3話 理式学院
巨大な城壁が朝日に照らされていた。
朝日を浴びながら、ハルは立ち止まる。
「……でけぇな」
門の上には巨大な紋章。
剣と歯車が絡み合った印。
高さは数十メートル。
崩れた高層ビルを取り込みながら築かれたその壁は、まるで山脈のように街を囲んでいる。
京都は「壁で囲まれた都市」だった。
崩れた旧文明の高層建築の上に、新しい構造物が重ねられている。
「あれ全部、京都なのか?」
「そうだ。全部壁で囲まれている」
ラカールは脇で説明したが、彼の視線は東のほうにあった。
東には、一本の塔が空へ伸びていた。
一際高い白い塔。先端には青白い光が灯っている。
「あれが、理式学院だ」
彼が見た塔の手前には、まだまだ森が並んでいる。
しかし、あと少し歩けば行けそうな距離だった。
「よし、じゃあ行くか」
ハルは軽く息を吸い、歩き出した。
森の開けたところに、木造の建物があった。
青白い塔を、包むように建てられている。
ハルの目の前には、門があった。
門は、開いたままだった。
「懐かしい……灰灯だ」
「なにそれ」
「京都理式学院の名前だ」
説明しながら、ラカールは少しだけ背後に目をやった。
「どうした?」
ハルはラカールの目線を追いかけようとした。
「そのままいろ」
ラカールは、ハルを制した。
ハルは黙って従い、振り返らずに背後に注意を向ける。レヴァンが後ろにいた、あの時と同じだ。
「・・・・・・・尾行?」
ハルは無意識に、腰の紅剣に手をやる。
「入るぞ」
ラカールが静かにそう言い、二人は門をくぐる。
外の気配はすっと遠ざかり、空気までもが静まり返ったように感じられる。
石畳の小道の脇には、手入れの行き届いた松や椿が並び、朝露を残した葉がきらりと光っている。庭の奥には小さな池があり、鯉がゆったりと水面を揺らしていた。
正面の本堂の縁側からは、古びた木の香りが漂う。庭全体が一枚の絵のように広がり、遠くの杉林からは、かすかに風が葉を揺らす音が届いていた。
ハルは周囲を見回した。人の姿は見えない。
いや、気配はあった。
草木の側から、男が出てきた。黒色のズボンで、白色のワイシャツである。
「ラカール・ビョウカンだ」
男の視線は、ラカールの方に向く。そして、隣のハルの方へ向いた。
「例のアレですか?」
「ついでに使い手ごとな」
ラカールはそう言い、男の脇を通り過ぎた。
男は少しだけハルの方を見ていたが、ハルも彼の側を通った。
二人が本堂へ入った時、ラカールが言った。
「学長の神代浩壱は気難しい人だ。機嫌を損ねるなよ」
「学長…?」
ハルの疑問には目もくれず、襖の前でラカールが立ち止まる。
「入ります」
すると、中から声がした。
「入れ」
襖を開く。
部屋の奥に、一人の男が座っていた。
灰色の髪。
鋭い目。
灰灯学長ーーー神代浩壱だった。
神代はハルを見る。
数秒の沈黙。そして言った。
「使い手ごと回収しろとは言われていない」
神代の視線がラカールへ向く。
「……気が変わった」
神代が手を向けた。
「理式、傀儡追影」
ラカールの背後に黒い気配が立ち込める。
それは一瞬で具現化し、甲冑を着た不気味な侍が現れた。
侍は刀を抜き、凄まじい速さで振り下ろす。
刃はラカールの首筋の直前で止まった。
「脅しですか?」
背後の侍を気にせず、ラカールはポケットに左手を入れた。
神代は静かに答える。
「もう一度問う。連れてきた」
二人の視線が交錯する。
その場に張り詰めた空気の中で、ハルはただ立ち尽くしていた。
見ているこちらが圧倒されそうだ。額に汗が吹き出す。
ラカールは、静かに右手を突き出した。
青白い光。ハルの前で出した技だ。
ラカールはハルの方を見やった。そして、右手を静かにおろす。
「なぜ持っていたのか、知りたかった。その歴史を、調べたかった」
彼が言い、数秒経つ。そして、背後の黒い侍は空気中を霧散し、消え去った。
神代は、ゆっくりと立ち上がった。
「紅剣を保管するのなら、その空白の歴史も知るべきだ!よく言った、ラカール」
