第三話 「見知る真実、見知らぬ真実」③
オルコット家に連れて来られた朝彦は、机とソファ、照明器具だけが置かれている小さめの客間に通された。窓と扉は締め切られている。開けようとしても開かないようになっているから、と腕の拘束は解かれていた。
「……うーん、俺どうなるんだろ……」
あのサマンサって子やけに怒ってたよなぁ、と不安が胸を埋めていく。しかし同時に、もしかしたらジェンナについて聞けるかもしれない、と思うと、同じくらいに期待が顔を出した。
(でも、何で怒ってんだろ……)
何故名前を知っているのか。そう言って彼女は怒っていた。ということは、少なくともジェンナは新人が知っていてはおかしい状況にあるということだ。恐らく姉妹と思しきサマンサが外を出歩いているのに、ジェンナは名前を知ることすら本来出来ない状態にある。
(俺の確信、事実に変わる瞬間来ちゃった感じ?)
教えてもらうにはどうしたらいいか。ケーゴの言う通りまずは朝彦が知っていること、体験したことをサマンサに説明する必要があるだろう。果たして信じてもらえるか、また、どうしたら信じてもらえるか。思考を巡らせていると、扉が控えめに叩かれた。返事をして良いのか迷っていたが、再びノックがされたので慌てて返事をする。
「失礼します」
そっと扉を開けてぴょこりと顔を出したのは先ほどの少年だ。途端に、部屋に風と共に先ほど気になった気配が入り込んでくる。朝彦が覚えず眉を寄せると、少年はびくりと体を強張らせた。手に持っているお盆の上でティーポットとカップ、ソーサーなどがカチャリと危ない音を立てる。
「あっ、ごめんごめん! 悪気はなかったんだ! ちょっと気になることがあってつい眉に力が」
焦った調子で立ち上がり、朝彦は両手を振って言い訳をした。少年はすぐに信じてくれたようだ。ほっとしたように頬を緩めると、部屋に入って扉を閉める。
「サミー様はもう少しでいらっしゃいますので、それまでお茶をどうぞ」
机の上にお盆を置き、少年は手馴れた様子でお茶を入れた。紅茶かな、と、色合いと匂いから判断すると、朝彦は勧められるままそれに口をつける。
「美味しいですか?」
ぱっちりとした活発そうな双眸が期待を込めて見下ろしてきた。サマンサたちがどこか拒絶を醸している中、彼の対応は随分と親しげだ。元々そのような性格なのだろう。朝彦は歯を見せて笑い返す。
「うん、美味しい。俺アサヒコ・カンナギっていうんだけど、君は?」
こちらに来てからしばらくは日本風に名乗っていたが、「どっちが名前?」と訊かれる回数が五回を超えた辺りから外国風に名乗るようにしていた。
「僕はルシオです。ルシオ・ベレス。サミー様の従者をやっております」
よろしくお願いします、と差し出された手をすぐに握り返す。子供らしい温かで小さな手はすっぽりと朝彦の手に包まれてしまった。その手を握りながら、朝彦はじっと少年・ルシオを見やる。否、正確には、その背後を。
「アサヒコさん?」
ルシオは首を傾げ背後に目をやった。しかし、そこには何もいはしない。
「うーーん、ルシオ。変なこと訊くけど、体調悪いとか気分が優れないとかそういうのない? 結構長いこと」
問いかけの内容にルシオは目をぱちくりとさせる。違うか、と思っていると、少年の目は驚きを写して朝彦を真っ直ぐに見つめてきた。
