第一話 「出会い」②
木々のさざめきと川のせせらぎ中に混じったのは、火が爆ぜる音と肉が焼ける音。辺り一面には香ばしい匂いが広がっていた。
「アサヒコは凄いねー。一人で倒せるし一人で血抜きも捌くのも出来るんだ」
川辺の大きな石に腰掛けていたジェンナは、目の前の光景にただただ感心を示す。焚き火の前で胡坐をかいている朝彦はドヤ顔で自分を親指で差した。
「家出した時しばらくマタギの爺ちゃん所で世話になったからね。色々仕込んでもらいました」
マタギについて疑問を持ったジェンナに回答しつつ、朝彦は時々枝を回し肉の焼け加減を調整する。
食用にすることは可能、との回答を得た朝彦は、重い獣を重い足取りで何とかここまで運んできた。とはいえ、ひとりで運べたのは通常の猪よりもずっと小柄であったからだ。もう少し大きかったら、神通力の切れている今の朝彦が運ぶなど到底出来なかっただろう。
捌く時も吊るすのに苦労したが、サイズのおかげで何とかそれも出来た。さすがにいい所のお嬢さんの前で行うのは憚られたので場所はここから少し外れた所だが、生肉を持って現れた朝彦をジェンナは動揺することなく迎えてくれた。そういえば死体にも動じてなかったな、とその時改めて思ったものだ。
「おし焼けた。ジェンナ食べられる?」
一本枝を差し出すが、ジェンナは両手を胸の前に出して首を振る。
「私はいいよ。さっきご飯食べてから外出てきたし」
先程時間を聞いたら大体午後の二時くらいだと教えてもらった。それは確かに昼食は済んでいる時間だ。一方で納得し、もう一方で首を傾げ、朝彦はこんがりと焼けた肉を食む。
「じゃあ、そろそろ話始めてもいいかな?」
細めの枝を手に取ると、ジェンナは教鞭のようにそれを持ち上げた。朝彦が体ごと彼女に向き直り口を動かしながら頷くと、枝の先端は土の方へ向く。
「まず、この世界はさっきも言ったとおり、創霊様っていう高位の存在によって創られた世界。色んな世界とつながっているから、人とか物とかそれ以外とかが、よく迷い込んだり自分から来たりするの」
ざりざりと音を立てて枝がいくつかの円を描く。その中央の大きな円の上には何やら文字が書かれるが、さすがにそれは読むことが出来なかった。
「えっ?」
そう思った次の瞬間、朝彦は書かれた文字が「エスピリトゥ・ムンド」という世界の名前を表していることを認識する。目をこすって再度見直すが、やはり字は読めないまま。なのに、意味は頭の中に入ってくる。
「あ、そっちの説明先にしようか。今、文字が読めたことに驚いたんだよね?」
慣れた様子で問われ、朝彦は地面を見ながらこくこくと頷いた。言葉が出てこない。
「この世界には創霊様の加護が満ちてるの。他の世界の人たちが来ても、相手とコミュニケーションを取ろう、理解しようとさえ考えていれば、認識が修正されて聞くのも読むのも出来るんだよ。私とアサヒコが使っている言葉は違うけど、お互いに認識出来るのはそういうこと。だからたとえば、○×■△×♪%○&#★□▲」
「え? 何?」
突然ジェンナの言葉が理解出来なくなり、朝彦は驚いて顔を上げた。くすくすと面白がったように笑っているジェンナにはこちらの声が届いているようで、朝彦は一層訳が分からないという顔をする。
「ふふふ、ごめんね。『そういえば今日の夕ご飯なんだろうなぁ』って言ったの」
「何で急に夕飯の話……あ、タイム分かった! 伝え気があるかないかだ!」
ぱしーんと早押しボタンが手元にあるかのような動きをして答えると、ジェンナはまったく同じ動作をして「せいかーい」と返してきた。流石に早押しボタンの存在は知らないらしい、と変な知識が増える朝彦である。
「こういうことだから、アサヒコもこっちの人に聞かれたくない話はニホン語でするといいよ」
日本語で話そう、と意識しているとそっちになるから。補足されるが、朝彦は肩を竦めて笑った。
「そんなこと言っても日本語で喋る相手なんか――」
「アサヒコにぶーい」
ぺちぺちと枝の先が朝彦の手の甲を叩く。何が、と首を傾げると、ジェンナは指を一本立てた。
「私は、生まれた時からこの世界にいます」
「はい」
「その私が、異世界であるニホンやアメリカ、イギリスの名前を知っているのはどうしてでしょう?」
「――あっ」
目を瞠り、朝彦は再度の高揚感に包まれる。理解したらしい朝彦にジェンナはにこりと笑いかける。
「そう、この世界には、すでに何人ものニホン人がいます。もうちょっと言うと、ニホン以外の、ニホンと同じ世界にある国の人もね」
