お星さまにお願い! 星「うん、いいよ!」
信じていれば、夢は叶う――。
それは素敵な魔法の言葉。未来だとか、希望なんかを感じさせるポジティブな思い、日本代表と言って差し支えないだろう。
でも、信じて、どれだけ努力したところで叶わない夢もある。奥山美羽はそれをわかっていてなお、今日も夜空に浮かぶ星に祈っていた。
現実として叶えたいなんて思ってやっているんじゃない。あくまで「毎日を楽しく前向きに生きるための儀式」として、今日も儚く輝く星に向かって両手を組んでいる。
小説、漫画、ゲームで散々主人公を拉致しては冒険へ誘う「異世界からの招待」。自分の身にも起きないか、無理だよねと思いつつも祈らずにはいられない。
本当は優しいのに、人前では強引な俺様系王子様。
実は胸に熱い思いを抱いているけれど、不器用で感情表現に乏しい騎士。
そういう人達と出掛けたり戦ったり陰謀に巻き込まれたり求められたり、ピンチの時には助け助けられ、苦難を乗り越えていく。
これまでに頭の中でどれだけのシチュエーションを設定して、どれだけの時間旅してきたか。それは素敵で愉快で身悶える、自分だけのお楽しみの世界。
時にはあどけない少女になり、時には勇敢な女騎士に。
たまには男の子に転生して、心は女、でも体は男だってイヤーどーしよー! なんてシチュエーションも楽しんできた。
美羽は十六歳にして既にプロの妄想家だ。
履歴書の趣味の欄には「妄想」と書くし、特技の欄にも「妄想」と書く。
受験を乗り越え、卒業、入学。慌ただしい日々を終えて、明日からは高校に入って初の夏休みが始まる。つまり、思う存分物思いにふけっていい時間が大量に出来る。静かなお気に入りの図書館でページをパラパラめくりつつ、さて次は一体どの世界へ出かけようか? そんな自分の姿を想像しただけで心は弾む。
明日も健全な妄想生活を送る為に、まずは睡眠。
寝る準備はオーケー、オールグリーンで万端だ。
そしてベッドに入れば眠りにつくまで、やっぱり妄想にふけるボーナスタイムがある。それは未来へのエネルギー。明日入り込む世界の設定を予習しておこうと、美羽は気合を入れて両手をスパーンと合わせた。
寝る前の決まり文句を、都会の夜空に浮かぶかすかな星たちに向かって投げかける。
――先生、ファンタジーな異世界にトリップしたいです!
星はちらちらと瞬いて、美羽に微笑みかけてきた。
視界がぼんやりと滲み、七色の光が溢れていく。
明るく輝き出した空から無数の光の帯が窓辺まで伸びてきて、美羽を包む。
「なにコレ」
慌てて一歩下がっても、キョロキョロしても状況は変わらない。
放り出したままのカバンも、机の上に乗せたノートや教科書、夏の課題もカーペットもベッドも何もかもが白く染まっていく。
着古したラベンダー色のパジャマ姿のまま、美羽の体はふわんと浮いて――。
気が付くと、だだっぴろい部屋のど真ん中にいた。
まるで見覚えのない場所。
体育館よりもずっと広く、天井も高い。壁には燭台が取り付けられ、金色の枠に縁どられた窓から光が降り注いでいる。
床には上品な深い赤の分厚い絨毯が敷かれていて、美羽がついた手はふわふわの中に包まれていた。
いつの間に四つん這いの姿勢になってしまったかわからなかったけれど、今はそんなのどうでもいい。
知らない部屋のど真ん中にいて、その周囲を大勢に囲まれている。皆さんの「衣装」は、ローブとか、西洋甲冑とか、とにかく現代日本では見かけない「演劇部」仕様のものばかりだ。
そして美羽のまっすぐ前に立つ女の子は、真っ白純白、ウエディングケーキのような豪華で清楚なドレスに身を包んでいる。長いストレートのクルミ色の髪の上には金色に輝く王冠が乗っていて、その様子からしてどう考えても「お姫様」だ。
その隣には、深い紅の裾の長い服に身を包んだ初老の男性が立っている。こちらは白い髭を口元と顎に生やしていて、どう見ても「大臣」。
その隣に立つ男は銀色の鎧を身に着け、腰には剣を提げている。なので、「騎士」なんだろう。
「わあ」
ファンタジーだった。
「夢かな」
「夢ではございません、オクヤマミハネ様」
「どう見てもお姫様」が一歩前に出て、ドレスをつまんで優雅に礼をする。