「凄い! 何で分かったんですか?」
顔に出てました? とルシオは手で顔をぺちぺちと触る。そんな彼に朝彦は少し困ったように笑いかけた。
「えーと、俺っていわゆる霊能力者ってやつなんだわ。幽霊とか見える奴なの。それで、さっき森でちょっと見た時から気になってたんだけど……ルシオさ、取り憑かれてる」
指先でちょいちょい示され、ルシオは「ええ!?」と大声を上げて自分の肩を払う。もちろん、ごみは取れても霊が取れるはずがない。朝彦の目には、何かに怯えるように震えている女性の霊が付かず離れずの位置に立っているのが見えていた。朝彦の視線を追うようにルシオもそちらを見るが、分からないというように首を傾げている。その途端に幽霊は、体の震えを大きくした。朝彦に気付かれたことに気付いたのかもしれない。
「どうした? 生きてる人に近付きすぎて離れられなくなっちゃった?」
朝彦は優しい口調で問いかける。幽霊が何かしらの理由で生者に近付いた際、その生命力に引きずられそばから離れられなくなる例があり、朝彦も過去に何度かその例を見たことがあった。
朝彦に害意がないと伝わったらしく、女性は両手を組んでこくこくと何度も頷く。解放して、と乞われ、朝彦は立ち上がって彼女に手を差し出した。戸惑いながらそのうっすらとした手が朝彦の手を取ると、その身はルシオから離れ、自然と空中に浮かび上がる。
「逝く先を、神にまかせて帰る霊。道暗からぬ、黄泉根津の道」
神道の葬儀の際に使われる誄歌を唱え、偲手を打って見送ると、女性は安堵した表情で姿を消した。それをほっとして見送った朝彦の服の裾を、ルシオが怪訝な顔で引く。
「あのぅ、僕何も見えなかったんですけど、一体何が?」
問いかけに、朝彦は腕を組んで唸った。
「ん~~~~、ルシオ本当に結構長いこと取り憑かれてたなぁ。まだ死の気配が取れてない」
答えるどころが疑問の上乗せをされ、ルシオは本格的に疑問符を飛ばしだす。ようやく完全に置いてけぼりにしてしまっていたことを自覚し、朝彦は一言謝ってから説明を始めた。
ルシオに霊が取り憑いてしまっていたこと。その霊が悪意で取り憑いていたわけではないこと。今それを祓ったこと。しかし、長い間死者をそばにおいていたせいか、死の気配がルシオを取り巻いていること。
全て語り終わってから、朝彦は腰に手を当てる。腰に感じた手の感触を目で確認してから、朝彦はふぅと息を吐いた。
「ポーチあればすぐにお守り作ってやれたんだけどなぁ。後で荷物返してもらったら作ってやるから、ちゃんと持ってろよ? 死の気配は別の死を呼ぶから」
くりくりと頭を撫でてやると、まだ分かりきってない様子だがルシオは笑顔で「はーい」と返事をする。可愛い従弟妹達を思い出し、何となく胸が温かくなった。
ふたりでほわほわしていると、不意に扉がノックされる。すぐさまルシオが返事をして扉を開けた。そして、びくりと体を跳ねさせる。そこにいたのは、先ほど朝彦を捕らえたヒコジのみだった。
「あ、あの、アサヒコさん、僕これで失礼しますね!」
言うが早いかルシオはそそくさと部屋から飛び出してしまう。ヒコジは何も言わずにそれを軽く顔を向けて見送っていた。主が捕まえた相手にも笑顔で接する少年が怯えて出て行くとは、相当この男が苦手らしい。
(まあ! 分かりますけどね!!)
