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第五話 「運命は奔流と共に」②



 三度目の人工的な雷が閃く。湖を背後に(うごめ)いていた巨体は、甲高い悲鳴と共に黒焦げになり地面に倒れ伏した。轟音と振動で暴れそうな馬を落ち着かせながら、サマンサはその様子を睨み付けるように見据えている。数秒後、その口からは舌打ちが漏れた。


「また……!」


 視線の先では信じがたい光景が広がっている。周囲に悪臭を撒き散らしていたはずの生焼けの肉は表面がぼろぼろと地面に零れ落ち、僅かな間を空ければ何事もなかったかのように起き上がった。


「化け物め……っ」


 視線の先でサマンサが連れて来た兵たちの猛攻を再び受けているのは、封印の解けた湖から這い出してきた魔物だ。


 短い手足は全て地面を踏み、ぶよぶよとした突起のない頭と体は僅かな凹みがあるだけで、ほとんど一塊(ひとかたまり)の楕円に近い。


 顔には側面まで伸びた大きな口があり、その中には骨のような歯が並んでいた。口の上に五つ並んでいるのは、立てたアーモンドのような形をした目。水に血を垂らしたような赤色をしている。


 血で汚れたような表皮は、黒ずんだ肌色と内臓のような赤が気味悪く混ざっており、見た目通り柔らかいようだ。兵たちが武器を振るえば、その全てが肉の内に埋まった。


 しかし痛覚がないのか、どれだけ刺しても焼かれても微動だにしない。これまで倒れたのは全て、衝撃に耐え切れなかった場合のみだ。


 サマンサは手綱を握る両手に力を込める。身の内を焼くのは、かの魔物への怒りと憎しみ、そして、何故か上手く力を使えない、自分自身への情けなさ。


 湖の封印を解くまでは間違いなく上手く使えていた。なのに、いざ魔物の力を封じようとすると、まるで何かに阻害されているように術が通らない。


 今サマンサがギリギリで封印出来ているのは魔物の動作だけだ。最初に出て来た時、巨体に合わない速度で腕を振るわれ、何人かが怪我をしている。その二撃目を封じられていることだけが、今サマンサがここにいる意味となってしまった。


 強く歯噛みすると、少し前に出ている彦次郎が前を向いたまま声をかけてくる。


「姫様、落ち着いてください。あなたならこの状況を必ず打開出来ます! お父上のお言葉を思い出されてください」


 冷静な言葉だが、その背からは抑えきれない憤怒が立ち上っていた。彼にしてみても、自分を見つけてくれたジェンナ、拾い上げてくれた先代の主、良くしてくれた仲間たちの仇だ。怒りの度合いはサマンサに劣らないだろう。


 深く呼吸をし、サマンサは彦次郎に返事をする。それから、落ち着いた思考で視線を動かす。視界に写るのは、兵たちの他に気にかけてやらねばならないもうひとり。


「――ルシオ、怖いなら目を瞑ってなさい」


 馬上から視線を落とす先には、戦いの場を引きつった顔で見つめているルシオがいる。皮の手袋をつけてむき出しの剣を握る両手はカタカタと震えていた。


 本来は連れてくる気など毛頭なかったが、本人がどうしても行く、と言い張ったので仕方なく連れて来たのだ。彦次郎は最後まで反対していたが、「過去を乗り越えたい」という彼の意思を尊重したいと、そう思ったから。


 とはいえ、この様子を見るとやはり失敗だったらしい。声をかけられたことにも気付かないルシオは、青い顔のままサマンサを見上げようともしない。仕方なく、サマンサは再び戦いの場に目を向ける。


 戦いに通じていないサマンサでも、見たところこちら側が優勢なのはすぐに分かった。しかし、倒したと思った直後あれは復活してしまう。伝えられている話の通りだ。


(落ち着きなさい、サマンサ。そんなこと予想していたはずよ。落ち着いて、どうして今力が上手く使えないのか探るのよ)


