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第二話 「暗雲立ちこめ」③



 最初の六人を無事に送ってから約三時間。霊道を辿り道すがらにいる幽霊を説得すること19人。そして今、30分かけて話をした20人目がようやく黄泉路についた。大きく息を吐いた朝彦は、ぐっと体を伸ばす。世界はすでに黄昏の中だが、三時間で20人ならかなりの成果だ。


「しっかし俺、やっぱ神通力の上限上がってね?」


 胸の高さまで持ってきた右手を見つめ、閉じては開いてを繰り返す。最初に気になった時は、単に一度空っぽになるまで使い切ったせいでそんな気がしただけだと思っていた。だがこうして神通力を使って歩いていると、やはりその感覚が間違っていなかったことが実感として理解できる。


(そういや寺子屋で使うほど鍛えられるとか言ってたような……?)


 寺子屋、とは神凪家の子供たちにお家のことや神様のこと、あるいは術のことなどを学ばせる場の通称だ。勉強はそれほど苦手ではないが、覚えることが多すぎて端々で記憶が曖昧になっていた。


「さて、そろそろ帰るかなー」


 これ以上遅くなるとケーゴが迎えに来そうだ。そんなことを考えながら周囲を見渡し、朝彦はとある方向で目を留めた。そちらはずっと辿ってきた霊道が続く先で、朝彦が目に留めたのは、そこからずるずると音を立ててやってくる何か。警戒と共に神通力をさらに強め、手には札を何枚か握る。


 息を潜めて待つこと数秒、現れたのは目を背けたくなる惨状の血塗れの男だった。音を立てていたのは千切れかけた左足で、しっかり地を踏む右足もあらぬ方向に曲がっている。胴体は胸から下腹部までが深く裂け、腹からは腸が飛び出していた。右目はあるべき場所に無く、空洞の眼窩(がんか)には深い闇がしまわれている。幽霊というよりゾンビのようだが、あれもまた霊体だ。


(……エッッグいなー……死んだばっかりの人だなあれ)


 通常亡くなった人間は通常の姿で幽霊となるが、死んだばかり、それも、自分が死んだと分かっていない、あるいは納得出来ない者は、あのように死んだ時の状態に引き摺られやすい。


(獣――じゃないよな、食おうとしたってよりいたぶった感じだ)


 込みあがる胃液を堪えながら、朝彦は思考を巡らせる。目を背けたいにもほどがある光景だが、目を背けては彼の無念を理解出来ない。早く彼を黄泉路へ向かわせねばと思うのは、哀れさ以上に焦燥からだ。


 目の前の存在から溢れる、深い深い深い憎悪。ひとつの感情に囚われやすい幽霊は、それが負に向いているほど悪霊に転じやすい。彼はこのまま放っておけば確実に悪霊化する。それは何としても避けなくては。


 ごくりと唾を飲み落とし、朝彦は一歩前へと踏み出した。


「なあ、あんた。その姿どうしたんだ?」


 問いかければ、男はその場で止まる。ぴくりとも動かず返答の兆しすらない。それでも辛抱強く待っていると、男はようやく口を動かした。


【……殺……され……た……】


 纏った憎悪をそのまま音にしたような声に全身が急激に冷やされる。粟立つ肌をさすって、朝彦は落ち着くべく深い呼吸を繰り返した。神通力がある朝彦だから耐えられたが、普通の人間なら今の一言で昏倒(こんとう)していたことだろう。まだぎりぎり普通の幽霊の状態でこれなのだ。本格的に悪霊化させるわけにいかない。


「誰に? 誰に殺されたんだ?」


 重ねて尋ねると、男は今度は激しく身震いし始めた。相手への恐怖だと気付き、朝彦は彼の姿に気を取られすっかり忘れていた札を飛ばそうとする。霊を封じる円陣は霊からの干渉も霊への干渉も阻むものだ。


 ただ神通力を通すだけ。それだけだった。なのに、それを行う直前、男の背後から鋭い音と共に現れた黒い触手のような影が、一瞬にして彼の身に巻きつく。


「なっ!?」


 巻きつかれた男が悲鳴と共に暗闇に連れ去られた。ぞわぁと背筋に怖気が走る。何か、は分からない。けれど、何に近いか、は分かった。あれは、かつて元の世界で仕事中に出会ったものに似ている。


 心臓が早鐘を打つ。呼吸が速くなっていく。冷たい汗が次々に溢れてくる。脳内にけたたましく鳴り響く警鐘は、早くこの場から逃げるようにと朝彦をまくし立ててきた。なのに、足は縫い付けられたかのように動かない。


 その時、横から不意に駆け込んできた何かが朝彦の腕を取って無理やり走り出す。引き摺られるように走っていた朝彦は、数十メートルほど進んでからようやく正気に戻った。そして、何故、と疑問を抱く。夜に変わりつつある青紫の世界で朝彦に背中を向けて走っているのは、この時間にははじめて会ったジェンナだった。


 ジェンナは振り返らず、朝彦も声をかけられないままさらに先へと走り続ける。やがて開けた場所に着くと、ジェンナが足を止めた。同じく足を止めた朝彦は、その途端に肺が負担を思い出したように熱くなり、荒れた息で身を傾ぐ。


「ジェ、ジェンナ、あの――」


 切れ切れの息の下で呼びかけた言下、握り続けていた朝彦の腕を離したジェンナが勢いよく振り返った。次に森に響いたのは、頬を張る大きな音。


「……え……」


 祖父に殴られたことくらいならある。だが、女性から、しかも常に柔らかい雰囲気を醸してきたジェンナから叩かれるなど、思ってもいなかった。じんじんと痛む頬に手を当て言葉を無くす朝彦を、ジェンナは厳しい目で睨みつける。


「湖には近付かないでって言ったじゃない! 何で約束破るの!?」


 湖、と言われ、朝彦はようやくあの場所が件の湖の近くだったことを察した。知らなかったんだ、と言い訳をするより早く、ジェンナは朝彦の背後に回りこみその背中を乱暴に押す。


「信じられない、アサヒコなんてもう知らない! 帰って!」


 思い切り押されたためによろめいた朝彦は、バランスを取りながら首だけジェンナを振り向いた。


「ジェンナ、あの」


「聞きたくない! あっち行って!!」


 寄り付く島もない様子を前に、これ以上留まるのは逆効果だと感じた朝彦は、仕方なく小走りに走り出す。ごめん、と背中越しに告げたのを最後に、その姿は暗くなり始めた森の中に消えていった。


「……っ!」


 見送るジェンナは顔を歪め、何かを叫ぶように口を開ける。けれでも一音たりともそこから漏れることはなく、去っていく背に縋るように伸ばされた手は何も掴むことはない。


 不意にジェンナから表情は抜け落ち、腕は静かに下げられた。


「――余計なことを、するんじゃない」


 暗い瞳でジェンナは呟く。その背に流れる薄茶の髪が、身に纏うスカートが、頭上の木々が、生ぬるい風に吹かれて揺れた。背後の森は先も見えぬほど凝縮された闇に包まれ、そこから吹き出るように影が蠢いている。



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