第四話 「かつての悪夢と燃ゆる意志」③
サマンサが部屋を出てから入れ替わりに入って来たのはクールな印象の20代ほどのメイドで、朝彦は彼女に連れられ炊事場へ向かった。
広く間取りされた土間となっているそこには多くの使用人が行き来しており、開け放たれた窓や扉からは暖かな日差しと爽やかな風が入り込んできている。
昼過ぎということもありあまり慌しさはない。休憩中らしい使用人たちがそれぞれの食事を持って外に向かえば、聞こえてくる笑い声はその都度増えていった。主たちの物騒な覚悟とは正反対の穏やかさに、朝彦はそれまで詰めていた息を自然と吐き出していた。
その後、目的の相手だったルシオがちょうど席を外していることを告げられる。本人がいる必要はないから、ということで、朝彦は炊事場から外に出て空いていた机についた。ひとり集中して守りの札を作る間に時間は過ぎ、その内に周りにある四脚の机は全て人で埋まる。
朝彦が顔を上げたのは、札作りが無事に終わって一息ついた時。最初に視界に入ったのは、自分たちのお盆を持ってきょろきょろと首を巡らせている二人のメイドだった。どうやら空いている席を探しているらしい。早々に諦めた男性の使用人たちは芝生の上に腰を下ろしているが、クラシックタイプのメイド服を着る彼女たちには中々難しい選択肢だろう。
どこも空いていない、と中に戻ろうとした彼女たちを朝彦は軽く手を振って止めた。
「おねーさんたち良ければここどうぞー」
真剣に札と向き合っていた朝彦を気遣い、または訝り、オルコット家の使用人たちは朝彦と同じ席に着くことはなかった。後は札が乾くのを待つだけなので、その間の話し相手にでもなってくれないだろうかという期待も込めたお誘いだ。
「あら、いいの?」
「じゃあ失礼して」
朝彦の母と同じほどの年代の女性たちは、にこにこと笑って朝彦の前に座る。人柄が良さそうな彼女たちは、第一印象そのままの様子で朗らかに朝彦と会話を始めた。朝彦の素性は、今は何をしていたのか、という話題を経て、今度はこの家の主・サマンサが話題の中心となる。
「あらあら、怒られちゃったのね~」
先程の会話で、最後の最後に怒らせてしまったことをざっくり話せば、白髪の混じる短い茶髪のメイドはころころと笑った。事実に反してその口調は随分柔らかい。恐らく本気で怒らせたのではなく、彼女の態度に慣れない朝彦が「怒られた」と思っているだけだと思っているのだろう。
「ごめんなさいね~。うちのお嬢様気難しいから。でも、根は本当に優しい方なのよ」
謝罪をしつつもサマンサの擁護をしてきたのは、長めの髪を後頭部で緩く団子にした金髪のメイドだ。
「今はほらねぇ、湖の魔物を退治するんだって気を張ってらっしゃるから」
「そうよねぇ」
「あれ、お二人とも知ってるんですか?」
情報規制をしているのかと思いきや見るからにお喋りそうな二人が事情を知っていることに、朝彦は意外そうな顔をする。女性たちはそれぞれに「知ってるわよ」と頷いた。
「うちに傭兵の人たちを集める前にお嬢様が使用人たちに直接話されてたわ」
曰く、直接話す事で外部に漏らさないように言葉と意思に封印の術をかけられたそうだ。
オルコット家が完全に力が目覚めるのは18になってからだが、多少の能力はそれ以前から使える。人により能力の度合いは変わり、サマンサは幼少期からかなりの自由度で力を使えているらしい。そんな娘のことを、彼女の父は「オルコット家史上でも最高の術者だ」と褒め称えていたという。
朝彦に話が出来たのは、朝彦がすでにサマンサ本人から事情を聞いているためだろう。恐らく微塵にも「相手はこのことを知らないのではないか」と思えば封印の術が作動していたはずだが、彼女たちはすでに朝彦が「ちょっと複雑な話を突っ込んだら怒られた」と言ったのを聞いている。気を遣って言葉を濁したが、それが逆に「朝彦はすでに知っている」と思わせるのに役立ったようだ。
「その、集まった傭兵さんたちののお世話も私たちの仕事なのよ」
「本当は若い子達が担当してたんだけど、柄のよろしくない人もいてね。一回騒ぎが起きたからおばちゃんたちに代わったの。もー大変よ~? お尻を触られたって傭兵の人ひっぱたいちゃってね、傭兵さん頬が腫れあがっちゃって」
その時のことを思い出したのか、ふたりは「あれは凄かったわねー」と堪えきれない笑いをこぼす。
