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3-5

 お互い構えを取って対峙し、何秒かが過ぎた。


(合気道……か)


 由紀人くんは考えた。合気道に関する知識がほとんどなく、相手がどう出てくるかが読めない。見ると、右半身に構えたタッくんは、軽く膝を曲げているだけなのだがその重心は綺麗に下へ下へ沈んで、それだけでかなりの実力者であることが分かる。


(簡単に間合いに入り込むのは危なそうだ)


 由紀人くんは初手を考えた。合気道は基本的に相手の突き、手刀、掴みなどの手による攻撃に対する、カウンターの投げが技の中心だと聞いたことがある。不確かな情報だが蹴りへの対応技は無いらしい。


(それならば蹴り――それも手の届かないローキックがいいんじゃないか)


 そう考えをまとめた。そして、じりじりタッくんとの距離を縮め始めた。


 タッくんはほとんど微動だにせず、自信ありげに由紀人くんが近づいてくるのを待っている。


 ――その時だった。タッくんが唐突に動き、由紀人くんから見て素早く左斜め後ろを向いたのである。


「そっちから来たか!」


 タッくんは叫ぶと、左腕をサッと前に伸ばした。次の瞬間、伸ばした左手を臍の前に引きつつ、右の背中側に体を180度反転させた。それから左手に右手を添えて、滑らかにすり足で歩を進めながら両手の上下を返した。砂ぼこりがその足元に舞い上がった。


(小手返し?)


 由紀人くんは自分の貧しい合気道の知識でも知っていたこの有名な投げ技を、タッくんが相手もいないのに一人で実行したらしいことを、どうにか理解した。


 そのままタッくんは腰を落とし、両手を斜め下に伸ばした状態で静止した。しかしその態勢で二、三秒が経った後、今度は由紀人くんから見て右側をパッと向いた。


「三人がかりとは卑怯なっ!」


 そう叫ぶとともに再び構えを取って、前に進みつつ両腕を頭の上まで振り上げ、また180度体を反転させて勢いよく腕を振り下ろし、由紀人くんの知らない合気道の何かの投げ技を虚空に繰り出した。


(何やってんだこの人)


 その時には由紀人くんは構えを解き、あっけにとられてこの対戦相手の一人での格闘を眺めた。


 その後もタッくんは「まだ来るかあっ!」と怒号をあげつつ誰もいない空間に向かって腰投げを打ち、最後には柔道の巴投げのように勢いよく仰向けになって架空の相手を投げ飛ばした。そこで疲れ切ってしまったのか、砂地の地面に寝ころんだまま、はあはあ息を切らせた。


「……何やってるの、この人?」


 由紀人くんはあっけに取られて右脇にいた未海ちゃんに尋ねた。


「タッくん!」


 未海ちゃんは由紀人くんの質問には答えずに、倒れこんでいる合気道家のそばに駆け寄り、抱き起した。


「五人がかりとは卑怯な、……卑怯な」


 上半身を起こしたタッくんは息を弾ませて呟いた。


「だいじょうぶ! もうみんなやっつけちゃったから、だいじょうぶだからね。もう悪い人いないでしょう?」


 未海ちゃんがそう励ました。


「ああ、ああ、そうだね……」


 タッくんが落ち着いたのを見ると、未海ちゃんは彼の背中に腕を回したまま、由紀人くんの方を向いた。


「重度の統合失調症なんです、この人」


「トウゴウ……?」


 由紀人くんがその言葉を分からないでいると、


「精神疾患の一種です。妄想、幻聴が起きたり幻覚が見えたりする病気です」


「そうなんだ、それで」


あらぬ方向に向かって合気道技をかけ続けていたわけか、と由紀人くんはようやく納得した。


 未海ちゃんはタッくんに優しい声を掛けて励まし、立ち上がらせた。タッくんはまだ何か幻覚が見えるのか、キョロキョロ左右を振り見ている。先ほどの一人での激しい格闘でずれた眼鏡のつるに手をやって、ずれを直した。


 未海ちゃんが言った。


「今日は帰ろう。ね? 土浦まで送ってあげるから。もうだいじょうぶ、だいじょうぶだよ。……すみません由紀人さん、今日はこのままこの人を送ります」


「ああ、うん」


 由紀人くんは不承不承に答えた。タッくんの様子も心配だったが、自分と未海ちゃんの交際はどうなるのだろうか、と思った。未海ちゃんはその疑問を察知したかのように、


「この闘いは引き分けっていうことでいいですね? まともに闘ってないわけだから。お付き合いの話はまた次に」


 未海ちゃんはそう由紀人くんに言うと、再びタッくんの背に細い腕を回してしきりに励ましながら、公園の出口へ去っていった。


 由紀人くんは一人公園に残された。どこまでも穏やかな秋の午後だった。


(土浦は遠いよなあ)


 由紀人くんはようやくそれだけ思考した。

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