣の使い手」という称号を付けられたブランデリンが、弱いはずがないのだ。
「お願い。今日は、あなたの力を貸して」
完全防備に包まれた手を取って、握る。
力いっぱい思いを込めて、美羽は告げた。
「ブランデリンさんにしか倒せない敵だから。あいつを倒せなかったら、私たちはここで終わるしかない。みんなも強いけど、あのベリベリアも相当強かったから。ちゃんと戦わなきゃ、ユーリが捕まったように私もあっさり捕まっちゃうと思う。そうなれば不利になっちゃうでしょう?」
慎重に、言葉を選びながら。
病に侵された最強の騎士――。
「全員が無事じゃなきゃ、魔王は倒せない。元の世界にも、戻れない」
命の危機が迫っているのかもしれない彼に対して、あまりにも酷な願いかもしれない。それはわかっている。それでも、どうしても、戦ってもらわなくてはいけない。誰かが欠ければ、魔王はもう倒せない。そうなれば、全員が死ぬしかない。美羽たち召喚組だけではなく、この世界の人たちも、みんなだ。
あまりにも壮大で重大な場面。美羽はぶるぶると足を震わせている。
うーわあ超かっこいいこの設定。痺れちゃう。実際体験するとかホントにマジファンタジー。
こんなセリフをいう為には、演劇部に入って大恥かくか、喉を鍛えて声優になるかどちらかしかないと思っていたのに。
感動の余り、目には涙がじわりと浮かぶ。
瞳をうるうるさせながら手を取って、悲壮な決意を語る十代の少女、それが本当は十万年生きていたとしてもとりあえず外見はピッチピチで自分を散々素敵だのカッコイイだの褒めてきた女の子が「世界のために戦わなくっちゃいけないよね」と話してくる姿は、騎士の心を大きく震わせていた。
「ミハネ殿」
「ブランデリンさん。お願い」
無意識のうちの出来事だった。
美羽はもう一方の手もブランデリンの大きな手に添えて、ぎゅっと握った。これで破壊力は大体十割増しになり、これまでにモテた経験のなかった二十一歳の青年の心を粉々に打ち砕いて燃していく。
「わかりました……。私も、私も、騎士の端くれですから」
ウェルカム!
美羽の妄想国家で、今日はサンバのカーニバルが開催中だ。ド派手で巨大な羽根を付けた半裸の男女が、ホイッスルを吹き鳴らし、腰を振りまくって練り歩いていく。
沿道に詰めかけた観衆のボルテージも最高潮。ブランデリンの顔イラスト入りの旗を振って振って振りまくってとにかく「ヒューッ」だの「イヤーッ!」だの叫びまくり、盛り上がる余りイベントはそろそろ宇宙規模まで拡大しそうな勢いだ。
「ホント? すごいすごい、嬉しいよブランデリンさん!」
「はい。ウーナさん、よろしくお願いします」
感動の海で溺れる美羽と、決意を固めて人生で最高にカッコいい瞬間を迎えた騎士を見つめる王子様の瞳は、それはもう、冷たかった。絶対零度だった。
「……いいだろう」
サンバカーニバルはこれにて解散!
反応の余りの悪さに、美羽は焦る。
「ウーナ様?」
「『様』はいらない。私は、ただのウーナだ」
ぷいっと横を向いてしまった理由は何故なのか。
戸惑いながら隣を見上げると、せっかく固まったブランデリンの覚悟も粉々に砕け散ってしまった後のようだった。
「ぉふ……」
出てくるのはこんな情けない溜息だけ。
なんで、と呆然とする美羽に答えを与えたのは、意外にもトホホ系師匠のリーリエンデだった。
「ふはっ、ふはは! なあんだ、偉そうなことを言って、レイアード殿下も女性に慣れてなんかいないんだろう! 好きな女の子がちょっと他の男にいい顔したからって、男の嫉妬は見苦しいぞー!」
その瞬間、巻き起こる炎の嵐。
「ぅあっつぅううーーーっ!」
「ちょっと! ウーナさ……、とにかくやめて!」
「うるさい、この男、無礼にも程がある!」
王子はもうやめたって言ったじゃないですかー、やだー!
こんな叫びは心の中に収めて、美羽は慌ててヴァルタルを呼んだ。
親友に抑えられてようやく事態は収拾したものの、美羽の乙女心には、これまでにはなかったビー玉が大量に転がっている。
好きな女の子。
男の嫉妬。
褒め言葉。
照れた顔。
これって、もしかしてフラグ、しかもラブ関連ですかー!
この叫びは、絶対に表には出せない。
心の中には、秘められたシャウトの残響音が飛び交っている。飛び交い過ぎて何がなにやら全体的にわからなくなって、てへへと笑って、顔を真っ赤に染めて、ひとしきり照れて。
一番最後に鼻血を大量に噴き出して、美羽は倒れた。