いったい俺が何をした?
事の発端はとある普段と何等変わりの無い一日になるはずの平日だった。
俺はその日いつものように大学に出かけた。
そしていつものように満員電車で足を踏まれて鬱になりながら研究室へ。
研究室では、実験中にまさかの試薬が足りなくなる等と言うふざけた事態に陥り、その実験に費やした5時間がパーになる。
凹むまもなくファミレスのバイトへ向かう。度重なる飲み会で一気に金が飛んだからシフトが多く入っている。
駅に着いた時、研究室に財布を忘れたことに気付き取りに戻る。……バイト遅刻確定だな。
バイト先で店長に嫌味を言われながら働く。
今日も何処か抜けている新人に氷をぶっ掛けられたり、ゴミ袋を換えようとするとゴミ箱のキャスターが外れてゴミをぶちまけたり散々だ。
……チクショウ、俺が何をしたって言うんだ。全くもってついてない。何で俺だけこんな目に……
「くそっ、何でこんなに運が無いんだ、俺は……」
そんな事を考えながら帰り道を歩いているといきなり背後から大きく真っ黒な布が出てきた。
目の前が真っ暗になり、突然のことに驚いていると、
「……いただきます♪」
等と言う妙に嬉しそうな女の声と共に首筋にプスリと何かが刺さり、俺は意識を失った。
で、目が覚めてみりゃ見知らぬ部屋の天井。
誘拐されたのかとも考えたが、別に拘束されている訳でもないので誰かに助けられたんだろう。
周りを見てみりゃ見るからに豪華な調度品に広い部屋。
どうやらここはどっかの洋館の中らしい。
等と考えていたら部屋のドアが開いて20代半ば位の1人の女性が入ってきた。
金色の長い髪に紅い瞳の自己主張の激しいスタイルの持ち主だったから、胸に眼が行くのは仕方がnゲフンゲフン!!
「あらあら~、お目覚めですか~ お~い、ミリアちゃ~ん、シリアちゃ~ん!! 彼、起きたわよ~」
なんともおっとりとした声で人を呼ぶ彼女。すると、しばらくしてまた2人の女性が入ってきた。
2人とも金髪紅眼で、1人は10代後半位、もう1人は10代半ば位の少女だった。
「あ、目を覚ましたんですか。良かった……」
「これがミリ姉が連れてきた男? なんていうか、普通ね」
それぞれ違った反応をくれる2人。悪かったな、普通で。
「突然で申し訳ないのですが、此処は何処なのでしょうか?」
あくまで紳士的に尋ねる俺。間違っても最初から気安く話しかけると言うことはしない。
「此処は~、ツヴァイトスにある私達の館よ~。」
は?
「……あ~っと、すみません。日本ではないのですか?」
思わず素が出そうになるが、かろうじて抑える。落ち着け、紳士的に紳士的に……
「えっと、それは貴方が居たところの名前ですか? 少なくともそこではありませんよ」
何だって?
「ついでに言うと、アンタもう人間じゃないから。ま、詳しい話はミリ姉に聞いて」
はぁぁぁぁぁ!?
「……ミ、ミリアさんでしたよね? 一体どうなっているんでございましょうか……?」
震える声を抑えながらミリアなる女に問う。
すると、彼女は若干申し訳なさそうな顔で答えた。
「え~と、少し別の世界に遊びに行ったんですが、途中でどうにもお腹が空きまして……で、私はヴァンパイアなのでたまたま通りがかった貴方の血を吸ったんですが吸い過ぎてしまって、そのままじゃ死んでしまうので戻したんです。それから、ヴァンパイアとなった貴方を放っておくわけにも行かないので此処に連れてきたんです」
……何か色々言いたい事が沢山あるが、とりあえずは限界突破した俺の堪忍袋の緒をブチ切ってやろう。
「ふ、ふざけんなああああああああああああああああ!!!!!!」
ああ、神様。俺アンタにすっごく会いたいぜ。今なら完膚なきまでにぶっ殺してやれる。
俺は運が無いと思っていたが、まさか人間やめて異世界に来る羽目になるとは思いもしなかったぜ。
あ、でも本当に吸血鬼になったって言う確証は無いのか。
「そういえば~、一応一緒に暮らすことになるんだから自己紹介が必要ね~」
「待った。俺はアンタ等と一緒に暮らすつもりは無い。だからとっとと帰せ。どうせ吸血鬼になったってのもツヴァイトスなんてのもデマだろ?」
もう完璧に素が出ているが気にしない。突然人を連れ去るような連中に礼儀は要らん。
「ちょっと、吸血鬼って言わないでよ!! ヴァンパイアよ!! それにアンタがヴァンパイアになったのも本当!! 今外に出たら大変なことになるわよ!!」
シリアなる女性が眉を吊り上げて勢い良く反論するが、知った事か。
「そんな事知るかよ。俺は帰る!! じゃあな!!」
ドアを開けて部屋を出て、入り口まで走る。
……やけに身体が軽いな。気分がいい。
そして玄関と思われる大きなドアを見つけた。よっしゃ、こんなところとはもうおさらばだ!!
