補給戦線異状あり
「あっちに山があるから、東は向こうだな」
葉っぱを嫌がりながらもヴァルタルが木の上に登って、進むべき方角を確認して戻ってくる。
「もうちょっとで森は終わりみたいだったぜ。チクショウ、あのベリベリとかいうヤツ、邪魔しやがって」
さあ行こうぜ! と偽エルフが右腕を突き上げる。それについて歩きながら、美羽は考えていた。自分の家に「方位磁石」があったかどうか。
あったとしても、異世界でちゃんと役に立つかはわからない。東西南北の概念が同じと考えていいかどうかも不明だ。
でも、それぞれにわかるように言葉が自動翻訳されているのなら、もしかしたらヴァルタルにはナントカ山から見たホンワカ岬の方とか、そんな風に聞こえているのかもしれない。じゃあ、美羽にとっては地球の東西南北で考えていいわけで、北の山はこっちと指差された方角から考えれば今向かっているのは紛れもなく東で間違いない。
方角について間違いがあれば致命的な時間のロスになってしまうけれど、他に考えなければならないことがある。
無事に東の端に辿り着いたら、ベリベリアと戦わなければならない。ウーナとヴァルタルの攻撃は効かない。炎や風の魔法、光の矢は彼女の前で消えてなくなってしまった。バリヤーのような何かが力を掻き消してしまっているようだった。
じゃあ、どう戦えばいいのか。
先頭はブランデリン、そのすぐ隣をヴァルタルが歩いている。相変わらず薄暗い森の中で、ウーナ王子のつけた灯りだけが頼りだ。後ろには王子とレレメンドがいて決めた通りの順番で歩いているけれど、美羽の隣にはユーリがいない。
今頃ゲロまみれになっていないか、少年が心配でたまらなかった。根っこのような太い物で締め付けられて、あんなにブンブン振り回されて。青い顔をしていた。気丈に振る舞って、魔法のカバンを寄越してくれたけれど、きっと不安でたまらないはずだ。
肩からかけたカバンの紐を美羽は強く握りしめていた。間違いなく、一行の命綱になるアイテムで、何が取り出せるか確認しなければならない。でも、うかつに全部出してしまえば荷物が増えてしまう。どのタイミングで探すのかも、考えなければならない。
戦い方も、食糧問題も、ユーリの安否も、考えると頭が痛む。
要するにマネージャーは二人いたんだな、と美羽は小さく息を吐いていた。可愛い第二マネージャーの力は大きかった。私は単にこれまで蓄積してきた妄想を広げたり引っ張り出したりして、みんなを脅かしていただけだったのではないか。気が付いた「真実」は割と容赦のないもので、美羽はがっくりと肩を落としてしまう。
「どうしたミハネ、大丈夫か?」
後ろから見ていれば、そんなションボリ具合にもよく気が付くのだろう。ウーナ王子はサラサラと金髪を輝かせながら、美羽のすぐ隣へとやって来た。
「ウーナさん、大丈夫……って言いたいけど、あんまり大丈夫じゃないかも」
「心配するな。ユーリは我々が必ず助ける」
非の打ちどころのない美麗スマイルに、美羽も頷く。魔法の光がブランデリンの鎧兜に反射して出来たキラキラを一身に受けて輝いていらっしゃって、とにかく眩しい。
元・殿下のお蔭でほんのり元気は出たし、頷いてみせたものの、でもやっぱり。
結局、不安は拭えない。
ひたすら東へ向けて歩き、時折方角を確認しながら進んで、ようやく一休みしようと地面に腰を下ろして美羽は呟いた。
「魔法が効かないなら……、やっぱり、物理じゃないかな」
ベリベリアの体は大体が薄い緑色で、植物に近い印象があった。樹の皮が乾いたようであり、体を包んでいるものは蔦のように見えた。うねうねと動かしていたチューブ状の物は? あれは、根なのではないか。
魔法が効かないのは、そういう「術」だとか「特性」があるからだ。だとしたら、もう物理にかけるしかない。巨大な斧だとか鉈なんかがあれば、ギミャーとか叫びながら真っ二つになりそうな敵だったと、美羽は思う。
「物理って、どういうこったミハネ」
耳をちょっぴり下げた状態のヴァルタルがナイスな質問をぶつけてきて、美羽は答えた。
「直接叩くんだよ。叩くというか、ぶった切るのがいいと思う。効果は抜群な気がする」
「ぶった切るんなら、剣か」
ウーナとヴァルタル、美羽の視線が向く先には、腰を下ろしてひたすら遠くを見つめる騎士がいた。彼の耳に今の会話は届いていなかったようで、視線ははるか彼方に固定されたまま動かない。
