死神と巫女と
夏。外では蝉がやかましく鳴いている。しかし、そんな喧噪から離れた、この部屋にいる全員が、巫女の言葉を待っていた。広大な敷地を持つ神社の、奥の部屋。普段は開放されていないその部屋には、大きな几帳があった。几帳で仕切られた二つの空間のうち、神社の入口に近い側を手前とすると、手前には黒いスーツを着た男性が三人と和服を着た女性が二人、そして私服の男子高校生が一人。そして几帳の奥には一人しかいなかった。紅白の巫女服を着た少女の姿は手前の六人からは見ることが出来ないようになっている。
「……一柳、荘平」
「はい」
この部屋に居る中で唯一の高校生である荘平は、姿が見えない巫女の声を聞き、すぐに背筋を伸ばして正座をした。
「あなたが、今年の死神送りに、決定しました」
言葉と言葉を区切っている巫女の声からは、感情を必死に押し殺しているという印象を受けたが、荘平はそこを気に留めない。もっと重要なことが、今自分の目の前にあるのだから。
死神送り。この言葉を説明するには、まずこの神社がある町、つまり荘平や巫女の住む町について説明しなければならない。この町は雨久町。さして降水量も多くないのに、なぜこの名前なのかは伝わっていないが、古くから神社が多い町だった。その理由は、この町のみが抱える特殊な事情のせいだった。
雨久町の南部には大きな山がある。その山の名前は町名と同じく、雨久山といったが、その雨久山の奥には立ち入り禁止区域となっている所がある。区域の中は森になっていて、中の様子は外部から窺うことは出来ないが、そこにはこの町の抱える事情の根源となっているものがある。
およそ常人の三倍はある身長を持った人型の化物。雨久町の住人は、その化物を巨魔と呼んだ。巨魔はその巨躯に似合うかのような、長く、太い腕を振るうだけで大木をなぎ倒すほどの怪力を持っている。また、まさしく鋼の鎧と言うに相応しい身体は、銃弾を当てても銃弾のほうが弾き飛ばされてしまうほどに硬い。
人では全く太刀打ちができない、その巨魔という化物が多く潜む森。それこそが立ち入り禁止区域の正体である。こんなものが外に出てきたら、人々は絶えてしまう。史書には記されていないが、雨久町は、古くから巨魔と戦ってきたという歴史を持っている。しかし、前述した通り、巨魔と人間との力の差はいかんともしがたいものである。そこで昔の雨久町の住人は、巨魔に対抗しうるだけの力を得る方法を考えた。
相手が人を越えた存在ならば、こちらも人ではない存在に頼るしかない。住人達は、そこで神に頼った。信仰を形にする為に多くの神社を建築して、神職の人々や巫女が毎晩のように祈祷した。そして、その必死な祈りが神に通じたのか、ある夜ひとりの巫女の夢に、不思議な光が現れた。そしてどこからともなく、威厳に満ち溢れた男の声が響いた。
「お前たちの祈りが我の下にも届いた。その努力に報いて、お前たちに力を授けることにする。お前が思うままの陣を地に描き、その陣の中央に人を立たせ、そして再度我に力を授けてくれと祈る。さすれば中央に立つ者に力は授けられる」
巫女は起きた後すぐに、この話を他の神社にいる巫女や神職の人々に言った。この話は町中に広がり、不思議な光の正体は神に違いない。早速力を使おう。という意見が住人の多くを占めるようになった。そこで住人は力を授けられる者を選んだ。
選ばれたのは若い男。元から力持ちであり、またかねてから巨魔を排除したいと思っていた男だった。
巫女は自らがその場で思いついた陣を、石を置くことによって地面に描き、その陣の中央に男を立たせ、言われた通りに神に祈った。次の瞬間、男の身体から光が発せられ、男のほうも自らの力が今までにない程漲っているのを感じていたという。
同様の儀式を数名に行い、全員が不思議な光と力を得た。そして神の言ったことは真実となり、それらの男達は巨魔と互角以上に戦った。住人は喜び、神に対する信仰をより一層深めていったのだった。
しかし、ある夜のことである。不思議な光と出会い、力を授ける者となり住人から崇められる存在となった巫女は、再び夢の中で不思議な光と出会った。
「一つだけ言い忘れていたことがある」
いつかと同じような、威厳ある男の声が聞こえた。
「人が神の力を借りるのは、いくらお前たちの祈りが深かろうと代償が必要となる。今から二日後に、住人の中から代償となる人間を一人死神に差し出すことになる。その人間は、我が神託によって伝える。お前は今から我が伝える陣を描き、その神託を聞け」
