終話 「彼は未来に夢を見る」
湖のほとりに立てられた木の小屋の前にある切り株に、朝彦は腰を下ろしている。
「じゃあな。あんたの黄泉路が平穏であることを祈ってるよ」
見送ると、恨みを手放した霊は笑顔を残して空に旅立った。それを見上げて見送っていると、不意にがやがやと賑やかな声が聞こえてくる。
「あ、いたいた。アーサ~、獲物分けに来たよ~!」
大きく手を振っているのは先頭に立つエイミーで、斜め後ろのアントンも手を振っていた。彼女たちの背後にはジョゼ、ケーゴ、マリオもいる。
「おー、サンキューみんな」
切り株から立ち上がり仲間たちを迎えると、エイミーが手に持っていた少し大きめな皮の袋を渡してきた。受け取れば、手にはずっしりとした重みが感じられる。中身は本日の獲物で、五人が獲って五等分したものを少しずつ分けてくれたものだ。
「分けてくれて助かるよ。本当は自分で狩りに出るべきなんだけど――」
「無理しなくていいんだよアサ。こっちのお役目だって十分忙しいだろ?」
恐縮した様子を見せる朝彦の背中を、ジョゼは朗らかな笑みを浮かべて軽く叩いた。
「何せ神の加護を持つ霊能者だからな。サマンサ様が雇い入れたのも分かる」
何度か頷きながらケーゴが納得を示してしみじみ呟く。
かつてこの湖に封じられていた魔物を退治してから、早くも二週間が経過した。
件の戦いの後朝彦がまず行ったのは、囚われている魂の解放。サマンサの協力の下緩められた封印からは、悪霊化せず魂をすり減らしていただけの霊たちがまず解放された。
建御名方神の助力の元開かれた霊道を魂たちが滑り行く様は、現実では光の球となり、幻想的な光景は多くの者から言葉を取り上げた。
それでも、400年――あるいはそれ以上の間溜め込まれ続けた多くの魂は、簡単には黄泉路につけない。中には悪霊化してしまっているものもいる。
朝彦は、それを解放することをその場で宣言した。
彼の決意に応じて「うちで雇うからここ住みなさい」と言ってのけたのはサマンサだ。祓うことに専念したいが生活もかかっているからハンターはやめられない、と思っていた朝彦にはありがたい申し出。一も二もなく飛びついた。
そこで縁が切れるかと思っていたジョゼたちは、「これも縁だから」と狩りをするたび獲物の分け前を持ってきてくれる。朝彦の礼は言葉と、神社で使われる意味でのお祓いのみなのだが、後者が思いの外好評なので、一応は等価交換となっていた。
「それにしても、この小屋に来てもう三日だっけ? サマンサお嬢様も人遣い荒いよね~。お屋敷じゃなくてこんな小屋なんて」
「おーアントンよぉ」
笑って軽口を叩くアントンを隣のマリオが太い指先で叩く。何? と振り向いた次の瞬間、アントンは真っ青になりマリオの巨体に身を隠した。――今更遅いのだが。
「随分人聞きが悪いですね、アントン・グラーツ」
がさりと草を踏む音に、厳しい響きの少女の声。一同の視線は音のした方向へと集まる。そこで腕を組み仁王然と立っているのはサマンサだ。後ろには彦次郎が控えていた。
「元々私は、うちに住み込みでここに通ってもらうつもりだったのですよ。なのに移動の時間が惜しいから湖の近くに野宿する、なんてアサヒコが言い出すから、わざわざその小屋を建てさせたのに」
人遣いが荒いとはどういうことだ、と言外に含まれる思いはそのまま視線にも乗る。じろりと睨まれたアントンはマリオにしがみつきながら悲鳴を上げた。
「ごごごっ、ごめんなさいサマンサお嬢様! ただの冗談です! 軽口です!」
斬らないで! と心底怯えた様子のアントンに一同は失笑する。唯一笑わなかった地主主従だが、サマンサの睨みつける視線は収まった。
「しかしあんたが件の人斬り鬼だったとはな」
ケーゴが視線を向けるのはサマンサの背後に立つ彦次郎だ。彦次郎はちらりと視線を返す。
「俺は人斬りなわけではない。あくまで人に宿る悪霊を斬っているだけだ。この世界で俺が殺した人間はいないはずだぞ」
律儀な訂正にケーゴは肩を竦めた。最後の台詞はアントンにも向けられているらしく、引きつった笑いを浮かべたアントンはそろそろとマリオの後ろから出てくる。
戦いの後知ったことだが、彦次郎は元の世界にいた時に右腕を切り落とされたらしい。今彼についている右腕の、本来の持ち主に。
それは世間を騒がせていた本物の鬼で、人の魂だけをを斬って回っていた所を、当時の神凪家の人間によって退治された。彦次郎に代わりの右腕として鬼の腕を提案したのも、神凪家の人間だそうだ。彦次郎が神凪家を知っていたのはこのためらしい。
異形の右腕は神凪家の術で彦次郎と一体化し、普段は人のそれと変わらない状態にある。だが、ひとたび解放すればそれは元の姿を取り戻す。朝彦が彼の右腕に嫌悪感を抱いていたのは、悪鬼の残り香がある腕だったからだ。
「そういえばサマンサさんどうしたの?」
この小さいながらもしっかり作られた小屋に三日前越して来て以来はじめて顔を見る。特に用事もなさそうだが、と思って問いかけると、サマンサはさらりと答えた。
「慰問よ。あとちゃんとやってるかどうか。あんたの働きに姉さまの解放がかかっているからね」
「いやそれ視察メインでしょ」
思わずツッコむがサマンサはどこ吹く風かと平然としている。