ドアを開けて外に出る。外は雲ひとつ無い晴天だ。
すると、突然全身が焼けるような感覚に襲われた。
詳しく言うと、溶けた鉄に満たされた溶鉱炉の中に入れられるような感覚だ。
「うぎゃああああああああ!!!!!!」
焼ける!! 焼けてしまう!! まさか本当に俺は吸血鬼になっちまったのか!?
「ああ、もう、言わんこっちゃない!! ったく、世話が焼けるんだから!!」
結局、俺はシリアに助けられて、最初の部屋に連れ戻された。
「これで分かりましたか? 貴方はもう人間ではないんです。そして此処はツヴァイトス。信じていただけますか?」
信じるも信じないも実際にこうなっているのだから信じざるを得ない。俺は黙って頷くことにした。
「それじゃ~、さっきも言ったけど一緒に暮らすんだから自己紹介するわよ~ 私はリリアって言うのよ~ フローゼル家の当主よ~ 私もヴァンパイアよ~ 宜しく~」
見た目20代半ばの女性、リリアがほや~っとした笑顔を浮かべて自己紹介をする。
……そっちは見ないぞ、どうしても自己主張の激しいとある一点を見そうだからな。
「私はミリアと申します。この屋敷のことで分からない事があったら私に何でも聞いてください。宜しくお願いしますね」
見た目10代後半の女性、ミリアが頭を下げる。
大人しそうだが油断は出来んな。何せ俺をヴァンパイアにした張本人だし。
……それにしても、やけに嬉しそうだな。何故だろうか?
「アタシはシリア、ヴァンパイアよ。二度とあんな馬鹿はしないでよ」
見た目10代半ばの少女、シリアがぶっきらぼうに声を掛ける。
……何故だろう、この中で一番しっかりしてそうな気がする。
「で、アンタは何て言うの?」
「……粟生永和だ。しばらく世話になる」
若干……どころか滅茶苦茶抵抗はあるが、とりあえず自己紹介をする。
しかし、面白い。恐らく3人の名前に綴りを当てればこうなるだろう。
リリアはLilia、ミリアはMilia、シリアはSilia。
う~む、ものの見事にS、M、Lだ。何の事かは言わないが。
「……ねえ、何か今凄く失礼なこと考えなかった?」
怪訝な顔をしてシリアが俺に話しかけてきた。
その声からは「テメェ殴ってやろうか」的なニュアンスがひしひしと伝わってくる。
「い、いや、そんなことはない。しかし、アンタ等姉妹か? その割にはやけに年齢差が有りそうだが?」
「あ、違いますよ。私達は正確には姉妹じゃないんです」
「何だ、違うのか?」
「そうよ~、ミリアちゃんは私の妹の子で~、シリアちゃんはミリアちゃんの姉さんの子よ~」
「そうなのか。つまり2人は誰かのおb……済みません、何でもないです。」
滑りそうになる口を無理やり噤む。
危ねえ危ねえ、女性にこれは禁句だ。
リリアとミリアの眼光が鋭くなったし、あのまま言ってたら何をされるかわかったもんじゃない。
「で、これから俺はどうすりゃ良いんだ? 正直に言って早く帰りたいんだが」
俺はとりあえずの問題に手を付けることにした。
何しろ、日光がダメときているんだもんな。
まずはこれを治さないと話にならない。
その他にも、この場所が俺の居た場所から見てどんな場所に当たるか把握しなくてはいかんしな。
だが、その方法が分からんので聞いてみた。
「流石にそれは無理ね~ 何しろ~、もうヴァンパイアになっちゃってるから元の世界からは弾かれちゃうんじゃないかしら~?」
リリアは少し考えながら困った顔でそんな事を言った。
「ん? どう言うことだ?」
「ごめんなさい、私達はこの話については専門外ですから、詳しい事は何とも言えないんです。」
俺の質問にミリアが申し訳なさそうに答えた。
「ま、簡単に言うと完全に人間に戻らない限り元の世界には帰れないって事。……もっとも、過去にそんな例は存在しないし、そもそも戻し方が無いわ。可哀想だけど、諦めたほうが良いわね」
さらっと口に出されたシリアの言葉に、俺の目の前は真っ暗になった。
マジか? 人間をやめるのは簡単なのに元に戻るのは無理?
「……な、なあ、冗談だろ? もう俺帰れないってのか? ああ、そうか、これは夢なんだな? よし、夢ならば此処で眠れば……」
ふと見ると3人は俺を無視して何やら話し込んでいる。
……薄情者。悲しくなんか無いやい。
「何だかかなり錯乱してますね、ヒサトさん」
「そりゃあそれなりにはショックでしょ~ で、どうするの~?」
「ウダウダ言ってたところで仕方が無いわ。此処は現実を思い知らせることにしましょ」
……何やら不穏な気配を感じる。俺は逃げるべきなんだろうか?