巫女が起きると、枕の横には陣が描かれた紙が一枚あった。それを持って巫女は住人にこの話をした。巫女の言うことに嘘はないと思うくらいに住人は巫女に対して畏敬の念を持っていたので、すぐに信じた。問題なのは犠牲となる人間である。巫女の住む神社の奥の部屋で、住人の中で権力を持つ数名と、神職の者が数名集まり、巫女が陣を描いた。すると巫女の脳内に直接、あの威厳ある男の声が響いた。他の者には聞こえていないようで、突然驚いた巫女に対し心配していたが、神託の内容はこうだった。
「代償となるのは……」
その者の名前をしっかりと聞いて、巫女は目を閉じた。そして再び開いて静かに告げた。
「神託が、届きました」
部屋にいる一同が巫女に注目した。一人一人の視線を確認してから、巫女はゆっくりと犠牲者の名前を言った。一同はそれを聞いて苦い表情となる。あまり人口が多い町ではないから、町の住人は全て把握できている。この町には悪い人間がいないから、誰が犠牲者となっても喜ぶ者はいなかった。
そしてその日の夜。犠牲者に選ばれた一人の青年が神社に訪れた。青年の後ろでは青年の家族が泣いていたが、当人は決断をした表情だった。
「人々が巨魔の脅威から免れることが出来るならば、私は喜んで死神に命を差し出しましょう」
巫女の前に立って青年は言った。居合わせた住人は青年を立派な若者だと褒め称え、すぐに宴席の場が設けられた。豪華な食事を皆と楽しんだ青年は、翌日の朝出かけていき、昼ごろに神社近くの広場で亡くなっていた。
この話は、事実に基づいた作り話として、町中の人々に伝わっている。最初の死神送りとなった青年が、話の中で立派な姿を見せたことから、死神送りとして死ぬのは名誉なことだと町中の人々は考えている。
さて、そんな名誉な職を、巨魔に関連する事柄において最高権力に位置する巫女から告げられた荘平の心は落ち着いていた。死ぬのが怖いとは思わないし、名誉だと考えて気持ちが昂ることもない。
「……昔と違って、宴席を設けることが出来ないのは、申し訳なく思います」
「いえ、気遣いは無用です」
「では、あなたに、死後も神のご加護がありますように」
荘平は深く几帳にお辞儀をして、立ち上がる。そして周囲に座る人々に一礼をして、神社から去って行った。
これが現代における死神送りの儀式である。自分が死神送りだということは、神社に呼ばれる時点で分かっているので、巫女と死神送りとの会話も形式的なものになっているが、死神送りが明日の夜までに亡くなるという事実は昔から変わらない。
「……」
儀式が終わった後、巫女はずっと黙っていた。すると目の前の几帳が開かれ、そこにはスーツの男達と、和服の女達が立っていた。そして、スーツの男の一人が笑いだした。神聖な儀式が行われた場において、それはあまりにも失礼だったが、誰も咎めることはしない。
「これであの英雄とやらの息子も終わりか」
「……」
「いやあ、真菜ちゃんにも悪いことをしてるなってことは分かるよ」
巫女の名前は真菜といった。権力を持つ立場としては目上にあたる真菜のことを、気安くちゃん付けで呼んだ男は、真菜の前にドカッと座る。そして真菜を見据えて、反応をうかがう。
真菜と荘平は幼少の頃から遊んでいた、幼馴染だった。この町において、巫女の家に生まれた娘と一般住民とではかなりの格差があるものの、それを気にせずに二人は遊んでいた。そして同じ高校に進学した今年、真菜は巫女としての仕事を親から引き継ぎ、奇しくも最初に神託として任命した死神送りが、荘平となった。いや、なってしまった。
「……どうしても、荘平じゃないと駄目だったんですか」
真菜は顔をあげる。彼女の目からは涙が溢れていた。それを巫女服の裾で拭いながら、男を見る。
「ああ。真菜ちゃんも覚えているだろう。10年前の災厄を」
「荘平のお父さんは皆を守りました。それが……何で、どうして」
「守ったからこそ、だよ。それによって巫女以上に信頼を寄せられる存在となってしまった英雄は、邪魔でしかなかった。そしてその血を継ぐ、息子もね」
「……」
真菜はそれきり黙って、また顔をふせる。その様子に男は満足して、立ち上がって部屋の出口へ向かう。それに従って、残りの五人も出口へと歩いて行った。しかし、先頭を行く男は何かに気付いたかのように、ふと足を止めて真菜を見る。
