換気扇の下の女神
生活に疲れた中年女性が台所の換気扇のしたでタバコを吸っている。
「なんか疲れた……なんで私一人で年寄り三人の面倒見なきゃいけないの?」
旦那は、単身出張。
1ヶ月に1度位しか帰ってこない。
その間、認知症気味の姑、気持ちだけ若く何でも出来ると思っている舅、その弟で精神に少し障害が有るのでは?愚鈍ではないか?
その三人と息子の五人暮らし。
月に一度で良いから丸1日自由が欲しい。
もう一口、吸って——
吸われた。
換気扇に。
「え」
声が出た瞬間、台所がなくなっていた。
気づいたら、草原にいた。
空が緑だった。
は?
「——来た! 召喚成功です!」
目の前に、金髪の青年が跪いていた。
ローブ。
杖。
どう見ても魔法使い。
幸子は自分を見下ろした。
割烹着。
タバコを持った右手。
スリッパ。
「……あの」
「偉大なる異世界の御方!」
青年が顔を上げた。
キラキラした目だった。
「あなたの伝説は、我々の世界にも届いています!」
「伝説」
「はい。三体の上位厄災を同時に御しながら、20年近く生き延びた英雄と」
幸子は少し間を置いた。
「……三人のお年寄りのことですか」
「厄災です」
青年は真剣な顔で言った。
「上位厄災・記憶喰らいの澄子。上位厄災・過去幻想の正雄。上位厄災・空気不読の克己。この三体を同時に管理できた人間は、観測史上、あなただけです」
幸子はタバコを一口吸った。
「そうですか」
「お願いします」
青年が額を地面につけた。
「この国を、救ってください。」
国の北に、古龍がいた。
齢1200年。
耄碌して、毎朝同じことを繰り返す。
騎士団が100人がかりで対応しても、誰も手に負えない。
幸子は龍の前に立った。
龍は幸子を見た。
「……お前、誰じゃ」
「田中幸子です。今日からよろしくお願いします」
「幸子よ、余の宝物はどこへ行った」
幸子はあたりを見回した。
金色の鱗の欠片が、巣の隅に転がっていた。
「ここにありますよ」
「おお! 幸子よ、お前は良い奴じゃ」
騎士団長が震えていた。
「今……3秒で……」
「慣れです」
南に、気位の高い精霊王がいた。
齢800年。
自分は何でもできると思っている。
昨日、嵐を起こそうとして逆に自分が吹き飛んだ。
幸子は精霊王の前に立った。
「あなたが私に会いたいとは、何事か。余を誰だと思っている」
「はい。800年生きてらっしゃるんですね。すごいですね」
精霊王は少し黙った。
「……そうであろう。余はすごいのだ」
「ええ。ただ、嵐は今日は少し難しいかもしれませんね。風向きが」
「余には関係ない! 余はいつでも——」
「後でやりましょう。お茶、飲みますか」
「……まあ、余は喉が渇いていたところだ」
騎士団長が泣いていた。
「3分で……3分で……」
「慣れです」
幸子は言った。
夜、青年が聞いた。
「なぜそんなに上手くできるんですか」
幸子は換気扇……のない空、緑の星空を見上げた。
「上手くなんてないですよ」
「でも——」
「ただ、逃げられなかっただけです」
少し間があった。
「幸子様」
「なんですか」
青年は真っ直ぐ見てきた。
「この国に来てくれて、ありがとうございます。あなたがいなければ、本当に終わっていました」
幸子は、その言葉を聞いて。
なぜか、換気扇の音を思い出した。
煙を吸い込んでいく、あの音。
「……どういたしまして」
誰かにそう言われたのは、いつぶりだろう。
タバコを一本、取り出した。
緑の空に、煙が溶けていった。




