第71話「怠慢と傲慢」
ルシェンヌ・ド=ラ=ヴェルは、生まれたその日にモンペ・リエ近郊の修道院付属の孤児院の扉の前で見つかった。
雪の積もる朝。かすれた産声だけが、誰の祝福もなく世界に放り出された証だった。
孤児院には五十名ほどの子供たち。
隣町の自動車工場が閉鎖し、寄付も尽き、暖炉の薪すら買えない冬が続いた。
ルシェンヌは覚えている。
――クリスマスの夜。
窓の外では同年代の子ども達が笑いながら光る街へ駆けていく。
自分は穴の開いた毛布にくるまり、ネズミの足音を子守歌に震えていたことを。
シスター達も必死だった。
パンひと欠片のために、裏で身を売る者も多かった。年長の孤児が次の子を守るために自ら街へ消えることが常だった。
「明日は君の番だよ」
優しく言われたあの日の声を、ルシェンヌは今も忘れない。
そしてその時。
男が来た。
腹の出た中年。
買い手――つまり、ルシェンヌの人生の終わりを告げに。
ルシェンヌは震えていた。寒さでではない。
『価値のない子ども』だと決めつけられてきた世界が、自分の未来を砂のようにこぼしていく絶望に。
だが――
目が合った瞬間、世界がひっくり返った。
男は崩れ落ち、涙を流し、神に祈るように彼女の手を取った。
「どうか……許してくれ……」
「君を救わせてくれ……!」
翌朝。
孤児院には男の名前で全財産の寄付が届いていた。
マリーアントワネット、ジャンヌダルク、善悪を問わずにこの国には『魅了』の力を有する少女が現れる。
尊敬や揶揄を込めた『傾国の美女』と呼ばれる『魔法少女』である。
間違いなく、現在のこの国の『傾国の美女』はルシェンヌである。
『魅了』を使えば、修道院は持ちなおし、シスターや孤児達が身を売らずに済んだ。ローマの枢機卿さえ、彼女に膝を折った。
孤児院は救われた。
食卓にパンが並び、薪が燃え、子どもたちの頬に色が戻った。
シスターたちは涙を流して祈った。
ルシェンヌは天使だと。
神の奇跡だと。
だが、当のルシェンヌは知っていた。
(奇跡?違うわ。救ってあげただけ。わたくしの微笑み一つで。)
寄付金は増え続けた。
大統領夫人は姿を見せるたび宝石を置き、
市長は道路を修道院の前まで舗装し、
国会議員は次の選挙に彼女の一言を欲しがった。
世界は与えられたいと願っている。
わたくしの愛に跪き、見返りを差し出すことを幸せと呼ぶ。
わたくしのブロンドの髪を、すらりと伸びた手足を、サファイアのような瞳を、そして何より、整った容姿を皆が神聖なものとしてくれる。
それを知ってしまった少女に謙虚さなど育つわけがない。
やがてルシェンヌは修道院から国際舞台へ。
前々回大会で初出場し、初戦敗退。
屈辱で涙を流しながらも、彼女は悟った。
(愛は力。力は愛。
ならば次は――全員を愛で屈服させればいい。)
前回大会。
レセプションパーティーでただ一度、微笑んだ。
それだけで観客も選手も役員も、
すべての人間が彼女を称え、跪き、出場辞退した。
世界は震えた。
同時に崇めた。恐れた。
こうして彼女は呼ばれる。
皮肉を込めて。畏怖を込めて。
『傾国の美女』――ルシェンヌ・ド=ラ=ヴェル。
♦︎♦︎♦︎
スピーカーの電子音が試合開始を告げる。
ノコノコと現れたのは、日本代表『藤原さくら』。
アニメで見るような、チェックのプリーツスカートに白いブラウス。紺色のブレザー。
多分、あちらの制服なのだろう。
(まあ、いいわ。手早く終わらせましょう)
「『わたくしと共に祈りましょう』!」
(これで終わりよ!)
だが、藤原さくらは笑った。
「『ボイドニウム・ストーム』!」
黒い砂嵐がルシェンヌを襲った。




