深くて暗い、賢者の森
膝より上の高さまで長く伸びた草は徐々に途切れて、剥き出しの地面が見え始める。冷たく暗い土の上をびっしりと、青い苔や、木々から伸びたゴツゴツの根が覆っている。
「うう、寒いっ」
手入れをされた様子が一切ない、もっさもさに繁った葉に遮られて陽光は届かない。森の中に足を踏み入れると途端に気温が下がって、美羽たちはブルっと震えた。
「必要な方にはマントを出しますよー」
ユーリが呼びかけ、ウーナ王子とヴァルタルがそれぞれ防寒具を受け取っている。美羽もそれに続いて、真っ赤なマントをもらって早速羽織った。
「あったかーい」
「西の山に住んでいる、プロロンの毛皮ですよ」
「可愛い名前だね。あ、ブランデリンさんもちゃんともらって!」
恥ずかしそうにモジモジしている二十一歳の手を引いてユーリに頼み、美羽は最後の一人の観察をしていた。レレメンドは、大体布一枚で作ったんですよ、みたいな簡素極まりない服を着ており、一向に着替えるそぶりを見せない。
王子様と騎士は毎日着替え、盗賊は今朝とうとうこの世界の服に衣装を替えている。へんてこなテラテラ付きの服は実は囚人限定の作業服だったらしく、でもデザインは気に入っていたんだと、名残惜しそうに草原に置き去りにしてきていた。
「レレメンドさん、マントは?」
反応なし。ここまでに聞いたセリフは、彼の仕える破壊神の名前と終末の獣トークくらいだ。ご飯も食べるし、ついて来ているので、問題があるとまでは言えない。この「まあいいか主義」のままでいいだろうかと、勇者御一行様たちのマネージャーである美羽は悩んでいた。回復魔法やマッサージのサービスは王子専用。けれど「仲良し」な訳でもないらしく、二人の間に会話は一切ない。
「もしかして、心と心で会話とかしてる?」
共に魔法の使い手――。これはあり得る、と美羽はじっと王子を見つめた。今日も麗しい事この上ない、きらめき、ときめき、なんて美しい青い瞳。おっといけない夢想が過ぎる。ペチペチと冷たい頬を自分で叩いて、美羽は改めてレレメンドの様子を見つめた。
でも、結局いつも通り反応は「なし」だ。ペラペラとノートをめくりながら、手袋も必要かもと考えつつ、美羽はあるページで指を止めた。
「あぶないあぶない」
昨日の夜、何をするべきかリストを作っておいたのだ。何せ私はマネージャーだから。野球やサッカーについてはよく知らないが、スコアリストとか作って管理しなきゃとベッドの中で気が付いて、空いたページに美羽はメモを書いていた。
「ねえねえユーリ」
今日の隊列も、出発の時に決めた通り。ブランデリン、ヴァルタル、ユーリ、美羽、ウーナ、レレメンドの順で一列に並んでいる。
「なんですか、ミハネ様」
「確認しておきたいんだけど」
まずは、戻る時に「場所をズラせるかどうか」について。ユーリに確認しようと言っていたのにゴタゴタのせいで忘れてしまっていた。
もしもこれが可能なら、偽エルフ男のモチベーションは最大級に上がるに違いない。
「ズラせるか……、ですか? うーん、僕にはちょっとわかりません」
休憩中に師匠に確認しますね、と美少年が微笑む。ふわっと白い靄になって浮かぶ息をぐるぐる巻いて、それで綿菓子作って食べちゃいたい!
