私たちこれで、人間関係を改善させました
異世界三日目の朝。空は青く澄み渡って、雲一つない快晴。
男たちをテントから出して着替えを済ませた美羽は、まだ低い位置にいる太陽らしき明るい何かに向けて叫んでいた。
「いせかーい、ファイトー!」
ウォーウ、とジャンプするのはやはり、美羽だけだ。
ユーリは座り込んでゴソゴソと手を動かしている。
なにをしているのかと思いきや、次の瞬間「魔法の天幕」はあっという間に縮んで、手のひらサイズの丸いものに変化していた。
「それ、どうするの?」
「これだけは持っていきますよ。何回でも使えますから」
魔法のカバンとは別の、腰につけた小物入れに天幕はしまわれていく。
「そっちのカバンって、物を入れたらどうなるの?」
「消えちゃいます。なんでも、繋いだ空間と空間の隙間に落っこちてしまうそうで」
「なにそれファンタジー!」
心の底から魔法のある世界に生まれたかったという思いを噛みしめながら、美羽は振り返った。
今日も選ばれし勇者たちの間に流れる空気は絶妙によろしくない。
その中で唯一喜ばしいのは、ブランデリンの頭から消えた兜だ。
騎士様の凛々しい眉毛は八の字になっているものの、前向きな一歩に美羽は満足、にっこり笑う。
「ブランデリンさん! もう兜なくても平気?」
「……ウーナ殿下がかけた魔法の効果が、まだ残っているのです」
内側の目のすぐ上辺りが光っていて被れない、と騎士はしょんぼり項垂れている。前向きな理由ではなかったらしいが、それはそれで結果オーライというやつだ。
「ウーナ様、ナイスアシスト」
もしかしてただの意地悪なのかもしれないが、効果はてきめんなので良しとしようと決め、美羽はビシッと少し先に広がる森を指差した。
「今日からあの鬱蒼としたとこですよ!」
頑張ろうね! と四人とユーリへ呼びかける。
「クソッ、とうとうあの中に入らなきゃなんねえのか……」
ヴァルタルはまだ植物に慣れないらしく、不安そうな顔をしている。
「炎の魔術は使えなくなるな」
ウーナ王子は火事に気をつけて。
「獣がたくさん潜んでいそうですね」
本当に剣の達人なのか、ブランデリンは震えで鎧をカチカチ鳴らしている。
レレメンドは相変わらず何のコメントもないし、抵抗する様子もない。
「あの森は『碧の海』と呼ばれている樹海です。食べられる木の実とか、そういう物はほとんどないですし、昼間でも真っ暗なので人はほとんど入りません」
入口辺りに一つ小屋があるくらいですかねえ、と呟いているユーリは、少々呑気過ぎるのではないかと美羽は思った。
「地図はあるの?」
「いいえ、もうないですよ」
森の中に道はありませんし! と何故か威張る少年は可愛い。なので許すけれど、不安な気分は増していく。
「防寒用のマントを用意してもらってますから、必要になったら言ってくださいね」
美羽はじっと目を閉じ、考えていた。
ファンタジー風装備はとても嬉しいし、身に着けていて楽しい。
でも少しばかり、重い。
去年買ってもらったダウンジャケットは自分の部屋にあっただろうか。それとも、母がどこか別なところにしまったままだろうか――。
ついでに、アウトドア用のスニーカーがあればなあと思う。靴下だとか、保温効果の高い肌着なんかも魔法のカバンから取り出せれば万全だなと。
問題があるとすれば、持ち帰れないという点だけだ。冬が来て、お母さん、例のあったかいの買ってよ。あら美羽どうしたの? 去年ちゃんと揃えたじゃない。えー、なんかわかんないけどなくしちゃってー。という展開になった場合、どう思われるか。何枚もインナーなくすとかおかしくない? なんて話になって、泥棒か、下着ドロか、みたいな話に発展してしまったらどうしよう。
靴やアウターも、普通だったら簡単には失くさない物だ。ダウンジャケットについてはクリーニング屋に「紛失」の濡れ衣が着せられてしまいそうで、そんな事になったらさすがに申し訳ない。
