十の名の付く好敵手
さっきまでは木しかなかった。そのはずの薄暗い森の中に、じわじわと盛り上がる影がある。
ゆっくりと浮かび上がったシルエットは、メリハリのきいた女性らしいラインを描き、少しずつ輪郭をはっきりとさせていく。
「ウッフフフン……」
ふざけてるのかと思わされるほどのわざとらしい、ぎこちない笑い声。
「朝のウォーミングアップといくかな」
不敵に笑うヴァルタルが、細長い棒を構え、手に力を込めていく。光の弓矢が現れ、引き絞り、昨日の夜からマブダチになった元王子様と一緒に、気合の声とともに放つ。
「そりゃっ!」
これまでに数多の魔獣を打ち取って来た二本の矢は、怪しげな影の前であっさりとはじけ飛んでしまった。
「無駄ですわ」
そして響く「ウッフフン」。癇に障る笑い声に美羽はイラつき、同時にようやく現れた「マトモな敵」に小さなエキサイトも感じている。
「バリヤーだ」
「ご名答! あなた方の攻撃は、既に見切っているというやつですわよ」
地面から盛り上がるようにして現れた敵の姿が、ようやくはっきりと見えていた。
石のような、木の皮のような、乾いてひび割れた肌。薄い緑色の肌にはぽっかりと二つの穴があいて、宝石のような赤い瞳が浮かんでいる。白目はなく、それがギョロギョロと動く様はとてつもなく不気味だ。鼻のようなでっぱりはあるけれど、鼻の穴はなく、口は横に大きく広がって耳の近くまで裂けている。顔の上に乗っているのは髪の毛なのか、極太のチューブ状のウネウネとしたものがこれでもかと盛ってあった。体は人間同様、二本の腕と脚。身にまとっているのは細い蔦のようなもので、腰の辺りがふんわりと持ち上がったプリンセス仕様のシルエットを描いている。
「ウッフフン、初めてお目にかかります、異世界からのお客様方。よくも、しかもたった二日の間に、アタクシたちの仲間を散々やっつけてあそばしてくれやがりましたわね」
ヘンテコなしゃべりに、美羽は思わず眉を顰めた。自動翻訳でこう聞こえるって、一体どんな話し方をしているのか。高機能すぎんだろ、と気の利いた翻訳に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「三賢者のジャルジャード、ジェルジェーダ、四聖拳のポッグル、パッケラ、ピッカロ、五恐槍のビビーラとババレッジ、ボボールン、それから六蛇棍のシェーケナーにドリドラー……」
美羽だけではなく、他の勇者たちもごくりと唾を飲んでいた。どうやら、三賢者だけではない「通り名」持ちを知らない間に随分倒していたらしい。
やられた仲間の名前をあげ終わると、新たな敵は両腕を腰に当てて赤い瞳をギラリと輝かせた。
「何の準備もなくテクテク歩いてくるものですから、てっきりただの阿呆の集団かと思っておりましてございましたのよ? それが、名のある魔将達を次々に蹴散らしてくるじゃありませんこと」
そ、こ、で、と敵はひび割れた指を振り、そのイラつくアクションに思わずヴァルタルが一歩前へ出る。
「七と八、更には九を飛び越えて、十認魔のアタクシ、ベリベリアがあなたがたのお相手、して差し上げましょうとあいなりましてよ!」
ジュウニンマ、という単語に当てはまる漢字を探している一瞬の隙に、美羽の足元から巨大な根のようなものが飛び出してきた。
「ぎゃはーっ?」
「ミハネ!」
刺さる! と思った瞬間、体は宙に投げ出されていた。誰の仕業かはわからなかったが、とにかくびゅーんと木々の中を舞って、最後にがしっと抱きしめられちゃったりしちゃったりした。
十六歳の女子高校生を受け止めたのはヴァルタルで、いやだアタシ、エルフさんに抱きしめられちゃった! もしかして重くないかな。いや、ヴァルタルはエルフじゃなくて割とガッシリ系だし私自身そんなに太ってるってこともないから大丈夫だとは思うけど! でも恥ずかしい! けどお姫様抱っこでキャッチとか初体験過ぎ、憧れのアレ過ぎてどうしよう! と妄想は加速し、溢れて止まらない。
「ひえーっ!」
当然、そんなどうでもいい思いに浸っている場合ではない。
さすが「飛び越えて」と言うだけあって、ベリベリアと名乗った敵には抜かりがなかった。美羽は避けられたが、ユーリを救う手は間に合っていなかったらしい。極太の根にぐるぐる巻かれて、魔法使い見習いの少年はジタバタと上半身を揺らしている。
