第二話 「暗雲立ちこめ」①
月の光すら届かない暗闇の中、ジェンナは蹲り、目蓋をぎゅっと閉じて両耳を強く塞いでいた。それでも容赦なく届く、文字通り血を吐く叫び声。助けを求めるそれに、ジェンナにしてやれることなど何もない。
だからオルコットは、ここに近付くなと言ったのに。何故欲を出してこの場に来てしまうのか。
自分は悪くないと言い聞かせるように、ジェンナは何度も心の中で「忠告を聞かない方が悪いのだ」と唱える。口を伝って出そうな悲鳴も嘆きも謝罪も、全て心の奥底にしまいこんだ。表に出そうものなら、「コイツ」はただその絶望を喜ぶだけだから。
ジェンナの魂を縛る黒い影は、生を手放した肉塊を前に、奇声にも似た笑い声を立てる。肉塊に手が伸ばされると、ずるりと柔らかいものが引き出された。それはほんの僅かな間も空けず開かれた口へと落とされる。
満足したそれが戻っていくのに引き摺られ、ジェンナもまたそこから去った。背後を一瞥することすら出来ない自分を、ひたすらに悔やみながら。
「アサ、そっち行ったぞ!」
草むらの向こうからの大音声に、木の上に待機していた朝彦は弓を構える。ぐっと引き絞った矢が狙うのは茂みの終わり。
ふた呼吸分待った後、矢は鋭い勢いで何もない地面へと放たれた。それが地面に近付いた瞬間、茂みから背中に剣を突きたてられた、針のように逆立つ毛を持つ大型の獣が飛び出してくる。矢は過たずその額に突き刺さり、獣は短い悲鳴と共に絶命した。
「おっし!」
枝の上で朝彦はガッツポーズをとる。その足下ではわらわらと仕事仲間が集まり始めていた。
「大型のグレンブ討伐、っと」
「いい針だな。こりゃ高く売れるぞ」
「ちょっと、ぶっ刺されたんだからあたしに多く分配してよね」
「エイミーは飛び出しすぎただけだろ~」
「朝彦、お前も降りて来い。仕留めたのお前なんだから、欲しい所あれば言っていいぞ」
呼ばれた朝彦は、弓を背中の矢筒に引っ掛け、下の仲間が「お前は猿か」とからかうほど俊敏に木を降りる。神通力も神力も使用していない、朝彦本人の身体能力だ。一人で狩りをする時や強敵を相手にする時は余裕などないので迷わず使うが、複数人いて、かつ強敵ではない場合は技術の向上もかねて使わないようにしている。
複数人いる時のもうひとつの大きな違いといえば、獲物の分配方法だろうか。
複数人で狩った場合の分配方法は二通りある。ひとつはその場で切り分け後ほど個々人で換金するやり方。もうひとつは一旦仲介人――ギルドと呼称される――に獲物を渡し、それに見合った金額を受け取る方法。朝彦は自分と同じ、その日の食事とある程度の金銭を得ることを目的としている者たちと組んでいるので、分配の方法は主に前者だ。
「えー、まーたアサが最初? ちょっとみんな新人に甘くない?」
唇を尖らせたのは朝彦より少し背の低い赤髪の少女・エイミーだ。年は16歳と朝彦より二つ年下だが、朝彦よりもハンター歴は長い。彼女からの「新人」扱いは仕方ないと朝彦は考えている。年下の先輩というものは仕事先にはいるものだ、と年上の友人も言っていた。
「甘いも甘くないも、実際アサヒコがとどめさしてるんだしね~」
「おめぇだって自分が最後の一撃入れた時は『あたしが仕留めたんだからあたしが多めに貰う!』って騒いでんだろうが」
朝彦が反論しようともしないのを分かっているので、先に金色のさらっとした髪をした男性・アントンと、ごつい筋肉をまとった壮年男性・マリオがエイミーを諫める。目に見えてエイミーが不機嫌になっていくと、朝彦はぽんぽんとその肩を叩いた。
「俺はみんなと同じでいいよ。みんなのおかげで仕留められたんだし、エイミーなんて俺が危ないって思って飛び出してくれたもんなー」
ちゃんと見てる、ちゃんと分かってる。笑顔にそう込めて見下ろすと、エイミーは勝ち誇った笑みで朝彦の腕を取りアントンとマリオに指を突きつける。
「ほーら、アサはちゃんと分かってるじゃない! アントンもマリオもレディに対して気遣いが足りないのよ気遣いが」
