あなたと私の大好きないわゆる「ド」がつくアレ
朝からテクテクと歩き、特に何のイベントも起きないまま昼になる。
魔法のカバンから続々と食べ物を取り出して、ユーリは広げた敷物の上に得意げに並べてみせた。可愛い顔の少年は正義であり、魔法のカバンの効果は本物だったので、何の文句も不満もない。
けれど、サンドイッチ風の何かを齧りながら美羽はギリリと目を据わらせていた。その視線の先は森の向こう、ホーレルノ山だ。
足りていない――。
準備が足りていない。急ぎの旅だし、みんな「帰りたい」らしいし、とりあえず行くと決めたから城を出た。それは仕方ないけれど、足りていない。いざ出てみたら足りていない気がする。心の準備が充分じゃない。
情報が足りていない。勇者さんたちの心を一つにまとめたいのに、それぞれがどんな世界のどんな人物なのか断片的にしかわかっていない。お城で優雅にくつろぎながら、まったりのんびりお互いを知り合う時間があれば良かったのにと美羽は思う。履歴書には表面的な事柄しか書かれておらず、深い理解をするにはだいぶ足りていない。
「ミハネ様、お口にあいませんか?」
美羽の険しい表情にビビっているのか、ユーリが不安げに問いかけてくる。
「ううん、ちょっと考え事していただけ」
話すしかない。笑顔を浮かべると美羽は強く、大きく頷いた。
ヴァルタルも言っていたではないか。レジスタンスには団結が必要だと。その為には相互理解が必要だ。つまり、会話だ。会話イベントをこなして、勇者たちがどんな人物で、どうしたらやる気を出して、どうしたら協力し合えるようになるか探っていかなければならない!
カバンの中から羊皮紙と羽根のペン、インクの入った小瓶を取り出し、敷物の端に並べる。
日本って素晴らしい国だなあと美羽は改めて思った。キャップを取ればすぐにサラサラと書けるペン、何十枚とページがあってもコンパクトにまとまっているノート。目の前にある中世風メモセットと比べればロマン度は低いが、スマートさは段違いであると言わざるを得ない。
「皆さん、お水は足りていますか?」
ウーナ王子から求められ、ユーリは得意げにカバンから水の入ったボトルを出している。
「ねえユーリ」
「はい、ミハネ様もお水いりますか?」
「水じゃなくてそれちょうだい」
えっ? と驚いた顔のユーリからカバンを奪い、美羽は中に手を突っ込んだ。
持ち主の部屋にある物を取り出せる。そう説明された瞬間、考えていた。
じゃあ、私がそのカバンを使ったらどうなるの?
ノート、ノート、妄想ノート。愛用のノートの表紙はクラフト紙、そのおともに、お気に入りの水色のボールペン。机の上に置いてあったはずのそれを、出てこい出てこいと念じてカバンの中をまさぐっていく。
すると、指にさらりと触れるなにかがあった。
「おおっ!」
懐かしい滑らかなその手触り。美羽の手にフィットする絶妙な太さ。
引きずり出せば懐かしい、妄想家必携のアイテムが手の中にあった。
「いやった! このカバンすごい!」
ちょうだい! と叫ぶ寸前、カバンは本来の持ち主の手に取り返されていた。
「何するんですかミハネ様!」
「いやー、ごめんごめん」
「ごめんじゃないですよ! このカバンには、色々と決まりがあるんです!」
危うく壊れるところですよ、と少年はプンスカ怒っている。
「何、決まりって?」
「んもう、これは、カバンよりも大きい物は出せないし、一度出してしまった物は戻せないんです。だから、使い捨ての物だけを出すように言われてるんですよ!」
「え、戻せないの」
「戻せませんよ」
なんてこった、心の相棒、妄想ノートは異世界で散る運命になるらしい。
美羽、僕を置いていくの? 早速脳内で擬人化されたノート君は可愛い男の子で、水色のリボンをつけた愛らしい妹を連れている。