「ユーリ!」
ウーナ王子が魔法を飛ばすが、それはすべてベリベリアとユーリの前で掻き消えてしまう。
初めて現れた「マトモな敵」。敵の「四天王」や「七本槍」みたいなものは、考えてみれば数字が少ない程、厳選された強さをもっていそうなものなのだが。数字が多い方が強いなんておかしくない? と美羽は思う。だがそんな疑問は後回しにしなければいけない。人質なんていう、最も卑怯で一番効果的な戦術を使われているんだから。
「ユーリを離して!」
「離す理由がございませんのでかたくお断り申し上げ候でございます」
ベリベリアはにたーっと口を歪ませて笑い、ユーリを掴んだ根っこをブラブラと揺らした。
「あわわ、やめてくださーい」
もちろん、少年の解放はない。自分たちの攻撃が跳ね付けられて、ヴァルタルとウーナ王子も一歩下がっている。相手の出方を窺うしかない。真剣な横顔は、やっぱり相当男前だった。
こんなにシリアスなムードは初めての一行に、ベリベリアは腰をくねっと曲げてポーズを決める。
「ウッフフン、アタクシが用があるのは、そちらのお嬢さんでござるのですわ」
「お嬢さんって、私?」
「そうでござーですの。アタクシ、人間のオスって好きじゃあないのですのよね、独特の臭いが不愉快で滅ぼしてしまいたくて仕方なくてどうしようもなくって」
穴のない鼻の前に蔦の袖をあて、ベリベリアは吐き捨てるように言い放った。硬い皮膚には皺が寄らないようで、表情はあまり変わらない。でも、言動や仕草からして、嫌なのよ! と伝えたいのだろう。
「ミハネ、下がってろ」
「そうでございましょうねえ。簡単に、大切なお嬢さんを渡すような真似は、出来ない相談でしょうで」
「気持ち悪い喋り方!」
乱れきった日本語訳に、美羽は耐えられずに呻く。
「ウッフフン、本当に憎たら愛らしい! ミハネという名をしているですのね。ユニークな響きでアタクシ大変気に入ってしまいますの!」
ベリベリアはご機嫌な様子で腕をブンブンと振り、ついでにユーリもブンブンと振り回した。遊園地のアトラクションのような上下移動を含む大回転をかまされ、少年の顔は真っ青、今にも吐瀉物を撒き散らしそうな口のふくらまし方をしている。
「ちょっと、やめてあげて!」
「ウッフフン、どうしましょ? この少年がどうなるかは、アナタ次第でしょうが、ミハネ」
回転が止まったが、ユーリは高い位置にぶら下げられてしまった。嘔吐はしないで済んだようだが、苦しそうに咳込んでいる。そしてまたジタバタと暴れて、こう叫んだ。
「ミハネ様、僕のことはいいのです! みなさん、どうか魔王を倒して下さへぶぅ!」
またブンブンと振り回されて、ユーリの言葉が止まる。
「ウッフフフフフン! ウッフフン! 素晴らしいでございませんか! 人間っていつの世も、こんな風に自分を犠牲にするのが好きでたまらないのね!」
出たー、愚かな人間をもてあそんでいたぶるタイプの敵だー! 心の中の小さい美羽は、実況席で怒りの余りテーブルをバンバンと叩いている。
敵としてこういうタイプが出てくると盛り上がるが、実際やられると相当迷惑。深く理解し、同時に美羽は焦っていた。ユーリを救わなければ。あの木の根のようなものは何処から出ているのか。あのベリベリアとかいう敵の体の一部なのか、それとも周囲の植物を操っているだけなのか。
「ウーナさ……ん、なんとか出来ない?」
「うむ」
王子の指先から、とうとう炎が噴き出した。「碧の海」に入って以来、森を焼いてはいけないからと封印してきた炎がまっすぐ、大蛇のようにベリベリアへ向かっていく。
しかしそれも、彼女の前で弾けて消え去ってしまった。
「魔法は効きませんのよ、アタクシ。なんといっても、選ばれし魔王のしもべ、十認魔の一人でございますもの」
「そのジューニンマって、みんな魔法は効かないの?」
「それについてはウッフフンってヤツですの。アタクシのことを知りたければ、一緒にいらっしゃいなミハネ。あなたが来てくれれば、この小汚い少年はお返しあそばしますわ」
「ユーリは小汚くなんかない! むしろかなり綺麗な部類の少年だよ!」
「カンケーないのですわ! アタクシには人間のオスはみな同じ! 来なさいミハネ、アタクシの可愛い小鳥ちゃん!」
「駄目です、駄目ですミハネ様!」