内心で力強く同意し、朝彦は控えめにヒコジを観察する。
身につけているのは赤に近い茶色の軽装鎧と、ふくらはぎの辺りに向かって膨らみ足首に向かってすぼんでいる黒に近い灰色をしたズボン。短い袖から伸びる腕は筋肉質で、あの腕で押さえられてはそれは動けないわ、と納得せざるを得ないほど硬そうだ。縦にも横にも大きいマリオをずっと見てきたせいでスマートに見えるが、朝彦と並べば十人中八人は朝彦を「ひょろい」と判断しそうなほどにはがっしりしている。
しかし、男として憧れを禁じえない均整の取れた筋肉以上に朝彦の目を奪っているのは、腰に差された黒い刀。そして、指先の出る手甲に覆われたその右手だ。どう見ても普通の腕だというのに、何故こうも――。
いつの間にかじろじろと見ていた朝彦は、ルシオを見送り終わったのか視線を戻したヒコジと目が合い思わず「さーせん!」と直立になり謝った。
(うおおお、この人怖ぇぇぇぇ)
鎧を着てる人間なんて、彼以上の重装備の者を見てきた。武器なんてもっとえげつない物を持っている者が町にいた。けれど彼が怖いのは、やはりいきなり投げ飛ばされて取り押さえられたせいだろう。
ヒコジは無言で室内に入ってくると、扉を閉め朝彦に近付いてきた。カシャ、カシャと金属製の靴が立てる音を怖いと思ったのは初めてだ。目の前まで来たヒコジの圧迫感に耐えて引きつった笑みを浮かべていると、不意にその顔が下がる。気付けば、彼の頭頂が視界に入っていた。
「え!? あ、あの?」
大人の男性に頭を下げられたとあって、朝彦は動揺する。それを無視するように、ヒコジは頭を下げたまま口を開いた。
「先ほどはすまなかった。俺の役目は姫様の護衛だから、あの近付き方をされるとああする他ないのだ」
再び顔が上げられると、黒い双眸が真っ直ぐに朝彦を見下ろしてくる。先ほどと表情自体は変わらないはずなのに、受ける印象ががらりと変わった。どこか穏やかさを感じる。戸惑っていると座るように促されたので、すぐさまソファに腰を下ろした。ヒコジはその横に立つ。
「……大変申し訳ないのですが、あなたの身長で立たれると威圧感がえげつないので、座っていただけますでしょうか?」
そらした顔の前に両手を持っていき訴えると、ヒコジは「そうか」とその場で膝を折った。すっかり下になったヒコジの真顔を見て朝彦は思わず大きな声を出す。
「目の前にあるソファ無視!? このあからさまに洋風な部屋の中で正座ってどうなの!? ――あ、正座ってことはやっぱりヒコジさん日本人?」
髪と目の色、そして顔立ちから予測は立てていた。さらに彼が持っている黒い刀。これは完全に日本刀だ。確認のため問いかけると、ヒコジはこくりと神妙に頷く。
「姫様がこれからいらっしゃる。姫様がどこにお座りになるかも分からないのだから俺は床にいるべきだろう」
あ、律儀だこの人。
ツッコミまで質問と取られたことに朝彦は軽く脱力する。そんな彼に、ヒコジは口元を緩めた。雰囲気が一気に氷解する。親しみを込めた視線に、自然と朝彦からは僅かに残っていた緊張が消えた。
「それと、日本人で合っている。織田 彦次郎 兼良だ。お前は神凪 朝彦、で合っていたか?」
確認され、朝彦はすぐさま頷く。それから、目を輝かせて乗り出した。
「ヒコジさん……いや、彦次郎さんいつの時代? いつの時代から来た人?」
ヒコジもとい彦次郎の名前を聞いた瞬間湧いた疑問を期待と共に口に出せば、彦次郎は怪訝な顔をする。
「慶長五年だが……?」
「慶長五年! 1600年! 戦国時代! しかも関ヶ原の年!」
朝彦が最も好きな歴史の時代は江戸時代だが、最もロマンに溢れる時代だと思っているのは戦国時代だ。輩行と呼ばれる仮名が入ったので恐らく江戸以前の人物だと思っていたが、まさかどんピシャでこようとは。単語のみで喜びを表すと、朝彦は質問を続けた。
「え、もしかして彦次郎さん関ヶ原参加してたんですか?」
「……ああ、俺は総見公――織田 前右府 信長殿の親類でな。他の織田家の者たちと西軍で参加していた。まあ、俺はその戦いの時に、川に落ちてこの世界にやってきたので、戦いの結果は未来の同郷人から聞いたんだがな」
彦次郎は語る。彼がこの地に来た、12年前の出来事を。