「ああ、ごめん……、戻せないって知ってたらちょっとくらい考えたんだけど!」
頭を抱えて悶える美羽には、だいぶ引いた感じの視線が四人分注がれている。
「でも私にも使えるんだね。それって、すっごく便利かも!」
自分の部屋に、一体何が置いてあっただろう? 机の上、ベッドの周り、本棚、引き出しの中、ごちゃごちゃとした光景を思い出し、美羽の口からはため息が漏れ出てくる。
使える物があったら出せるけれど、戻すのは不可能。
使い捨てられる物なんて、消耗品くらいかもしれない。
この心の高鳴り、魔法へのときめき、そして……裏切り。
「ノートとペンくらいだけかもしれないね」
第三十六代目の妄想ノートは、異世界で果てたのだ――。三十七代目の一ページ目に書く言葉はこれに決まった。
「ミハネ様、それは一体なんなのですか」
「紙とペンの進化形だよ。私のいる世界ではこんな風なの」
ノートの端にボールペンでくるくると線を書いてみせると、ユーリだけではなく、ヴァルタルとウーナ王子も驚きの声をあげた。
「なんと、これは一体、墨は必要ないのか?」
「こんなに薄い紙があるなんて。しかも、どうやってこのような束にしているのですか?」
「これ、文字なのか。変な形だ」
繰り出される怒涛の質問に適当に答えつつ、美羽はこれまでに心に書き留めていた情報をノートに移していった。
ノートの後ろ側から四人の勇者それぞれのページを作って名前を書き込んでいく。これまでの反応だとか、もしかしたらこうかもしれないという予測をそれぞれ記して、一旦閉じる。
「ミハネ様の暮らしている世界は、一体どんなところなのですか?」
ユーリの瞳はキラキラと輝いて、純真そのまんまといった様子だ。
いくら解読できない文字だったとしても、高校一年生の妄想てんこもり、たまにはお下劣な言葉も並んでいるノートは、彼の目の前で開いていいものじゃない。
「そうだね、森とか山とかは似たような感じだよ。お城も似たようなのが一応あるかな。それはすごく古いもので、文化保存の為に残しているだけなの。ああでも、王子様とかそういう身分の人はお城で暮らしてるの……かな。でも、大抵の人はそれぞれの家でこじんまり暮らしているよ。便利な道具がたくさんあってね。鎧とか剣のもとになっている金属が、生活のあらゆるところで活躍してて」
頭の中で思いついたまま話してしまったせいで、まとまりがない。
ユーリとウーナ王子は意味がわからないのかきょとんとした様子で、ヴァルタルだけが長い耳をぴょこぴょこと動かし、興味深そうに聞いている。
「金属だよな、そうだよ。俺の世界もそう。ああいう植物ってものは全然ない。この緑色の細長いのはなんでこんなに地面にくっついてるんだ?」
「草のこと?」
「草? 草っていうのか。これはなんなんだ。有翼人の連中が住むところには、あっちの方にいっぱい生えてる木っていうのがあるらしいけどよ」
エルフの風上にもおけないな、なんて美羽は思う。ヴァルタルは別にエルフでもなんでもないので、こんなケチをつけられる筋合いはないと頭の中では理解しているが、心が勝手にそんな風に思ってしまう。
こんな雑念はどうでもよくて、それよりもこの流れはいいんじゃないか。相互理解への第一歩を踏み出すべき時は今だ、と美羽は両手を高々と挙げた。
「じゃあお互いの暮らしている世界の話、していきましょう。ささ、ご飯はもう終わったから行かなきゃ。片付けて準備して、交代で話しながら行こう!」
順番に話していけば、もしかしたらブランデリンとレレメンドも乗ってくるかもしれない。こないかもしれないが、少なくともヴァルタルとウーナ王子についてはわかるだろうし、ユーリにも話してもらえば今いる世界についても理解が深まるだろう。