べーと舌を出すエイミーに、アントンとマリオは「どこがレディだ」と肩を竦めた。
「レディならもうちょっとお行儀よくすることを勧めるよエイミー。さ、じゃあ配分はいつも通りってことで、切り分けるぞー」
調子に乗るエイミーにさらりと苦言を呈してから、このメンバーのリーダー格に当たる男性・ジョゼがナイフを取り出す。各々が返事をし巨大なハリネズミのような生き物・グレンブと改めて向き合いだした。自分も、と狩猟ナイフを引き抜こうとした朝彦の頭を、最後の一人がぐしゃぐしゃと撫で回す。
「ちょ、力加減! 力加減してケーゴさん。俺の自慢の髪が!」
「男が髪が自慢とは。時代も変わったな」
そう言って笑ったのは黒髪の男性・ケーゴだ。他のメンバーが明らかに外国人の顔立ちをする中、彼だけはアジア人、それも見慣れた日本人の顔立ちをしている。初めて会った時思わず「アーユージャパニーズ?」と問いかけてしまい、「日本人と思ってるなら日本語で尋ねろ」と苦笑されたのは良い思い出だ。
彼は横山 圭吾という名の、れっきとした日本人である。聞いたところ終戦直後の時代から迷い込んできたらしく、家族も友人も亡くなった世界に帰る理由がない、とそのまま15年この世界に居座っているとのことだ。来たばかりの同郷人、ということで、朝彦のことは何かと気にかけてくれている。このハンター集団に朝彦を誘ってくれたのもケーゴだ。
頼りになる兄貴分に唯一困っていることがあるとしたら、こうしてよく頭をぐしゃぐしゃにされることだろうか。それでも強くやめてくれと言えないのは、亡くした幼い弟が、生きていれば自分くらいの年だったということをマリオから伝え聞いたせいだろう。
構って満足したらしい。自分のナイフを引き抜き同じくグレンブに向かったケーゴの背中を見送ってから、朝彦は自分の狩猟ナイフを引き抜いた。じっと鈍く反射する刃を見て、しみじみと過ぎた日々を思う。
(もう一ヶ月かー)
朝彦がここ、エスピリトゥ・ムンドにやって来て早くもひと月が過ぎた。突然現れた異邦人に耐性のありすぎる住民たちは、少しでも早く生活を安定出来るように、と細々とした仕事を頼んでくれる。小銭稼ぎにしかならないようなものがほとんどだが、仕事を行うたびにポポルの町に、ひいてはこの世界に慣れていくことが実感出来た。今では町の半分近くが朝彦の顔見知りだ。この交流範囲の拡大速度が自分のコミュニケーション能力のおかげだとは、今のところ朝彦は自覚していない。
収入は少しずつ安定してきているので、現在はギルドではなくギルドから紹介された安宿に泊まっている。仲間たちからは見事全員から「うちに泊まってもいいんだぞ」との言葉を得ているが、自分の力で生きる、と決めてやってきた朝彦だ。必要以上に頼るわけにはいかない、とそれらは全て断っていた。
「こらアサー? ちゃんと手伝わないと取り分やらないぞー?」
額の汗を拭いながら顔を上げたジョゼにせっつかれ、朝彦は慌てて解体の場に参加する。
しばらくして、グレンブだったものが肉と内臓と皮と針とそれ以外に綺麗に分割された。周囲には血が散乱し、鉄の匂いが充満している。気の弱い者なら五度は嘔吐している現場だ。だが食べるため、生きるためだと理解している面々は、堪えた様子を微塵も見せない。
「みんな片付けちゃんとしてくれよ。血は仕方ないけど、切り落としとかそのままにしてるとご当主殿に怒られるから」
ジョゼが捨てるための厚めの皮袋を地面に置く。それぞれが返事をし、近くに落ちている木っ端を拾い集めてはその中に収めていった。
「前まではもうちょっと緩かったんだがな、代替わりしてからのご当主は厳しくて仕方ねぇ」
ぶつぶつとマリオは昔を懐かしむ。近くで皮の端を拾っていた朝彦は、この地に来た日ジェンナが「厳しい人」だと言っていた父親を思い出した。やっぱり厳しい人なんだ。それはバレたら大変だろうな。しみじみと思っていると、アントンが「そうでもない」とマリオの独り言に口を挟む。
「元々規制が厳しくなったのは魔物の方を狩りに来た馬鹿たちが必要なものだけ取って残りをそのまま放置していったからだしね。死体が増えすぎたせいで一時期屍肉食動物が森に入り込んでたじゃん?」