「そういえば、なんで今さら確認をするのさ。……やっぱり好きな人を間接的とはいえ殺すのは、ちゃんとした理由が欲しいものかな」
真菜は男の言葉を聞いて、顔が真っ赤になっていった。
「好きとか、そういうの以前に……荘平は」
「いいっていいって。青春はいいね。まあ今回に関しては儚い物語だけど」
高笑いを残して、男女は部屋から出ていく。残された真菜は、拳をぎゅっと握りしめて、その場に座ったままうなだれるしかできなかった。
「荘平……」
休日の朝だというのに、早く目が覚めてしまったのは、自分が無意識のうちに残された時間を大切にしようと思っているからだろうか。時計を見てみると、まだ六時半。あまりの早さに、思わず荘平は笑ってしまう。これでは平日と変わらない。いつもなら二度寝に移行するのだが、やけに目覚めが良いのでこのまま行動することにする。
顔を洗い、台所へ。荘平には今、親がいないため一人暮らしをしている。昨年までは叔父のもとで暮らしていたが、高校生になって自立ができると判断した為に、十年前まで住んでいた実家に戻って、一人で自炊をして生活している。
「……」
朝食を作りながら荘平は考える。自分に残されている時間は、長くても十五時間くらいだ。その間にしておくべきことは何か。まず、死神送りとして本日死ぬことはじきに町中に伝わるので、友人や先生に伝えなくても良いだろう。身の回りの整理もする必要はない。
――やっぱ、あそこしかないよな。
荘平の脳裏に浮かぶのは一ヶ所しかなかった。つまり、そこにさえ行ってしまえばもう現世にやり残すことはない、ということだった。人々と別れるのは辛いが、荘平は運命と割り切るしかなかった。
そう考えていると同時に、荘平の手は動いて朝食を作り上げる。物事を考えながら作れるくらいには料理に慣れたのだが、その能力も無駄になってしまうのを思うと、少し残念だった。
「いただきます」
これが最後の食事になるかもしれない。しかし、だからといって味わうことはしない。それ以上に時間が惜しかったから。
「ごちそうさま」
いつもよりペースの早い朝食を終えて、出かける準備をする。死ぬときにはせめて綺麗な姿で……という願望は無い荘平だが、それでもいつもよりは丁寧な準備をする。休日なのに、あえて学校の制服を着るのは、死神送りとして死ぬのは儀式だと思っているからである。
「いってきます」
次に戻ってくるのは死んでからだろうな、と荘平は思う。今さら誰に侵入されようが困らないが、それでも一応鍵を閉めて歩き出す。目的地までは徒歩で五分程度だ。
途中の花屋で、白い菊を買う。花屋の主からは、
「まだ一か月早いけど、どうしたんだ」
と聞かれたが、荘平は気まぐれですとだけ答えて、花屋から去った。
目的地に着く。この地域では比較的大きな寺が、そこにはあった。荘平の目的地は、正確にはそこではなく、隣接する墓地。お堂を一度見てから、墓地へと向かう。
そして、目的の墓はすぐに見つかった。一年訪れていないので、墓石には汚れが目立ち、以前叔父と一緒に来た際に添えた花も枯れていた。この花も、先ほどの花屋で購入したものだった。汲んできた水を墓石にかけると、「一柳家之墓」という文字がくっきりと見えるようになった。同様に、持ってきた花と枯れている花を入れ替える。
「あ、線香忘れちまったな……」
荘平は静かな墓地で一人呟く。
「まあ、父さんは線香嫌いそうだし、いいか」
そして、墓の中に眠る人物を思い出すように、荘平はゆっくりと目を閉じた。思い出す時間は、十年前。
火が、あたりを埋め尽くしていた。昨日まで平穏そのものだった街並みは燃えて赤く染まっていた。住民は皆逃げて、ここに残っているのは自分と、
「……もう皆大丈夫のようだな」
父だった。父は、着ているスーツに似合わない長剣を持っていた。しかしそれはもう自分にとって見慣れた姿であり、むしろスーツこそが父の戦闘服とさえ思っている。しかし、いつもと違うのは父が傷を負っていること。傍目から分かる通り、スーツは各所が破れ、血がにじんでいる。ここまで住民を逃がす為に一人で奮闘してきた父は、『ヤツら』からダメージを受けていた。
そして今、民家の後ろから、『ヤツら』がまた一匹現れた。人間の三倍はある巨大な身体をもった、巨魔と呼ばれる化物。しかし、その恐ろしい姿を見ても、父はひるむことなく、むしろニヤリと笑った。長剣を構え、凄まじい速度で巨魔に接近し、そのままの勢いで剣を一閃。すると、巨魔の鋼鉄よりも硬い身体が両断され、断片となった巨魔は溶けて黒い泥となり、そのまま消滅していった。
