『春のご挨拶』-1-
暖かな陽射しで目を覚ます。
その人物は、少し不機嫌な顔をしながら体を起こし寝台を見る。
いつも傍にあるはずの小さな温もりが今日は既に無い事に少しイラつきながら目線を窓へと移す。
太陽の位置を見ると、既に巳の刻を回っているようだった。
いつもよりも遅い起床、本来であればもう少し早く騒がしい小さな毛玉に起こされるのにそれがない。勝手に何処に行ったのかと、首を傾げつつも屋敷の中には居るだろうと自分を納得させた。
外から、コンコン、と戸を叩く音が聞こえる。
「主様、起きておられますか?」
抑揚のない、男女の区別もつかないような声が聞こえた。
「起きている、入れ」
「失礼いたします」
ゆっくりと、音も無く戸が開く。
そこには、『式』と書かれた面布で顔を隠し、白い和服を身につけた女が立っていた。黒い綺麗な髪は顎のラインで切りそろえられており、服装を変えれば男にも見える立ち姿。だが、正確にはこの主の式神のため性別など無い。身の回りの世話をするのに適している女性の姿を象られているだけだった。
「おはようございます、主様。
本日は、随分とお寝坊さんですね」
「春の陽気に当てられて、寝入ってしまっただけだろう、嫌味を言うな」
不敬とも取れる嫌味に、戯れるような言葉で返しながら褥から出る。
式神に手伝ってもらいながら、着替えを始めた。
今日は特に予定はなく、外に出かける気分でも無いため、簡易的に黒の着物に紫の帯を結び、髪は流すようにして緩く結ぶ。結ぶ紐は、新しい暖かな季節に合わせて作られた薄いピンク色の組紐。色味の違う何色かを合わせて作っており、とても美しい仕上がりになっている。
「とても、お似合いです」
「そうか」
式神のなんの感情も乗らない声での世辞に、主は軽く流す。
新しいものを身につける度に言われるので、いい加減うんざりしていたのだった。
着替えも終わり、寝殿を後にする。
長い廊下を歩きながら、自分より3歩後ろを歩いている式神に問いかける。
「ミサキは何処にいる」
「お嬢様でしたら、厨にいらっしゃいます」
「厨だと?」
眉間に皺を寄せ、硬い声色で式神の言葉を繰り返す。
確かに、家事をすることが好きらしいあの毛玉はよく式神達の手伝いをしているのを見たことがあった。だが、既に巳の刻、朝餉にしては遅すぎるし、昼餉にしても早い。何故、厨に居るのかと首を傾げた。
(まぁ良い、本人に聞けば済むことだ)
短い思考の末、そう納得し早足に厨に歩を進める。しかし、その足は庭に面する廊下で止まる。
外は暖かく、庭の桜が満開に咲いていた。柔らかく優しい陽の光が庭を包み込むように差しており、風邪で舞う桜の花びらをキラキラと輝かせていた。
思わず、「ほぅ」という声が漏れ出ていた。
目は優しく細められ、口元が微かに笑っている。
「とても、綺麗ですね」
「そうだな」