「喉が渇いたよね」
ちょっと待って、と美羽は魔法のカバンの中を探った。
前回の考え方でうまくいったのだから、台所なんか間違いなく「共有」スペースであり、美羽が自由にしていい場所だ。冷蔵庫の中に何が入っているのか。最後に開けたのはお星さまに願いをかなえてもらう前、風呂上がりの時間だったはず。でもあの時どこに何がどのくらい入っていたか、さすがに正確には覚えていない。けれど、麦茶のボトルは必ず一本はあるはずだ。夏だから、二本あるかもしれない。あれを持ち出したら奥山家の明日の朝は少し困るだろうけれど、でも勇者御一行と美羽、ひいては世界の危機なんだから仕方がない。ボトルの一本、二本で望みが繋げるのならお安いもんでしょうと、美羽はイメージの中の冷蔵庫を探った。
「よし」
出てきたのは、ガラスのボトルに入った麦茶だ。水出しで入れた麦茶はキンキンに冷えているが、そういえばコップがない。
「紙コップなんかあるかな」
ボトルをヴァルタルに渡し、美羽は再びカバンの中身を探る。この調子で家財を取り出し続けていったら、帰宅後に泥棒が出たと騒ぎになるかもしれない。覚悟しなきゃと汗をかきつつ、指先で探していく。食器棚の下に、使い捨ての容器類があったようなないような。なければ、景品か何かでもらったどうでもいい柄のマグカップを出すまでだ。
大切なものはすぐ割れるのに、どうでもいいものは何故かいつまでも残ってしまう。何故なんだろうと考えつつ、指先にふれたのはビニールのかさかさとした感覚だった。
「あったあった」
誰が何のためにいつ買ったのかわからない紙コップ。使いかけらしく、十五個セットのうち残っているのは七個だけだった。
一人一個か、それとも使いまわすか。物資は大切に使わなければと思うと、やっぱりここは使いまわすしかない。
「それは何だ、ミハネ」
「これは紙で出来たコップなの」
そこではたと気が付き、美羽は小さく舌打ちをしながらまたカバンを探った。
出てきたのは、コップ付きの水筒だ。出してしまった紙コップに麦茶を注いで、全員で少しずつ飲んだら、残りは水筒に入れて蓋を閉めておく。ガラスのボトルでは持ち運びが不便だし、これならコップがついているし。
最初に何故思いつかなかったのかと頭を抱える美羽を、勇者たちは不安な顔で見つめている。
「すげえなあ、次から次へと。ヘンなものばっかり取り出して」
「それはミハネの家にあったものなのか?」
ヴァルタルとウーナは興味津々で出てきたアイテムを見つめている。ガラスのボトルを指ではじいてみたり、コップの肌触りを確かめたり、不思議そうな表情のイケメンは正直、とても可愛らしく見える。
「皆の居た場所っていうか、家に、食料や飲み物はありそう?」
ユーリを助けるのが一番の急務だけれど、辿りついたところではらぺこアンド喉カラカラでは戦えない。力が出ないよおー、なんて情けない状況に陥いらないよう、補給をなんとか確保しておきたいところだ。
「悪いけど、俺はそういうの全然ないんだ」
「収監されてたんだもんね」
エルフ君は仕方ないね、と美羽も頷く。
「あれ、でも自宅だったらどう? 『主の空間』って、最後にいた収容所じゃなくていいんだよ」
「ああそうか。いや……でも、俺たちはギリギリの暮らしをしているから。食料はあってもほんの少しだし、持ち出したらなくなっちまうんだろう?」
ヴァルタルの「家」は、レジスタンスの隠れ家とか、秘密基地なのだろう。それは出来ない、と長い耳はシュンと下がっていく。
その耳の様子だけで気の毒であり、かわいそうであり、強制なんてダメ絶対、になっていく。
「すまない、ミハネ。私には、家がないのだ」
意外な反応をしたのはウーナ王子で、こちらもありえないくらいしょぼくれた様子だった。
「私は竜の保護区で過ごしているのだが、野宿というか、竜たちと共に夜を明かす日が多いのだ。保護をする組織の事務所があって、そこに寝泊まりする日もあるが、私の個人的な部屋というものはない」
マジですか王子様、という台詞を必死で飲み込んで、美羽はそっと心の翼を広げた。
