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第二話 「暗雲立ちこめ」②



 朝彦とジェンナが会うのはいつも森の中だ。明るい時間だけで、仕事が遅くなった日は会えないことになっている。今日は無事に会える、と心は足取りと同じくらい軽快に躍っていた。


(いやー、分かってるよ? 分かってますよ? こういうこと()()()()()()()()()()だってのは分かってるけど、ほら、もしかしたらの可能性がさ?)


 誰にするわけでもない言い訳を脳内で繰り広げているうちに、ジェンナとの待ち合わせ場所に近付く。すると、耳に悲鳴に近い彼女の声がぶつかってきた。


「やめてっ、お願いやめて……っ!」


 悲痛なそれによからぬ想像が一瞬で頭を駆け巡る。わなわなと身震いするや否や、その体は弾丸よろしく飛び出した。


「ジェンナーーーッ! ジェンナに手ぇ出してんの誰だこらーーっ!!」


 目を吊り上げて場に乱入する朝彦。その彼に気付いたジェンナは涙目で彼の名を呼ぶ。青ざめた顔はあまりにも哀れで、すぐにでもその恐怖から解き放ってやりたかった。だが、朝彦の怒りはジェンナを捕らえている相手を前に霧散する。


 そこには、誰もいなかった。けれど朝彦の目は、確かにそこにいる肉の身を持たぬ「誰か」を捉えている。


「ジェンナ、ちょっと待っててな」


 言下朝彦はウェストポーチから白い紙を取り出した。そこには墨で文字が書かれている。何かで役に立つやもと持ってきていた、家で使っていた仕事道具だ。


 朝彦はそれに神通力を通した。応じた札は一瞬でジェンナを捕まえている「誰か」のうっすらとした足元を円形に取り囲む。ばちっ、と電気が弾けるような音と共にジェンナが解放された。


「アサヒコ、その人にひどいこと――」


 何か言いかけたジェンナに朝彦は少し待つようにと手を向ける。続く言葉を飲み込んだジェンナと「誰か」の間に立つと、朝彦は明るい笑顔を「誰か」に向けた。


「こんちは。俺朝彦ってんだ。あんたは?」


 かつて同じクラスになった相手にそうしていたようなフレンドリーさで挨拶をすると、「誰か」は少し身をよじる。中々返らない答えを待ち続けていると、「誰か」はぼそりと呟いた。


【……ベ、ン】


 それが名前だと察し、朝彦はなお明るい笑顔を示す。


「ベンな、よろしく。俺異世界の日本って所出身なんだけど、ベンはどこの生まれ?」


【ポ、ポル……】


「お、地元民かー。この辺りっていい所だよなー。優しい人ばっかりで」


 素直に褒めると、「誰か」――ベンは微かに喜んだ様子を見せた。心を開いてくれたと判断し、朝彦はなるべく優しい笑顔を浮かべる。


「ベンは、ジェンナをどうしたかったの? さっき、確かにベンと同じ所に連れて行こうとしてたけど、悪意も害意も感じられなかった。何か理由があるんだろう?」


 俺が聞くよ、と告げれば、ベンは恐らく顔と思しき部分を朝彦の後ろにいるジェンナに向けた。朝彦もまたジェンナに視線を移す。青ざめたジェンナと目が合ったので、安心させるように微笑むと、ジェンナは朝彦の服の裾をぎゅっと握り締めてきた。


【……しん、ぱい……ジェンナ、さま……】


 ベンが悲しそうに辛そうに告げると、その体が僅かに揺らいだ。朝彦はそんな彼を支えるように肩と思しき部分に手を当てる。


「そうなんだ、ジェンナが心配なんだな。ベンは優しいね」


 手のひらから注がれる神通力で、消えかけのろうそくのように揺らめいていたベンの姿が少しだが固定された。僅かながらはっきりした目を、朝彦は真っ直ぐに見つめる。


「大丈夫、ジェンナは俺が守るよ。だから、ベンはもうゆっくりしなよ。大丈夫だから。約束する」


 言葉に力を込めて告げれば、ベンは沈黙したままじっと朝彦を見返してきた。しばらくの間無言で見つめ合っていると、ベンのおぼろげな両手が朝彦の空いた手を包むように掴む。


【……まも、て……アサヒ、コ……ジェンナ、さま。おやさ、しい……おじょう、さま……】


 もう一度「約束する」と力強く答えると、ベンは安堵を浮かべて溶けるように姿を消した。それを誄歌(るいか)偲手(しのびて)を打って見送ってから、朝彦は改めてジェンナと向き直る。


「大丈夫? 体に変な感じしてない?」


 魂を持つものは幽霊に纏われると悪影響が出やすい。それを案じると、ジェンナは青い顔のまま首を振った。


「……あの人は……?」


 心配そうにぼそりと尋ねるジェンナの視線は下がったままだ。朝彦は重い気持ちを払うように逆に空を見上げる。木漏れ日を差し込ませる枝葉の間からは、場違いなほど晴れた空が覗いていた。


「この世界でもそう言うのかは分からないけど、黄泉(よみ)の国――死者の国に旅立ったよ。大丈夫、ちゃんと安らかな気持ちで向かえたから」


 正直危うい状態だったが、とは口にしない。


 神凪(かんなぎ)の息子として神通力に恵まれた朝彦の目でも、完全には捉えきれなかったベン。それは、相当魂を消耗していたことを証明している。


 死者の魂は速やかにあるべき場所に帰らねばならない。そうしなくては、魂をすりきらせて消滅するか、魔性へと転化してしまうのだ。ベンは前者であり、どれだけ長い間そうしていたのか分からないが、先程は消える直前であった。間に合ってよかったと、心からそう思う。