 深い呼吸を繰り返し、意識を自分の中に集中させる。


 力の解放を思えば、その力は確かにサマンサから外部へと向かっていた。馬を封じることを思えば、荒い鼻息はぴたりと止まり、解除を念じれば再び呼吸が始まる。馬に苦しげな様子などなく、呼吸だけを止めていたということもない。問題なく封じられていた。


 ならば、と封印の対象を周囲でざわめく木々に移す。数秒もしないうちに、周囲の干渉から隔絶された木々は動きを止めた。解除すれば、ざわめきは再び場に戻ってくる。


(生き物にも自然にも、封印は作用する。なのに――)


 再度魔物に意識を向けて封印の対象をかの肉だるまに移した。しかし、やはり結果は芳しくない。辿り着きはするのだが、封じようとすると何かが術を邪魔してしまう。


(あいつに封印の術は間違いなく効くはず。そうじゃなければ、ご先祖様があいつを封印出来たはずがない。私の力が弱いってこともないはず)


 実際、サマンサは18歳を向かえた今朝、自分の力がこれまでと比較にならないほど解放されたことを感じ取った。これなら勝てると確信するほど強く。


 魔物の能力でも、サマンサの力不足でもない何かがある。それが何かを、サマンサは戦場をきつい眼差しで見つめながら探り始めた。


 その時だ。不意に背後の茂みが揺れる。咄嗟に馬を返し振り返ると、同じ音に気付いた背後の護衛たちも同じ方向を向き剣や杖を構えていた。


 魔物を封じるのに全力を注ぎたいがため、周囲に封印を施していないのが裏目に出ただろうか。別の魔物や獣がきたら面倒だ。


 そんなことを考えていると、茂みを揺らしていた者が駆け出てくる。そしてその姿に、全員が言葉を失った。


「――姉、さま……?」


 息を切らせて飛び出してきたのは、見間違えようがない姉・ジェンナ。


 嘘だ、死んだはずだ、こんなタイミングで出てくるなんてあの魔物の罠に決まっている。頭の冷静な部分は、サマンサに今出てきた少女を疑うように叫んでいた。


 だがそれ以上に、四年ぶりに目の前に姉がいることを、心が喜んでしまう。見開かれた両目は、泣きそうな、恐ろしそうな顔をしている姉だけを映していた。自然と馬を進め、手はジェンナを求めるように前に出される。後ろから彦次郎が近付いてくる気配がしたが、振り返れなかった。


 一方、茂みから出てきた場所で立ち止まったジェンナは、胸の前で両手を握り締め泣きそうな顔で叫ぶ。


「サマンサ、助けて! あいつが……あいつが来るっ!」


 口を開いたジェンナから飛び出したのは懇願。記憶にあるよりやけに強張った声だ。恐らくつい先程まで、「あいつ」なる相手に恐怖に晒されていたのだ、と察せられる切羽詰った様子に、サマンサはすぐさま行動した。


「姉さま、こっちへ! お前たちは茂みから出てくる相手に警戒しなさい」


 サマンサの声にまず護衛たちがそれぞれの武器を手に陣形を取り、ジェンナはその間をふらふらと縫って駆け寄ってくる。馬から降りようとするサマンサを、隣を駆け抜けた彦次郎が制した。反しかけたサマンサだが、まだ敵の罠という可能性があることを理解した理性は、必死でそれを押し留める。


一姫様(いちひめさま)!」


 彦次郎が近くに来たジェンナに手を伸ばした。だがその手はジェンナの腕をすり抜けてしまう。彦次郎が、サマンサが、目を見開き声を失った。立ち止まったジェンナは、両手を胸の前で強く握り締めて俯く。


「……っ、ごめん、ごめんなさい。私、もう――」


 零れた涙に続く言葉は奪われた。ぽつぽつと落ちる涙は次々に地面に落ちるが、それは土を濡らすことなくふっと消え去る。彦次郎は伸ばしていた手を引くと、口惜しそうに歯軋りしてその手を握り締めた。


