雨が降って地固めるチャンスタイム
美羽たちが進んでいるのは草原のど真ん中に通っている道で、森に向かってゆるゆると伸びている。
整備されているとは言い難いけれど、一応道なのはわかる。そんな程度の道からズレるとすぐに草ボーボーの野原で、つまり、ウーナ王子がどこに落っこちてしまったのか、ちらっと見た程度ではわからない。
「ウーナ様! ちょっとヴァルタル、いきなりなんなの? 酷いよ!」
「うるせえ、あいつはホーリンジューマだったんだぞ!」
美羽にむかってそう叫ぶとヴァルタルはぴょーんと飛んで、草原の中に入っていく。
「この野郎!」
うわ、追撃してるよあの偽エルフ! と驚きつつ、美羽は振り返った。
「ブランデリンさん、止めて! ヴァルタルを止めて!」
「え」
止められるというか、止められる可能性のある人材は、一人しかいない。レレメンドは今もじっと口を閉ざしたまま、遠いお空の向こう側を見ている。彼とコミュニケーションが成立したことは、一度もない。
「え、じゃないよ! ウーナ様の顔ぐっしゃぐしゃになっちゃうし、腕とか足とか骨が折れちゃうかも!」
しかし、鎧の表面はカチカチと震えている。一番デッカくて、一番頑丈で、一番腕っぷしが強いだろうに、なんというチキンハートだろう。
「ねえ、ブランデリンさんお願い、ウーナ王子が死んじゃうよ」
揺さぶっても、動かない。
ヴァルタルは耳こそエルフっぽいが、背は高いし体にはそれなりに厚みがある。大体、ウーナ王子がいくらひょろっとしていても、普通のパンチを一発喰らった程度で人はあんなに綺麗に飛んで行ったりはしない。
つまり、結構強い。
「もう、……ちょっと、騎士なんでしょ!」
そうだ、彼を動かす単語はこれだ、と思い出して美羽は叫んだ。
ようやく鎧がビクンと動く。こんなモタモタの間にも、下品な罵りの言葉が背後の草むらから聞こえて来ていた。
王子は無事か、どうしてこんな事態になってしまったのか、美羽の頭は不安で爆発寸前だ。
「いい気になるな、この野蛮人!」
叫び声とともに突然ぼうっと火の手が上がる。
草原が一気に燃えて、悲鳴もあがる。
「あっちいいいいいい!」
慌てて逃げ帰ってくるヴァルタルの向こうには、顔面を真っ赤に染めた王子の姿があった。炎に照らされながら立ち上がり、うわあ美形のマジ怒り顔ってすごく迫力あるぅと美羽に思い知らせながら、道の上へ戻ってくる。
炎は王子を包むような形で避けていて、これまたド迫力の光景だ。
草を焼いていた火はすぐに収まったものの、辺りはすっかり焦げ臭い。
腕と頬にやけどを負ったヴァルタルと、鼻と口から血をだらだらとたらした王子はそれぞれイライラした様子でそっぽを向いている。
魔法のカバンから薬を取り出して、ユーリはどちらから治療したらいいか迷っているようだ。
「二人とも大丈夫?」
せっかくのいい感じが一転、とんでもない大喧嘩になってしまった。
双方とも怪我を負っているものの、命に別状はないらしい。今も元気にプンスカしているようなので、大丈夫だろうとは思う。あと、魔法を見られてちょっと興奮した。いや、今はそんなのどうでもいい。
「どうしてこんなことになっちゃったの? ねえヴァルタル、ホーリンマージュだっけ? それって何なの?」
「そんなのどうでもいいだろう? あのネッパレ野郎は置いて、五人で行こうぜ!」
「こんな下劣な男と共に行くのか、ミハネ」
やだー、私、二人の男からどっちを選ぶか迫られてるー!
ポジティブにとるならこんな感じだけれど、当然そんな場合じゃない。
一人でも欠けてしまったら魔王は倒せないんじゃないかと、美羽は思う。なにせ、予算ギリギリで編成したチームなんだから。
「駄目だよ、全員で行かなきゃ。ちゃんと話し合おう」
こんなヤツと話せるか! と二人の息はピッタリだ。
振り返れば、出発地点の城は既に遠い。こんな中途半端な場所にいつまでも留まっているなんてとにかく、不毛だ。
「みんな、元の世界に戻りたいんじゃないの? こんなところで喧嘩してても何の進展もないよ」
それでも、二人はプンスカしたままだ。
仕方ない、と美羽はノートをめくった。まさか自分のラクガキからこんな事態に発展するとは。
もしかして、悪いのは私なのか?