「ちっ……もうここまで来たか!!」
父が呟いているうちにも、巨魔が何体も現れる。それら全てを長剣で斬り、数十秒で片づけた父は、大きく息をついて、自分のほうを振り返り、叫んだ。
「逃げろ、荘平!! ここは俺が食い止める」
「無理だよ、そんなこと、できるわけないよ」
自分はすぐに反発する。動くことはどうしてもできなかった。このまま父を置いて逃げたら、父は確実に死んでしまう。しかし、自分がここに残っていてもどうすることはできず、むしろ邪魔だということも同時に分かっていた。二つの感情がせめぎ合い、それが結果として自分の足が動かないことにつながっていた。
「……」
そんな葛藤を、まるで心の中を直接見ているかのように黙っていた父は、突然自分と目線を合わせるようにしゃがみ、小指を出した。
「じゃあ約束しよう」
「約束……?」
父はああ、と頷いた。
「俺は必ずお前のもとに戻ってくる。だから荘平は逃げる。それが約束だ」
「約束を果たさなかったら、どうするの」
「そうだな……その場合は、お前からのどんな罰でも、俺は受けよう」
「……分かった」
自分も小指を出し、父のものと絡め、ギュッと強く握る。そして指を離すと、それだけで、燃え上がる民家と、今も迫ってくる巨魔に対する恐怖は失せて、足も動くようになった。父はもう一度頷き、笑ってから言った。
「よし、行け!!」
その言葉に自分も頷き返して、駆け出した。背後でまた巨魔が切断される音が聞こえたが、もう振り返ることはなかった。
「嘘つきやがって……」
回想の世界から抜け出し、目を開いて墓を見る。結局、十年前のあの日にした約束は果たされることがなかった。火災と巨魔の襲撃が収まると捜索隊がすぐに結成され、彼らが現場に行くと、荘平の父の遺体が発見された。遺体は一人で巨魔と激戦を繰り広げたとは思えぬくらい綺麗な状態で、すぐにそれが荘平の父だと分かった。
住民を巨魔から守った彼は町の英雄として人々に崇められるようになった。今も、英雄としてあがめる墓は、毎年多くの住民が訪れているそうだが、荘平が今参っている遺骨が直接収まっている墓のほうは、命日に叔父と荘平が訪れるくらいだった。
荘平の父が十年前に死んだのは九月のこと。今は八月なのでまだ一か月早いのだが、どうしても荘平は死ぬ前に訪れておきたかった。
「死ぬ時って、どうなるんだろうな」
墓を見つめて荘平は呟く。周囲からは独り言にしか聞こえないが、荘平には墓の中にしっかりと父が居て、その問いを聞いているかのように思えた。しかし、当然のことながら返事はない。それは荘平も分かっていることだった。結局、死ぬことなど誰にも分かりはしないのだ。
「……ありがとう。待ってろよ、あと一日でそっちに向かってやる」
言っていることは物騒だが、荘平は確かに笑っていた。もう行くべき場所もないし、尋ねるべき問もない。後は死神とやらを待つだけだ。墓から背を向け、寺の入口へと歩き出す。
――死神ってなんだろうな。
歩いていると、不意にそんな疑問が浮かび上がってきた。これは尋ねるべき問ではないが、荘平はそれが無性に気になってしょうがなかった。死神送りとして死ぬ者はどうやって死ぬのか。昔話によると、最初の死神送りは傷一つない状態で発見されたらしい。唐突に、ゆっくりと眠るように死ぬのだろうか。
「でもそれって死神じゃないよな……もっとこう鎌を持った感じの……」
自分の持つイメージ通りの死神が、自分の後ろから迫ってくるのを想像すると、少し怖い気もするが、とにかく残りの時間は死神について考えてみようと思って、荘平は寺の前の広場でお堂をもう一度見た。その行動に意味はなかったが、なんとなくこの世のものを目に焼き付けておきたい気分だった。
「さて――」
時計を見ると、朝の八時だ。これからどうしようと思いつつ、荘平がお堂から背を向け、歩きだそうとする。
「ん……!?」
すると刹那、背後から烈風が吹き荒れる。しかし、それが事実でないことは、木が揺れていないことから分かる。ではこれはなんだというのか。この圧倒的な、風の力は。
「ッ!!」
荘平が横に転がった次の瞬間である。砂利で作られている地面が切断された。切断された、というのは語弊があるかもしれないが、とにかく地面には溝が刻まれていた。