「関係ないわ」


 落ちる沈黙を破ったのはサマンサだ。ジェンナがゆっくりと顔を上げると、そこには真っ直ぐにジェンナを見つめるサマンサの双眸がある。


 サマンサはローブの裾を払うと身軽に下馬し、言葉を無くしているルシオに手綱を押し付けた。大股でジェンナに近付くと、サマンサはここ数年で一番穏やかな笑顔を浮かべる。


「姉さまとこうしてまたお会い出来たんだもの。幽霊だって構わないわ。本当に本当に、嬉しい」


 心から再会を喜べば、ジェンナは顔をくしゃりと歪めてぼろぼろと泣き出した。幽霊でも泣くのだと思う反面、その涙を拭えないのが心苦しい。


「でも本当にいらっしゃったのね。アサヒコに聞いた時は疑っていたけど――」


「駄目!」


 ほっとして思わず雑談を始めてしまうと、諌めるようにジェンナが叫ぶ。不謹慎だったか、とサマンサは咄嗟に唇を引き結び僅かに身を強張らせた。まだ涙目のジェンナは首を左右に激しく振る。


「駄目だよサミー。あいつを信じないで! あいつはあの魔物の――!」


 言下、にわかに護衛たちが騒がしくなった。姉越しに状況を確認すれば、先程の茂みから飛び出してきた者がいる。その姿に、サマンサは再び目を見開いた。今度頭を埋めたのは、疑問。


「――アサヒコ?」


 軽く息を弾ませて現れたのは、淡い光に身を包まれている朝彦だった。サマンサがそちらを見て固まっていると、ジェンナは再びサマンサを真剣な目で見つめる。


「サミー、お願い信じて! あいつは敵だったの。魔物とつながってたんだよ!」


 真摯な主張を前に、サマンサは一瞬浮かんだ「そんな馬鹿な」という考えを捨てた。ジェンナだけではなく、()()()()()()()()()()()()()からも似たようなことを聞いている以上、サマンサにとって朝彦は最早「疑わしい人物」でしかない。


「ヒコジ、あの男を捕らえなさい! 多少の傷は構わないわ。でも、情報を聞き出したいから殺さないように」


 鋭い命令に、彦次郎は「御意」の一言で駆け出した。「ちょっと待って」と朝彦が叫んでいるが、抜き身の刀は容赦なく朝彦を襲う。


 風を切る音と共に、鋭い刀身は翻り回避に全力を注ぐ朝彦を追い詰めた。六度目の切り返しがついに朝彦の胴体を捉える。


 が、それは服をすっぱりと切り裂くだけで済んだ。引きつった顔の朝彦は何事か伝えているようだが、聞く耳を持たない彦次郎は再び刀を繰り出す。突き出された刀を朝彦は仰け反ってかわした。絶妙だがどこか滑稽な避け方に、彼らを囲んでいる護衛からはちらほらと笑いが零れる。集中しろとばかりに睨むが、前を向いている彼らにその意思は通じない。


 不意に背後で轟音が響き渡り、振動で地面が揺れる。振り返ると、魔物が地面に転がっていた。それ以前に大きな音はしなかったので、恐らく今回は剣などの方で何かしたのだろう。


「うわっ!」


 背後からの悲鳴に、サマンサは反射のようにまた振り向く。魔物たちの方を見ていた護衛たちが同じタイミングで振り返る中、彼らの輪の中では要望通り彦次郎が朝彦を取り押さえていた。


「よくやったわヒコジ。ルシオ、姉さまをお願い」


 彦次郎たちに視線を向けたままサマンサはそちらへと歩き出す。


「はっ、はい! ジェンナ様、こっちに」


 ルシオは片手で持っていた剣を地面に差すと、震えているジェンナの手を取り馬に近付けた。ちらりとサマンサはそちらに目をやる。背を向けるジェンナは何かに耐えるように体の脇に下ろした両拳をきつく握り締め、小刻みに震えていた。そんな彼女を見上げて、ルシオは「大丈夫ですか?」と気遣わしく声をかける。ジェンナに隠れて顔は見えないが、彼の表情が眉を八の字にし情けないものになっているのが易く予想出来た。


 再び視線を戻したサマンサの足は、強く草を踏みにじるように踏み出されていく。込められているのは怒り。騙していたというのか。優しいジェンナを、素直なルシオを、そして――真面目に姉のことを頼んだサマンサを。