「心配しなくてもちゃんとやってるよ。俺だってサマンサさんと同じくらいジェンナに会いたいんだか――」
「サミー」
言葉尻をサマンサが自分の愛称で攫った。え、と返すと、サマンサは唇を引き伸ばす。
「サミーでいいわ、アサヒコ」
親しい者にしか呼ばせない。はっきりと宣言している彼女からの許可は、間違いなく信頼の証だった。目をぱちくりさせた朝彦は、次いでにっと歯を見せて笑う。
「俺だって、サミーと同じくらいジェンナに会いたいんだから。ちゃーんと頑張るよ」
ぐっと親指を突き出すと、サマンサは「期待してるわ」と頬を緩める。
「ご機嫌じゃんサミーお嬢様」
「サミーお嬢様が笑っているところはじめて見たなー」
「元々サミーお嬢はよく笑う娘っ子だったんだぞ。四年前からどんどん厳しくなってたけどな」
ここぞとばかりにエイミー、アントン、マリオが愛称呼びに続いた。マリオに至ってはもっと幼い時のことを知っているのでそれまで追加される。
「あなた方にも許した覚えはありません」
ぴしゃりと言い切るサマンサ。だが次の瞬間、機嫌良さげな笑みが浮かんだ。
「でも、今回はケーゴ・ヨコヤマに命を助けてもらっているし、戦力をたくさん連れてきてくれたからね。特別にサミーお嬢様で許してあげるわ。……でもマリオ・アルベス。それ以上言うならあなたは追い出すわ」
釘を刺されたマリオが「すまんすまん」と大笑する。エイミー、ジョゼが逸れに続くと、一瞬怯えかけたアントンも笑い出した。その様子を微笑ましく見ている朝彦に、隣に来たケーゴが声をかける。
「……本当に、帰らなくて良かったのか? 家族への誤解は解けたんだろう?」
ケーゴが心配しているのは、朝彦が家族との別れを撤回せずこの地に留まることを選んだこと。
彼には、詳細を伏せつつ「家族のやり方についていけなかった」ということを話していた。あの戦いの後、その考え方が間違っていた、とも彼には話しているので、余計心配してくれているのだろう。何せ、ケーゴは自分の意思ではなく家族を亡くしている。生きて会えるなら、と思ってしまうのも仕方ない。だが。
「うん、家族にどうにか連絡取れないかなーとは思うけどさ、帰ろうとは思わない。俺が自分の力に意味を見つけたのはこの世界だから、この世界で役割を果たしたい。それに、ジェンナに迎えに行くって約束しちゃったしね」
約束破るなんて男らしくないっしょ? と軽口を叩いて冗談めかせば、ケーゴは「そうだな」と笑って朝彦の髪をかき混ぜた。
「あ、そうだアサ。これ、頼まれてたやつ」
談笑していたジョゼが思い出したように、腰の後ろにつけているバッグから折りたたまれていた紙を取り出す。
「おおっ、ありがとうジョゼさん!」
ぱっと笑顔を咲かせて朝彦は両手でそれを受け取った。
「あ、あたしも持って来たよ」
「俺もー。人気のデートスポットいっぱいチョイスしたからね」
「今人気の場所がジェンナお嬢が起きる時まで人気なのかねぇ。俺は上手い飯処の一覧だ」
「俺はあまり出歩く方じゃないからな、トツノワの方の情報だけだがいいか?」
ジョゼに続きエイミー、アントン、マリオ、ケーゴも次々に紙を渡していく。封筒に入っていたり何枚にも渡っていたりただの紙切れだったり縦書きだったりと、紙ひとつ取っても特徴があるなと朝彦は思わず笑った。
「何?」
近付いてきたサマンサが朝彦の手元を覗きこむ。朝彦はそれらを持ち上げてにっと笑った。
「この辺の観光名所教えてくれって頼んでたんだ。家も定職も出来たし、折角異世界来たんだからあちこち回るつもり。ジェンナが目覚めた時未だにどこも分かりません、じゃカッコ悪いしね。一年の内三割遊んで七割仕事。――許可してくれる? 雇い主様」
冗談めかして尋ねれば、サマンサは指を三本朝彦に突きつける。
「許可してもいいわ。けど、三つ条件がある」
条件、鸚鵡返しすると、指を折りながらサマンサは条件を唱え始めた。
「ひとつ、姉さまが起きた時、良かった場所は連れて行くこと。ふたつ、私にも現地の情報渡すこと。みっつ、お土産よろしく」
真面目な雰囲気を醸しながらとんでもなく軽い内容を口にされ、彦次郎は「姫様……」と呆れ、朝彦他五人は声を出して笑い出す。分かってやっていたサマンサも、声を出して笑い出した。それが四年ぶりの笑い声だと、知る者はここにはいない。
冗談を返したサマンサにハンターたちも一気に和んだのか、親しげにサマンサや彦次郎に話しかけていく。朝彦は少し輪を外れてもらった紙に軽く目を通していた。その時、不意に耳元で声がする。
『楽しみにしてるね』
反射的に振り向くが、そこには光を反射する湖があるばかり。静かに凪ぐ水面を見つめて、朝彦はふっと微笑んだ。
「――うん、楽しい所いっぱい探しておくから、期待してて」
愛しい少女に囁く声は、爽やかな風に包まれ水面を揺らしていく。
湖の底、ずれた次元の中に彼女はいる。自らの封印によって守られている彼女は、腹の上で手を組み、瞼を閉じて深い眠りについていた。唇に刻まれているのは柔らかな弧。不思議なほどに穏やかな気分の中、彼女はこの空間にいる全ての霊たちが祓われるのを待ち続ける。次に目を開けた時、愛しい人たちと対面するのを心待ちにして。
それまでのしばしの間、彼女は現に夢を見る。
了




