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私のお願いがどれだけ効果を発揮したのかは不明だが、由紀人くんと未海ちゃんはその後もデートを重ねるようになったらしい。
らしい、と推量で言ったのは私が未海ちゃんに会う機会はこの後訪れなかったからだ。その代わりジムで由紀人くんに会うたび、交際の進捗と顛末をしつこく聞いて二人のその後を詳しく教えてもらった。つまりこれから先この妙な話は由紀人くんからの伝聞を元に書くことになる。
あくまでこの話が小説である以上、私は情景描写を足したり会話文を一部想像で補ったりして小説的体裁を整えたが、おおよその流れは由紀人くんから聞いた話と一致している、と思っていただいて間違いない。
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両肩の亜脱臼の治療が済むと、由紀人くんは案の定ジムの会長からインストラクターに専念したらどうか、と引退の打診を受けた(インストラクターの仕事については、由紀人くんはこれ以前から少しだけ請け負っていた)。しかしすぐには決断できなかったので、保留させてもらい、しばらくプロ選手としては休養に入った。
日々の練習が体力維持のための軽いものになると、仕事はダーツバーでのアルバイトがメインの由紀人くんには少々時間ができた。両肩の亜脱臼の予後は悪くなく、一週間も経つと軽めの練習と日常生活はこなせるようになった。しかし引退を視野に入れなければならない鬱屈と、暇から生まれる寂しさがそこには生じた。それらを埋めてくれたのが未海ちゃんの存在だった。
二人はLINEで毎日のように連絡を取り合い、お互いの休みが合う日や仕事前に余裕がある日にたびたびデートをした。デート場所はいつも未海ちゃんが指定し、どういうわけか座らずに立って過ごす場所ばかりだった。
水族館。美術館。立ち飲み居酒屋に立ち食いの鮨屋。彼女は、自分は体型をキープしたいのだが運動をする時間がなかなか取れないから、プライベートの外出時は基本的に立って過ごし、少しでもカロリーを消費したいのだと説明した。デートで歩き回るのに疲れた由紀人くんが、ちょっとカフェにでも寄って座らないかと提案しても、彼女はかたくなにそれを拒んだ。由紀人くんは、彼女と一緒にいられるなら立ったままだろうが歩き続けていようがどうでもいいか、と思い直した。
輝かしい夏が足早に過ぎていった。
八月も終わりのある日、二人は渋谷の信じられないくらい安い窯焼きピザを食べられる、立ち食いピザ店で夕食を共にした。それからHUBに入った。ピザ店でもHUBでも、二人は立ったままけっこうな量の酒を飲んだ。そしてとうとう円山町のラブホテルになだれ込んだ。
由紀人くんは女性経験が浅いが童貞というわけではなかった。いざとなるとプロの格闘技の試合経験があるだけあって、大して緊張せず、落ち着いていた。フロントでホテルの部屋を選ぶと、エレベーターに乗って、彼女の手を繋いだ。未海ちゃんは色白の顔をピンク色に染めて、恥ずかしそうにうつむいていた。
「いいんだよね? このまま部屋に行って」
「はい。でも私実は――」
彼女はエレベーター内で何かそう言いかけたが、それは由紀人くんが求めた優しいキスでかき消されてしまった。
部屋に入ると、高揚した由紀人くんは未海ちゃんを喜ばせようと調子に乗って、唐突に彼女をお姫様抱っこし、大きなキングベッドまで運んで行った。そのままベッドでじゃれあうつもりだったのである。
「ちょっと待って! 待って、由紀人さん」
未海ちゃんは由紀人くんの腕の中で悶えた。由紀人くんはそれを照れ隠しだと受け取った。ベッドの脇までたどり着くと、お姫様をベッドの上に放り投げた。
未海ちゃんはベッドにダイブし、尻からぼふっと着地した。
「ぎゃふうっ」
未海ちゃんが叫んだ。叫んで、そのまますぐ横向けに寝転がり、「つうっ……」と息を吐きながら片手を伸ばして尻を押さえ、ゆっくりさすり始めた。
(ぎゃふう?)
由紀人くんは不審を感じた。そしてどうやら彼女がなんだか強い痛みをこらえているようなのに気づいた。
「未海ちゃん? あれ? どうしたの?」
体から発していた酔いが醒めていく感覚があった。未海ちゃんは向こう向きに横になり、ぶるぶる震えながら右手のひらを優しく尻に添えている。
焦った由紀人くんは未海ちゃんの顔を見た。きゅっと目をつぶって苦悶していた。
「未海ちゃん、大丈夫? ねえ」
由紀人くんは彼女の頭を撫で、声をかけ続けた。やがて未海ちゃんはふうっと息をつくと、ベッドの上にうつぶせになった。ぱっちりした目を開け、匍匐前進する構えのように前腕をベッドに着け、両二の腕を突っ張って上半身を斜めに起こした。そのこげ茶色の瞳は濡れていた。それは明らかに由紀人くんを責めている目だった。
「ど――どうしたの?」
由紀人くんが恐る恐る聞いた。
「もう言っちゃうしかないと思ってましたけど。よりによってまさかこんな――ベッドに放られるなんて」
「ああ、なんかごめん。痛かったの?」
「はい」
そこで気まずい沈黙があった。由紀人くんは彼女が何かを打ち明けてくれるのを待った。やがて未海ちゃんはその格好のまま、
「私、重度の痔瘻なんです」
と呟いた。