神代の威圧するような口調は、一瞬にして消え去った。
「で…」
彼の視線は、ハルの方に映る。そして、目つきが一瞬して変わり、鋭いものになる。
「名前は?」
「…草薙・ハルだ」
「漢字表記か?」
その問いに、ハルは一瞬だけ戸惑ったが、遅れて言う。
「…草薙だけだ」
「ご両親は、今どこに?」
ご両親と聞いた瞬間、ハルの心の中に影がさした。
「父親は、行方不明だ」
「ほーう」
何かを考えるように、神代はあごに手をやった。
そして、次だ。
「母親の方は?」
案の定だ。
「……死んだ」
「いつだ」
「おとといだ」
「原因は」
「……機械人間だ」
神代は黙ったまま、視線を逸らさない。
「誰が埋葬した」
「俺だ」
「最期を見たか」
「……見た」
「遺体に、刃傷はあったか」
ハルの肩がわずかに震える。
「……あった」
「誰の剣だ」
沈黙。
神代はそこで小さく息をつく。
「剣が、俺の意思を聞かなくなった」
神代は、紅剣に目をやる。ハルは、巻いてある剣に手をやった。
「……お前が斬ったのか」
ハルは俯いたまま、拳を握る。
「……俺は……」
言葉が続かない。
「敵を倒すために……剣を振るった。剣を抜いたのは俺、止められなかったのも俺。だから……母を殺したのは俺だ」
沈黙。
神代はゆっくりと座る。
「なら、お前は母殺しだ」
その言葉は冷たく、部屋に落ちた。
ハルは俯く。
否定はしない。
できない。
「そんな人間が、この学院で何を望む」
しばらくして、ハルは静かに顔を上げた。
「分からない…」
ハルは、神代をまっすぐに見つめた。
「でも俺は、鞘を見つけるまで死ぬつもりはない」
神代は、微動だにしない。だが、口元がほんのわずかに緩んだ。
「……尋問は終わりだ」
ハルは息を吐く。
「鞘を見つけたいだと?」
神代はハルにではなく、ラカールに向けて言った。
「封印したいらしい。父親の形見だとか」
「親が持っていたのか」
神代の声はなお冷たかった。
「勘違いするな。お前を認めたわけではない」
神代は威圧するように、ハルを見た。
ハルの額に、再び汗が垂れる。
「封印できるとほざくのなら、それを証明してみせろ」
「何を?」
「実力だ」
実力。今のハルには皆無だ。つい先日まで薪割りをしていた少年だ。
その瞬間、神代が手を叩いた。
すると背後の襖が開き、先ほどの黒色のズボンの男が乱暴に入ってくる。
ハルが振り返った時には、男はすでにハルの懐に入っていた。
「なにをーー」
ハルが言い切る前に、ハルの胴体に衝撃が走った。
思いがけない痛みに、思わずハルは畳に倒れ込む。
男に、腹を殴られていた。そして、男の左手には、布で巻かれた紅剣があった。
「何をする!?」
「紅剣は、我々が預かるとしよう」
神代が、静かに言った。
「その剣は、危険すぎる」
側でラカールは、戸惑いを隠しきれていない。
「どういう意味です?乱暴すぎます」
「それで十分だ」
神代はラカールを一瞥した。
「俺のものだ。返せ!」
ハルはなんとか立ち上がり、右手を握り構えた。
「無理です」
「なんだと?」
男は無表情に答える。
ハルは男に駆け寄り、乱暴に剣の柄を掴む。
だが男は無機的に剣を振り払うだけだった。
その動作だけで、ハルは再び転ぶ。
それでもハルは男を睨みつける。
開いた襖から差し込む光が、部屋へ長い影を落としていた。
ーーー
建物の一室。
ハルは、椅子に座り込んでいた。そして額を、机に擦り付ける。
ラカールは腕を組みながら棚に寄りかかり、部屋の扉を眺めていた。
「…グルだったのか?」
「はっ?」
ハルはそのままの体勢で、静かに言った。
「俺をここに連れてきたのは、紅剣を奪うためだったんだろ」
悔しかった。幼い頃での草原。父との唯一の思い出だ。それを、あんなにあっさりと、奪われた。砕かれた。
「村に来た時から、そのつもりで…」
沈黙。ラカールは無表情だった。
「奪うのなら、とっくにお前を殺している。ここまで乱暴に扱われるとは、思わなかった」