こんな変態的な妄想をして、美羽はヤバい笑顔を浮かべて続ける。
「あとねえ、敵について聞かせて」
「敵、ですか」
「そ、魔王ってどんなヤツなのか、情報はあるのかなって思って」
鬱蒼とした森、「碧の海」の底はやたらと暗かった。まだ朝のはずなのにまるで夕暮れ時のような暗さで、先がどうなっているのかよく見えない。
いつの間にかブランデリンの隣にはヴァルタルが並んでいる。闇を見通す力を持つ彼は、大きな木があるだの、でっぱりがあるだの、気弱な騎士に逐一告げながら進んでいた。
とうとう友情が生まれたのか、と美羽は一人、勝手な感動を噛みしめていた。特別大きな根があったり、穴が開いている時にはヴァルタルは振り返って他の四人にも注意を促してくる。いいぞ! 偽エルフとか言ってごめん。今日の服といい、森の中を軽やかに進んでいる様子といい、今日は完璧なエルフだぞヴァルタル! と美羽はまたまた心をでろんでろんに緩ませてニヤつく。
「ミハネ様、聞いてました?」
「ん? あれ、ごめん。何だって?」
「んもう、魔王については、古文書にどんな姿をしているか描かれてるものがあったんですよ。それによると、城のように巨大な体には手が四本生えていて、頭には長い角が二本! とそれはもう恐ろしい姿なんだそうです」
割とポピュラーというか、レトロなデザインの魔王なんだな、と美羽は顎を撫でた。一応ノートに今聞いた特徴を書きこんで、更にユーリへ質問を重ねていく。
「それって、信憑性のある話なの?」
「王家に伝わる古文書ですよ? 嘘なんて書いてある訳ないです」
「でも、実際に見た人が書いたとは限らないじゃない? 代々伝えられて来た話がどこかでまとめられたとか、そういう場合だと正確性に欠けるんじゃないかなあ」
ユーリは大きなクリクリの目を更に見開いて、口もあんぐりと開けている。
「鋭いな、ミハネ」
感心しているのはすぐ後ろを歩いていたウーナ王子だ。
「えっへー、えへ、そうですか。だってほら、伝言ゲームとか、最後悲惨になったりするでしょう?」
麗しの殿下に褒められて、美羽の心はもうベロンベロンだ。
王子のキリっとした顔はこれ以上ない凛々しさで、もっとコメントして欲しい。いや、コメントはしなくていいからじっと見つめて、「君に会えて本当に幸せだ」とか言ってもらいたくて仕方ない。
「伝言ゲームとは何ですか、ミハネ様」
「決まった言葉を前から順番に伝えていくゲームだよ。どこかで誰かが聞き間違えたりとかして、なかなか最後まで正確に伝わらなかったりするの」
「それはなかなか、面白い遊びですね」
ユーリは腕組みをして、うんうんと頷いている。一度仲間とやってみますと微笑むと、すぐに首を傾げて今度は小さく唸り始めた。
「古文書を記したのは誰かはわかりませんが、魔王と戦った騎士団長の話をもとに書かれたものだったと思います」
「その時って、異世界から勇者の召喚はしなかったの?」
「そのようですね。魔王は倒せなかったものの、大きな傷を負わせ、そのまま北の山に封印したという話でした」
「あー、よくあるね、そのパターンは。とどめは刺せなくて代わりに封印するっていうの。そういうのは大抵、百年単位で復活しちゃうんだよ」
美羽は気が付かなかったが、したり顔で話すマネージャーの姿に勇者たちとユーリは強い恐怖を感じていた。
やはり、十六才の前には「十万」が付くのではないか。
お茶目でノリのいい魔女がいたものだとウーナ王子は眉を顰め、これから先絶対逆らわないようにしようとユーリとヴァルタルは思っている。
「魔王ってどんなのかなあ。人型で喋る系か、巨大な獣型なのか。喋る系だと配下に四天王とか居たりするよね。それが要所要所で中ボスとして出てくるパターンだよ。こんな真っ暗な森の中で、木の上にバーンと立っててさ、魔法の霧を出して『お前らは永遠にここで彷徨い続けるのだー』って言うの」
その時突然、ガチャンと金属が当たる音が響いた。
ブランデリンがいきなり足を止めたせいで、ヴァルタルは危うくぶつかりそうになり、小さくよろけている。
「おい、いきなり止まる奴があるか」
「あそこ……!」
カチカチカチッと鎧のパーツが震えて鳴っている。ブランデリンの指差した先は巨大な木の枝の上で、色はよく見えないものの、長いマントを羽織っているであろう誰かが立っていた。
「ようこそ『碧の海』へ、愚かなる人間よ」
声がするやいなや、真っ白い霧が美羽たちの周りを囲み始めていた。
ところが調子よく進んだのはここまで。
「……お前たちは、ここで永遠に、……彷徨うのだ!」
黒い影はそれはそれは苦々しい口調で、呻くように話している。
「うわ、ごめんなさい! 最悪のタイミングだったね、今の話。せっかく木の上でスタンバっててくれたのに、本当にごめん!」
バツが悪そうな影に向かって大声で謝り、美羽は思わずニヤーッと笑う。
