フアン、イフ、ビューティフル
口の中の甘味と共に、延々と続く森を歩く。
足を動かしながら美羽が考えるのは、ユーリがどうやって方角を確かめていたのかという疑問。ベリベリアに物理攻撃が効くのかという不安に、今日、どうやって夜を超えるのかという最大の危機についてだった。
魔法のカバンは中身は常にからっぽ。奥まで手を突っ込むと、自分の部屋に繋がっている。
「魔法の天幕、ユーリは自分のカバンに入れてたんだっけ」
ずっと歩き続けて、そろそろ足が棒になりかけている。
もう三日目になる魔王討伐の旅で、これほど疲労を感じたのは初めてだった。同じようなペースで歩いているだけなのにやたらと重たく感じるのは、きっと不安なせいなんだろう。
歩き続けて温かくなった体は、全身に汗をかきはじめていた。
今日の夜、明日の朝は着替えが出せない。出せなくはないけれど、自分だけ着替えるのは気が引ける。そうなると段々臭いが気になりそうで、年頃の乙女としてはますますもって気分がブルーになっていく。
「ここは消臭スプレーか」
「大丈夫か、ミハネ。ちょっと歩くスピードを落とそう」
ぶつぶつ呟く十万歳の魔女を気遣って、ヴァルタルは柔らかく笑う。勇者御一行はほんのりとスピードを落として、響く足音もゆったりとしたものに変わっていく。
「ううん、大丈夫だよ。ユーリが待ってるんだから早く行かなきゃ」
慌てて足を早める美羽たちの前に、立ちはだかるのは人型の敵。
「ふっふっふ……」
木々の間に現れた紫色の影は、自己紹介の前にヴァルタルの矢に貫かれてあっさり消える。
「あれだなあ、三賢者とか四ナントカ、五ナントカと、ジューニンマっていうのは随分実力に差があるんだなあ」
「変だよね。数が多い方が強いなんて」
敵の「通り名」持ちは、一体ナンバーいくつまで存在しているんだろう。
魔法の効かないベリベリアのような、一工夫必要な敵が少なくともあと九人はいるわけで。
「七とか八くらいまでは、余裕で倒せる相手だといいんだけど」
まさか魔王は百八人いたりしないだろうなと眉をひそめながら、美羽はヴァルタルの隣に並んだ。
「ねえヴァルタル、ちょっとだけ一番前を歩いてくれる?」
「え? ……しょうがないな、ちょっとだけだぞ」
一生お婿に行けなくなるのは嫌なんだろう、渋々了承してくれたヴァルタルの後ろでブランデリンをひっぱり、美羽は隣を歩きながら話し始めた。
「ブランデリンさん、あのベリベリアってやつを倒すために、あなたの力が必要なの」
鎧のパーツが歩く度にぶつかって、ガチンガチンと音がなる。
その中身の騎士は美羽に目を向けたものの、顔を青褪めさせるばかりで返事をしない。
「見たでしょ? 魔法は効かなかった。ウーナさんの炎も風も、ヴァルタルの出した光の矢も消えてしまってた。ベリベリア本人も魔法は効かないってハッキリ言ってた。ユーリを助けなきゃ、私たちは先に進めない。魔王の城に向かうために必要な物は多分たくさんあると思うの」
雪の降っている山なんだから、簡単に進めるはずがない。ふもとから頂上までロープウェーでもあれば別なのだろうが、当然、ないわけで。
「お城に戻るにしても時間がかかるでしょ。戻ってまた別な誰かについてきてもらったとしても、同じように人質にとられたり……、やられちゃったら仕方ないし……」
異世界で、もし、死んでしまったら。
ここまで、あえて見て来なかった「IF」について初めて口に出して、美羽もそっと目を伏せていた。
最強の勇者さまたちには、魔王を倒す実力がある。だから、大丈夫だろうと信じていた。
「ブランデリンさんの病気って、どんな風なのかな。全力出したら発作が起きるとか、そういうタイプなの?」
「発作とは?」
「心臓がもたない……とか、貧血で倒れちゃうとか、具合が悪くなっちゃうのかなってことなんだけど」
森の中を進みながら、しばしの沈黙。
土を踏みしめる音だけが響く、冷たく暗い「碧の海」はまだ続く。
「そのような症状が、出ます。しかしそれは『全力を出したら』起きるというわけでは、ありません」
「どうなったら危ないの?」
騎士の額にはいつの間にか汗が滲み出て、びっしょりと濡れていた。
答えたくない。この危機にあっても心を揺らす苦しさが、震える唇から伝わってくる。
「わかった。話せる時がきたら、教えて」
ブランデリンの背中を優しく叩いて、美羽は後ろへと下がる。
次に話しかけた相手は、憂いに満ちた元・王子様だ。
「ウーナさんの使う魔法って、敵を攻撃するタイプばっかりなのかな」
「攻撃以外の魔法など、存在しないだろう」