「なんだ……これは」
背後、お堂のある方角を見る。すると荘平の顔は驚きに変わった。
「よう。十年ぶりだな」
黒いスーツに長剣を持った男が立っていた。男の目元は荘平と似ており、荘平が勇ましくなって成長したらこんな感じになるという顔だった。
「約束の期限は指定してないから、果たしたってことにしてくれないか、荘平」
荘平の父。十年前、荘平の前から姿を消し、住民からは今もなお英雄と讃えられる男がそこにはいた。
「どうなってやがる……」
まさか、生きていたとでもいうのか。そんなはずはない。遺体は荘平自身がしっかりと確認している。脈はないが、やけに綺麗な姿で眠るように息を引き取っていた。十年経った今でもはっきりと記憶している、身体の冷たさがあった。
「あんた、偽物か!?」
「偽物かどうかなんて、別にどうでもいいじゃないか」
激情渦巻く荘平に対して、父のほうは冷静だった。そしてこう続ける。
「今からお前は俺に斬られるんだからな」
荘平はその言葉を聞いて、即座に父と距離を取る。先ほどの風と斬られた地面のことを考えると、距離をとってもあまり意味は無さそうだが、とにかく荘平は武器を握ることにした。空中に手をかざすと、荘平の手の周囲に光が集まり、すぐにその光は剣となって現れた。父と同じ種類の長剣が、そこにはあった。
「力は授けられてるんだな。そうこなくては」
対し、父は荘平の動きを見て笑う。そして長剣を構え、言った。
「さてと。十年の間にどれだけ研鑽をつんだかな」
地面を蹴って、荘平に迫る。記憶にある通りの凄まじい速度と勢いだった。荘平は、その突撃を正面から受けるのは危険だと判断し、こちらも相当の速度で横へ跳ぶ。巨魔を倒すために、一昨年巫女から授けてもらった力。荘平は二年間、この力を使いこなす為に日々の努力をしてきた。
だが、相手は歴戦の勇士。一筋縄ではいかない。荘平の父は突撃がかわされたと見るや否や、急激な方向転換を行って再度荘平へと向かう。この動きを人間の動体視力をこえた速さで行うために、まず逃げることはかなわない。
「さすがにやるな……」
横へ跳んだ荘平は、思い切り地面を父のほうへ向けて蹴った。地面は砂利。常人を越えた力によって弾きだされたいくつもの石が、銃弾のように襲い掛かる。
「……」
無視できないと判断し、荘平の父は長剣で砂利全てを弾く。いくつかが荘平のもとへ戻ってきたが、荘平も同様に長剣で弾き、地面に落とす。ダメージは無いものの、ひとまず父の勢いを止めることはできた。
「だてに努力してきた訳じゃあなさそうだな」
素直な賞賛だったが、荘平は応じることができない。はっきりいって、ついていくのが精一杯であり、明確な疲れが出ている。敵を褒めるほどの余裕がある父とは大きな違いがあった。一応、荘平は同年代の者と比べて圧倒的に強く、町全体で考えても大人と遜色がないくらいだった。つまり、それだけ荘平の父が強いということだった。
「まぁでも、これが限界だ」
長剣を肩で担いで、荘平の父は言う。
「名誉ある死神送りとして、お前は死ぬんだ」
父の言い方は、まるで演説をしているかのようだった。しかしそれ以上に、荘平は気になることがあった。
「どうして俺が死神送りだと知っているんだ。それに、あんたはまるで死神送りを殺す執行人みたいな言い方で……!!」
言って、荘平ははたと気づく。まさか、目の前にいるこの男の役割は。
「正解だよ」
十年前の荘平の父と全く変わらない風貌と強さを持つこの男の役割は。
「死神送りってのはな、死神によって殺されるんだ」
担いでいる剣を構え直して、荘平に突撃しようとするこの男の役割は。
「俺が死神だ。よろしくな」
凄まじい速度で、再び荘平に死神が襲い掛かる。驚いて構えがとけていた荘平に、容赦なく向かってくる死神に対し、荘平ができたのは横に跳ぶことだけだった。跳んだあと、先ほどのトレースのように砂利を蹴る。しかし死神は叫んだ。
「繰り返しで、俺が倒せると思うなよ」
今度は速度が落ちない。剣で弾きつつ、生まれた隙間に自らの身体を通し、突撃を継続する。窮した荘平は剣を横に構えて、盾のようにした。
そして剣と剣がぶつかり合う音がして、続けざまに剣が折れる音がした。
「……剣は大事にしろよ」
死神の剣は荘平の脇腹に刺さっていた。剣同士が衝突したおかげで狙いが逸れ、なんとか急所は避けていたが、血が溢れ出る。そして荘平の剣は無残にも真ん中で二つに折れ、地面に落ちていた。