記憶にあるのか、朝彦以外は「あー」と声を上げた。
「そういえば、その馬鹿どもこの間ついにこの森での狩猟許可取り下げられたらしいよね。再三に渡る注意を無視して湖の方に近付いたから、って」
「何?」
エイミーが思い出したことを語っていると、ケーゴが聞き捨てなら無いことを聞いたと言わんばかりに眉を寄せる。何よ、とエイミーが聞き返すと、ケーゴは顎に手を当てた。
「昨日の夕方、そいつらと会ったぞ。大荷物抱えてて、どうしたのか訊いたら、ここに大物を取りにいくとか」
うげっ、冗談だろ、勘弁してくれ。それぞれが告げられた言葉に辟易する。
「どうしたの?」
何事か分からない朝彦が尋ねると、ケーゴは肩を竦めた。
「二年位前かな。許可なく狩猟を行う者が増えるなら全員の許可を取り消す、とオルコット家からギルドに通告があったんだ。基本的にみんなそれを守ってるし、違反しようとする者がいたら止めるようにしてる。ただ、どうしてもその目をかいくぐる奴はいるんだ」
期せずしてとはいえ自分もそのひとりである朝彦は引きつった笑みで視線をそらせる。つくづく最初に出会ったのがジェンナでよかった、と思わざるをえない。ハンターや別のオルコット家の者だったら今頃どうなっていたことか。
「まあ、この件はギルドに報告して、みんなに通告してもらおう。俺たちも見つけたら捕まえる、ってことで」
ジョゼの提案を最後に、一同は帰り支度を始めた。それぞれ荷物やゴミを持ち上げる中、朝彦は自分の分の荷物を持ち上げると嬉々とした様子で皆と逆方向を向く。
「じゃあ俺、用事があるんでこれで!」
そそくさと去っていく朝彦を「遅くなるなよ」という言葉で見送り、ジョゼたちは街道へと向かった。
「アサはいっつも誰に会いに行ってるんだろうね?」
「別のパーティの女の子じゃない? リサとかシンリーとかもこの時間こっち来てるし」
「楽しそうにしてるけど、エイミー魅力で負けてるってことだよ~? ぶへっ」
「おうエイミー。鳩尾はやめてやれ鳩尾は」
「魔物と規定に気をつけてれば誰と会ってても構わんけどな」
最初の頃は気にしていた面々も、後に残っても必ず帰ってくることが続けば日常として受け入れられる。今では朝彦の密会相手が誰か、と盛り上がるのが帰り道のネタのひとつだ。
「あ、そういえば」
エイミーからのきつい肘鉄を鳩尾に受けたアントンは涙目になりながらケーゴを見やった。
「アサヒコにもう教えてあげたの? この森よく人が消えるって」
物騒な単語に他の四人はぴくりと言葉を消す。ややあって、答えたのはケーゴでは無く前を歩くジョゼだった。ジョゼは苦い顔で笑う。
「この森で消えてるって確定したわけじゃないからなー。それに、変に話してアサが怖がっちゃったら可哀想だし」
そっかー、とアントンは納得したように頭の後ろで手を組む。そのまま別の話をはじめて帰途に着く一団の中、ケーゴだけは心配になってそわそわと後ろを気にし出した。
アントンの言葉は、ハンターたちの間でまことしやかに囁かれる噂だ。実際、多いとも少ないとも言いがたいハンターや密猟者、あるいはただの観光客が姿を消している。この森に行く、という言葉を残して。
しかし自警団による探索でも探知魔法による探索でも、人はおろか死体すら見つかっていない。結局噂は噂で、この森の外で何かに巻き込まれた、というのが一応の結論とされていた。
ケーゴも自身の経験からこの森にそんな凶悪な魔物が出歩いているとは思っていないし、大変厳しいがオルコット家がそんな悪事に手を染めるとも思っていない。
だが、ここはあらゆる世界からあらゆるものが流れ込んでくる世界。絵本に描かれる怪物が街角から現れてもおかしくないのがエスピリトゥ・ムンドだ。心配になって踵を返しかけるケーゴを、気付いた仲間たちが声を揃えた一言で留める。
「「「「あんまり構いすぎると避けられるぞ」」」」
可愛い弟分にまだ離れて欲しくないケーゴは、結局仲間たちと共に街道に向かうのであった。




