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4-2

 由紀人くんは呆然となって柔道家がやってくるのを眺めた。未海ちゃんに押された車椅子は、由紀人くんの近くまで来て止められた。


「由紀人さん、こちら牧島(まきしま)勝也(かつや)さん。ここの館長をしています。他の道場でも柔道の講師をしているそうです。段位は柔道四段」


「――ちょっと待って」


 我慢できなくなって由紀人くんは話の腰を折った。


「俺この人と闘うの?」


 問いながら改めて柔道家を見た。柔道家はがっしりした大柄な体を、どうにか車椅子に押し込んでいた。綺麗に整えられた口髭が印象的な、精悍な顔立ち。その口髭に白いものが混じっているのを見ると、齢は四十を超えているだろうか。ぎょろりとした眼で由紀人くんを見上げてきていた。


 未海ちゃんが言った。


「またそうやってごちゃごちゃ言うんですか? 闘うって約束したのに」


 由紀人くんはドン引きした。


「闘えるわけないでしょ、車椅子に乗ってる人と! いったいなんの病気なんですか?」


 柔道家に尋ねたつもりだったが、未海ちゃんが答えた。


「急性腰痛症、重度のぎっくり腰です。それも最近はクセになっているそうです」


「ぎっくり――なんで君はそうやって」


 由紀人くんはなぜか不意に涙がこみあげてきたのを、必死で抑えた。


「そうやって、病気や怪我をしている格闘家ばかり捕まえて、その上闘わせようとするわけ? こんなのおかしいじゃん! マジでおかしいよ! 君は狂っている、狂っているんだ!」


「きゃははははっ」


 唐突に未海ちゃんがけたたましく笑い声をあげたので、由紀人くんは驚いて黙った。


「狂ってる? そう、狂っているのかも知れません。言いましょうか、私がどうして男の人をこうやって――私のために闘わせるのか」


 未海ちゃんは射抜くようにそのこげ茶色の瞳で由紀人くんをまっすぐ見た。車椅子の手押しハンドルを握っていた両手をハンドルから放し、後ろに組んだ。


「前に少し話しましたよね? 私が初めて痔瘻になって、肛門科に行った時のこと。女医さんのいる病院を探して行ったんですけど、運悪くその日その女医さんがお休みで、代診になったんです。代診したのは三十歳くらいの太った気持ちの……悪い男の先生で、少し問診した後、私に診察台に横に寝てお尻を出すように言ってきたんです。


 私、二十歳だったんですよ? えっ、て思ったんですけどどうしようもなくて、言われた通りにズボンとパンツを下ろして横になりました。そうしたら、お尻を触るゴム手袋の感触があって、それから『指入れますね』って言われて、その……お尻の穴に指を突っ込まれたんです。


 私もう、恥ずかしいのと悔しさで泣きそうになりながら、耐えました。触診は何分間か続きました。でもそれで終わりじゃなかったんです。その触診が済んで痔瘻という診断と手術日の取り決めなんかが終わると、その気持ちの悪い先生は、『笹塚さんあれですね、肛門体操って知っていますか?』って言ってきました。


 私が知らないと答えると、先生は『痔の予防になる体操なんですよ。今お教えしますね。立って、こちらにお尻を向けて……。はい、頭のてっぺんに肛門を引っ張るように、お尻の穴を引き締める! どうしました? はい、引き締めて! そうそう、はいっ、では力を抜いて。はい! また引き締める! いいですね、力を抜いて。これを一日に五、六回繰り返します。お尻に血がうっ血するのを防げます』って私に命令してその肛門体操なるものを目の前で実行させたんです。


 この時、私男の人の気持ち悪さ、意地の悪さっていうのをいやというほど知りました。分かるんです、あの先生が私に性的な興味を持って触診して、肛門体操をさせたのが。もう気持ち悪くって気持ち悪くって――、


 これだけじゃありません。税理士事務所時代に私と付き合っていた税理士の彼氏は、私が痔瘻を再発して苦しんでいた時、セックスができないので私を振ったんです。痛くてセックスができないって私が訴えると、じゃあ口でしてって言ってきて、私は風俗嬢のように毎回彼の性欲を発散させていました。それが嫌だって私が言うようになると……だんだん冷たくなって最後に私を振ったんです。


 彼からお別れのLINEをもらった時、私なんだか頭がパチンって弾ける感じがして。絶対男を許さないって思ったんです。それからビールの売り子とガールズバーの仕事、それにマッチングアプリで知り合って近づいてきた男の人たちを、適当にあしらうのが趣味みたいになっていたんですけど」


「ガールズバー?」


 由紀人くんが話に割り込んだ。


「ガールズバーで働いてるの、未海ちゃん? 普通のバーじゃなくて」


 未海ちゃんはその質問に冷たい目線で応じ、


「はい。この勝也さんも元々ガールズバーのお客さんで」


とサラッと答えた。由紀人くんは更なる幻滅を覚えた。未海ちゃんは続けた。


「ある時、お付き合いしていた病気持ちの格闘家の人同士がバッティングしちゃったことがあったんです。潰瘍性大腸炎持ちの元ボクサーと、重度のひょうそうのムエタイファイターで、その場で血みどろの喧嘩を始めちゃって。結局二人ともぼろぼろになりながら、最後、ムエタイファイターはキックをした時にひょうそうの部分を痛打しちゃって悶絶して、ボクサーは〇〇を〇〇〇ちゃいました。(※この〇〇の部分はあまりに下品なため、筆者の判断で伏字とする)


 ふふふ、それを見て私、心の底からスカッとして。ああ、私を苦しめた男という生き物が、痔瘻という病気持ちの私のために、病気を抱えながら闘ってくれたんだなあって。生きてる実感が沸いたんです。それでそれから病気持ちの格闘家の人に絞って男性を探して、何人かストックが溜まってきたらその人たちを闘わせるようになったんです。でもなかなか難しいんですよね、そういう男性を見つけるの。絶対数が少ないじゃないですか。ふふ」


(狂ってやがる)


 由紀人くんは心の底からうんざりした。

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