 彦次郎に取り押さえられている朝彦の前に立つと、朝彦は慌てた様子で弁明を始める。


「ちょっとサマンサさん落ち着いて! 何で俺いきなり襲われてんの!? 別にここに邪魔しに来たわけじゃないって。見えないかもしれないけど、ジェンナを追いかけてここまで来たんだよ!」


「見えてるわ。今はルシオの前でしょ」


 くい、と顎を動かして背を向けたままのジェンナを示せば、朝彦は両目を見開いた。何故、と心底状況についていない様子で呟かれる。その様子だけ見れば、朝彦は実は何も知らないのではないかと思わされた。だが、サマンサはもう騙されない。


 ローブについている首元の留め具を外し、サマンサはそこから手を突っ込み服の中を探る。ややあって取り出されたのは、過日朝彦が「お守りに」と渡してきた札だった。何を、と見上げる朝彦の前で、サマンサはそれを握り潰して地面に捨てる。


「あんたの札で怪我をしたって聞かされた時はまさかって思ってたわ。私はなんともなかったし、ただの偶然だろうって。――でも、本当だったとはね。あんたがあの魔物とつながってたなんて」


 まんまと騙されたわ、とサマンサは皮肉げに笑った。彦次郎の下で取り押さえられたままの朝彦はぎょっとしてじたばたと暴れだす。


「待った待った待った! マジでちょっと話聞いてってば! 俺はあの魔物の仲間なんかじゃない! 本当に少し前にこの世界に来たばっかりだし、その札だって人を傷付けるものじゃないんだよ。怪我したの彦次郎さんだろ?」


 確信を持った朝彦の問いかけに背中の彦次郎が軽く目を見開いた。逆にサマンサは目を細める。


「彦次郎さんが怪我したのは右手のせいだよ! さっきので確信した。彦次郎さんの右手とあの札はすこぶる相性が悪いんだ! その札は悪しきものを退けて所有者を守るもの。だから、悪霊とか魔物とか悪い妖怪とか、そういうの触れると怪我しちゃうんだ」


 本当に傷付けるつもりじゃなかったんだ、と朝彦は叫んだ。サマンサは彼を冷たい目で見下ろす。


「何言ってるの? 彦次郎からじゃ――」


 言葉半ば、サマンサははたと固まった。誰からの情報か、頭に思い浮かべた瞬間、新しい記憶が掠めたのだ。


 サマンサは、ジェンナに触れられなかった。恐らくジェンナがすでに亡くなっており、この世の者でなくなってしまったため。では、では何故――。


(……何で、ルシオは姉さまに触れられたの――?)


 朝彦の下へ向かう直前、サマンサはジェンナをルシオに任せた。本当にどうにかするためじゃない。近くにいて安心させてやってくれ、ぐらいの意図しかなかった。それをどう受け取ったのか分からないし、正直今はどうでもいい。問題はあの時、ルシオが間違いなくジェンナに触れていた。この事実だ。


 彼がそんな力を持ってるなんて聞いたことがない。馬鹿な。そんなはずはない。何かの間違い。朝彦の嘘に決まっている。強く思う頭とは逆に、心臓はどく、どく、と大きな音を立てて鳴り響く。


「姫様っ!!」


 朝彦から飛び出すように彦次郎が突如駆け出した。その珍しい焦り顔と声に、サマンサは固まりそうな首を鼓舞して振り向く。


 そして見てしまった。間近に迫る小さな体を。両目をかっと見開き、唇を極限まで釣り上げて笑うルシオを。その手に鈍い輝きを反射する抜き身の剣が握られていることを。


 ルシオの口から引きつった笑い声が漏れる。


 元いた場所では口惜しそうにジェンナが顔を歪めていた。


 背後からは彦次郎をはじめとした護衛たちが向かってこようとしているようだが、この状況に、逆に異常なほど冷静になったサマンサの頭の一部はその結果を導き出してしまう。


 「間に合わない」、という結果を。


 狂気の刃が、非常にもサマンサの腹部に到達した。



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