「ま、ヒサト。少し落ち着きなさいな」
後ろから俺の右肩を掴みながら宥めるようにシリアが言う。
……あの、指が食い込んで結構痛いのですが……
「そうですよ。現実逃避ってしている時間が勿体無いです」
後ろから俺の首に手を回しながらミリアが言う。
こっちは優しい……が、その探していたものがやっと見つかったときの様な笑顔に凄く嫌な予感がするのは何故だろう?
「だから~ まずはこれが夢じゃないって事を証明するわよ~」
前から俺の左肩に手を置きながらリリアが言う。
夢じゃない事を証明するって……
「ちょ、ちょっと待った、一体何を……」
「「「せ~の、えいっ!!!」」」
「うぐはああああああああ!?!?!?」
さて、現状を整理しようか。
まず、俺の右腕が無くなっている。これは先ほどシリアが持っていった。
次に、俺の首の骨が異常な方向に曲がっている。これはミリアの仕業だ。
止めに、俺の心臓に穴が開いている。リリアの腕が貫通したためだ。
……めっさいてえ。何て事しやがる。
と言うか、痛いで済んでる事にまずビックリだ。
「どう? これで現実だって分かったでしょ?」
俺の右腕を弄びながらシリアがそう言う。
……ニヤニヤ笑いやがって、サディストか、あいつは?
「まあ、夢じゃないことはよく分かった。……で、どうしてくれるんだ、この惨状は?」
「ああ、大丈夫ですよ。ヴァンパイアは心臓に銀を受けなければ死ぬことはありません。腕も心臓もすぐに再生しますよ。」
未だに首に腕をまわしたまま、優しくミリアはそう言う。
どうせ優しくするんなら首の骨を折らんで欲しかった。
「そうよ~ だから、安心してね~」
相変わらずのほほんとした声でリリアがそう言った。
のほほんとしていながら心臓を貫けるって、ある意味恐ろしくないか?
まあ、もうどうでもいいや、そんなこと。
「ああそうですか」
俺は考えることを放棄し、投やりに答えを返した。
はあ……気が重い。これが現実か……
ついてない人間としての人生の果てに、人間やめて元の世界を去ることになりましたとか、ついてないにも程がある。
まあ、なっちまったもんはしゃあない。
進まねえ研究と嫌味な上司から解放されたんだ、気楽に生きるとしますか。
ふと気が付くと、シリアが俺の心臓の穴をじっと穴が空くほど見つめている。既に穴あいてるけど。
「ん? どうかしたのか、シリア?」
「い、いやね、アンタの血はどんな味なのかな~って思っただけよ」
ああ何だ、そう言うことか。
ヴァンパイアならそう言うことを考えても仕方が無いか。
「あら~? これ結構美味しいわよ~?」
自分の手についた俺の血を美味そうに嘗めているリリアがそう言う。
「ふふふ、美味しいでしょ、姉さん? それじゃ、私も失礼して……」
するとミリアは俺の傷口に手を当てて着いた血を嘗めた。
「うん、やっぱり美味しいですね。癖が無くて良い味です」
これまた美味そうに俺の血を嘗めるミリア。
自分の味をそう言う風に言われるのは何やらめっちゃ恥ずかしい。
それにしても……さっきからまた嫌な予感がするんだが……
「ね、ねえヒサト。アタシも貰って良い?」
「あ、私も貰っていいですか?」
「そうねぇ~、折角だから皆でヒサト君を頂いちゃいましょう?」
「「あ、賛成(です)」」
おい、俺の意思は何処に行った!?
俺がそう訴える前に飛びついてくる3人。
後ろから左の首筋に噛み付くリリア。
前から右の首筋に噛み付くミリア。
心臓の傷口を嘗めるシリア。
俺は避けられずにあっさり捕まる。
「ん……はっ……チュルチュル……コクリ……」
「むっ……チュッ……コクッ……はぁ……」
「ペロペロ……チュパッ……コクン……」
「くっ……はうっ……くあっ……」
思い思いに俺の血を飲む3人。
首筋を嘗められたりするせいでくすぐったくて思わず声が出る。
「ふふっ……ヒサト君、結構かわいいわよ~?」
「全くです。血も美味しいからもっと飲みたくなります……」
「久々に美味い血を飲んだ気がするわ。それにしても良い声してるわ、アンタ」
リリアは愛玩動物を愛でる様に、ミリアは恋い焦がれた少女の様に、シリアは新しい玩具を見つけた子供の様に口々にそう言った。
……こいつら全員なんて性格してやがる。
結局、俺は体中の血液を全て吸いだされ、またもやベッドに逆戻りする羽目になった。
……ああ、本当についてない。俺に帰れる日は来るのか?