「ぐ……」
荘平の顔は苦悶だった。一方、攻撃が通った死神の顔は、楽しいとか嬉しいといった類のものではなく、むしろ悲しみだった。期待していた相手との戦いが、これほど早く決着がついてしまったことへの悲しみ。
「……ちょっと話をするか。死神はめったに人と会話できないものでな」
剣を刺したまま、死神は言う。荘平は頷くこともできないが、反応を全く気にせずに、死神は語り始めた。
「まず、お前は俺を父だと思っていないだろうが、俺はお前の父だ」
「な……に」
「説明すると、死神というのは誰にでもなれる。神だしな。……で、お前の父をかなり正確に模している状態が今の俺だ」
身体、思考能力、倫理観、記憶、口調、剣術などが全て一致している人物は、果たして別の人物と言い切ることができるだろうか。そこには一切の誤差がない。
「そしてもう一つ、死神送りについても説明しようか」
剣を持っていないほうの手で、指を一本立てる。荘平の視界は暗くなって、立っているのが精一杯という状態だったが、何とか死神の話を聞き洩らすまいとしていた。
「死神送りを殺すのは死神っていうのはさっきいったな。で、死神を現世に呼び出すには色々と儀式が必要なわけだ。そこは巫女の力で何とかするが」
「……」
「さて、死神は人をこっち側に運ぶ、つまり人が死ぬことは大好きだ。だから面倒でも死神送りを殺しにくる。ここまではいい。だが、人にとってこれはメリットがあるのか」
「……」
荘平は脇腹を刺されたことによる痛みで何も喋ることはできなかったが、心の中で死神の言うことに答えていた。
――メリットも何も、代償だからしょうがないだろ。力を得るための。
「まぁ、それが一般的な解釈だよな」
おそらく死神は人の心を読むことができるのだろう。神とついているのだから、それくらいできてもおかしくはない。それよりも、荘平は死神の話の続きが気になった。
「しかし、その必要はないんだ」
続けて聞こえた言葉は、荘平の思考を真っ白にするには十分だった。死神が言ったのはつまり、死神送りという存在が必要ないということ。代償を死神にささげる意味はないということ。
――もしこれが本当ならば、死神送りが指名される必要はなぜだ。
「死神送りという制度で得をする人間がいるんだよ。代償という面を除けば、毎年一人を合法的に殺すことができる」
――でも、死神送りは儀式によって決めるんじゃないのか。
「俺が死神という役職についてからは、そんな神託が告げられた形跡はないが」
荘平は、死神の言葉が信じられなかった。自分が死ぬ意味はないということを告げられたようなものだし、何よりも死神送りに人の思惑が絡んでいるとしたら、怪しいのは死神送りを告げる側。つまりは巫女である。
「……そんな、まさか」
荘平は刺されてから初めてまともな言葉を発することができた。痛みよりも、驚きと信じたくない気持ちのほうが上回っているからだ。しかし死神は、無情にも荘平に言った。
「まあ、今から死ぬから真偽のほうは確かめられないけどな。もう俺も十分話したし、そろそろ殺させてもらうぞ」
死神が脇腹から剣を抜く。荘平の身体には激痛が走る。先程よりも激しく血が傷から出ている。失血で、もはや目の前の死神すらぼやけて見える。
「安心しろ。死んだら綺麗に傷口まで修復しておいてやる」
それを聞いて、浮かんできたのは十年前の父の遺体。そして一つ事実が荘平には分かった。あれほどまで強かった父が死んだこと。その父の遺体がやけに綺麗だったこと。これを結び付けると、今まさに自分を殺さんとしている死神に激しい憎悪が芽生えてきたのだが、もはやどうすることもできない。
「……じゃあな」
剣が振り下ろされる。
さて、ここで話は二時間ほど遡る。
早朝の神社は静謐に包まれており、不思議な神々しさも感じられる。神社に住む巫女である真菜は、毎朝感じるこの神秘さが好きだった。しかし今日に限っては、真菜の気持ちは暗く沈んでいた。身だしなみを整えて、巫女服を着る。休日は巫女としての仕事があるのだ。
「おはようございます、今日もお疲れ様ですね」
外に出ると、境内前の広場では掃除をしている人々がいた。彼らは毎日、早朝からここの掃除を行っている。真菜はいつも、彼らに挨拶と感謝をしている。挨拶をされた彼らは、一旦掃除の手を休めて真菜に挨拶を返す。このやり取りも、人の心の美しさを感じられるから真菜は好きだったが、やはり心は暗いままだった。
