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――これはあくまで私見だが、無垢な若者を格闘技で一定期間鍛えさせると、その若者が時に信じられないほど誠実で純粋な青年に成長することがある。――と私は考えている。彼らは人懐こく、自分にほどよく自信を持ち、たとえ頭は悪くとも情に厚く、悪いことにはそうそう流されない芯の強さを持つ。
私も高校生の時分から三十五歳で辞めるまで、ボクシング、空手、キックボクシングを計二十年近く習ってきた。いや、私自身にはとても格闘技の才能は無く、プロなど夢のまた夢、せいぜい空手の段位を取って、一番のめりこんだキックボクシングのアマチュアの試合で勝ったり負けたりを繰り返してきただけなのだが、とにかく年数だけはいっちょ前の格闘技経験のある中で、上述したような格闘青年をたくさん見知ってきた。私は彼らが大好きだった。
彼らは日々の練習で殴り殴られ蹴り蹴られを繰り返し、自分の強さの位置を毎日身をもって確認し、うぬぼれでも卑屈でもない、正確な自己評価というものを手に入れる。そうして練習で殴られるより殴る方がよほど多い人間がプロとなり、やがて更に優れた才能を持つ人間と対戦し、自分の能力の限界を知る。知りながらもまだ諦めきれない者はもっと厳しい練習を積んで、自分の殻を破ろうとする。そんな研鑽を積んで磨かれた人格は、格闘家というものを知らない人には想像もつかないような、独特な魅力を帯びたものになる。――まあ、格闘技の暴力性をそのまま強さと勘違いして、人格を肥大化させる格闘家もいないわけではないが。
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ここに、そのような私の大好きなタイプの格闘家の一人である、山崎由紀人という青年がいる。
今はもう彼も三十路を超えたが、この話の一連の事件が起きたのは新型コロナ禍前のことだから、当時彼は二十四、五歳、引き締まった美しい肉体と、すれ違った女性が思わず振り返るような整った顔を持つ、古い言葉を使えば「水も滴るいい男」であった。彼は世の男性の欲しがる多くのスペックを有していた。若さ、鍛えあげられた体、女性を引き寄せるルックス、そして私が前段で長々と説明した、格闘技で培ったさわやかな性格。誰もが――特に同年代の女性と、目上・年上の男性の多くが――、彼に好感を抱き、友人になりたがった。彼が持っていないのは、金と社会的ステータス(駆け出しのプロキックボクサーという肩書は見る人によってはステータスと言えなくもないが)、そして恋人だけだった。
話というのはこの由紀人くんが、所属しているキックボクシングジムの先輩練習生だった私と、元プロでジムのインストラクターを務めていたルイ・ペガススさんとの三人で、巨人‐広島戦を観に行ったところから始まる。