「わたくしの名はエステリア・ピア・リッシモ。このリッシモ王国の女王でございます」
髪とお揃いのクルミ色の瞳がきらっと瞬いて、美羽の胸はキュウウンと軋む。
「かーわーいーいー!」
思わず自分で右頬を叩いて、美羽は笑った。痛い。念のためもう一丁、と左頬も叩く。スパーン、スパーン、大広間には美羽が自分の頬を送りビンタする音が響き渡った。
「姫様」
笑いながら自分の頬を殴る姿を恐れたのか、大臣が思わず姫をかばうように前へ出る。
「ごめんなさい! だってこれ異世界召喚でしょしかも夢じゃないんでしょ! ありえなーい! ありえないけど、超嬉しいー!」
YES! とガッツポーズを決めて、美羽は噛みしめていた。
イエスアイキャン! 信じれば夢は叶う。信じてたら、夢、叶っちゃった的なアレでとにかくヒャッハー。
「落ち着いて下さいミハネ様。突然このような状況、混乱されて当然ですわ」
説明致しますから、とエステリアは慌てている。
くるんと上を向いたまつげに彩られたぱっちり開いた瞳、柔らかそうな白い肌、可愛らしい控え目なピンク色の唇。年は十六か十七くらいか、西洋人形のように美しく、なによりも品がある。
大臣は恰幅がよくてとにかく大臣然としているし、騎士の口元にはびしっと整えられた口ひげが蓄えられており、銀色に輝く鎧を身に着けていて、どう見ても騎士だ。
こんな単純すぎる感想しか抱けないほど、美羽は高揚していた。
ずっと頭の中でこねくりまわしていた映像が、目の前で完璧に実写化されているという至高。しかも目の前に立つエステリア姫は、美羽の妄想史上最高に可愛い出来だった「チェルシー」を抜いて、断トツの一位に躍り出るパーフェクトさを持っている。
並ぶもののない愛らしさが今ここにあるという至福に、美羽の胸は高鳴りっぱなしだ。
騎士が歩けばガチョンガチョンと金属が当たる音が響き、廊下に敷かれた絨毯は分厚くてフッカフカで、美羽の足の裏を優しくくすぐってくる。
この完全なる幸せよ、夢ならどうか覚めないで。また頬をペチペチと叩きながら、導かれるまま廊下を進んで行く。
私、パジャマだなあー、と美羽は小さく呟いた。
ありえない非・日常が嬉しすぎて、どんなに叩いても頬がみるみる緩んでいく。何度も洗濯して毛羽立っているパジャマに、裸足。立派な城の廊下と比べて、あまりにもありえないみっともなさ。
異世界召喚されるのに相応しくない、TPOを弁えないこのファッションこそがまさに「妄想の世界らしくて」身悶える。
大広間から移動して、辿り着いたのは応接間のような部屋だった。
奥山家のリビングの四倍ほどの広さの部屋には長いテーブルが置かれ、椅子が十二脚も添えられている。
お姫様はテーブルの端、いわゆるお誕生日席に座り、美羽の席は遠い遠いその向かい。そのテーブルの長さも心躍るもので、ルンルン気分になって美羽は頬杖をついている。
「なんという態度だ」
足をブラブラさせている美羽に、「大臣」は眉を顰めている。その声は小さかったもののバッチリ聞こえて、美羽は慌ててピシッと背を正してみせた。
「じいや……、いえ、フリスト。ミハネ様を勝手にお呼びたてしたはこちらです。ミハネ様、ごめんなさい。フリストは少し堅苦しいの」
いやもう全然オッケーっすよ! と美羽は心の中で答えていく。そして、どうしても顔の筋肉をコントロールできず、ニヤついてしまう。
「ええと、あの、説明をしてよろしいかしら?」
「はい、もちろん!」
不安げに顔を曇らせるエストリア姫とは対照的に、美羽の笑顔はピッカピカだ。
そんなの実際にあるわけないじゃん! と思っていたものの、叶えられたら超絶ハッピーな「異世界召喚」。
自分が選ばれ、現代の地球ではなさそうな世界へとやってきた。散々叩いた頬はじんじんと熱を放っていて痛い。だから多分、夢じゃない。
待ちに待っていた「奇跡」にズギャギャギャと心臓を高鳴らせながら、困惑した表情の「召喚主」であろう姫に向けて、美羽は何故かファイティングポーズをとってみせる。
「はい、ええと、あの、ここはリッシモ王国といいます。ミハネ様がいらした世界とは別の次元にある場所で」
「わかってますともー!」
「はい……」
こんな風に話の腰を折りまくりながら、美羽は何故自分が異世界へと呼ばれたか、その理由を聞いていった。