首を傾げながら、メモを頼りに記憶をゆっくりと辿っていく。
ウーナ王子の世界には竜がいて、彼の国には保護区がある。絶滅寸前の竜は穏やかで賢く、ウーナ王子にとっては大切な存在だという。
ヴァルタルが怒りだしたのは間違いなく「竜がどんなものなのかわかった」からだ。
ギリン――。昨日の夜、城の屋上で話した彼の世界について、敵対している存在についての話が思い起こされていく。
「鱗の連中」という表現。確かに、竜にも鱗はあるわけで。
「ねえヴァルタル、あなたが戦ってるギリンっていうのも、こんな形の種族なの?」
「そんなもん見せるんじゃねえよ!」
近づけたノートに対しての激しい拒否反応。これはビンゴだ、と美羽は開いていたページを閉じる。
「ねえヴァルタル、まずは謝らせて。知らなかったとはいえ、あなたの嫌なことで能天気に盛り上がっちゃって、ごめんなさい」
まだそっぽをむいたままだけれど、耳だけはぴょこぴょこと動いた。これはわかりやすい。あと、やっぱり可愛い。お耳ぴょこーんはやっぱりズルい。私にも欲しいと美羽は思うが、それについてはまた夜に考えようと心に決める。
「でも、ウーナ様の世界の竜とは違うんだから、いきなり殴るのはないんじゃない?」
ヴァルタルの敵であるギリンについて。
人類と同じ文化の中で暮らしているなら、形状もちょっと違うんじゃないかと妄想家は考えていた。
美羽のノートに書いてあったのは四足でズシーンズシーン、キシャーッとする「巨大なドラゴン」の絵だ。
エルフ耳たちの生活を壊して回ったり、彼らの道具を勝手に使う「鱗族」は、もっと小さくて二足歩行なんじゃないのか。いわゆるリザードマンだとか、そういう「亜人」のような種族なのではないか。
「ミハネの言う通りだ。さすが盗人なだけあって、さぞ荒々しい暮らしをしているのだろうな」
「なんだと!」
「もう、やめてよー」
再び揉めだす二人の間に入って、美羽は必死になって止めた。
やめて、私のために争わないで!
一度でいいから言ってみたいこのセリフ。言っていいかな? チラチラと様子を伺いながら、チャンスを覗う。
「やめて下さい。やめましょう、争いは」
声がすると同時に、ヴァルタルの体が離れていった。
ブランデリンが兜の奥から小さな声をあげつつ、エルフ耳の体をしっかりと羽交い締めにしている。
「離せ……ぉ、……ふぐぅっ」
ヴェルタルの顔色が一気に青く染まっていく。
「ちょっと、締めすぎなんじゃない?」
「ふははは、馬鹿め!」
慌てる美羽の後ろから響いた突然の轟音。
とんでもなく巨大な炎の弾は美羽のつけていたマントの端をちょっとだけ焦がして、騎士と盗賊二人を思いっきり焼いた。
緑色だったはずの草原は真っ黒に染まって、無残な姿を晒している。
そんな焦げ草の前で、四人の勇者とユーリは一列に並んで正座をさせられていた。
「なんで僕まで……」
ギロリと睨まれ、少年はビクビクと縮こまっている。レレメンドを除く他の三人も同様だ。
ウーナ王子が魔法を繰り出して始まった大乱闘を止めたのは、美羽の雄叫びだった。
「やめんかああああああい、貴様らああああああ!」
そのあまりの迫力に戦いは止まり、怒りマックスの美羽は全員の首を掴んで、地面へ倒していく。
「こんなんで旅が出来るかあ!」
勇者達も驚きの余り、抵抗できなかったようだ。
並んで地面に座っている五人の姿を眺めて、美羽も改めて驚いていた。よくブランデリンまで動かせたものだと。
特に何もしていないレレメンドも、お前何もしなさすぎだろうという理由で正座させられている。
「魔王を倒す旅ですよ、不本意でしょうけどね? でも倒さなきゃ旅は終わらないし、それぞれの世界には帰れないんだから! ちょっとくらい協力と、歩み寄り! しなきゃでしょう?」
五人の前を行ったり来たり、歩きながら美羽はすっかりお説教モードだ。
ああ、こういうの嫌だなあ、と思う。でも言わなきゃならない。
「こういう、保護者的な上から目線で説教してくる系ヒロインとか好きじゃないのにまさか自分がやる羽目になるなんて」と思いつつ、同時に「えーやだーヒロインだって恥ずかしい!」みたいな妄想にも悶えていて、怒りつつも超楽しい。
頭の中のこんなゴチャゴチャを瞬時に整理整頓して、次にぶつける言葉を選んでいく。