「ホントに色んな人が集まったんですねー」
サマンサから聞いてはいたが、人柄を見ずに招いているとは意外だった。ほんの数時間前にあったばかりだが、礼儀知らずは忌避する印象がある。それほど切羽詰っているということだろうか。
「そうなのよー。もう大変で大変で。あ、でもね、いいこともあったのよ?」
いいこと? と朝彦が鸚鵡返しする。
「そう。お嬢様に会ったならヒコジにもあったかしら? あの子が四年ぶりに帰ってきたのよ」
ヒコジ――彦次郎。護衛として控えていた彼は何の違和感もなくサマンサの後ろにいた。忠誠心を大いに捧げる様から、きっとこの世界に来てからずっと彼女に仕えていたのだろうと思っていた。
なのに、「四年ぶり」に「帰ってきた」とはどういうことか。朝彦は疑問をそのまま言葉にする。
「あれ? 彦次郎さんって16の時にこっちに来てから、ずっとこのお屋敷にいたわけじゃないんですか?」
さも世間話の体を装って。下手に勢い込んで尋ねて怪しまれては教えてもらえないかもしれない。頭の端には先程のサマンサとの会話の失敗が浮かんでいた。
「やぁねあの子ってば相変わらず口下手で。ええ、あの子は16の時にお屋敷の庭に倒れているのを、お嬢様方とルシオが見つけたの。怪我をしてたからそれが治るまではここにいて、それからトツノワの町に行って――それから五日もしない内に戻ってきたのよね?」
お団子髪の女性の問いかけに、茶髪の女性はこくりと頷く。
「トツノワで元の世界に戻った時の時差について聞いちゃったのよ。ここから元の世界に戻ろうとすると、世界と世界の間で調整力が働いて、最適な時間に戻そうとするんですって。でも、あなたたちの国は異世界を認識してないでしょ? だから、戻れても元の時間から進んじゃうの。こっちで過ごした時間よりは短く済むみたいだけど、ヒコジはひと月以上療養に使っちゃったから、元の世界は数日経ってたんだったかしら」
その結果が、彦次郎が言っていた「諦めた」につながるのだろう。しんみりする反面、ちょうど同じくらいの日数を過ごしている朝彦は「まだ元の世界では数日しか経ってないんだ」と内心で驚いた。
「それから八年はお嬢様たちの護衛としてここにいたけど、例の事件の前くらいにふらっと出て行ってて、最近サマンサお嬢様が傭兵を集めた時に戻ってきた、ってわけ」
「あの時のお嬢様凄かったわねー。大声で怒鳴り散らして『どこ行ってたんだ』って凄い剣幕で。その後大泣きしちゃって宥めるの大変だったわー」
珍しかったわよねーと声を合わせて顔を見合わせる女性たちに、そんなことまで話していいのかと、聞いた朝彦の方がそわそわとしてしまう。このことを聞いたことはサマンサには絶対に黙っていよう、と心に決めた。万が一知られたらどれだけ罵られるか知れたものではない。
「あ、いた。アサヒコさーん」
炊事場の勝手口からひょこりと顔を出したルシオが小走りに近付いてくる。朝彦と女性たちは揃って顔をそちらに向けて彼を向かえた。
「サミーお嬢様に先程仰ってたお守りを受け取ってくるように言われて来ました」
そう元気に笑う姿にはかつての惨劇の影も、記憶を失っている悲壮さも見られない。それが逆に痛ましく、朝彦は覚えず眉を寄せる。それに気付いたルシオは「アサヒコさん?」と首を傾げた。
「あ、ごめん。あの、サマンサさんにルシオのこと聞いてさ、苦労してんだなって思ったらしんみりしちゃって……」
眉を八の字にして笑い、朝彦は頭を掻く。ルシオは「なんだ」と明るく笑った。
「心配してくれてありがとうございます。でも僕は大丈夫ですよ! 何も覚えてなかった僕に皆さん優しくしてくださいましたし、今も丁寧に色々教えてくれます。サミーお嬢様も近くに置いてくださいます。お父さんも、いっぱい愛してくれます。苦労なんて吹き飛んじゃいますよ」
14歳の少年が放ったにしてはあまりにも健気な言葉。そばで聞いていた女性たちはじんわりと目に涙を浮かべ、鼻をすすっている。朝彦はその明るい笑顔に引き摺られるようにふっと笑うと、赤茶色の髪をがしがしと撫でた。
「うわわわ、ア、アサヒコさん!?」
驚きと戸惑いからルシオが声を上げる。そんな所にも年下の可愛さを覚え、ケーゴが朝彦の髪を撫でたがる理由がよく分かった気がした。
「ほらこれ。お守りの札。これを持ってればもう取り憑かれることもないよ」