「いかがなさいましたか。何か、暗い表情ですが」
心の暗さが表情に出ていたのだろう、掃除をしている人の一人が真菜に尋ねた。真菜はいえ、と答えて自分の部屋へと戻って行った。
「はぁ……」
溜息をついて、布団の上に座り込む。真菜の心を悩ませているのは、もちろん死神送りとなった一柳荘平のことだった。今までずっと仲良く遊んできて、他人に言われると否定してしまうものの、異性として好きだと自覚しつつある荘平が死ぬのは辛い。しかも真菜の心に更に重くのしかかってくるのは、その死が、「どうにもならない」ものではないということだった。
「どうして……」
死神送りの真実。それは決して巨魔を倒す力を授けられた代償ではない。死神送りを選ぶ儀式など存在しないのだ。つまり、雨久町の住人ならば誰もが知る、巨魔を倒す力と死神送りの起源に関する話。あれはまったくの出鱈目なのだ。その話を作ったのは、昨夜いたスーツの男達と和服の女達の先祖。彼らの一家は「雨久管理会」というグループを作っており、巫女である真菜よりも権力を持っているのだ。
彼らが事前に選定した死神送り、つまりは管理会が合法的に殺害したい者を、さも神託によって選ばれたかのように演出し、巫女はそこで死神を召喚する陣を描き、死神を召喚する。召喚された死神は死神送りとして選定されたものを殺害し、あの世へと戻っていく。これで犯人のいない殺害が完成する
「でも、荘平はなんで今……」
真菜の呟きはもっともなことで、管理会が選ぶのは自分達の権力を揺るがしかねないものであり、スーツの男の言が正しかったとしても、荘平を死神送りとして殺すのはもっと早くても良かったはずだ。管理会は思いつきで人を選ぶ訳ではないので、きっとそこには真菜の思うよりもっとどす黒い思惑があるのだろう。
「こんな時、母さんならどうするのかな」
何か悩み事があったとき、真菜は必ず亡くなった母の部屋に向かう。去年、若くして病で亡くなった先代巫女である母は、真菜から見て、優しく、頼れる母だった。真菜よりもずっと知識を持っている。こんな状況を打破してくれるかもしれない。
「……うーん」
母の部屋には本棚があり、三分の二は本で占められていた。残りの三分の一はノートであり、真菜の興味はそちらにあった。ノートから適当に選んだ一冊を丁寧にとると、それを開く。
「いつみても、やっぱりすごい……」
ノートには、細かい文字でびっしりと文字が書かれていた。このノートには毎日の巫女の行動が書かれている。また、他のノートには、例えば巫女の心構えだとか、よく来る参拝客についての情報が書かれているものもあった。巫女になって真菜がやったことは、この膨大な量のノートに書かれた内容を覚えることだった。まだ全てを記憶している訳ではなく、開いたことのないものまであった。
「母さん……助けて」
真菜の目には涙が浮かんでいた。無力な自分に変わって、荘平を助けてほしい。そう思いながら本棚から一番上のノートを取る。書かれたもののうち、最も新しいノートだった。その1ページ目を開くと、そこにはこう書いてあった。
「真菜がこれを見るときは、真菜が本当に困っている時になります」
真菜がその一文を見ると、それらの文字が消えた。真菜の母がそういう仕組みをほどこしたのだろう。真菜は次のページを急いでめくる。
「私は、真実を告げることができませんでした。私の怖いと思う弱さが、管理会に抗う力を生み出さなかったのです」
真実、というのは死神送りに関する事実だろうと真菜は思って、文を追っていく。読んだ文は先ほどのように消えていった。
「ここに、二つの陣を描きます。これをあなたの札に描き、救いたいという強い気持ちで術を使いなさい」
今、二つ出された陣の効果はまさに真菜が欲しいものだった。真菜は改めて母の偉大さを思い知ったが、感心は荘平を救ってからでいいだろう。手持ちの札にうつし、母の部屋から出る。
「ありがとう、母さん!!」
そのまま神社から駆け出し、参道を下る。その様子に神社の清掃員が声をかけようとしたが、今朝の陰鬱とした表情から一転して、いつもどおり明るい表情となった真菜を見ると、彼女を止める気にはならなかった。
急いで駆け出してしまったが、真菜には荘平がどこにいるのかも分からない。時刻はまだ朝の八時。荘平のことだからまだ寝ているかもしれない。そう思って彼の家を目指す。