日本の便利グッズについては保留にしよう、と美羽は決めた。どうしようもなくダルくて寒くて堪らなくなったら、最終手段として使ってやろうと。
だが、靴だけは別だ。今履いているファンタジー風ブーツのままでは多分、そろそろ靴擦れが出来そうだ。祭司の魔法で治してもらえばいい気もするけれど、レレメンドが「治してくれる基準」はまだ不明なわけで。
「ユーリ、カバンちょっと貸して」
「またですか? 何を出すつもりなんです、ミハネ様」
「靴だよ」
靴は自分の部屋にはない。家の玄関に備え付けられている靴箱に入っている。
「持ち主の部屋」にある物は取り出せると、ユーリは言った。普通に考えれば、美羽個人の部屋を指すんだろうけどと思いながらも、カバンに手を突っ込んでいく。
玄関は、家族の共用部分。つまり「私のスペース」でもある。リビングとか、キッチンも同様。廊下のクローゼットもいける! いけるぞ美羽! 勝手な拡大解釈をしながらゴソゴソとカバンの中で手を動かし、お目当てのスニーカーを瞼の裏に思い浮かべながら手を伸ばしていく。
すると、指先に何かが触れた。
「よし!」
引っ張り出した手には、しっかりとスニーカーが握られていた。一昨年の林間学校の登山用に買った、少しゴツいアウトドア用シューズだ。
普段から使っている靴ではない。なくなったところで不便はないし、と美羽はフンフンと鼻歌混じりに礼を言う。
「ありがと」
魔法のカバンをユーリに返却し、美羽は早速靴を履きかえた。
「ごめんね、せっかく用意してもらった靴なんだけど、こっちの方が歩きやすいんだ」
「そうなのですか。確かに、慣れているものの方が良いでしょうね。……しかし、これは一体何で出来ているのですか? こんな色、初めて見ました」
「だろうね」
メッシュ素材だとか、蛍光ピンクの靴紐はこの世界には存在しないだろう。靴底のゴムに刻まれた不思議な模様に、勇者御一行とユーリは感心しきりといった様子だ。
「そのカバンは私にも使えるのか?」
ウーナ王子の問いかけに、ユーリはもちろんですとも、と返事をしている。
王子様のお部屋には一体何があるというのか――。
「持ち帰りは出来ませんから、それだけはご注意を」
細い腕が奥へ差し込まれる寸前、ユーリが慌てた様子で声をかける。
「ああ、そうか……」
王子はしばらく迷ったものの、何も取らないままカバンを返してしまった。
「何を出そうと思ったんですか?」
「竜をかたどったブローチだ。あれを胸につければ、少しは気分が良くなると思ったんだが……」
隣ではヴァルタルがあからさまに顔をしかめ、ベロまで出している。
ノートに描いたドラゴンの絵を褒めてくれたのだから、ウーナ王子の世界と、日本のゲームやら漫画やら小説やらに出てくるドラゴン像はきっと近いんだろうと美羽は思う。
美羽の部屋にドラゴングッズはない。しかし、多分、兄の部屋にはある。無類のゲーセン好きである美羽の兄はクレーンゲームの達人であり、部屋の隅には景品がごっそりと積まれている。
その中に、「無 双 闘 龍」のグッズがあったはずだ。百円を入れるとカードが出てきて遊べるタイプの、最近大人気のアーケードゲームのキャラクターグッズを、兄が集めていたはずだった。
「ユーリ、ちょい貸して」
再び魔法のカバンを奪い、手を突っ込む。確かストラップを山のように取ってきて、母に「またそんなに持って帰ってどうするつもりなのさっさと片付けなさいよ」と叱られていたのが、この世界に来る二日前の出来事だった。
そして兄は、母に叱られて即片付けるタイプではない。
ダブったプライズはお前にやるよ。兄は何度もドヤ顔でそう言って来た。つまり、兄の部屋の片隅に積まれている貰い手が決まっていない景品は私の物。それが置かれた兄の部屋のクローゼット前は、美羽のスペースも同じ、同じ、同じ……。
「よっしゃ出たー!」
見事にストラップを何本も引っ張り出して、ガッツポーズを決める。
「魔法のカバン、使えるね!」