当時16歳だった彦次郎は関ヶ原の合戦場で顔の傷を負い、それに気を取られている隙に足を滑らせ川に落ちてしまった。普通ならそこから上がれば済んだ筈だった。しかし、運悪く時空のひずみが生じ、彦次郎はそれに飲み込まれた。その結果、エスピリトゥ・ムンドにやって来ることになる。
「……帰ろうとは……?」
控えめに尋ねれば、彦次郎は静かに首を振った。
「一度はした。だが、我々が元々いた世界は異世界のことを認識していない世界だから、帰れても最低一日は経過していると言われた。――その時諦めた。その前に会った同郷人から、俺が移動した日に決着がついたと聞いて、逃げたんだ。もう戻っても仕方ない、と」
若かったんだな、と苦笑する彦次郎を前に、朝彦は身を縮める。つい先ほどまで盛り上がっていた自分が恥ずかしい。
朝彦にとってはただの歴史で、昔話だ。けれど、彦次郎にとっては実際に起こったこと。どれだけ無念で、どれだけ辛かっただろう。仕えると決めた相手や親戚たちを残して来てしまったことは。その彼らを諦めると決めた時は。
申し訳なさそうに俯く朝彦の顔を、正座したままの彦次郎は図るように見上げる。しかしそれはすぐに終わり、彦次郎は「ところで」と話を変えた。
「神凪と言ったが、もしや『神宿しの一族』か?」
神宿しの一族。それは神凪家の別称で、名の通り、神凪家の者が生まれつき神の加護を受けることを表した名だ。
とはいえ、この名前は朝彦が来た時代ではあまり知られていない。何故なら時代が進むと共に神凪家は陰の存在となり、神通力を有し神から加護を与えられる一族であることが一般人に伝えられなくなったから。
同じように神の存在はまやかしの扱いとなっていき、神を宿すという話が眉唾物になっていったことも、民衆から「神凪」の名を忘れさせるのに一役買ったのだろう。戦国時代ではまだ活躍していたのだったか。習った一族の歴史を頭の片隅で思い起こしながら朝彦は素直に頷く。
「そうです。彦次郎さんよく知ってますね」
「……ああ。一応政に近い位置にいたからな」
やはりその時代の神凪家も秘匿になっていたらしい。納得した朝彦は困ったように笑って頭を掻いた。
「えーーーっと、俺一応神様の力宿してますけど、戦闘では使えません。狩りで使うのがやっと、って所っす。あ、でも神通力はちゃんと持ってますので、そこら辺関係の仕事なら出来ますよ」
情けないとは思うが、過度の期待をされても困る。朝彦はきっぱりと言い切った。一方の彦次郎は口中で静かに呟く。「そのせいか」、と。
すっと立ち上がると、彦次郎は軽く手を上げて身を翻した。
「悪意はなさそうだ。姫様を呼んでくるからもう少し待っていろ」
「はーい? ……あっ、疑ってたんすか!?」
立ち上がって文句を言うが、すでに背中を向けている彦次郎はひらひらと手を振るばかりで振り返りもしない。ぱたりと扉が閉まると、朝彦は「うっわショックー」と天井を仰ぐ。
「あ、そういや」
彼の手について訊くのを忘れていた。しばらく後悔を込めて扉を見ていた朝彦だったが、最早引きとめようもないと諦めて小さく息を吐く。
廊下に出た彦次郎は、二つ先の部屋にノックの後に入室した。中で待っていたのは優雅に茶を飲むサマンサだ。
「どうだった?」
簡潔に訊かれ、彦次郎は彼女の前に膝をつく。
「こちらが親しげに対応したり同情を引くように身の上話をしたら、あっさり心を開きました。言動や表情からは、悪意のある人物ではないように思えます」
彦次郎がサマンサから受けた命令は、朝彦の人となりを調べること。同郷であるなら心も許すだろう、と。
朝彦本人に悪気はないとはいえ大事な主に無礼を働き、もう一人の大切な存在の名を何故か口に出した彼に対して親しげに、というのは正直一苦労だった。――最初だけ、だが。途中からは悪い人間ではないと分かり少し心も落ち着いていた。
「それと、奴が一姫様の名を出した理由が分かったかもしれません」
彦次郎が続けた報告を最後まで聞くと、目つきを一層険しくしたサマンサはカップを傾け残りを飲み干す。そして、やや乱暴にソーサーにそれを置いた。
「じゃあ行きましょうかね。真実を話してもらいに。そして」
真実を話しに。
扉を自ら開けるサマンサの後ろを、彦次郎は影のようにつき従う。