「――そっか、なら、よかった――」


 両目に涙を湛え、ジェンナは朝彦の胸に飛び込んだ。どきりとするが、かたかたと冷え切った体を震えさせる彼女を見ると、そんな下心も霧散する。慰めるように抱きしめると、ジェンナはさらに朝彦に身を寄せてきた。吹いた風に揺らされた木々のさざめきだけが、二人の間に音をもたらす。






 顔を真っ赤にさせたジェンナが朝彦から離れたのは、それから十分ほど経ってから。その顔につられて朝彦も頬を赤くし照れた笑いで頬を掻く。


 お互いに顔を見られず何とも言えない空気が場を満たした。ややあって、ふたりはちらりとお互いに目を向ける。同時にぶつかり思わず顔を背けるが、結局ゆっくり顔を戻し、揃って笑みを浮かべた。


「な、何かごめんね。はしたない真似しちゃって」


「い、いやいや、全然! むしろ嬉しかったから」


「え」


「役に立てて! 役に立ててさ! うん!」


 何言ってんだ俺ぇぇぇぇっ! 心の中で頭を抱え、自分の迂闊な発言に朝彦は全力でツッコんだ。頼むから気持ち悪いと思われませんように。冷や汗の浮かぶ笑顔を空に向けそう願う朝彦は気付かない。一瞬嬉しそうな笑顔を浮かべてしまった自分を恥じて、ジェンナがよりいっそう赤い顔をしていることに。


「そっ、そういえば、アサヒコの能力は戦うことに使えるだけじゃないんだね」


 恥ずかしさを追い払うように、少し大きめの声でジェンナは気になっていたことを口にする。視線はまだ下を向いたままだ。一方の朝彦も視線を上に向けたまま応対した。


「う、うん。というか、神通力は迷子になった魂を黄泉路に導くのが本来の使い方なんだ。攻撃に使うようになったのも割と早い頃らしいけど、俺は送るのに使う方が得意。……そのせいで駄目な奴扱いだったけどね」


 朝彦が「役立たず」と言われていた所以(ゆえん)はここにある。


 神凪本家が周囲から求められ自らも行うべきと自負しているのは、宿った神の力を最大限活かす退魔の仕事。先程朝彦がしたように声をかけて送る仕事は、分家やそれ以外が行うものとされている。


 にもかかわらず、朝彦は未だに魂にもたらされた神の加護を戦いの場で本格的に発現出来ていなかった。過去最大に引き出せたのが家出中の狩りの最中だというのだから、宗一郎が盛大なため息をつき菊蔵が大笑したのも無理は無い。自らの神通力だけは十分使えていたのが、ギリギリ朝彦の立場を保たせてくれていた。


「そんなの変! 死に切れなくて辛い思いしてる人を送ってあげてるのに駄目だなんておかしいよ!」


 聞き捨てならんとばかりにジェンナは両手を握り締めて朝彦を強い目で見上げる。逆立った柳眉が(かも)す怒りが自分を越えた先に向けられていると分かり、朝彦の胸は自然と温かくなった。


「サンキュー、ジェンナ。俺ジェンナのそういうトコ好きだわ」


 胸の温かさに引き摺られるままぽろりと本音が口を伝う。耳に入った言葉にジェンナは我に返ると同時に蒸気が出そうなほどに赤面した。今何と言った、と見開いた目で朝彦を見上げるが、その彼もまた、自分今何言ったとじわじわと赤くなっていく。


 結局その日はお互いにそれ以上顔を合わせているのがいたたまれなくなり、どちらからともなく解散を決めた。ジェンナが帰路につくのを見送ってから、朝彦は街道に向かう――ことはせず、森のさらに奥へと向かう。


(ずっと気になってたけど、そろそろ本格的に調べた方がいいよな)


 朝彦がこの森にはじめて来た時は気付かなかったのだが、ハンターとして森を歩くようになってから気になり始めたことがあった。それは、森のあちこちに幽霊が彷徨っていることだ。


 見つけ次第黄泉路に向かう手助けはしているのだが、まるでどこからか漏れているように次から次へと現れる。一度眠ったものが再び目覚めた、というより、眠ることが出来なかったものが詰め込まれた場所から徐々に溢れている、という方が印象的には合っていた。


(……もしかしたら、ジェンナの秘密にもつながってるかも、なーんて?)


 ジェンナの秘密。はじめて彼女に会った時に疑惑を抱き、この一ヶ月で確信に至った〝それ〟も、もしかしたらこのことに関係しているのかもしれない。


「今の所疑わしいのは厳しいっていう父親だよなー」


 誰に言うでもなく呟く。この死霊の数と、ジェンナの状態。朝彦が頭に描くオルコット家当主はごつく厳つく残虐な、絵に描いたような悪党になっていた。


「――まあ、その辺りはおいおいってことで、今はこっちの皆様のお相手かな」


 茂みを抜けた先は、重なった枝葉に阻まれ光があまり当たらない薄暗い場所。そこには先程のベンと同じ、あるいはもう少し軽い症状の者たちが五、六人ほどいる。朝彦は自身に守りの術をかけ、それらを一体ずつ札で隔離した。せめて日が暮れるまでは、と、朝彦の説得は始まる。



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