「忘れちゃいけないのは、私たちが全員違う世界から来てるってことですよ。私の暮らしていた世界には魔法なんてなかった。でも、この世界にはある。ウーナ様のところにもある。でも、ウーナ様の世界には魔獣はいない。この世界にはいる。はい、じゃあブランデリンさんのところは? 魔獣とかいるの?」
「はい、います……。魔法も、あります」
「あるんだ」
「はい、でも、魔法は一時的に世界から失われていました。優秀な使い手は少なくて、魔獣退治にはとても苦労しています」
ウーナ殿下のような使い手がいれば、どれだけ助かるでしょうか……。
消え入るような声でブランデリンは話している。
何その世界設定超気になる、と美羽の心は猛るが、詳細は後だ。
「この世界に竜はいるの? ユーリ」
「どうでしょう。巨大な獣はいますが、そのような形状のものについては聞いた覚えがありません」
「ブランデリンさんのところは?」
「……鱗を持つ魔獣はいます。我が国の西側、シュバリの森の奥に『災いの窯』と呼ばれる穴がありまして、そこから炎とともに這い出してきては人々を喰らうのです」
なるほど、ブランデリンの世界では完全なモンスターらしい。
「私の世界にはいないよ。でも、物語の中では強さと賢さを持った存在として描かれているの。敵だったり味方だったり色々だけど、とにかく基本的には強いっていう設定」
じゃあ、あなたの世界ではどう?
こんな美羽の問いかけに、耳をしょんぼりと下げながらヴァルタルは答えた。
「俺の世界では、翼をもつ者と鱗をもつ者がいる。鱗の連中は野蛮で、俺たちの邪魔ばかりするんだ」
「レレメンドさんのところでは? 鱗ビッシリの生き物って、いる?」
褐色肌の祭司の言葉は、これまでにほとんど聞いたことがない。
あんまり期待せずに、きっと話さないだろうと諦めつつ美羽は問いかけたのだが、意外にもちゃんと返答があった。
「ディズ・ア・イアーンに仕える神獣である。世界に終わりが訪れる時、巨大な翼で空を覆い、天を駆けてありとあらゆる絶望を振りまき、人類に滅びの時を伝えるのだ」
五人の心が初めて一つになった。おっかねえ、と。
ユーリとブランデリンは震え、ウーナ王子は眉を顰め、ヴァルタルは口をへの字にして、美羽はちょっとだけエキサイトしている。
それは隠して、さあ総括だ。
「竜も、鱗の生き物も、色々なんだよ。味方だったり敵だったり憧れだったり、伝説みたいな感じだったりね?」
レレメンドはちらりと顔を上げ、眉をきゅきゅっとあげて抗議をしてきた。伝説じゃねえし、と言いたいのだろう。でも特に発言がないので、美羽はスルーして続ける。
「自分の世界での常識だけで話していたら、簡単に行き違いになっちゃう。だからまず、『違うんだ』『知らないんだ』って認めるところから始めようよ。もしも納得いかないことがあっても、いきなり殴ったり攻撃するのは駄目! こんなの、小学生でもわかる話でしょ」
「ショーガクセイとはなんですか、ミハネ様」
「いい質問だね、ユーリ君!」
さあさあ立ってと美羽が笑うと、四人の仲間達はほっとした様子で立ち上がった。レレメンドだけはいつも通り、無表情でそれに続く。
それにしても、ブランデリン、ヴァルタル、ウーナ王子は酷い姿になっていた。傷と焦げと血の跡でいい男がそれぞれ台無しだ。
ブランデリンについては鎧の表面が焦げただけなので別にどうでもいいけれど、王子とエルフの二人はちょっとばかり酷過ぎる。
「ねえレレメンドさん。回復の魔法とか、ないの?」
美羽の言葉に、祭司は黙ったまま頷いた。
何がどうしてそうなったのかはわからなかったが、レレメンドは「回復魔法」らしきものを使ってくれた。ただし、ウーナ王子にだけ。
傷はみるみる癒えて、元通りの麗しい殿下の姿が取り戻されていく。
「竜が敵だっていう人には使ってくれないのかな?」
「僕、あの人怖いです」
ユーリの意見は尤もだ。癒してもらっているはずのウーナ王子ですら、少しビビっているように見える。
でも、ここまで誰かに危害を加えたりしていないし、自らの神を信仰するよう迫ってくることもなかった。
破壊神だの滅亡だのは、自分の世界だけでの話。
彼だけはそう弁えているのかもと考えて、美羽はイヒヒと笑った。