「自己紹介もセットだよ! 魔王の手下のナンバーいくつで、なんて名前か、せっかくだし教えてよ!」
何が「せっかく」なのか、突っ込める人材はこの場にいない。勇者たちとユーリはただただ、美羽の「的確過ぎる予言」に恐れ戦いている。黒い影は少しキョロキョロとしたものの、最終的には咳払いを一つして、言われた通り自己紹介をし始めた。
「我は魔王に仕える三賢者が一人、ジャルジャード!」
「四天王じゃなかったかー」
美羽は地団太を踏んで悔しがり、勇者たちはその姿に今度はひたすら困惑している。
ジャルジャードはマントを翻してそれはカッコよくポーズを決めていたのだが、残念ながら誰も見ていない。
「シテンノウとは何だ。それに、異なる世界よりの使者は四人と聞いていたのに、何故貴様らは六人もいるのだ!」
「それは色々あってなんだけど……」
ようやく悔しがるのをやめて、美羽はじっと「三賢者」のうちの一人を見つめた。薄暗い森の、木の上に立っている姿はよく見えない。しかしとりあえず人に近い形をしている事はわかった。あと、声が汚い。皺がれたいかにも「悪い奴」の声であり、肌の色は暗い。髪は短いのか後ろでまとめているのか、とにかく長くはないようだ。明るい色のアイテムはなし。
賢者を名乗っているのだから、魔法を使う危険性があるだろう。
「ユーリ、気をつけて。魔法を使うタイプだよあの人!」
多分、は心の中に置いておこう。実際霧を出しているのだから、怪しげな術の類は使えるはずだ。
美羽の台詞を受けて、ウーナ王子とレレメンドが前に出る。もしかして魔法を跳ね返すバリアとか使えるの? と心がはやる。
遠慮なくユーリと一緒に勇者たちの影に隠れて、美羽はなおもジャルジャードの姿を見つめていた。
「ウーナ様、灯りつけて」
王子の服の裾を軽く引っ張り小声でお願いすると、すぐにブランデリンの兜が眩く輝き始める。
突然満ちあふれた光に、敵の三賢者のうちの一人は驚いたようだ。
「なんだっ?」
お蔭で更なる詳細が判明していく。肌は蒼黒く、瞳は銀色で、長いチュニックのような上着とピッチリ体のラインが出る細身のズボンはどちらも黒、靴は先が長くとんがっていてオシャレ極まりない。剣の類は持っているように見えないが、手には指輪がいくつもキラめいている。
ファッションチェックを終えて、美羽は構えた。武器を持たない美羽が構えたところで特に意味はないが、とりあえずいつでも逃げられるように身を低くして、大きなブランデリンの陰へと動く。
両手を広げた状態でじりじり、もたもた移動している美羽の斜め前にはヴァルタルが立っていた。
彼は足元に落ちている枝を左手で拾うと前へ突き出し、右手を後ろへ大きく引いていく。
「何やってるの?」
その姿は、弓を引くジェスチャーのようだ、と美羽は思った。
「敵なんだろ、あいつは」
右の肘を曲げて、ヴァルタルは胸を大きく反らしていく。腕はブルブルと震え、やがて手元に「矢」が浮かんできた。何の変哲もない枝にも、うっすらと弦が張られているように見える。
うすぼんやりと輝いているその弦と矢の正体は、恐らく「光」。
「くらえーっ!」
ヴァルタルの叫びと共に光は増して、まっすぐに木の上に立つ「敵」へと飛んでいく。
「ぐぼあーっ!」
わかりやすい断末魔の叫びをあげながら、ジャルジャードはすぐ真下の地面へ落ちてしまった。
「嘘でしょ?」
「ああ、お許しください……ま……さま……」
ガクッ、と効果音をつけたくなるほどわかりやすい動きで首をがっくりと倒し、ジャルジャードの体は黒い霧になって森の冷たい空気の中へ散っていく。
「さっきのはなんなの、ヴァルタル。もしかして魔法を使えたの?」
ジャルジャードが本当に消えたのか、確認が必要だ。けれど彼の体は消え、霧もあっさりと晴れている。「やっつけた」とみなしていいだろう。
楽観的すぎるかと思うものの、美羽としてはヴァルタルが唐突に披露してきた技の方が気になるわけで。
「魔法じゃねえよ。魔法っていうのは王子がやるような、突然炎を出したりするものだろう?」
「そうとは限らないと思うけど」
「俺のは、フェルデェーロっていうらしいぜ」
「フェルデーロ?」
ヴァルタルは鼻の下を擦って「ヘヘッ」と照れくさそうに笑っている。
「細長い物を持って、念じるんだ。そうしたら力が光になって現れて操れるようになる。これは人の中でも、耳が長い奴にしか出来ないんだぜ」
「魔法ではないか」
「魔法じゃねえよ、王子のとは違う」
耳の長い者のプライドでもあるのか、その後もヴァルタルは魔法ではないと頑なに否定し続けた。
「じゃあ、サイキック系ってことにしようか」
「サイキック?」
「メモしておくね」
意外な特技の発見に、魔王から遣わされた「三賢者」のうちの一人の撃破。
これは幸先がいいやと、美羽はブランデリンの兜の光を浴びながら強く拳を握りしめていた。