地面に枝が踊り、新たな図が追加された。逆向きの扇形をしたそれの上には「大陸」「エスピリトゥ・テレノ」と書かれる。
「これが私たちのいる大陸。この世界には今の所この大陸しかなくて、国はひとつだけ。王様が代わるたびに大地が増えるそうだから、大陸はいつか増えるかもね。でも、国は創霊様のご意思の元、世界が滅びるまで一国のみだって言われてる。それで、国はこんな感じで七つの領に分かれてるの」
扇の要部分に一本の横線が引かれた。その横線の中央付近から垂直に一本、その線と重なるように×を描く。要側に近い方が領地が小さく、遠い方が大きい。出来た区分に、要部分から反時計回りに番号が振られた。
「一番は王属領、二番は『エルフォアレ領』、三番は『レアンドラ領』、四番は『ヴァレリオ領』、五番は『ヒメナ領』、六番は『ナタリオ領』、七番は『シシレア領』。で、今私たちがいるのは、このシシレア領。の、この辺」
扇の要より下部分、縦線を挟んで右側一番上、七番の区分の部分をぐりぐりと掘ると、ジェンナは矢印を書いて次の図を描き始める。
最初に描かれたのは家。注釈で「オルコット」と書かれたのでジェンナの家だろう。
その周りに、大きな円を含んだ「セージョの森」と名前が入った森が描かれた。
森から少し離れた位置にいくつかの家が描かれ、上には「ポポルの町」と書かれる。
オルコット家と町の間、森の下部に弧を描くように線が引かれると、その上には「道」と書かれた。
「私の家は森の中。うちはこの付近の地主でね、この森も、さっきも言ったけど、うちが管理してる森なの。とは言っても、色々手付かずになってるから、道になってる部分以外は通らない方がいいよ」
今更だけどね、とジェンナはころころと笑う。
「はい身を持って体験しました。――で、そう言うジェンナも道以外歩いてたわけだけど、大丈夫なの?」
次の肉に手をつけながら朝彦が尋ねると、ジェンナは少し沈黙してから口元に手を当てて軽く歯を見せた。
「大丈夫だよー。でも大丈夫な理由は秘密」
んふふー、と笑うジェンナに「何だそれ」と笑いつつも、朝彦は〝その状態〟なら確かに大丈夫だろうな、と内心でひとりごちる。
「アサヒコもずっとこの森にいるわけにもいかないだろうから、このポポルの町か、その隣のトツノワの町に行ったらいいんじゃないかな? 私がさっき言ってたニホン人とか、それ以外の同じ世界の人は、大体ここで会った人だから」
地面の地図がさらに増える。言葉通りポポルの町の隣――オルコット家とは逆の方向――に描かれた町には、上に「トツノワの町」と書かれた。
曰く、50年以上前に迷い込んだ日本人の集団が何もない場所に集落を作り、そこに徐々に人が集まってきて出来たのがこのトツノワの町らしい。人の足ではそれなりに時間がかかる場所にあるが、馬車であれば一日二日でたどり着く、とジェンナはさらに説明を補足する。
「挨拶はこうね……トゥーリーニャーン!」
にっこり笑って軽く首を傾けたジェンナ。その右手は軽く握られ、人差し指と小指は付け根が伸びた状態になっていた。見ようによっては猫に見えなくもない形だ。
意味は伝わってこないが、そういう単語なのかもしれない。朝彦は同じような形を手で作ると、ジェンナに負けないくらい朗らかに笑う。
「トゥーリーニャーン! ……これでいいかな?」
元の世界でもノリが良い方に入る朝彦が照れることなく実施すると、ジェンナは満足そうに頷いて両手をぐっと握り締めた。
「うん。これで実際にやったらぽかんとされるよ」
「マジでー? よかったー……こら」
伸びた指先がジェンナの額を軽く弾く。それを機にジェンナの笑いの堤防が決壊した。声を立てて楽しそうに笑う様に、朝彦も釣られて笑い出す。
しばらく笑ってから、朝彦は重要なことを思いだして「ちなみに」と話を変えた。目の端に浮かんだ涙の粒を指先で拭うジェンナは促すように彼に視線を向ける。
「この世界の金銭的なあれは――」
「ちゃんとこの世界専用の貨幣があるよー。ただ、よその世界から来た人なら、国の施設に行けば元の世界の貨幣を両替してもらえるようにはなってるの。アサヒコももし元の世界のお金持ってるなら変えてもらえば――どうしたの?」
話の途中からすっかり頭を抱えてしまった朝彦。ジェンナは少し身を乗り出し、指先で彼の肩をつつく。その可愛らしい動作に少し救われながら、朝彦は搾り出すような声で彼女の疑問に答えた。
「……どうせ使えないだろうと思って……全額旅の準備に使っちゃった……」