瞬きするたびに、長いまつげがバッサバッサと揺れる。そのど真ん中に輝く青い瞳は、じっと見つめていたら吸い込まれてしまいそうだ。ブラックホール顔負けの吸収力に、危うく魂とられるところだぜと美羽は額の汗を拭いながら続ける。
「味方を守ったり、サポートする魔法、っていうのもアリだと思うんだけど」
攻撃力や防御力を高めたり、動きを早めたり。そういうのは神官の担当なのかもしれないので、一応レレメンドにも顔をむけて小首を傾げておく。反応なし。うん、もう慣れた。
「サポートだと?」
「うん。風で包んで相手の攻撃が当たらないようにするとか、水の壁を作って敵の魔法を遮るとかね?」
体の中から活力がわいてくるとか、自然治癒力を高めるとか。
そういうのってどういうアプローチの仕方をするのだろうと、改めて美羽は首を傾げた。提案しておいて勝手に悩むなんて邪道だが、ウーナ王子とレレメンド、二人の「力」の素が何か不明だし、魔法がどんな力の働かせ方をしているのかもわからないのだから仕方ない。
「ウーナさんの魔法って、『呪文を唱えたら』スポーンと効果が出るようなタイプじゃないんでしょう?」
「ジュモンとは一体なんなのだ?」
「ファイヤーって言ったら、炎が出るとか」
「かけ声のことか」
呪文とは、単なるかけ声だったのか。
納得がいくような、脱力感が漂うような魔術師の発言に、美羽は唸る。
「もっと長いバージョンもあるけど、例えば、炎よ、集まり我が槍となって、敵を打ち砕け! とか」
「言っている隙に敵に踏み込まれてしまうではないか」
御尤もでございます、くらいしか返事が出て来ない。
これまでウーナ王子がブツブツ言っている姿を見た覚えはなく、手を振っただけでアレコレ飛び出していたので、彼の魔法には呪文の類は必要ないのだろう。
念のためにもう一度視線を向けたものの、レレメンドの反応はない。邪神の祭司からは肯定も否定も提案も泣き言も、もちろん鬨の声なんかも聞こえてこなかった。
呪文の詠唱は不要だというならその方がいいんだろう。カッコよさげな台詞は耳に心地よく、必殺技を使っている感がよく出てくるので演出面から考えると効果的だが、実戦で使うには多分向いていない。無言のまま何もかも操れるのなら、その方が絶対にいい。
もしかしてスゴイんじゃないの? と美羽は感心して、改めて王子様の姿を見つめた。
杖、ロッド、スタッフ、指輪など、魔法の「発動体」みたいなアイテムは持っていない。そういうものがなければ魔法は使えないよ、なんて設定の世界もあるわけで、体ひとつでバリバリ敵を倒せる殿下はさすが最強の魔術師さんである。
出力が不安定と書かれていたはずなのに、ここまでに「魔法が出て来なくて」困った場面はなかった。体力が尽きてふらーっと倒れたことはあって、あの時はそういえばなんといいますか、倒錯的な世界でしたなあ、と美羽は思わずニヤニヤと笑う。
「どうしたのだミハネ、その顔は」
「はれっ、いや、ごめんなさい。ちょっと」
美形の訝しげな表情は、やっぱりビューリフォー。こんなしょうもない考えではなかなかニヤニヤが引っ込んでいかず、美羽は慌ててこんな言い訳をしてしまったりする。
「ウーナさんはやっぱり、すごく綺麗で素敵だなあって思って」
「こんな状況で何を言っているのだ」
言葉は冷静なものだったが、明らかに王子様は照れていた。頬を真っ赤に染めて、もともとの肌色が白いのでそれは余計に目立って、隠せないまま耳まで赤くして王子はひどく狼狽しているようだ。
「そんな……風に、美羽は思っているのか? 私のことを、本当に?」
照れ王子入りましたー! ガラーンガローンとミハネ教会の鐘が盛大に鳴らされていく。心の中のミハネ国の民は全員城の前に集まって腕を振り上げ、ウーナコールを連呼して盛り上がっている。
「私を気遣っているのだろう? この薄さのせいで王家を追い出された、哀れな王子を励まそうとしてくれているのだな」
「そんなことないです。言ったじゃないですか、異世界の常識は違うって。私の世界からしたら、ウーナ様は引く手あまた過ぎて多分何人いても足りないくらいだと思う! ファッションモデルとか、俳優とか、世界中から支持されてそれで、世界で最も美しい百人に選ばれると思うしかもトップで!」
しゅんと落ち込みかけた殿下の表情に、光が差していく。
「王子とか関係なく、みんな『様』付けて呼んじゃうと思います。ウーナ様って。素敵なウーナ様って呼ぶと思う。私も『様』をつけないと落ち着かないかも」
ふわり、さらりと金色の髪が揺れて、現れたのはハッピーマックスのウーナスマイルだった。
鼻血の発射用意。カウントダウン開始します!