満点の星空の下、緑広がる草原に竜が横たわっている。その首にもたれかかって、星のあかりで金色の髪を煌めかせたウーナ王子が目を閉じている。靴は脱ぎ捨てて、裸足で。天使が舞い降りてラッパを吹き、竜と王子の上で天上の音楽を奏でていく。
おお竜の守り手、レイアード・ヨスイ・ウーナ。
最強の魔術師である彼は、竜の敵にしかその力を向けない。自分に背を向けた王家に未練を残さず、ただひたすら竜たちの為に生きるのだ。
彼がいる限り、竜たちの暮らしは平和で満ち足りたものになるだろう――。
たらしかけたよだれを慌てて右の手の甲で拭いて、美羽は左手で自分の頬をスパーンと叩いた。
うっとりしている場合ではないのだ。ウーナ王子にはわかりましたと簡潔に答え、次の仲間に確認をとっていく。
「ブランデリンさんは? お家に、食料とか水はある?」
「どうなのでしょう。台所には何年も入っていないので、どこに何があるかは……」
すみません、と大きな体は極限まで小さくなっていく。
こーのお坊ちゃまが! という台詞も飲み込んで、美羽はぐっと目を閉じた。
王子様は野宿、騎士様は厨房に入らず、囚人の生活には当然自由なし。
そうなれば、現代日本から取り寄せるしかない。食料がどのくらいあったか、思い出せ、思い出せ、と脳に往復ビンタをくらわせる勢いで考えていく。
冷凍食品は入っていそうだが、加工するための道具が必要になってしまう。炎はウーナ王子に出してもらうとして、袋に直火はまずい。調理器具まで必要となると大事なので、ユーリ無事救出を前提に、手軽にぱくりと食べられる物から消費していくしかない。
「パンがあった気がする」
兄の夜食の菓子パンと、朝食用の食パン。それから、個包装のチョコレートやクッキー。ハムならいけるか。生でいけるか。お腹の調子を整える為に、ヨーグルトはどうだ。ああでも、スプーンまで必要になっては面倒過ぎる。
すべては使い捨て。召喚された瞬間で時が固定されているのだから、奥山家のストックは決して増えない。減る一方だ。
この旅が終わるまでに、どれだけ持ち出すことになるだろう。
悩める美羽が思わず空を仰ぐと、腰の辺りから小さな声が聞こえてきた。
「ミハネ様……。ミハネ様……」
すっかり忘れていた、腰につけた道具袋。無言のままものすごい勢いで水晶玉を取り出す美羽に、勇者たちは軽くビビっている。
「エステリア様!」
「ミハネ様、ご無事で何よりです」
エレガントな挨拶をすませると、水晶玉の中の小さなエステリアは困った顔をして首を傾げた。
「ユーリと連絡が取れないと、リーリエンデが申しておりました」
美羽の口がぎゅうっと歪む。唇の下に巨大な梅干しを作って、目をパチクリさせていたら、当然エステリアにも「何かがあったのだ」と伝わってしまう。
「何があったのですか、ミハネ様」
「うう」
隠しておけるわけがない。道案内の為につけてもらった大切な魔術師見習いの少年と連絡が取れなくて、明るさ爆発のはずの美羽がこんなにシケた表情を浮かべていたら、どう考えても一大事だとしか思えないだろう。
「ユーリは、ジューニンマのベリベリアとか名乗るヘンテコな敵に捕まってしまって」
「なんということでしょう……」
白いレースの手袋で口元を覆って、エステリアは悲痛な声をあげた。
ああ、女王様。そんな声を聞きたくなかったし、出させたくありませんでした。申し訳ない思いが溢れて、美羽の心を濡らしていく。
最強の勇者たちがいるのに。
魔王を倒す実力が既にあるというのに。
その部下を倒せない理由があるだろうか?
「いや、ない!」
美羽が叫んだ瞬間、水晶玉からエステリアの姿は消えていた。
「あれ」
慌ててペチペチと叩いてみても、反応はない。
「そっか、込められた魔力が少ないって言ってたっけ」
一度に使える時間は短い。最初にそう説明されたはずだ。
こんな半端なところで切れてしまって、心配をかけてしまうのではないか。そんな後悔も浮かんでくるが、落ち込んでばかりはいられない。
なんとしても、ユーリを取り戻す。
あの気持ち悪い喋り方をする敵のもとに辿り着いて、こてんぱんにのしてやらねばならぬ!
「まずは腹ごしらえだよ!」
お腹の底から声を出して、拳を握る。
けれど、カバンから出てくるのは甘いパンばかり。
勇者たちは初めての味に喜んだものの、「ガッツリ感」はなく。
こんなお菓子な食糧事情で大丈夫か、不安を抱えたまま一行は再び歩き出した。