まずどう生き残るか、サバイバルばかり考えていたものだから、まさか金銭が有効だとは全く思っていなかったのだ。こんなことなら少し残しておくべきだったと今更ながら後悔する。
「アサヒコ落ち込まないでー? 大丈夫だよ、よそから迷い込んだ人にはちゃんと協力するようになってるから、しばらくは支援してもらえるよ」
石から降りて朝彦の前にしゃがみこんだジェンナは必死で励ましてきた。しかし、ふるふると震え目の端に涙を湛える朝彦は重要な点を聞き逃さない。
「ジェンナさんや、俺、自分の意思で来ました。これでも『迷い込んだ』適用される……?」
「あー……人数が多すぎるから、死ぬ直前くらいまでいかないと……」
適用されないらしい。物騒な状況に朝彦は再び頭を抱える。
「うーーん、どうしよう。本当ならうちに招待したいんだけど、私は――ううん、うちのお父様厳しいからなぁ。今もこっそり抜け出してきてるから『森で会った人をおうちにおいてあげて』なんて言えないし……」
両手で顎を支えてジェンナまで悩み始めた。すると、何か思いついたのか、ジェンナが「あ!」と大きな声を出して立ち上がる。
「アサヒコ、狩猟は出来るんだよね?」
「うん、それは結構得意。俺の神様狩猟の神様だし」
頭の中が半分逃避したまま答えたものだから言わなくてもいいことまで口にしたのだが、朝彦はそれに気付かない。ジェンナは一旦不思議そうな顔をしたが、朝彦の状態を鑑みて問い返すことをせず話を続けた。
「じゃあ、この森の動物や魔物を取ってそれを売ったらどうかな? 牙とか毛皮とかお肉とか、結構お金になるらしいよ。隣の町で仲介と小売業やってるおじさんがいてね、その人を通したハンターさんがよく森に来るの」
ジェンナは自身の家が所有するこの森で行われている商売について簡単に説明する。
まず、森に入る場合はオルコット家の許可を取る必要があり、何かを採取したり狩りを行う場合はさらに別の許可が必要になる。その許可は、オルコット家が自ら依頼した相手、もしくは件の仲介業の男を通し申請してきた相手にのみ降りることになっている。いくつかの条件さえ飲めば、誰にでも取得出来る許可らしい。注意点は、仲介を使用した場合は、許可の取得料をオルコット家に支払う必要があることだ。
「え、つまり許可なく森に入った挙句猪狩った俺は有罪?」
「移動先は選べないからそれは仕方ないよ。角猪は………………残っちゃう部分は埋めちゃおう」
言外に「よろしくない」と込めながらの提案に、朝彦は素直に頷くことしか出来なかった。
「あ、アサヒコ。おじさんにも言われると思うけど、私からも言っておくね。この森の、この付近には絶対に近付かないで」
言いながら一歩下がったジェンナが示したのは先程描いた森の図。その中の、大きな円だ。
「ここは湖なんだけど、オルコット家以外は絶対誰も近付いちゃ駄目な場所なの。ここに近付くとすぐにばれちゃうから、二度とこの森に入れないようにされちゃうからね。気をつけて。――絶対、だよ」
下から強く見上げてくるモスグリーンの眼差しは、出会ってからこれまでで一番厳しい光を灯している。
「分かった」
朝彦はすぐにそれに頷いて見せた。何故、などと訊くべきではない。駄目だと言われていることにはそう言われる理由があるものだ。生家の仕事で嫌になるほどそのことを学んでいる朝彦には、「駄目なこと」に明確な理由は必要ない。
あまりにもあっさり朝彦が頷くので冗談だと思われているのかと一瞬ジェンナは訝しむ。だが、朝彦が注ぐ視線が真面目なものであったことから、すぐに先程までの柔らかい表情に戻った。
「それじゃあ、この世界の説明はこんなところ。来たばっかりだ、って言えばおじさんが寝床のお世話くらいはしてくれると思うから、今日はそっちにね」
散歩気分で歩いても一時間ほどの距離だ、と言われ、朝彦は空を見上げる。木々の間から見える空はまだ明るく、ジェンナが言うにはあと三時間は明るいままらしい。
「もう少しくらいならゆっくり食べてていいよ。それで終わったら、残った部分片付けて、街道まで案内するね。あとは道に沿って歩くだけ。ということで」
再び大きな石の上に腰を下ろすと、ジェンナは揃えた膝の上に両腕を置いて少し身を傾いだ。
「私、こんなにたくさんお話するの久しぶりなの。だから、食べてる間、アサヒコのこととかニホンのこととかお話して?」
愛くるしい笑顔でねだられれば嫌だなどと思うはずもなく。朝彦はにやけそうな顔を懸命に引き締めて、少しでもイケメンに見えるような笑顔を作ってそれを受け入れる。