自分を縛る太い根の中で暴れながら、ユーリが叫ぶ。
勇者たちも困っている。
美羽も、戸惑っていた。
どうしたらいいのか。自分が行くべきなのか。
こんなシーンはいくらでも、これまでに作って来た物語の中にあった。他人の描いた物語の中でも、何回も遭遇したシチュエーションだ。
仲間のうち、力の弱い者が捕まってしまう。倒さねばならない敵の前で剣を放り投げて、勇者たちは捕えられてしまう。閉じ込められた牢屋で、もしくは処刑場に向かう途中に誰かが現れ、救ってくれる。
でもそれは、「主人公たちが勝たねばならない物語」だからだ。作者がちゃんと後から救いが訪れるように伏線を張った結果であって、当事者にはわからない。わからないことになっている。
そして実際当事者になってみたら、なんと絶望的な状況だろうと思わざるを得なかった。
伏線になりそうな人物はいる。レレメンドと、ブランデリン。彼らの実力はまだベールに包まれて見えないままで、ここで覚醒イベントが起きれば超展開が望めそうではある。
でも、彼らはゲームや小説のキャラクターではない。
虚構じゃない、現在進行形の、異世界の、現実。
美羽が視線を向けても、ブランデリンは脂汗を浮かべたまま動かない。
レレメンドはいつも通り、何処を見ているのかすらわからない。
「ユーリ!」
少年はジタバタ、ひたすらにもがいている。
「来ませんの? ミハネ。あなたが来れば、この少年はお返し致しますってばよ」
わからない。
動ける二人の攻撃は効かない。
悩める美羽に、ベリベリアは満足そうだ。
「ウッフフン、アタクシ、こういうのだーい好物ですの! 人間たちが困って悩んで考えた挙句、誰かを犠牲にしても仕方ないって、仲間の死を目の前に絶望にうちひしがれてるところに追い打ちをかけるのが!」
だから、どっちが来ようと同じことですの! とベリベリアは笑う。
何を言っているのか、とにかくお前ら全滅だという意味なのだろうが、でも今はとにかくひたすら、ユーリを助けに前へ出られない自分の意気地のなさがたまらなく情けなかった。
ここまでの楽勝こそが、嘘だったのだ。
いつの間にかやって来た絶望が足元に顔を出し、美羽の足を掴んで笑っている。
「じゃあこうしましょう。アタクシ、この森の東の端で待っておりますわ。急いで来ないと、この少年がポックリ逝っちゃう用意をしておきますから。そうですわねえ、期限は二日にしておきましょう」
魔王の住む山は、北にある。
「なんて嫌がらせしてくれんのよ!」
「なんてほめ言葉なんでしょう、ウッフフン!」
魔王様を守るのが務めですもの。ウフウフと笑うベリベリアの姿が、ゆっくりと霞んでいく。
「待て!」
すぐに気が付いて、ウーナ王子が叫ぶ。ヴァルタルも光の矢を飛ばしたが、やはり攻撃は届かない。
「待ちませんわ」
「ユーリ!」
少年はまだ真っ赤な顔をしてジタバタともがいていた。ベリベリア同様、姿を霞ませながら暴れ続け、とうとう左腕が自由になる。
「ミハネ様! これを!」
再び根が絡み付く寸前に投げられたのは「魔法のカバン」だ。それは美羽の前にぱさりと落ちて、形をクッキリと蘇らせていく。
「僕のことはいいのです! それを持って、魔王のもとへ……!」
根が首に巻き付き、言葉が途切れ、そして、ベリベリアとユーリの姿は完全に見えなくなり。
静かな森の中に残ったのは、五人。
異世界から召喚された勇者たちと、美羽。あとは静寂、ただそれだけ。
「大変だ……」
唸るように、美羽は呟く。
「ユーリを助けに行かないと、私たちも相当危ない」
四人の勇者はしばらくの間沈黙を守っていたが、やがて、ウーナ王子がそっと口を開いた。
「何故だ、ミハネ?」
もちろん、魔法のカバンがあるのとないのとでは、かなりの差があるだろうけれど。
そう、少しくらいなら出せるかもしれないけれど。
でもきっと、いや、絶対足りない。
「食料とか水が出せないってこと。急いで東の端まで行って、あのベリベリアとかいうのを倒さなきゃ」
ゲームオーバーなんてまっぴら。
もちろん、仲間を見捨てるのも。
勇者たちの返事を待たず、美羽は走り出す。
「ミハネ、待て! 東ってどっちだよ!」
ヴァルタルが突っ込んでくれて良かった――。
一行は立ち止まると、まずは方角の確認をする為にどうしたらいいか、話し合いを始めた。