すっかり墨の乾いた札を差し出すと、ぐしゃぐしゃになった髪を押さえていたルシオは慌てて両手を出してそれを受け取った。一度びくりと体を震わせたルシオは、それから目を見開いてきょろきょろと辺りを見回す。
「凄い! 何だか体が軽いです!」
再び朝彦に戻った目は感動で輝いており、表情もこの上ないほど明るくなった。感動が過ぎて札を持つ手に力が入りすぎてしまっているが、まあぐしゃぐしゃに潰れたところで効果は変わらないので良いだろう。
「そりゃよかった。ちゃんと肌身離さず持ってるんだぞ。三週間も経てば死の臭いも取れるから」
はい! と満面の笑みで返事をすると、ルシオは大きく頭を下げた。
「ありがとうございましたアサヒコさん! もっとお話したいんですけど、僕まだ仕事があるので、失礼しますね。また今度お話しましょう」
折りたたんだ札をポケットにしまって踵を返したルシオは、何度も振り返っては手を振り、炊事場の向こうへと姿を消す。
それを見送っていると、「そういえば」と思い出したようにショートカットの女性が呟いた。視線をそちらに向けるが、彼女の視線は隣の同僚に向かっている。
「ルシオ、ヒコジのこと避けてるわよね?」
問いかけに、同じことを気にしていたらしいお団子髪の女性は手を打って「それ思った」と声を上げた。
「他の人たちには笑顔なのに、何でかヒコジにだけは怯えた感じなのよね。昔は仲良かったのに……顔が怖いせいかしら?」
「他の人も気になったみたいでルシオに訊いたんですって。そしたらね、『よく分からないけど何だか凄く怖い』って言ってたらしいわよ」
やっぱり顔かしら、鎧もかもね。ぺちゃくちゃと予想を立てる女性たちの間では「見た目と雰囲気のせいだ」と結論が出始めている。顔立ち自体で判断するならマリオの方が厳つくて怖いだろう。とはいえ、彦次郎には何と言っても顔の傷がある。子供に恐怖を与えるには十分すぎるのだろう。
普段なら、朝彦の予想もそこで終了に至っているはずだった。
(でも――)
朝彦の思考は反転する。どうしても気になるのは、彦次郎が四年前の事件の頃いなくなっていることと、事件以降記憶を無くしているルシオが彦次郎を理由も分からず怖がっていること。
(偶然? にしちゃ出来すぎだよな。もしかして彦次郎さん何か知ってるんじゃないかな……)
じっと黙して考えていると、お団子髪の女性が時計を見て「あら」と声を上げる。
「そろそろ休憩あがらないと。じゃあねアサヒコ君」
「お仕事頑張ってね」
「はい。ありがとうございます。――あっ、すみません最後に」
それぞれのお盆を持って立ち上がる女性たちを顔を上げて見送ろうとした朝彦は、慌ててその背を止めた。振り返った女性たちが何事かを問いかけてくる。もしかしたら、彼女たちから聞き出せるかもしれない。
「サマンサさんの誕生日っていつでしたっけ?」
サマンサの誕生日が魔物退治決行の日のはずだ。期待を込めて尋ねると、茶髪の女性が口を開いた。しかしその唇が音を紡ぐことはない。何かと思う間もなく、女性たちは困ったように笑いかけてくる。
「ごめんなさい、言えないみたい」
封印の術が作動したらしい。流石に今の聞き方は「知っている」と思わせるには無理があった。朝彦は「ですよねー」と力なく呟き、今度こそ女性たちを見送る。
「……サマンサさんの分も作っておくかー」
もうしばらくこの庭に居座ることを決めて、朝彦は次の紙と出しっぱなしだった筆を取った。
その夜、彦次郎は朝彦が残していったと言う守り札を使用人から受け取る。
「お嬢様に渡してください」
近々行われる魔物退治のために集められた者たちの世話で、オルコット家の使用人たちはいつも慌ただしくしていた。朝彦から任されたという使用人も、渡すや否や別の使用人と次の仕事を確認しながら去っていく。
「……神凪の守り札か……」
布で包まれているそれを開けば、そこには彦次郎にも読めない言葉が書き連ねられている札が一枚しまわれていた。彦次郎はそれをじっと見つめると、おもむろに右手を差し伸べる。札に指先が触れた、その瞬間。
「……っ!」
熱した石に水をかけたような音がし、指先は即座に札から離された。にもかかわらず、そこはただれる直前のように真っ赤になってしまっている。痛みで小刻みに震える右手は、眉根の寄った顔でじっと見下ろされてから、強く握り締められた。痛みを無理やり握りつぶすように、強く、強く。