「急がないと……」
荘平のもとに死神が現れる時間は分からない。しかし荘平と合流すれば、真菜の目的は果たされる。まだ死んでいないことを祈りつつ、道を走る。
「え……あっ!!」
その時だった。走っていると、右手に寺が見えた。普段訪れることはないが、ふと横を見ると、そこにはスーツの男と、見慣れた制服姿。
「荘平……!!」
寺に入り、走りつつ札の一枚を取り出す。荘平に長剣を振り下ろそうとしているのは死神だろう。真菜はその死神をどこかで見た気がしたが、札を死神にかざして、荘平を救いたいという気持ちをこめる。
「『死神返し』……破ぁ!!」
すると、札から一条の光線が走り、それに直撃した死神の身体が光となって消える。幼馴染の巫女が放った光線と、消えた死神を見た荘平は困惑するが、失血のために意識が飛びそうだった。
「荘平……」
倒れる荘平に駆け寄って、真菜は抱き寄せる。刺された脇腹の傷を発見すると、そこに手の平をのせて、何事かを呟く。すると、傷が修復されて出血が止まる。血も今の術で幾分か補充されたようで、失血で青白くなっていた荘平も血色がよくなっていた。
「真菜……」
荘平はそれでも、死神の話が気にかかっていた。死神送りとは一体なんなのか。そして目の前にいる真菜が人を邪魔だといって殺すのは信じられなかったが、それ以外に怪しい人物は思い浮かばない。
「荘平、ごめんね。今から色々と説明するけど――」
「勝手なことをするもんじゃない」
真菜が荘平に優しく語りかけるのを妨害して、寺の入口から声がかかる。入口のほうを真菜が見ると、そこには三十人ほどの集団がいた。そして集団の前に立つのは、スーツの男三人と、和服の女二人。「雨久管理会」が、そこにはいた。
「死神送りが死なないのは異常事態なんだけど、どうする」
スーツの男の一人が、真菜に話しかける。昨日も話しかけてきた男だ。彼こそが管理会のリーダーであり、つまりは雨久町の影の支配者ということである。
「真菜ちゃんが巫女になった時に英雄の子を殺すことで、真菜ちゃんの士気を落として管理会の傀儡にする、っていうのは裏目だったかな」
口調は軽いが、男は真菜を睨みつけていた。計画を潰されたことへの怒りがはっきりと現れていた。真菜はそれを受けて怯えてしまっていた。が、荘平が真菜の前に立つ。
「よく分からないけど、あんたが死神送りを選んでた、ってことで正しいのか」
長剣を構えて、男に尋ねる。男はそれを見ても全く怖気つかず、答えた。
「そこまで分かってるなら、もう分かっているんじゃないか。自分の立場も含めてね」
そして男は笑って、右手を振るう。それは後ろで控える三十人に動けという指示であり、二人を亡き者にする指示だった。
「荘平、下がって」
かばうように立っていた荘平の肩をつかんで、真菜が前に出る。そして札を一枚取り出して、呟く。荘平を救いたいという気持ちにのせて。
「破ぁ!!」
その瞬間、今度は札から極太の光線が放たれた。管理会と、部下の三十人はそれを避ける暇は無い。長い長い照射のあと、残っているものは誰もいなかったが、建物や地面は元のままだった。
「荘平、傷とか大丈夫……?」
「ああ、おかげ様でな」
二人はその後、真菜の神社にきていた。境内に腰かけて話す。
「しかしまぁ、伝統があんなだったなんてな」
荘平の言葉に真菜も頷き返す。これから真菜は、死神送りに関する事実と謝罪を町中の人々に行っていく。そして荘平も真菜につきあっていくつもりでいる真菜に対して攻撃する者がいるだろう。その時に荘平がいれば守ることができる。
「でもさ、私もう決めたんだ。誤った道は選択しない。今までみたいなことが、二度と起きないように」
真菜は空を見つめて言った。しかし、荘平はその宣言を鼻で笑った。
「人が間違わないことは無理だろ、神じゃないしな。その時、どうするんだ」
真菜はそれを聞いて、考える。そして数秒の後、よしと呟くと荘平の顔をじっと見つめた。荘平は急に見つめられて驚くが、真菜の顔は真っ赤になっていた。
「じゃあ、荘平が私をずっと見ててくれる? 道を、間違えないように」
言い終えて、真菜はうつむいてしまった。荘平は突然のことに驚きっぱなしだが意を決して返答した。
「分かったよ。もう決めた。ずっと守る」
そっけない返事だったが、真菜はそれを聞いて顔をあげ、にっこりと笑った。