ビシっと親指を立ててユーリへカバンを返し、取り出したドラゴンの小さなフィギュア付ストラップはウーナ王子へと差し出す。
「お、おお、これは……」
ドラゴン好きな王子様はこれまでにない明るい表情で、差し出されたストラップを掲げて喜んでいる。
「良かったらどうぞ」
「本当にいいのか、ミハネ」
「もちろん。家にいっぱい余ってたものですから」
「余っているだと? こんなに立派な細工のものが?」
ブリスターパックに入ったストラップの、主にドラゴン部分をまじまじと見つめながら、ウーナ王子は幸せそうに微笑んでいる。
「これを、持ち帰れないとはな……」
と思いきや、一転悔しそうに歯噛みしている。
ユーリも覗き込んできて、こちらは「無双闘龍」のロゴのカラフルさだとか、裏面に書かれた細かい文字に注目してため息を吐き出していた。
「なんですかこの紙は。分厚いし、たくさん色がついています」
「おほほ!」
二十一世紀の地球の実力を見たか、と美羽はふんぞり返っている。
説明するのは難しすぎて、上手くできっこないので笑ってごまかす以外ない。
「これが、竜ってヤツなのか?」
恐る恐る様子を窺って来たのはヴァルタルだ。長い耳は力なく下がっていて、顔こそ気合が入っているもののビビっているのが丸わかりになっている。
「ギリンとちょっと違う気がするなあ」
小さな呟きをすかさずキャッチし、美羽は自分の予想があっていたのでは、と勢いよく首を突っ込んだ。
「ギリンって二足歩行なんじゃない?」
「そうだけどよ」
「ドラゴンは基本、四足ですよね」
王子は重々しく頷き、パックの上からドラゴンを指先で撫でながら答える。
「後ろ足で立ち上がる事もなくはないが……。基本的にはどっしりと四本の足で大地の上に立っている。たくましく神々しい翼を持ち、どの色の竜も鱗は輝いていてとても美しい」
他にも足がどうだの、爪がどうだの、ドラゴン語りは続いていく。
「そうか、ギリンと竜は、違うものなんだな」
王子にちょっといい顔をしたいだけの理由で取り出したストラップだったが、予想外の効果もあったようだ。ヴァルタルは耳を力なく下げた可愛らしいビジュアルのまま、ドラゴン賛歌を続けるウーナ王子の前に立って頭を下げている。
「すまなかった。ホーリンジューマなんて言っちまって」
「……ホーリンジューマとは、一体何なのだ?」
語りを止めて、王子は問う。
そういえばヴァルタルは翻訳不能の異世界ワードをよく使うなあと思いつつ、美羽もじっと答えを待った。
「ホーリンジューマっていうのは、簡単にいうと裏切り者だ。ヒトでありながら、ギリンの味方をする奴らの呼び名だよ」
「確かに、私はイルデエアの竜の味方だがな」
彼らは賢く穏やかな我々の守り神だ、とウーナ王子は続ける。
「とにかく、悪かったよ。勝手に色々決め付けちまって」
ヴァルタルは何故か両手で耳を引っ張ったポーズで、ウーナ王子の胸へ頭から飛び込んでいく。
「何をする!」
突然の突撃に、当然、極細ボディの王子は吹っ飛ばされて草の中だ。
「何って、仲直りだろうがよ」
「これのどこが仲直りなのだ!」
そこに「まあまあ」と割って入ったのは、ブランデリンだった。手を伸ばして王子を助け起こし、ヴァルタルを手招きして呼び寄せている。
「これも異世界の常識違いというものなのでしょう」
私の世界では、手と手を取り合うんですよ、と騎士が二人をなだめていく。
「すまねえ、まさか仲直りの仕方まで違うとは思わなかった」
ヴァルタルは再び謝っているが、胸に飛び込まれた側はどう応じるのかと美羽は思う。今夜の妄想のネタとして、あらゆるパターンを考えてみなければならない。
「では、そこの腰抜け騎士の世界流で収めるとしよう」
ウーナ王子とヴァルタルは互いに手を出し、握り合っている。
目に涙を浮かべて鼻をすするブランデリンの背中を叩いて慰めると、美羽は満足して、また拳を高く突き上げて叫んだ。
「よーし、じゃあ、『碧の海』の攻略、始めるよーっ!」