ナイスアイディア! 自分を褒めながら片付けを済ませて、再び北に見える森へ向かって歩き出す。
風が吹くたびに揺れて足元をくすぐる草に、ヴァルタルもだいぶ慣れたようだ。ひゃあひゃあ声をあげるのは止めて、ウーナ王子の語りに耳を傾けている。
「私の暮らしていた世界は、こことよく似ている。城の造りも、人々についても、森や山の形もとても近いと思う。違うのは、夜空に浮かんでいた大きな星と、人以外の生き物についてだろうか」
「お前のところにはファーファやギリンはいないのか?」
ウーナ王子はふるふると首を静かに振ると、少し切なげな表情を浮かべて答えた。
「それがどのようなものなのかはわからないが、我々の世界に『魔獣』と呼ばれるような敵はいない。自然と獣と人、精霊、そして竜がいるだけの世界だよ」
で、で、で、出たーっ。
心の中で「たーっ」を散々反響させて、美羽の鼻は血を吹き出す準備を始めている。
ドラゴンがいる世界。
ドラゴンといえばファンタジーの象徴。スーパーマジファンタジックドリームであり、アルティメット異世界。
興奮が過ぎて頭の中を混沌に支配されつつ心拍数を一気にあげて、荒く鼻息を吹き出しながら美羽は叫ぶ。
「竜って、あの竜ですか」
いわゆるドラゴンであるところのアレ? と畳みかけると、ウーナ王子は少し驚いた顔をしたものの、すぐに優しげに微笑んだ。
「ミハネの暮らす世界にも、竜がいるのか?」
綺麗です、殿下、美麗極まりない笑顔でありまっす!
心の中の実況席にいる小さな美羽は興奮しすぎて口から泡を吹き出している。
「いないっす! でも、みんな大好きだし憧れてるっす!」
顔を真っ赤に染めてバタバタと無意味に暴れる隣で、王子はますます喜びの色を深めている。
「大好きか、そうか。ミハネ、嬉しいぞ。私も竜がとても好きなのだ」
朝までは「ため息吐き出しマシーン」だったはずの王子は、急激に生き生きとしてお美しい髪と瞳を輝かせている。
「私の暮らす国は竜の保護区がある。残念ながら彼らは高級な食材として、もしくは『竜殺し』の栄誉とやらのために命を狙われている。穏やかで賢い竜たちは戦いを好まず、一時は絶滅寸前まで追い込まれてしまったのだ。それを私の大叔父が救った。私は大叔父をとても誇りに思っているのだよ」
「わー、そうなんですねえ。すごい素敵ー、すごい立派ー」
絶滅寸前のドラゴンとか設定として鉄板じゃないですかー! とのけ反り喜ぶ美羽の隣では、ヴァルタルが眉間に皺を寄せている。
「なあ、なんだ竜って。どんなんだ?」
美羽の手元には、ちょうど「妄想ノート」がある。この十四ページ目に、仲間を失って一人きりになってこれから世界を救うであろう竜族の少年の設定がビッシリと書きこまれているのはきっと、運命だったんだろう。
ちょっとだけだよとニヤニヤ笑いながらそのページを見せると、ウーナ王子は青い瞳を更にキラッキラ輝かせて大声をあげた。
「おお、おお! これは……ミハネは絵が上手いのだな」
「それほどでもお」
デレデレと腰をくねらせる美羽だったが、次の瞬間、熱が一気に全身から引いていった。熱が引いたどころじゃない、草が生い茂る足元からぞわぞわっと震えが走ってぐるぐると全身を巡っている。
足を止めてノートを見つめたまま、ヴァルタルは怒りの形相を浮かべていた。
水色の髪を逆立たせ、三つ編みの先をボサボサにして、色男風の垂れ目をきゅっと吊り上げて。腹の底から出した絶叫が周囲の草をなぎ倒していく。
「クソ王子、てめえ、ホーリンジューマだったのか!」
シャウトとともに繰り出された鋭いパンチは正確に王子の鼻を捉えていて、ひょろひょろの王子様は美しい弧を描きながら草原の向こうへ吹っ飛んでいった。