その時、扉が勢いよく開いた。
ハルがゆっくり顔を上げると、扉には若い女がいた。
規律のある、黒と緑の服を着ている。赤のベレー帽を被り、黒髪が肩までかかっていた。
全体的に、統一感のない色である。
「…お取り込み中、かな?」
部屋のあまりに重い空気に、女は思わず苦笑した。
「アオミか。久しぶりだな」
ラカールは、アオミと呼ばれた女の方を見やった。
「何が久しぶりですか、またよ?また面倒ごとを押し付けたよね!?」
アオミは血相を変えて、ラカールに迫ってくる。
「こちらも仕事が山積みなんだ。勘弁してくれ」
ラカールの口調は、いつになく陽気だった。こんな一面もあるのかと、ハルは脇で感心する。
「で、この子が例の?」
アオミはハルの方を振り向いた。
「草薙・ハルだ」
慌てて、ハルはそう名乗る。アオミは、ため息を漏らした。
少し経って。三人は椅子に座っている。
「形見の紅剣で母親を斬って、ラカールに連れられてここにやって来て、封印すると喚いて、学長にキレられて、剣を没収されて、それで試練を授かったと」
アオミの言い方は棘のあるものだったが、悪意はなかった。
「その通り」
ラカールが、相槌を打つ。
「でも、なんでこんな子供が紅剣を持っていたのよ?」
「だから、父さんから貰ったんだ」
ハルは机から身を乗り出した。
「それ一点張りか…」
アオミは再び呆れたようにため息をついた。
「まぁいいわ。というか試練って何よ?」
紅剣を奪われた後、神代から説明があった。
「実力を見せたら、剣を返してくれるのか?」
項垂れながら、ハルは呟いた。
ハルは神代の背中を見つめる。
神代が、和室から出ようとした時だ。
「そうだなぁ」
彼は少しだけ立ち止まる。
「紅燐祭で上位入賞できたら、考えてやらんこともない」
彼は、そう言っただけだった。
「紅燐祭…ね」
アオミが、初めて興味を示した。
「どこまで説明したの」
「全然」
ラカールは短く言う。
「秘密主義すぎ」
「何も知らない」
アオミは再び、ハルを見やった。
「今、京都でやってる祭りだよ」
「祭り?」
「機械人間の撃破数を競う、遊戯」
アオミの口調が、静かになる。
「つまり機械人間をたくさん倒せば、上位入賞できるのか」
「簡単に言うじゃないの」
ただの少年ががむしゃらに立ち向かっても、すぐに殺される。アオミはそう思っていた。
だがラカールがどう思っているかまでは、彼女もまだ判断できなかった。
「理式を教わることだな」
当の本人の発言は唐突だった。
「京都にはいろいろな人間がいる。気まぐれで教えてくれる奴だっているだろう」
(運頼みかよ…)
アオミは呆れていたが、隣でハルが目を輝かせていた。
「じゃあ優しい奴を見つければいいんだな?」
こちらにも、呆れた。
ーーー
森の中。理式学院の建物がうっすら見える位置に、二人の男がいた。
それぞれ拳銃と刀を持ち、低く構えている。
「紅剣。俺たちで貰い受けるぞ」
「あぁ」
二人は決意を固める。
「無理だ」
不意に背後から声がした。
気配も何もなく、二人の男は焦りながら振り返る。
そこには、長銃を背中に抱えた男がいた。
「…誰だ!?」
二人は銃と構え刀を抜く。だが目の前の男は平然としていた。
「レヴァンだ。とある貴族に雇われている」
レヴァンは平然と言った。
「お前も紅剣狙いか?なら協力しろ」
二人は警戒しつつ、静かにそう言う。
「はぁ?冗談を言っているのか?」
だがレヴァンは呆れたように、大袈裟に言った。
「相手は紅剣使い、そしてラカール・ビョウカンだ。お前たちが敵う相手じゃない」
「あのガキさえ倒せば、なんとかなる」
「無駄だ」
「ならこれ以上、邪魔をするな」
銃を突きつけられた。
レヴァンは話にならないと言うように、背後を振り向く。
「そうか。じゃあ邪魔者は消えるとしよう」
二人はレヴァンには目もくれず、再び前に進んだ。
そんな二人を、レヴァンは一瞬だけ横目に見た。
(馬鹿が)
彼の姿は、森の中に消えていった。




