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3-4

 仕方なく公園のベンチに座って未海ちゃんが戻ってくるのを待つことにした。肩に斜めに掛けたままだったショルダーバッグを、脇に置いた。バッグを掛けたまま麦くんと闘ったことにこの時ようやく気づいた。


 快晴の、穏やかな秋の午後の公園の風景が彼を包んでいた。雲ひとつ無い空に太陽が浮かんで、飛び交うスズメの鳴き声が時々聞こえた。そんななか由紀人くんはわき腹に受けた蹴りの痛みを味わいながら、先ほどの闘いで昂っていた精神が、徐々に落ち着いていくのを感じた。


(なんなんだろう、この状況)


 はっきり言って今自分の置かれている状況が理解できなかった。未海ちゃんは「もう一人闘って欲しい人ができた」と言って去っていった。また先ほどのような私闘をしなければいけないのだろうか。彼女はいったい何をしたいのか。分からなかった。分かったのは、どうやら彼女は自分だけと付き合っていたわけではないようだということだった。


 彼女に別れのLINEを送り、もう帰ってしまおうかとも考えた。しかし――しかし、どうしても未海ちゃんのことを思い切れなかった。たとえ今彼女がこれまでの印象とはまるで違う悪い習性をかいま見せつつあっても。夏の間にそばで見てきた、彼女の透き通った笑顔が、ふとした時の消え入りそうに寂し気な表情が、汗とシャンプーの混じった匂いが、血管の浮いた細い手の感触が、忘れられなかった。


 三十分ほどで未海ちゃんは戻ってきた。隣に、大柄な男を連れていた。


 男は褪せたブルージーンズに赤のチェックのシャツという服装で、ザッザッザ、と、大げさな足音を砂地に鳴らしてやってきた。黒縁の眼鏡にキラッと陽が反射した。


 男が一直線にこちらに向かってきたので、由紀人くんはベンチから立ち上がった。この男と闘わせられるかも知れないということが分かっていたので、あらかじめ警戒し、脚を半身に開いた。


「山崎由紀人さんですね? 初めまして、わ、私、坂道達也と言います」


 ぺらぺらぺらっと早口で挨拶をしてきたので、由紀人くんは出鼻をくじかれた。足を平行に戻し、挨拶を返しながら、男の外見を見てとった。


 太った、大柄の、三十歳を超えていると見えるおじさんである。短髪の黒髪はやや後退していて薄毛だった。輪郭はぱんぱんに膨らんでおり、その中心に目鼻口がぎゅっと押し詰まっている。髭の剃り跡が青々しく、鼻と口の間の皮膚に、髭剃りを失敗してついた血が点々と赤く浮かんでいた。


 目が、印象的だった。長方形の眼鏡の奥で、その瞳はどろりと濁って、そうして果断なくふるふると左右に細かく揺れていた。由紀人くんはなんだか嫌な予感がした。


「私、笹塚未海さんとお付き合いさせていただいておりまして、き、今日は山崎さんと闘って、勝てば、お付き合いを継続させてもらうというやくそ、約束をしております。ですのでよろしくお願い致します」


どもりながら礼儀正しくそう言って、ペコリと頭を下げたのである。その頭頂部の禿げはけっこう進行していた。


「タッくん――達也さん――は合気道クラブの元講師なの。三段を取得しているそうです」


 そう未海ちゃんが脇から付け加えたところで、由紀人くんは割って入った。


「ちょっと待ってください。その――闘うっていうの、止めませんか? 僕はこれでもキックボクシングのプロライセンスを持っているし、喧嘩をするとまずいんです。そもそも僕とあなたが闘わなきゃいけない理由がないじゃないですか」


「未海さんを譲れと言うのか?」


 唐突にタッくんの口調がタメ口に変わった。


「いや、それをどうにか話し合うなりなんなりして――」


「それはあれですね」


 タッくんはにやりと笑みを浮かべて口調を敬語に戻した。


「あなた、そういうこと言うっていうのは、要するに私の会社とグルですね」


「はい?」


「分かっているんです! 営業部のスゲタさんと一緒になって、私と未海さんを別れさせようとしているんでしょう? 全部全部分かっているんだ。その手にはのら、乗らないからな!」


 一気にヒートアップして、わけの分からないことを言いだした。その横から未海ちゃんが、


「タッくん! だいじょうぶだから。由紀人さん、ここまできて闘うの止めるんですか? 闘ってくれないの?」


と言った。


「だからなんで俺とこの人が闘わなくちゃいけないのかな? それにさっきの人とは闘うことをかろうじて聞いてたけど、この人と闘うことは事前に聞いてないし――」


 由紀人くんが反論しかけたところで、未海ちゃんが、きゃはははは、と笑い声をあげた。


「それは私を求めているからでしょう? 麦くんも、タッくんも、あなたもみんな。私のために闘い合うってことが重要なの。いいです、闘えないっていうなら私は二度と由紀人さんには会いません。それでいいですか?」


 ぐっと由紀人くんは黙った。しばらく沈思して、


「本当に、勝てば付き合ってくれるんだね? 僕だけと」


「はい。約束します」


 由紀人くんは更にしばらく考えた。そして、


「怪我をさせても、治療費は払いませんからね」


タッくんに向かって言い捨て、構えをとった。


 反射的に、タッくんも右半身立ちに脚を開いた。両腕は軽く下げて、手を開いて腰の高さに構えた。

 二人の間には三メートルの距離があった。


 未海ちゃんがその脇で、また口角を上げて闘いを眺めている。

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