心の中のアナウンスに、美羽は思わず顔を抑えて構えた。
「サポートだな。わかった、そんな使い方は考えもしなかったが、うまくコントロールすれば何か出来るかもしれない」
今度はキリリと引き締まった表情を目の前で見せつけられて、鼻どころか全身の穴という穴から血液を全部吹き出して死んでしまいそうな程の衝撃を美羽は受けていた。駄目だ、美羽、死んでは駄目だ! 生きてまたこのウーナスマイルを見続けていかなくては。元の世界に戻る前に、何度も何度も見せて頂かなければ勿体ない! 異世界万歳、召喚万歳! 世界一綺麗な王子様はここにいたぞー! 美羽の妄想国家の住人たちは、楽器とバトンを手にしてパレードを始めている。
あまりの衝撃にボケっとしたまま、美羽は進んだ。
出てきた魔獣は、ヴァルタルとウーナ王子の二人が華麗に片付けていく。
昨日までの競い合う様子はすっかりなくなって、うまく連携をとりながら倒しているようだ。
二人の間で交わされるアイコンタクト。これまた夢のようなカッコよさで、そろそろ心臓がヤバい。
でもこの高揚の効果で、足の重さが遠のいていた。
朝から感じていた不安はすっかり追いやられて、意気揚々と東へ――。
「肝心なコト忘れてるじゃん……」
そろそろ休もうという話になって、美羽はようやく色んな問題を思い出して頭を抱えていた。
ベリベリアとの戦いの方法と、今眼前に迫っている危機、「野宿」についてだ。
そういえば最初の夜に、順番で見張りをして夜明かしするのかとエキサイトしていた自分を思い出して、美羽はそのあまりののほほんぶりに呆れていた。
食料も大したものは出せない。奥山家の冷蔵庫にはそれほど備蓄はなくて、麦茶もとっくになくなってしまっている。
「木の実とかもないもんなー」
森の中は暗く、実りがない。湧き水なども見かけなかった。生き物の気配がないのにも納得がいく。
水の入ったペットボトルがあったものの、一本だけだ。
明日無事にベリベリアのもとへ辿り着けるのか、そこに辿り着いた時、ちゃんと戦えるのか。
その前に夜の間に全滅してしまわないか。
「万全を尽くす以外にないよね」
順番に休むしかない。お布団を出そうかどうか悩み、焚き火をつけるべきか悩み、休む順番をどうすべきか悩み、何人ずつで見張るか悩み。
奥山家の冷蔵庫から拝借した食料をモグモグと噛みしめながら、一つずつ決めていく。
「ミハネは休んでいて構わないぜ?」
「そうはいかないよ。五人しかいないんだし」
レレメンドが機能するかどうかという不安もあって、美羽も夜中の見張り当番をかってでていた。
「みんなちょっとでも休まないと、こんな状況じゃ疲れは取れないし」
ウーナ王子の体力がもつかどうか。臆病なブランデリンには明日戦ってもらわなければならない。頼られっぱなしのヴァルタルが疲れているんじゃないか。
そしてあの時、自分が行くべきだったのではないか。
自分の中で渦巻く思いを、一つずつ飲み込んでいく。
考えなければならないけれど、考えすぎて動けなくなっても駄目だ。
順番に解決していくしかない。
ウーナ王子にはサポートの魔法について考えてもらっている。
もしも助けがあれば、ブランデリンの背中を押す力になるかもしれない。
今は、休息。
力強く頷いて、美羽は勇者たちに向けて話した。
「とにかく、明日を無事に迎えよう」
「大丈夫だミハネ。声をかけてくれたら、すぐに起きる」
最初は美羽とヴァルタルが二人で見張りをすると決まっている。
次がヴァルタルとレレメンド、最後はブランデリンとウーナの三交代制。ヴァルタルの負担が重いが、一番頼りになるのはこの男なので仕方がない。
冷たい土の上には、美羽の部屋から取り出したブランケットが敷かれている。お気に入りの薄い紫色のお布団とは、異世界でお別れだ。
木の枝を折って時折焚き火にくべながら、美羽はじっと森の中の暗闇を見つめていた。
ちょっとだけ憧れていたファンタジー野宿だが、やっぱり怖い。
隣には頼りになる暗視スコープ付き偽エルフがいるものの、やっぱり夜といえばエンカウント率が上昇するもんでしょ、という思いがあって。
おっかないなあと心でそっと呟く。
その瞬間聞こえてきたのは、軽く地面を蹴って進む、四足の獣の足音だった。